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日本近代史に詳しい方に質問です。 飽くまでも「仮の話」としてお聞き下さい。 . 日中戦争開戦時、もし日本が「国民党軍と共産党軍の両方を敵に回す」という選択肢を選ばずに、「国民党軍と同盟を結んで、共産党軍と戦争する」という選択肢を選んでいたら、その後の世界はどうなりましたか。 1931年、日本が中華民国に侵攻し始めた時、当時の中華民国は、国民党軍と共産党軍が内戦している状態でした。 柳条湖事件(1931年)によって、日中戦争が始まりました。日本の関東軍が自作自演で、柳条湖付近にて、南満州鉄道を爆破し、それを中華民国軍の仕業と偽って攻撃を開始したと言われています。 そんな面倒な事をせずに、国民党軍と結託すれば良かったのではないですか。そうすれば、内戦は、国民党軍の勝利の内にあっという間に終わったでしょう。 蒋介石は日本に大きな「借り」が出来ますので、その後の通商交渉も日本優位に話を進める事も出来たはずです。国際社会から孤立してまで「満州国」なんて傀儡国家を建国する必要も無くなる。 アメリカの支援も期待できたかも知れません。少なくとも共産主義と戦う様な国に対しては、ルーズベルトも石油の禁輸措置なんて事はしなかったでしょう。 結局、大平洋戦争は起こらず、真珠湾奇襲攻撃、東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎の悲劇、全て回避出来たのではないですか。 戦後の国際情勢も変わっていたと思われます。 まず「中華人民共和国」は成立せず、「中華民国」が国際的に承認されていたはずです。 冷戦の構図にも影響が出たでしょう。 「中華人民共和国」が成立しなかったら、「ソ連(ロシア)」は、自国のイデオロギーに自信を持つ事が出来たでしょうか。体制を維持する事が出来たでしょうか。「朝鮮戦争」、「ベトナム戦争」、「ウクライナ戦争」も起こっていたかどうか。 つまり日本軍が、「国民党軍と共闘し、共産党軍と戦う」という選択肢を選んでいたら、その後の日本に大きな利益をもたらし、世界に安定した平和と繁栄をもたらしただろうと思うのですか、いかがでしょうか。

補足

上記訂正 誤):1931年、日本が中華民国に侵攻し始めた時、当時の中華民国は、国民党軍と共産党軍が内戦している状態でした。 柳条湖事件(1931年)によって、日中戦争が始まりました。日本の関東軍が自作自演で、柳条湖付近にて、南満州鉄道を爆破し、それを中華民国軍の仕業と偽って攻撃を開始したと言われています。 そんな面倒な事をせずに、国民党軍と結託すれば良かったのではないですか。そうすれば、内戦は、国民党軍の勝利の内にあっという間に終わったでしょう。 正):1937年7月7日、盧溝橋事件を機に日中戦争が始まりました。 当時の中華民国は、西安事件(1936年12月12日)を経て、抗日統一戦線を結成し、共産党軍と国民党軍が手を組んでいました。 それを裏切らせるのです。陰謀を張り巡らし、蒋介石を調略するのです。 そうすれば、国民党軍と日本軍の同盟軍の勝利の内にあっという間に戦争は終わったでしょう。

日本史 | 中国史223閲覧

回答(8件)

日中戦争は盧溝橋事件をきっかけにして始まりました この事件自体が中国共産党のスパイが国民党軍と日本軍を戦わせる為に引き起こしたものです 当時の中国国民の感情は一機に反日となり西安事件で抗日統一戦線の結成となったのです この状況で国民党軍が日本側に付くことは極めて困難な状況でした 共産党の方が国民党や日本よりも工作が上手だったのです

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意見の100%訂正と言う珍しい意見です。 本筋の間違いなどあり得ず、まだ歴史認識の途中のようですが、もっとべbン供することがあるのです。 ソ連も蒋介石を巻き込んでいたことをご存じですか? 蒋介石自身が使用置けない人物だったのです。 ただハッキリ言えるのは日中戦争はドイツ軍事顧問団が中国政府に推奨していた行動であり、「戦争は中国が起こした」と言う事実です。

ドイツ軍事顧問団は中華民国の軍備強化に貢献しましたが、戦争そのものを「推奨」したという証拠はありません。戦争の勃発はより複雑な国際情勢と偶発的な衝突の積み重ねによるものです。ただし、ドイツは中華民国の軍備強化を支援していたため、結果的に戦争準備を助けたとは言えます。 日中戦争は、1937年7月7日の「盧溝橋事件」が直接の発端とされています。日本軍と中華民国軍が北京郊外で衝突し、これが全面戦争に発展しました。日本側は「中華民国軍が発砲した」と主張し、中華民国側は「日本軍が挑発した」と反論しています。真相は今も議論の対象ですが、偶発的な小規模衝突が拡大した為に日中戦争が勃発したと見るのが一般的です。 日本と中華民国を戦争させて、ドイツに何の得があるのですか?

質問者様の御意見である日本と国民党との和解?共闘?での打倒共産党 私は当時の日本にその様な計画が実際に日本にあったのかどうか、その史料の存在を知りませんが 恐らく当時の政府や軍部でも一考された案件だと思ってます ただ現地部隊は国民党とは長年対峙し血を流し、兄弟や戦友を亡くしてきた連中です 日米交渉の時と同様 軍務局青年将校や現地部隊の強硬派に弱気と捉えられての決起、反乱の危険性が捨てきれません まあ、この件を考察するには1910年代後半からの考察が不可欠で、とても4000字程度に纏める事は不可能です ここではザッとした経緯だけ記しますが、恐らく質問者様には疑問が残ると思います 第一次北伐〜第三次北伐や中独合作、上海事変、中ソ国交断絶などetc〜 一連の流れを詳細にお調べになると、ナゼ国民党が列強の中で日本を一番敵視し戦闘を仕掛けたのか ナゼ関東軍佐官級参謀が陰謀を張り巡らせ戦闘を仕掛けたのか その辺りの理解が深まるかと思います 1920年代、列強の利権拡大に対抗したい国民党は 清国時代の1800年代から国交が盛んだった欧州大戦敗戦国(第一次世界大戦)ドイツと積極的に関係を深め 経済顧問と軍事顧問をドイツから迎え近代化を目指しており 1920年代後半にはバウアーも軍事顧問として中国軍を指導してます 中国は見返りとしてタングステンなど豊富な地下資源をドイツに優先して輸出 両国は軍事経済両面で協力する半ば同盟関係にありました ドイツは欧州大戦前に持ってた中国租借地や利権を大戦後半に参加した日本に奪われ、その後は日本が租借するとドイツは大陸での日本拡大を警戒 ドイツのそんな思考が、日本と長年武力衝突を繰り返してた国民党軍の動向に影響を与えたのは云う迄もなく その国民党の動向に、対峙する関東軍佐官級参謀が危機感を抱くのも道理です また同時期に蒋介石が南京クーデターを起こし、暴徒化した一部のクーデター軍が米英日仏の人民、駐留軍を襲撃する事態に発展すると 更に日本軍と国民党の緊張が高まっていた事は容易に想像できます 満州事変は御存知のように、国民党軍と目と鼻の先で対峙する緊張の中 諸々の画策を巡らしてた佐官級参謀が遂に行動に移したもので 事に至る以前、中央(参謀本部)の許可を得る事もせず 事変発生の経緯は 政治化した将校が煮え切らない中央の意向に関係なく 「政府や軍部に任せておけぬ、俺たちが起つしかない」 と国家の為だと信じ実行したもので 昭和動乱の青年将校の決起と類義の行動だと判断できまさ 満州事変は 欧州大戦後の中国事情の一連の流れの蓄積の上に発生したものと解釈する事ができます 無論、北方軍閥の張作霖のソ連大使館突入事件やソ中国交断絶等も その一連の中で起こったと考えるのが妥当だと指摘されてます ご存知かと思いますが、日本は北華と北方の軍閥、朝鮮半島を対ソ連への緩衝と考え支配権を欲しており 米英は共に、日本をソ連共産主義の南下阻止の障壁として期待 この時点では 日本もアメリカもイギリスも国民党ではなく張作霖ら北方軍閥を支持 日本と英米は協力関係にありました それが南京クーデターで国共合作が崩壊、蒋介石は共産党勢力とソ連とも対立 関東軍は満州から中国軍を一掃すると清王朝を招き満州国を宣言 蒋介石はこれを黙認し、共産党との戦闘に傾注してます 確かに質問者様の疑義は、日本と国民党にとって理に適う意見なのですが 長年に渡って目と鼻の先で睨み合い、南方では陸軍の同胞と日本から移民が攻撃を受け国民党と戦闘中 国民党としても長年戦い、睨み合ってきた日本との戦闘で親兄弟や仲間を失った者も大勢居た筈です この両者が手を組むのに、共産党勢力は小さ過ぎたのではないでしょうか? それに、日本が国民党と共闘すればソ連が共産党側に立ち南進する口実を与えてしまいかねない事態も考慮しなければならず、一層困難な状況を招きかねません ソ連は中ソ断絶後はモンゴル支配へと移行しており ドイツから派遣された上級経済顧問や軍事顧問のドイツ将校が、当時ソ連共産勢力よりも日本の南進を警戒し蒋介石に進言してる史料も残ってます 平沼首相が「欧米外交は複雑怪奇」と理解に苦しんだように 中世より外交網を張り巡らせ各国と渡り合って来た老獪な欧州列強と違い、島国で閉鎖的だった日本にはその辺りの外交駆け引き、機微が欠落してます この時期から諸国の動きは更に複雑化し、1932年1月28日第1次上海事変が勃発し日本軍は熱河省に侵攻 すると、軍事顧問だったドイツのヴェッツェル中将は近代戦術の指導をしてた国民党軍の第87師団、88師団を自らが指揮し日本軍と交戦 ヒトラーが政権を握ると、1934年蒋介石はドイツ陸軍元参謀総長のゼークトを上級顧問として招聘 ゼークトは日本は必ず南進する。コレを食い止める戦争をすげきと進言しゼークトラインを進言 しかし中国の軍事力で日本の侵攻を止められないと判断した蒋介石は数十万ドルの巨費を投じ 当時アメリカの政界、軍部から離れていたスティムソンを通じ 「日本軍はアメリカ製の爆弾と武器で中国を侵攻している」 との都市部へのビラ撒きを依頼 同時に米政府と財界に対してのロビー活動を行って米世論を動かしてます ナチスがドイツ政権を握ると、スラブ民族を蔑視するヒトラーは対ソ警戒で日本と接近し満州国を承認 蒋介石はコレに対し中独合作を破棄しドイツとの蜜月は終焉、よりアメリカ、イギリスへと接近してます ここにおぼろげながら日独と米英中の構図が出来上がって来ますが ナチスは対ソ警戒で日本との軍事同盟の日独防共協定を結ぶ直前 突如としてソ連と不可侵条約を締結 前期した平沼首相の複雑怪奇発言での辞任に至ってます 日本にしたたかな外交能力があり 政府や軍中枢が現地軍と青年将校をコントロールできる状況であれば 国民党と手を組み、中国共産勢力とソ連に対抗 との構図もあり得たかもですが 当時の日本は軍務大臣現役武官制により、軍は倒閣の力を握っていて政治をコントロールする立場であり 教育勅語により政治化した青年将校は、軍中枢の命令であっても国家の為にならないと判断すれば自らの意思で行動 軍や政府の要人であっても、国家の為にならないと判断すれば粛清対象として決起も厭いません 国民党との長年の紛争、戦闘で家族や兄弟、仲間を亡くした者も多く 急に 「国民党と手を組んで共産勢力を駆逐しろ」 と命令されれば、現地部隊将兵と軍務局青年将校の混乱は避けられなかっただろう想像できます 最後に質問文中段 >>アメリカの支援も期待できたかも知れません。少なくとも共産主義と戦う様な国に対しては、ルーズベルトも石油の禁輸措置なんて事はしなかったでしょう 前記したように、アメリカの最大の懸念はソ連共産主義に南下です この点で日英米の利害は一致してました 天皇の号令があれば関東軍も従った可能性があるかもですが、南京クーデターの後では関東軍を含め現地部隊が国民党と手を結ぶのは困難だと推測します また陸海軍省の軍務局の青年将校連中が 「天皇を惑わす奸臣を討て」 となって、政局や軍部要人の排除目的の決起も考えられます 中国を屈伏させようとせず、深入りせず日本だけ最恵国待遇にしろやら望まず 他国と歩調を合わせ、通商での利益に留め軍事力での圧迫を控えていれば国民党と結ぶ事も可能だったかもですが 軍縮調印に対し弱気だと反発し5.15事件で決起した海軍青年将校ように 国民党と手を組む事を潔しとしない連中の決起が起こった可能性は否定できないかと また、アメリカの対日石油停止はアメリカに拠る制裁ではなく日本の失策です 7月2日に南部仏印進駐が決定してますが、パープル暗号を解読してた英軍がこの動きを察知し7月5日に日本へ警告 日米交渉で武力侵攻の停止を約束してた日本は対応に苦慮した末、7月22日アメリカに対して平和進駐すると打診 7月23日にウェルズ国務長官が石油停止を警告し 7月25日にはルーズベルトが南部仏印の共同統治を提案し 武力侵攻すれば石油停止と在米日本資産凍結を警告 コレに対して日本は アメリカはドイツ系国民を多く抱え、都市部のナチス党結成、また英仏に巨額を貸し付けてたアメリカは欧州に傾注しアジアどころではない筈だと判断 それに進駐命令を下達した後で停止命令を出せば現地部隊と艦隊が混乱すると判断(反乱?) 南部仏印へと進駐し日米対立が決定的となってます 結局日本は 外交手腕の稚拙さ、国家神道教育で幼年期より徹底して国家への奉公を叩きこんだ教育勅語 統帥権が独立しシビリアンコントロールできず、政戦一致で無かった事など 諸々の状況が重なり、一旦外地へ向けた部隊(エネルギー)を引っ込める事が困難でした 無理に閉じようとすれば、弱気や国家の為にならないと暴発を招きます 多くの学者、研究者に依り日米交渉を妥結させ撤兵させる判断は 大袈裟でなく 内乱、内戦覚悟でやるかどうかの問題だった事が指摘されてます 私個人は質問者様の疑義 国民党と手を組むとの選択も、コレに近い類義の問題では無かったのかと推測してます ザッとした経緯を記したつもりですが3900字になってしまいました まとまりない乱文かと思いますが御容赦ください 長文失礼しました m(__)m

昨夜、書き漏らしていたので付記させて頂きます 古来より敵国の切り崩しは洋の東西を問わず常套手段です 日本陸軍も日露戦争では花田少佐が扇動する馬賊、満州義軍によるロシア極東軍の後方撹乱 圧政に反発する労働者デモが頻発してた首都サンクトペテルブルクでは、英国から資金援助を受けた明石中佐が労働層を扇動しロシア第一革命へと繋がる混乱を誘発 ここに至り日本海海戦の惨敗もあって、ようやくロシアは2度目の講和提案を承諾 日露戦争は終結にこぎつけました むしろ陸軍上層部、明石機関を引き継いだ特務機関が国民党と共闘しての共産勢力排除を一考しない方が不自然です 恐らくは諸問題で国民党と手を組むハードルの高さ 共産勢力を一掃した後、国民党がより強固な一枚岩となる可能性などを含考し実行されなかった可能性が大きいのではと個人的には思ってます

あり得ません。何故なら、 >1931年、日本が中華民国に侵攻し始めた時、当時の中華民国は、国民党軍と共産党軍が内戦している状態でした。 柳条湖事件(1931年)によって、日中戦争が始まりました。日本の関東軍が自作自演で、柳条湖付近にて、南満州鉄道を爆破し、それを中華民国軍の仕業と偽って攻撃を開始したと言われています。 という事実が存在しないからです。 満州事変と日中戦争は、まるで別物です。

確かに日本が中国国民党と敵対しなければ日中戦争も起こりませんし、日中戦争が起こらなければ南部仏印進駐も起こらないので経済制裁による石油禁輸もない。太平洋戦争も起こらないと言う理屈になります。 あとは、日本が国民党政府にどれぐらいの要求を突きつけて、国民党政府がそれをどれぐらいのむかだと思われます。 ご提案の時期だと対華21カ条要求は出しており、それに反発して抗日運動は起こっているわけです。 この状況で日本から中国の要求が強いと抗日運動は激しくなります。そうすると国民党政府としても取れる選択肢が限られてくる。