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負け犬の皮をかぶった勝利宣言「おひとりさまの老後」

おひとりさまの老後 上野千鶴子というファンタジー。

 題名にだまされてはいけない。これは「千鶴子ヴィジョン」から見た老後のお花畑なんだ。しっかり年金をもらって、悠々自適のセカンドライフを謳歌できる、いわゆる逃げ切り世代へのエール本なのだ。

 お花畑では、男は役立たずなお荷物に過ぎないし、子や親族は資産を自由に使えなくする邪魔な存在となる。そんなものは放っておいて、「おひとりさま」になれという。どうせ老後は、夫に先立たれ/離婚するし、子どもはアテにならない。結局「ひとり」になるのなら、最初から「ひとり」を想定したライフスタイルがいいのだと。

 そして、子どもにカネを遺すと自立しないから、アタシが使うのが正しい。「夫のカネはあたしのもの、あたしのカネはあたしのもの」という金銭感覚で後家楽を目指すのが、日本の女の「上がり」なんだとけしかける。

 さらに、子孫に囲まれて暮らす老後観なんてウソ。「いっしょに暮らそう」という子のささやきは悪魔のささやき。財産を独り占めする魂胆だったり、親を放置する罪悪感からくる「義理介護」だったりする。最初は「親孝行」を演じられても、長期間なんてムリ、そのうち深刻な葛藤が始まる。ひとりの生活が染み付いてるから、いまさらゴキブリのように身を寄せ合った雑魚寝ができるかってんだと切る啖呵、カコイイ。

 ただし、家族「以外」での関係は培っておけと。用途に応じてパートナーの在庫ぐらいそろえておけと。さみしいといえる相手をちゃんと調達し、人間関係のセーフティネットを構築しておくのが、「おひとりさま」の心得だという。

――などとチヅコ節を咆哮する。「データによると」という枕詞なのにソースがなかったり、極論を「知人が言うには」で代弁させたり、レトリックはなかなかのもの。こいつを真に受けて立腹する人がいるが、これはファンタジーなの。リアルとして読むのなら、裏返して読むべし。つまり、これは、彼女がそうありたいと願う空想であり、自己正当化のためのセルフエビデンスなんだ。

 たとえば、アタシが父親と一緒に暮らせない理由は、「親孝行な娘」を演じられないからだし、アタシが母親を介護したのは、義理介護――ホンネに裏書された「主張」が垣間見える。でなければ、ひとりがいちばんなんだけど、寂しいとき相手してくれる人はキープしたい、という「ホンネ」はそのまま吐露される。

 あるいは、邪魔な家族から離れろとけしかけておきながら、やっぱり盆暮れの風は沁みるらしい。「大晦日ファミリー」といって、友人どうしで集まって鍋をすることを企画し、「気分はほんとうに家族のようだ」と無邪気に持ち上げる。彼女にとって家族は「ごっこ」したり「気分」で味わうものらしい。

 そして、「独身・子なし」と自分を「負け犬」呼ばわりする一方で、結局、女の老後は「ひとり」になるという(あるいは、「ひとり」になれという)。だから、最初からひとりを意識して、「確信犯で(原文ママ)家族をつくらなかった」わたしって、なんてリスクヘッジなのーという勝利宣言すら聞こえてくる。

 その勢いで吠える吠える。いつもピンピンしてて、ある日コロリと死ぬようなPPK(ピンピンコロリ)という発想は、「人間の品質管理」、すなわちファシズムだと噛み付く。あるいは、孤独死でなにが悪いと居直る。ひとりで生きてきたのだから、ひとりで死んでいくのが基本で、死ぬときにだけ、ふだんは疎遠な親族に囲まれるなんて不自然だという。自分自身への言い訳めいて聞こえるが、黙って読み流す。

 彼女は、ぜひとも、このライフスタイルを貫いてほしい、最期まで。

 ところで、孤独死といえば、「見えない」社会問題化となっているようだ。

ひとり誰にも看取られず もともと、阪神・淡路大震災の仮設住宅でひっそりと死んでいく老人を「孤独死」と呼んだのが最初なのだが、近頃では違うようだ。「ひとり誰にも看取られず」によると、東京の都市再生機構では、孤独死が4倍に増えている(1999年14件→2005年62件)。「死後3年放置」や「こたつに入って4ヶ月」となんてのもある。

 その背景には、現代社会そのものが抱える問題が次々と浮かび上がってくる。高齢化や世帯の単身化、都市化、離婚や未婚の増加、少子化、リストラ、リタイア、病気などによる失業、認知症、アルコール依存、鬱、引きこもり、ギャンブル、借金、暴力などによる家庭崩壊――続々とレポートされる。社会とも家族ともつながりをうしなってしまった人の絶望感を思うと、なんともやりきれない。

 そして、ひとたび孤独死が明るみに出ると、その部屋以外の住戸にも風評被害がおよぶ。「あのマンションで、あったらしい」と噂されただけで、マンション全体の資産価値が下がるといわれる。当然関係者はひた隠しにしようとするが、人間の死亡率は100% だし、下手に管理しようとしたら「プライバシー」という壁が立ちはだかる。「4月、こたつ4ヶ月は80万円かかった」とあるが、ほとんど都市伝説のように隠される。「見えない」社会問題となっているのはこうした理由だ。

 本書では、そうした孤独死を防ごうとする常盤平団地自治の奮闘を描く。プライバシーとコミュニティを両立させ、お互いを「監視」するのではなく「見守る」仕組みをつくる。「生きかたを選ぶ」という孤独死ゼロ作戦は、そのまま超高齢化社会の最前線となっている。

 本書によると、孤独死の背景には、自立を求める人間観が、人びとを「依存下手」にしてしまっているという。つまり、うまく人に頼ることができないのだ。さらに、男性は女性よりも強く「自立」に縛られており、助けを求めたくてもできないのが現実のようだ。

 特に、良くも悪くも仕事人間で、家や地域のことは妻に任せっぱなしというタイプが相当し、リタイア後のの生活に順応できず、生きる目的を見失ってしまう人も少なくないという。団塊リタイアに伴い、孤独死、ひきこもり死が大量に出てくるかと思うと暗然となる。加えて圧倒的に貧困化する社会が拍車をかける。そこには、「第二の人生を謳歌」するような余裕や、「気楽なおひとりさまの老後」を見出すことが、どうしてもできない。

 ここでもう一度、チヅコ節に戻ろう。

 彼女によると、死後放置といった異常な死に方をするような人は、生きているうちから異常な孤独(孤立)のうちにあったからだという。失業や離職、家族の不和といった事情で孤立した生活を送り、だれにも助けを求めずに窮地におちいった、主として男たちが、そうした死に方をするのだという。人は生きてきたように死ぬのだから。

 彼女はいう。結婚しなくてもそれなりにハッピーだったし、いざ結婚→離婚してもぜんぜんOKだという。親にならなくてもちゃんと「成熟した大人」になったし、シングルであることは、ちっとも「カワイソー」でも「不幸」でもないと胸をはる。ひとりで死ぬのはぜんぜんオーライだそうな。

 すこし昔の歌だが、「あの娘はハデ好き」というのがある。綺麗な女性が作った歌だ。

    あの娘はハデ好き  友達がいっぱい
    だけど入院した時  来たのはママだけ

    「遊びだけならば  都合がいいけど
    恋人には出来ない」  彼氏が笑った

    あの娘はハデ好き  いつも楽しそう
    だけどクリスマスの夜  淋しく過ごした

 ちょいと歌詞に手を加えると、

    あの娘はハデ好き  いつも楽しそう
    だけど日曜の午後  ひとりで逝った

 だろうか。この唄を思い出すたび、重たいものが胸をうつ。人は生きてきたように死ぬ。「『おひとりさま』はアタシの『らいふすたいる』なのだから、つべこべ言うな!余計なお世話!」と叫ぶように放つ彼女に、わたしはたじたじとなる。わたしだってどうなるか分からない。しかし、彼女のおかげで、どのような去り際を求めるかはっきりしている。

   あなたが泣きながら生まれる  笑いさざめく人に囲まれて
   あなたは微笑みながら死ぬ   涙ぐむ人に囲まれて

 人は生きてきたように死ぬ。彼女は、ぜひとも、このライフスタイルを貫いてほしい、最期まで。

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コメント

>>あなたが泣きながら生まれる  笑いさざめく人に囲まれて
>>あなたは微笑みながら死ぬ   涙ぐむ人に囲まれて

全俺が泣いた。

投稿: kotowari | 2009.02.18 12:15

“綺麗な女性”も、「おひとりさま」で亡くなりましたよね……

http://munekata.tumblr.com/post/67534355/via-mieskynet-showstoppers

チヅコをあまりいじめないであげて。

投稿: 岡本雅哉 | 2009.02.18 17:24

>>kotowariさん

インドの諺をアレンジしてみました。

>>岡本雅哉さん

やべ、リンク先で涙腺がじわじわしてきた。
チヅコさんの扱いはこれでいいんです。内臓さらして喜んでいるのですから、(元気なうちに)指摘してあげれば彼女も本望でしょう。本書は、人生を丸ごと使ったネタなのです。

投稿: Dain | 2009.02.18 21:56

上野千鶴子、こんな女を税金で飼い続けなければ、こんなふざけた本出すことは無かったのに。
最後まで愚かしい女の戯言に付き合わされるのはこいつに余力を与えてしまったから。
哀れな女の悲しい末路、こうなって頂かないとね。
それだけこの愚女は罪深い。

投稿: 上野発 | 2009.05.07 00:30

>>上野発さん

「彼女をもてはやすこと・人」は、日本社会の多様性のひとつだと考えてみてはいかがでしょう?言いたいことを言ってきた人生なのだから、お好きなように、逝かせてあげましょう。

Point of No Return になったとき、叫ぶでしょうし、嘆くでしょうし、後悔するでしょうが、その声はもう届きません。それだけが、残念なことですが。

投稿: Dain | 2009.05.07 23:43

5つ星のうち 4.0 こういう本が万人受けしないからこそ、ひとりの女性に必要な本。, 2009/7/31
By ななかまど (東京都) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: おひとりさまの老後 (単行本)
私は恵まれているのか、筆者や本書の内容を、ほかのレビューのように「金持ち」「性格悪い」とは思わなかった。もう少し、具体的な貯金の目標とか、教えてもらいたかったけれど、エッセー風というか人間関係の処世術みたいなところに重点が置かれていたのが意外だった。しっかり読もうとすると、薄い本のわりに結構重いです。筆者の考え方に近い女性は、一読しておいてもいいと思います。
批判的なレビューが多いですが、感情的なのもあって、僻みにしかみえません。幸せだと思うなら、そのまま生きてればいいのに。こういう人がいるから、おひとりさまの老後を過ごす女性は処世術が必要になってくる。そのための本です。

投稿: | 2012.06.06 10:05

上野千鶴子という敗者に対する、あなたの勝利宣言として読めました。「詩と死をむすぶもの」という本のまえがきにあったように、孤独死も愛するひとに囲まれて死ぬのも本質的には同じだと思いますが、まあ、一般的には孤独に死ぬ人は負け犬でしょうね。

投稿: Mike | 2015.07.15 19:05

>>Mikeさん

コメントありがとうございます。人は一人で生まれて一人で死ぬものだから、誰と一緒だろうとなかろうと、たいして変わりはないでしょう。ただし、「おひとりさまの人生」を善きものだと謳歌し人様にお薦めするのであれば、ぜひとも先達として全うして欲しいのです。

なお、勝利宣言は、死んだときにするつもりです(ただしリアルで)。

投稿: Dain | 2015.07.15 23:01

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受信: 2009.02.18 22:41

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