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質問 ・南京事件があれほど拡大したのは、司令官の唐生智が降伏の手続きせずに逃亡したことも要因ですよね? もし唐生智とジョン・ラーベの2人が松井石根に降伏の手続きをして、唐とラーベが松井に「武器は全て放棄する、その代わり一般市民や軍人を絶対殺さないで」と言ったら、日本軍は民間人や捕虜への殺傷を断念したでしょうか? 『ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー』予告編 https://www.youtube.com/watch?v=0so8D5eTQxU Yahoo知恵袋から引用 ・減ったでしょうね。日本軍は安全区でも蛮行を働きましたが多少は遠慮があった(笑)。従って安全区を拡大し収容数を増やしていたら犠牲者数は減ったと思います。下の回答にウソがありますね。安全区は欧米人の為に設置されたものではない。南京戦が始まる時点では欧米人はほぼすべてが南京を脱出しており、残っていたのは宣教師や数人の特派員など30人ほどだったと言います。国際安全区委員長のジョン•ラーベによると、安全区は日本軍から民間人を守る為に設置した、と。南京市西部の各国大使館ビルや南京大学を中心に作られました。逃げ遅れた市民たちは「無許可で潜り込んできた」のではありません。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13279947433?__ysp=5Y2X5Lqs5LqL5Lu244CAMTMw5LiH5Lq6 Yahoo知恵袋から引用 ・>南京事件があれほど拡大したのは、司令官の唐生智が降伏の手続きせずに逃亡したことも要因ですよね? それは誤解ですね。司令官が部隊を代表して降伏すべし、と言いたがる人がいますが、日本軍の場合は一度もそんなことは無かった。だったら米軍は日本軍捕虜をやりまくってもよかった? そんなことはありませんね。 >南京に残った50万人はなんでジョン・ラーベたちがいる国際安全区集まらなかったのですか? 日本軍があれほど大規模に残酷な事をするとは思っていなかったのでしょう。 しかしなんだか被害者の方が悪かったと言いたい様ですね(笑) だったら東京大空襲も原爆も、都市が片っぱしから爆撃されているのに、日本人はなぜ東京や広島の様な大都市から逃げていなかったのでしょう、、、となりますよ。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10315669345?__ysp=44K444On44Oz44O744Op44O844OZ

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回答(3件)

そういうことではないですよ。 あのドイツだって、ヒトラーの死後、「停戦協定」は慌てて結んでいるし、各都市でそれぞれ「停戦」が決められて、相互に停戦している訳です。 そうやって、余計なトラブルが無いように測るのが、言わば基本な訳です。 それが無かった、ということは、実質的に「その都市は交戦状態のまま放置された」ということです。 そもそも、この事件の解釈にはいろいろ不明点がありますが、単純な肯定論にも「頭悪!」という部分は多分にあるのは確かだってことです。 正直に言えば、当時の、少なくとも「国民党軍」が史上最悪の軍隊だったことは確かで、戦勝国でもあり、西側の膨大な軍事支援を受けたのに、戦後4年で崩壊、それを元連合国軍事顧問団も「当たり前だ」としか言わない、というレベルにあったのも史実な訳です。

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まあ、反蒋介石だった唐生智を司令官にした時点で蒋介石の意図ははっきりはしているね(降伏は認めない、死守しろ)

ーーーーーーーーーーーーーーー 南京事件そのものは捏造ですよ? ーーーーーーーーーーーーーーー ■そもそも戦争がまだ続いているのに、わざわざ大量の民間人を殺害する為に貴重な資源や時間を浪費する余裕なんて、当時の日本にある訳ないでしょう? ■南京事件は、「日本軍はこんな酷い事をやったから、俺らの戦争は正しいんだ!」と、言い訳する為に戦勝国であるアメリカと中国軍が創作し、戦後の東京裁判で取り上げたものです ■アメリカは東京大空襲を含む日本本土空襲と原爆投下、中国軍は漢奸狩りや黄河決壊事件や便衣兵や清野作戦などで、双方共に100万単位の民間人虐殺をしていましたからね ■というか日中戦争が始まったのは第二次上海事変で中国軍が上海の日本租界を攻撃し、日本居留民3千人を殺害したからです ■アメリカと戦争したのは、そんな虐殺行為をした中国軍に対して南アジアを介して大々的に支援する等の、日本にとっての準敵対行為をした事が大元ですからね ■当時の日本軍は軍紀風紀が乱れていたと言う人がいますが、だったら日中戦争から太平洋戦争終結までの8年間。たった100万ぽっちの日本軍が資源国に支援されている500万~数千万の中国軍と、どうやって戦ってこれたというのですかね? ■軍紀風紀が乱れているという事は、当時の日本軍兵士は軍の決まり事を守らない、つまり上官の命令を聞かない、訓練も真面目にしないから連携のれの字も無い、好き勝手する不良集団と一緒という事です ■そんな不良集団な弱兵揃いの日本軍が、どうやって碌に資源も無いのに、中国軍みたいな大軍相手に戦ってこれたというのですか? ■しかも不良集団である日本軍兵士が弾丸の節約とか気にする訳もありませんから、景気よく民間人に対して発砲して、あっという間に弾丸枯渇に陥っていた筈です。つまり肯定派は日本軍は戦中弾丸も無しに素手で戦っていたというのですよ(笑)