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邪馬台国論争でそもそも当時の地図が間違っていた。 方角が誤字だった。 距離の縮尺の単位が違っていた。 大規模な地殻変動があり昔と今で海岸線の位置が変わってた。 フンガ・トンガみたく島が海に沈んだ。 ハプグット説のように昔は日本列島自体が南にあり徐々に北に移動したとか分裂してたとか色々な説がありますが、そもそも同時代の中国の地図の精度ってどのくらいだったのですか? 「邪馬台国の謎と逆転日本列島」 - 好きなもの、心惹かれるもの https://meinfavorit.hatenablog.com/entry/2021/10/02/202805

中国史 | 日本史403閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

回答(13件)

現在までに見つかっている一番古い魏志倭人伝の写本が作られた時代と同時期ぐらいに描かれた日本を描いたと思われる地図に日本が実物より90度ぐらい傾いた太平洋側に細長く描かれたものが有るようです。

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その時代の地図を見たことありませんが 距離の単位を作り方角を読めるだけでも平面図は作れますから大陸の形はできると思いますね。正確さの質問はタブーですね。人工衛星より正確な地図を作るのは無理です。仮に校庭に10mの正確な円を描く為には人工衛星は不必要ですが九州一周を誤差なく作るのは無理があると思いますね。なので正確な地図を作るより正確な距離を測る事はできたと思います。

当時の日本(というより宗像海人)の航海技術は優れたもので、羅針盤のない時代にあれだけの航海を成し遂げた種族は他にありません。(行き当たりばったりで食べ物を求めて移動した原始人の航海とは別物です) ですから、日本から中国に朝見することは出来ても、その逆は不可能だったのです。 それを可能にしてしまっては、中国の武力に日本が太刀打ち出来ないことも彼等は知っていた。 だから敢えて日本の位置を正確に教えることはなかったのです。 おバカなふりをして 「だいたいこっちの方向にこんぐらい行ったところの取るに足らない小さな国です、大王様」とへりくだったわけですね。 おかげで度々朝鮮半島までは支配下に置いた中国も、日本にまでは手を出して来なかった、というか出せなかった。 朝鮮と日本の間には攻めたり攻められたりという競り合いはありますが、中国からは元寇の時代までそれは無い。 二度にわたる元寇も、海への無知から嵐に遭って自滅しているし。 ところでご紹介のあった本ですが、言論の自由ですからこのような書物の出版も可能なのですが、言ってることはデタラメすぎて、地学の専門家なら学会から追放されるレベルですね。地理・地学好きのタモリさんでも笑い転げますよ。 地殻の変動はたかだか2千年くらいでそんなに変化しませんよ。 日本列島は10万年前にはほぼ現在の形になっています。 その後の氷期や土砂の堆積によって海岸線などは変化していますが、フィリピン海プレートの移動速度は年間5センチ程度です。 二千年では100メートルというところですね。

魏晋の時代の倭の認識は、朝鮮半島の先にある島国という程度。地図には本州は無く九州だけがジャガイモの様に描かれています。

当時でも、「地図」は、軍事的、政治的に重要ですので、精確ですので、邪馬台国は九州島北岸です。 なのですが、当時の軍事的、政治的な要請により、位置を曖昧にするための「策(はかりごと)」が施されています。 「軍事的に、邪馬台国は敵対していた呉の牽制の為に、現在の福建省の東方の海上」。「政治的には、司馬懿が帯方郡を公孫氏から奪還すると、遠い遠い、万二千余里の所から、司馬懿を慕って朝貢して来た」。 これらの事により、「倭人伝」は、カモフラージュが成されているのです!「韓伝と倭人伝の距離の10倍の拡大表記されています」。 著者の優しい所で「帯方郡から邪馬台国までの、水行10日、陸行1月は、実際の数字が記されています!」