俳句について。 「空蟬の操縦室はどこですか」 【評】空蟬は人目に付かないように飛んでいるのかも。空蟬に新しい見方をもたらした秀句です。 掲載紙名、作者名、選者名はここでは伏せておきます。 思想的、観念的がダメというわけではありませんが、俳句の基本は写生だと思っています。 しかし、このような発想を俳句にして評価されるのは素直にすごいなと思います。 同じ作者で次の句もありました。 「軽やかに丘を上るやラベンダー」 【評】ラベンダーが咲く丘の様子が目に浮かびます。紫色のじゅうたんのような丘。さわやかな香り。読むだけで足取りも軽やかになる一句です。 軽やかな足取りで丘を上る人と一面に広がるラベンダー畑が目に浮かび、まさに写生的な句だと思いました。しかし、空蝉の句のように発想の転換があるならば、ラベンダーの句も違う見方ができるのかな?と思いました。 ラベンダーに意思があり、足があり、ラベンダー自身が軽やかな足取りで丘を上っていたとしたら・・・ この作者の俳句は以前も何度か見かけていましたが、その時はそこまで意識していませんでした。 しかし、写生的な俳句と思って実は発想の転換がある俳句を書いていたとしたら・・・と思ったら、以前の俳句を見返したいと思いました。 本題に戻りますが、上記のラベンダーの句で、ファンタジーな話になってしまいますが、人ではなく、ラベンダーが丘を上るという解釈をすることは可能でしょうか?考えすぎでしょうか。