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人生最後のチャンスかもしれない『秒速5センチメートル』を映画館で観るのは。

サブスクで見放題なのは知ってる。くり返し見たから。

けれど、映画館で観たらまるで違う作品だった。

音が違う。

ホームを吹き抜ける風の音や、覆いかぶさってくる波の轟音、ブレーキをかける列車の車輪が軋む不協和音が耳を聾するばかりで怖いくらいだった。そして沈黙。深々と降りしきる雪の「無音」がよく聴こえた。列車の連結部の鉄板の音が、第1話と第3話で違うことも分かった。液晶テレビのペラッペラなスピーカーとはまるで違う音響にどっぷり浸った。

光が違う。

恐ろしいほどの解像度で描かれる世界の広がりが、丸ごと目に入ってくる。第1話の暗く沈んだ冬の夜の闇と、第2話の広い青い海原と、そしてラストの桜吹雪と雪のひとひらが対照的で、闇と光の映像対比がやっと分かった。あの手紙を書いている机の単語帳に「confession」とあるのが分かったし、第1話で夜を駆けるアカゲラの翼が翻る様と、第2話で彼女が飛ばした紙飛行機が転回する角度が同期していることも見て取れた。貧相なディスプレイでは分からなかった違いだ。

『秒速5センチメートル』は、現在進行する桜前線に同期して、3/29からリバイバル上映している。やっている期間は非常に限られているので、ディスプレイで観た方は、ぜひ劇場で確かめてほしい。

以下、『秒速5センチメートル』を見たことのない人への紹介。

これは、3編の短編で構成されたオムニバスで、初恋が記憶から思い出となり、思い出から心そのものとなる様を、驚異的なまでの映像美で綴っている。

わたしの心に大ダメージを与えた傑作

私の人生に大ダメージを与えたアニメーションだと言っていい。

ノスタルジックで淡く甘い恋物語を予想していたから、強い痛みに見舞われたのだ。わたしの心が身体のどこにあってどのような姿をしているのか、痛みの輪郭で正確になぞることができた。「痛い」と感じる場所が、心の在処だ。

徹底的に打ちのめされた。涙と鼻汁だけでなく、口の中で血の味がした(奥歯を噛みしめていたから)。それほど長い映画でもなかったのに、疲労感で起き上がれなくなった(ずっと全身に力を込めていたから)。

何度も観ているうちに、「観たときの出来事」が層のように積まれていく。どんな季節に、誰と、何を思い出しながら観たかが、痛みとともに刻まれていく。あるときは彼の気持ちになり、またあるときは彼女に寄り添い、「観た」という記憶が思い出になる。「桜花抄」の焦燥感も、コスモナウトの広大さも、そして「秒速5センチメートル」の切なさも、ぜんぶ宝物だ。

何度も観ているうちに、わたし自身の記憶と重なる。思春期のときに罹る「ここじゃない」感も覚えている。社会人になって心が少しずつ死んでいく感覚も知っている。だからこそ彼にシンクロしてしまい、そのキスが完璧であればあるほど、それに囚われてしまっていることにもどかしく、やるせない気持ちになる。その背中を見ている彼女が純粋でまっすぐで情熱的で、いじらしさを通り越して痛ましさまで感じてしまう。

もっと違う未来があったはずで、何度も観ているうちに、その望む未来になっているかもしれないと期待するのだが、そんな訳もなく。あのラストの一瞬はあのままとなる。

もやもやを引きずって、作品そのものに囚われて、いつまでも未練たらたらでいる。

これは、青春の呪いだ。

一生消えないやつ。ええ歳こいたおっさんになって、ようやく分かった。ちゃんと青春してこなかった私が抱えている呪いで、心の中に大きな穴が空いている。なぜあのとき、あの手を放してしまったのか。もう少しだけ力を込めて引き寄せていたなら、「好きだ」というただ一言を伝えていたなら、違う未来になっていたはず。

でも、現実はそうじゃなく、思慕は日常に圧し潰される。傷心を癒すのに時間ほど最適なクスリはない。ただし、時は恐ろしいほど残酷で、痛みを回復するだけでなく、痛みの元となった思いすらなかったことにしてしまう。

「時間は人にとって最もやさしくて残酷なもの」という、とある昔の物語を思い出す。思いが日常によって上書きされた結果から導かれる、残酷な未来だ。その未来が現実として描かれてるのが第3話の「秒速5センチメートル」になる。君が望もうと望むまいと、君が望む未来は永遠に叶わない。そう宣告されるのは、自分自身なのだ。

秒速5センチメートル=気持ち悪い

この作品を「気持ち悪い」「分からない」という人がいる。その心情は理解できる。

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いつまでも未練に塗れて、しかも自ら行動を起こすことのなくどっちつかずの「無」である彼に不気味なものを感じたり、そういう新海誠作品に涙と鼻水でぐしょぐしょになる男どもをキタナイものとして扱いたくなる気持ちは分かる。さらには、「失恋に傷心する」自分自身と作品を重ねて酔う「しぐさ」に辟易したくなるのも分かる。もう若者でないのに、失った青春に執着する見苦しいオッサンを焼却処分したい衝動も覚えるだろう。予定調和もデウスエクスマキナも見えない物語に、落ち着きの無さを感じるかもしれない。

そういう人には、自分の気持ちについて、上書き保存することも、名前を付けて保存することも叶わなかった人の物語だと伝えるようにしている。

「誰かを好きになる」という不思議な感情を、私たちは持っている。たいていの場合は、うまくいくか、うまくいかないかのどちらかだ。そしてどちらの方向であっても、物語は適切に回収してくれる。

しかし、これはどちらにも倒れていない。保存して過去として扱われることなく、いま現在のメモリとCPUを占めている。食品や肉体ならとっくの昔に腐ってただれ落ちているかもしれないが、残念ながら思念は生き延びる。過去は現在を浸食し、物語の形で伝染する。

この物語を「分からない」という人には、川端康成のこの言葉を贈る。

別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。
花は毎年必ず咲きます。

『掌の小説』に出てくる一節だ。

その恋が、君が望む永遠になる可能性は極めて低い。でも、惚れた男に思い出してほしいのであれば、その男に花の名前を教えなさい。男は花の名前なんて頓着しないかもしれない。だが、情を交わしたあなたが教えた花のことは思い出となる。あなたと別れたあとも互いの人生は続く。そして花は毎年、必ず咲く。男はその花を見るたびに、あなたのことを思い出さざるをえない―――プルーストのマドレーヌのように、花の香りをかいでも思い出してしまう。

これは呪いだ。

『秒速5センチメートル』は、この呪いに掛けられてしまった男の物語なのだ。もちろん彼女は意図していない。桜の花びらが散るスピードが秒速5センチメートルであることと、それが舞い散る雪に重ねて見えることを教えてくれた。込められた想いを大切にするあまり、その思い出に名前を付けて保存することも、上書きして保存することもできなくなるあまり、自家中毒に陥っている……と理解してもらえば、あなたの「気持ち悪さ」も幾分か解消され、彼のことを気の毒に思えてくるかもしれない。

『秒速5センチメートル』の呪いを解く方法

彼の呪いは解けない。

そして、彼の呪いと同調してしまっている男も、自分の過去の思いに囚われてしまう。無かったはずだった青春を、秒速5センチの思い出で埋めようとしてしまう(そして失敗する)。

そんな男どもの呪いを解く方法は2つある。

一つは、もう一度『君の名は。』を観ることだ。『秒速』を観ているくらいだから、もちろん『君の名は。』も観ているだろう。だけど、『秒速』を観た後に『君の名』を観るのだ。すると、前者のラストで交錯しかかる視線に覆いかぶさる通過列車と、後者のラストの並走する電車でガチ合う目線のシーンを重ねることで、呪いの一部は解除されるかもしれない。『君の名は。』は、『秒速5センチメートル』で名前を付けて保存できなかった別の世界線の恋物語なのだから。

もう一つは、小説版『秒速5センチメートル』をお薦めする。映画と同じストーリー展開で、映画と相互補完されえちるが、違う角度からその呪いが描かれている。「そういう物語」として名前を付けて保存すれば、少なくとも読者にとって過去のものとできるだろう。

だが、だとすると、彼の思いは結局どうなるのか?物語によって投げ出された彼の思いを受け止めてしまった男どもには辛すぎるのではないか?

そんなあなたに朗報なのが、コミカライズされた『秒速5センチメートル』になる。全2巻で物語が完結している。そして、胸に深く刺さった槍を抜く、ご褒美のようなラストに救われるだろう。そして、あの手紙を見せてくれることで、あなたは優しくなれるだろう。そして、気持ちはあの夜にすでに伝わっていたことに気づいて、2度、救われるだろう。

ちなみに次回の[オフ会]では、このコミカライズ版『秒速5センチメートル』(全2巻)を紹介するつもりだ。欲しい方はぜひジャンケンで勝ち抜いてほしい。

 

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質の高い仕事は、質の高い課題に宿る『イシューからはじめよ』

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「なぜ、お客が望む通りに見積もりができないのか。顧客ファーストだろう?」とドヤ顔で言い放つマネージャーがいた。自社開発のソフトウェアを組み込む提案をしたときの話だ。

確かに顧客ファーストは重要だが、お客の要望をそのまま実現しようとすると、ソフト改修に設計思想レベルでインパクトがあり、コストも時間も莫大なものになる。見積もるだけでも大変だし、べらぼうな額になるのは必至なので、こう返答した。

「お客のいう通りに見積もるのが仕事じゃないです。お客が目指すビジネスにどう貢献できるかを提案するのが仕事です。見積もりはその一部に過ぎません」

愚かな思いつきばかり口走るマネージャーだが、バカではない。リジェクトされるのが分かっている非現実的なコストを見積もる作業はナンセンスであることを懇々と言って聞かせると、ようやく納得してもらえた。彼の言い分では、経営会議での参考になるからというが、選ばれない方に注ぐ努力は無駄なり(バカじゃねーの!?という言葉を吞み込んだ俺偉い)。

  • お客の要望を100%満たすことに全ての努力を捧げる
  • 「問題かもしれない」ことを片端からトライ&エラーで解決する

あながち間違いには見えないのだが、生産性が悪すぎる。無限の体力と時間があれば、数をこなしているうちに当たるかもしれない。だが、リソースが限られている現場で的を射るには技術が必要だ。

そして、この的を射る技術を言語化したものが、『イシューからはじめよ』である。

世界を救うために1時間与えられたら

イシュー(issue)とは、一般的に「課題」「問題点」などを意味する。ビジネスの上で明確に特定され、解決していくことが目指されるものになる。本書では「本当に白黒はっきり区別する必要のある問題」と述べられている。

「問題かもしれない」と言われることが100あるとすれば、本当に白黒はっきりさせるべき問題は、せいぜい2つか3つくらいになるという。

普通の人なら、がんばって100を分析 ⇒ 優先順位付け ⇒ 対処していこうとするだろう(それだけでヘトヘトになるはずだ)。これを絞り込み、適切な問題にする方法論が、本書の目的になる。ノリ的にはこれだ。。

「世界を救うために1時間与えられたなら、55分を問題を定義するのに使い、5分で解決策を見つけるだろう」

要するに「課題の質を上げよ」ということなのだが、アインシュタインのセリフらしい(真偽不明)。間違った問題に全力投球する愚を犯すより、「これは何に答えを出すためのものか」「そもそも求めるレベルで答えを出せる課題か」といった自問を繰り返すことで、イシュー度(=課題の質)を高めてゆく。

『イシューからはじめよ』は、この55分をどう使うかに全振りしている。読むだけでなく、自分の今の目の前の仕事で実践していくことで、課題の質を磨き上げることができる。

「地球温暖化は間違い」のイシュー度を上げる

では、具体的にどうしていけばよいか?

本書では様々な手法が紹介されているが、ここでは地球温暖化問題について、「So What?」を繰り返していくことにより、イシューである度合いがが高まっていく例を挙げる。

この手法は、漠然としたイシュー候補に対して、「So What?(だから何?)」という仮説的な質問を繰り返すことで、検証すべきイシューが磨かれていくやり方だ。トヨタ自動車のカイゼン活動における「なぜなぜ5回」のアプローチに似ているが、「なぜなぜ5回」は原因究明のためである一方、「So What?」は課題見極めのためにある。

最初の見立て①の仮説に対し、「So What?」を投げかけることで、②の仮説になり、さらにその②に質問することでより具体化され③になり……と、イシュー度(白黒はっきりさせる具合)が高まっているのが分かる。

見立て

本質的な問い

①地球温暖化は間違い

何を「間違い」としているのか曖昧

②地球温暖化は世界一律に起こっているとは言えない

地球の気候に多少のムラがあるのは当然

③地球温暖化は北半球の一部で起きている現象だ

地域が特定されたので白黒つけやすい

④地球温暖化の根拠とされるデータは、北米やヨーロッパのものが中心であり、地点にも恣意的な偏りがある

地域がさらに特定されたので、検証のポイントが明確になる

⑤地球温暖化を主張する人たちのデータは、北米やヨーロッパの地点の偏りに加え、データ取得方法や処理の仕方にも公正さが欠けている

「データ」に加えて「取得方法・処理の仕方」に問題があるという仮説があるため、答えを出すべきポイントが明確なイシューとなる

p.97 「So What?」の繰り返しによるイシューの磨き込みより

①の「地球温暖化は間違い」といった焦点の定まらない主張だと反論しようがないが、⑤にまで磨き込まれていれば、白黒はっきりさせるために何をどう検証すればよいか、見えてくる。

「So what?」の他に、「空・雨・傘」といった技法が登場するため、気づく方もいるだろうが、これはマッキンゼー&カンパニーのコンサルになる。ただし、本書が他のマッキン本と異なるのは、完全に血肉化されているところだろう。

本書は、「コンサルティングファームの報告書のリード文に最終的に何を書くか」を丁寧に解説したものだ。だがこれは、そのまま、「どの課題に取り組めば、成果が出たといえるか(そしてそれをどう伝えるか)」という現場の問題に応用できる。

与えられた問題に疑問をいだかず、唯々諾々と取り組んでいるうちに終業時刻となる。怖いのは、頑張って残業しても終わらないところ。ドラッカー『現代の経営』にこうある。

重要なことは、正しい答えを見つけることではない。正しい問いを探すことである。間違った問いに対する正しい答えほど、危険とはいえないまでも役に立たないものはない

間違った99の課題を正しくクリアしようとする行為は、端的に言って「悪」だ。だから、正しい1つの課題を見出すことに注力しよう。

どうせなら成果が出る仕事に取り組もう。価値のある仕事とは、質が高い課題に宿るのだから。

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オフ会やります!初めて歓迎!あなたの好きな「マンガ」について語り合おう

好きな本を持ち寄って、まったり熱く語り合う読書会、それがスゴ本オフ。

本に限らず、映画や音楽、ゲームや動画、なんでもあり。なぜ好きか、どう好きか、その作品が自分をどんな風に変えたのか、気のすむまで語り尽くす。

この読書会の素晴らしいところは、「それが好きならコレなんてどう?」と自分の推し本から皆のお薦めが、芋づる式に出てくるところ。まさに、わたしが知らないスゴ本を皆でお薦めしあう会なのだ。常連さんはもちろん、初参加の方も歓迎、「最近行ってないなー」という方もぜひぜひ。

■日時

4月7日(日)13時~18時(受付開始12:30~)
途中入場・途中退出OK

■場所

HENNGE 11階ラウンジ
東京都渋谷区南平台町16番28号 Daiwa渋谷スクエア

■テーマ

マンガ(もちろんコミック本に限らず、マンガが原作のアニメーション、映画、ゲーム、舞台なんでもあり)

■会費

1,000円(軽食、飲み物込み)

■ twitter ハッシュタグ

#スゴ本オフ
当日はこのハッシュタグで実況します

■申し込み

facebook:スゴ本オフ「マンガの回」より
facebookのアカウントが無い方は、わたしか、やすゆきさんにtwitterで連絡してください

■オフ会の流れ

1. テーマに沿ったオススメ作品を持ってくる

オススメ作品は、本(紙でも電子でも)、映像(映画や動画)、音楽、ゲーム(Switchからボドゲ)など、なんでもあり。持ってきた作品はテーブルに並べよう。

2. お薦めを1人5分くらいでプレゼンする

あなたのオススメを存分に語ってほしい。刺さったところを音読するもよし、自己流の解釈もよし。DVD、ブルーレイ、Youtube はプロジェクターで再生しますぞ。

3. 質問とオススメ返しの時間

あなたのオススメに、観客から質問やオススメ返しされる。「実は私も好きなんです!」と同志が見つかったり、「それが好きならコレなんていかが?」なんてオススメ返しされたり。このリアルタイム性が嬉しいところ。プレゼンに優劣つけたり投票はしない(ここ重要)。

4. 放流できない作品は回収する

「放流」とは本の交換会のこと。交換できない絶版本・貴重な作品は、このときに回収しよう。

5. 交換会という名のジャンケン争奪戦へ

回収が終わったら、交換会になる。「これが欲しい!」と名乗りをあげて、ライバルがいたらジャンケンで決める。ブックシャッフルともいう。

以前のスゴ本オフのレポートを紹介する。雰囲気はこんな感じ。もっと知りたいなら、右側のリンク「過去のスゴ本オフ」からどうぞ。

テーマ「冒険」
テーマ「猫と犬」
テーマ「早川書房・東京創元社しばり」

テーマ「結婚」の回より

04

 

テーマ「早川書房・東京創元社」の回より

04

 

テーマ「音楽」の回より

05

「これはお薦めしたい」という熱い思いのたけをぶちまけてもよし、まったり語り合うのもよし。ぜひご参加あれ。

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女の「お尻」は何に縛られてきたのか『お尻の文化誌』

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女のお尻のすばらしさについては、室生犀星が力説している。人間でも金魚でも果物でも、円いところが一等美しいのだという。人間でいちばん円いところは、お尻になる。故に、お尻が最も尊くて美しい場所なのだ。どうせ死ぬなら、お尻の上で首をくくりたいという。同感だ。

しかし、『お尻の文化誌』によると、女のお尻というものは、様々な視線を浴び、いろいろな道具に覆われ、拘束されてきた。女のお尻というものは、そのままの状態であったことは少なく、絶えず評価され、比べられ、鍛えられ、覆われ、曝されてきたというのだ。

「女のお尻」を歴史から語ったものが、本書になる。お尻そのものに焦点を当てたのはジャン ゴルダン『お尻とその穴の文化史』だが、本書はお尻そのものに加えて、「そのお尻を見てきた視線」に焦点を当てている(←ここが面白いところ)。

女のお尻は誰が見てきたのか?

「お尻」の部分は、そのままでは自分で見ることができない。合わせ鏡を使うか、スマホで撮影する必要がある。

一方で、他人のその場所を見るのは簡単だ。胸を見ているのはすぐに気づかれてしまうが、お尻であれば、こっそり観察することもできる。つまり、お尻とは見られる人よりも見る人に属しており、他人に委任されている場所だというのだ。

女性のお尻は、人種の序列を作るための道具や、性的や欲望や能力の尺度として利用されてきた。お尻の形や大きさは、お尻の見え方を変えるための手段がほとんどないにもかかわらず(いや、ないからこそ)その持ち主の本質とされ、女性の道徳観、女性らしさ、そして人間性までがお尻で測られてきたのだ。

そして、女のお尻を見る存在を炙り出そうとする。もちろん、女のお尻は老弱男女の視線を浴びてきたが、「女の尻とはかくあるべし」という先入観を形作ってきた視線があるという。

それは、覇権主義的な西洋文化における、白人・男性・ストレートの人々だという。彼らは、政治や科学、メディア、文化の分野で権力を握り続け、何が正常で何が異常かを選別し、お尻にまつわる基準や嗜好やイデオロギーを社会に押し付けてきたというのだ。

ナターシャ・ワグナーのお尻

象徴的な例として、ナターシャ・ワグナーのお尻が挙げられる。

ナターシャ・ワグナーはモデルだ。

Levi's や GAP といった大衆向けから Vince、7 For All Mankind 、Proenza Schouler などの高級ブランドで引っ張りだこになっている、デニム用のフィッティングモデルだ。ビジネス界での最高のお尻と呼ばれており、「このお尻がこの国を形作っている」とヴォーグ誌が評するお尻の持ち主だ。

「あなたが女性なら、彼女にフィットするようにデザインされたジーンズに、一度は足を通したことがある」とまで言われている。

Secret Fit Model Claims She Has the Best Bottom in the Fashion Industry (youtube.com)

では、なぜナターシャのお尻なのか?

それは、彼女の完璧な平均性(perfect average)に拠るからだ。身長とウエストサイズのバランスのつり合いがとれており、体のラインが細すぎず、太すぎず、特定のタイプに限定されない。極めて「平均的なアメリカ人」お尻であるが故に、「理想的なお尻」とされる。

ちょっと待て。

「平均的」というからには、母数があるはずだ。「アメリカ人の女性」といっても、アングロサクソンだけでなく、アジア、ヒスパニック、プエルトリカンなど、背の高さから体形も様々だ。サンプリングしたうえで「平均」を割り出したのだろうか?

本書によると、そうではなく、あくまでファッション業界にとって「平均」であり「一般的」なサイズになる。言い換えるなら、7 For All Mankind の購買層にとっての平均が、ナターシャのお尻になる。ABCニュースのリポーターと、後ろで手を振っている人々が「アメリカ人」の平均的なサンプリングでないことは、一目瞭然だ。

著者がジーンズを試着するエピソードが象徴的だ。色々なサイズを試すのだが、何かに合わせると、どこかが合わなくなる。ウェストが良くても、お尻がぶかぶかになり、お尻に合わせると、太ももが窮屈になる。最終的に、どこかを押し込むハメになり、その度に、自分の身体は「理想」ではないことを思い知らされ、惨めな気持ちになるというのだ。

サラ・バートマンのお尻

もう一つの象徴が、サラ・バートマンのお尻になる。

サラ・バートマンは、南部アフリカ出身の女性だ。

黒人奴隷として生まれ、18世紀末にイギリスへ渡り、大道芸人として見世物にされ、1815年に没している[Wikipedia:サラ・バートマン]。彼女のお尻は非常に大きく、大きなお尻は好色であるとされ、「ホッテントット・ヴィーナス」と呼ばれた。

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Wikipedia:サラ・バートマンより

バートマンのお尻は、エキゾチックとエロチックが融合した象徴として大人気を博することになる。その人気は根強く、彼女の死後も解剖され、ホルマリン標本として保存され、博物館に展示されることになる(現在は故郷の地に埋葬されている)。

本書によると、バートマンのお尻は、植民地主義と奴隷制度の象徴になる。

アフリカの人々は、ヨーロッパ人よりも原始的であり、それゆえ、キリスト教化や教育による導きが必要であることを正当化するために利用されたというのだ。さらに、彼女のお尻は、「アフリカ人は生まれながらにして白人女性よりも性的だ」という偏見の証拠ともみなされたという。

ノーマのお尻

「正しいお尻」があるとしたら、それはどのようなものか?

一つの解答が、ノーマのお尻になる。

1944年にアメリカで作成され、クリーブランド健康博物館で公開された2体の彫像だ。裸体の立像で、一つは男性で、もう一つは女性になる。ノーマン(Normman)とノーマ(Norma)と名づけられ、「普通のアメリカ人」を表したものとして展示されたものになる。

彫像の制作にあたって、「科学的な」アプローチが取られたという。1万5千人のアメリカ人を調査して、身長体重を始めとし、両足の付け根の周囲や、前股上の長さ、太ももの最大の周囲など、58部位を精密に測定したという。主観を排するため、第一次大戦中に徴兵された米兵のデータも用いたともある。

そこから得られた身体の各部位の「平均値」が元となっている。二人は、アメリカ生まれの「正しい」白人として、たくましく、繁殖力があり、健康的で、唯一無二の存在として、来館者にその裸体を見せつけている。

彫像の写真は、Cabinet THE LAW OF AVERAGES 1: NORMMAN AND NORMA や、ハーバード大学のウォーレン博物館コレクションで見ることができる。正面から撮影された映像のため、お尻そのものを確認することはできないが、若々しい容貌と、豊かな腰回りから、引き締まった大きなお尻であることは想像がつく。

しかし、本書はこれに異議を唱える。調査対象が歪められていることを告発する。

調査対象は1万5千人とあるが、最終的には1万人のデータしか使われていなかったという。捨てられた5千人には共通点がある。

  • 中年や老人
  • アジアやプエルトリコ系などコーカソイド以外
  • 著しく太っている

つまり、太っていない若い白人の平均値を、「普通のアメリカ人」としたのだ。結局のところ、ノーマは「正しいアメリカ人」の女性の合成物となるように創られたという。女性らしさを定義し、誰が子孫を残すべきで、誰が残すべきでないかをはっきりさせる彫像がこれなのだ。

「普通」(normal)という言葉を由来として命名されたノーマだが、果たして「普通のアメリカ人」だったかどうかは、眉唾で見る必要があるだろう。

本書では、他にも「フィットネスで鍛えられた鋼鉄のお尻」や「バッスルで成形された巨大なお尻」「シャロン・ストーンの股に取って代わったジェニファー・ロペスのお尻」など、様々なお尻が登場する。

そして、それぞれのお尻のエピソードから引き出される偏見や先入観、「女とはかくあるべし」というイデオロギーを炙り出す。女のお尻は、その持ち主から奪われてきたというだけでなく、現代の女性も、そうしたイデオロギーに囚われていることが見えてくる。

お尻はなぜ人々を魅了するのか、美の基準はなぜ時代ごとに変わるのかを、人種、ファッション、科学、文化からたどった、女のお尻史。

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現代用語のエロ知識『アダルトメディア年鑑2024』

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FANZAに日参してるから、よく知っていると思っていた。だが、大まちがいだった。いかに自分は分かっていないか、エロがどれほど広くて深くて激しいかを思い知らされた。

『アダルトメディア年鑑2024』は、「エロ」と呼ばれる性メディアの現在を可能な限り網羅的に切り取ったものだ。マンガ、ゲーム、アニメ、実写動画、小説、音声といった媒体からの紹介や、商業・同人、合法・地下、生身・CG・生成AIといった切り口で、エロの今が詰め込まれている。

私が知ってるのなんて、マンガとゲームの中の、ほんのちょっぴりの欠片でしかなく、それでもって現代エロを語ろうとしていたのには恥ずかしくなる。

とはいえ、私だけに限ったことではないようだ。執筆者たちの座談会で分かったのだが、みんな自分の沼しか知らない。エロが好きだからといって、全ての沼に浸っているわけではなく、好きな所しか知らない。エロとはそういう、個人的で密やかなものなのだろう。そのため、他は知らないままイメージで語ってしまう人も多いという。

だから、本書のような「今のエロ」を集大成したものが貴重になる。

どこに勢いがあって、どんな変化が訪れているのかを知ることができるから。自分が触れているエロだけで、「エロとはこんなもの」という群盲象を評す状況から脱し、「今のエロ」を眺める、そんな一冊がこれ。

「音声」は無規制

例えば、いまアダルトとして存在感が増しているのが「音声」だという。

歴史的には2000年頃からあるのだが、完全に一つのジャンルとして定着している(本書でも音声だけで1つの章が割かれている)。嬌声が入っているエロカセットでドキドキしていた高校時代が懐かしいが、今では全くアプローチが違う。

まず、音の品質がめちゃめちゃリアルになっている。Neumann KU 100というダミーヘッドマイクを使った立体音響(バイノーラル音響)が紹介されている。

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Amazonで130万!

これは人間の頭を模しており、両耳の場所にマイクロフォンカプセルが組み込まれている。この頭部に向かって音声を発することで、聴いている人があたかもその場所にいるかのような錯覚を与えることができる。

音像のリアルさがアピールポイントとなっており、これを充分に活かすために、シナリオは一人称視点で、マイクの前の声優がこちらに話しかけてくる体裁をとる。また、耳元でゾワゾワさせるASMR(自律感覚絶頂反応)も畳みかけてくる。

同人ボイスの沼は深い。初心者はどうすればよいか?

本書では「同人音声の部屋」というレビューサイトが紹介されている。個人で運営されているブログで、2013年から現在にわたり、2500点を超える大量の作品をレビューしており、信頼できる情報源だという。

試みに10点満点で紹介されている「【超密着×むちむちJK】ローションロッカー部【フォーリーサウンド】」を聴いてみたところ、これは完全にヤベぇやつだということが判明した。

思春期男子の性の悩みを解決する部活の話で、3人のJKと濃厚接触するという設定なのだが、ロッカーの中で 1 on 1 でローションにまみれる。狭い空間での密着感と臨場感がハンパなく、喘ぎ声や吐息、ちゅぱ音が至近距離で響く。

ショボいスピーカーで聴いただけなのだが、「音」だけでここまで凄いのかと感動する。甘い声が鼓膜を直接くすぐってくる。人間の舌だと、せいぜい耳朶や耳殻を舐めまわす程度だが(これでも十分えっちだが)、これは脳を震わせにくるやつ。耳と脳がダイレクトにつながっていることが分かる。

これ、良いイヤホンやヘッドホンで聴いたなら、それこそ顔の前で触れられてるように感じるに違いない。誰でもスマホとイヤホンを持っている時代だからこそ広がったジャンルとも言える。さらには、「スマホとイヤホンで聴く」という前提で物語が構成されるジャンルだとも言えるだろう(ローションロッカー部に限らず、1 on 1 で密着シチュエーションの作品ばかりだった)。

音声には他ジャンルにはないアドバンテージがあるという。それは、音声同人はどんなにエロく作っても、基本的に刑法第175条(わいせつ物頒布罪)には触れない所だ(ここ重要)。マンガや動画だと消しやら塗りやらモザイクといったグレーな部分が存在するが、音声は何でもありだろう。

生成AIの破壊力

生成AIの凄さは毎日のように実感している。

えっちなやつは特にそう。

成熟した身体に幼さの残る顔立ちの美少女(非実在)がいくらでも生成できてしまう。6本指だったりラーメンが食べられないなんてのは過去の話で、グラビアアイドルとして「ふつうに」見える。静止画のみならず、エロアニメーションもあるが、いわゆる実用度からするといまひとつといったところか。

しかし、自分が観測している範囲より、もっと複合的な展開を見せているようだ。

例えば、AIと実写の複合だ。「木花あい」という実在するAV女優で、Gカップの肉感的な体つきをしている。男優とのセックスも実際に行われている。ただし、顔だけがAIで生成されている。横を向いた時の表情に若干違和感があるものの、かなりの完成度とのこと。

これは、AVに出演したいと考えている女性にとって福音だろう。身バレ顔バレのリスクを懸念して二の足を踏んでいるこの問題は、AIによってクリアされるからだ。

アイドルや女優のコラ画像の動画版をディープフェイクというが、違法で野良扱いされている。「木花あい」は公式版のディープフェイクになるだろう。この流れでいけば、実在アイドルを生成AIの追加学習モデルに食わせて、3DCGのAVにしたり、顔が生身で身体が生成CGという組み合わせも可能になるかもしれぬ。

文字通りAIが破壊するのもある。

普通にAVを観ようとすると、局所にモザイクがかかっている。これに対し、AIを用いて画像を再現させたものだ。

もちろん元の画像は流出していない前提なのでモザイクを複合化しているわけではない。しかし、膨大な学習データから予測再現することなんてAIはお手の物だ。限りなく原型に近い状態で観ることができる。

「モザイク破壊」、英語だと「Reducing Mosaic」、中国語だと「無碼破解」になるという。女優名とこのキーワードで検索すると、ほとんどの作品があるという(よい子は検索しないように!特にキーワード+女優名で検索しちゃダメ絶対)。

なお、私用で使う分には、Githubに公開されているコードをダウンロードすることもできる。「モザイクを除去する」と謳った怪しげな機械が通販で売っていたが、今や指先一つで自動化できる時代になった。

「VR」は喋るAV

Beat Saberの動画を見ていると、Meta Quest が猛烈に欲しくなる。だが、このゲームのためだけに高額な機器を買うのは、ちょっと抵抗がある。

だが、そんな私に朗報だ。アダルトVR元年と言われた2016年から7年が経過し、アダルト作品が充実しているという。機器の性能向上に伴い画質もどんどん良くなり、没入感も上がっているそうな。

そして、VRの特性を活かした映像がどんどん出ているらしい。つまりこうだ、VRだから顔を向ける方向が見る方向になる。あるシーンを複数の視線(=カメラ)から再現するのではなく、そのシーンにいる自分の一人称に特化した視線で作成されている。

例えば、カメラを少し上に向けて騎乗位をダイナミックに撮影した「天井特化型」や、カメラを少し下に向けて臨場感のある正上位を撮影する「地面特化型」等があるらしい。普通のAVでも手持ちカメラやスマホ撮影で可能だと思うが、VRだとまた違うのだろうか?

面白いことに、アダルトVRで最も重要なのは、トークだという。

なぜなら、VRは長回しで撮ることが多いため、どうしても同じようなセリフを何度も言いがちになる。普通のAVであるならば、画角を切り替えたり接写することで同じセリフを違った目線で演出することができる。撮る方も観る方も視点が変わらないVRは、いかに喋りで新鮮さを出すかがポイントだというのだ。

特に、後にVR女王と呼ばれる「美咲かんな」。彼女は文才があってボキャブラリーが豊富のため、アドリブでのセリフがどんどん出てきたという。「気持ちイイ?」的なセリフだけでも10ぐらいバリエーションがあり、これが作品のヒットにつながったという。

VRの進化が画像をリアルにした結果、喋りによる差別化が露わになったと考えると、たいへん興味深い。

さらに、本書の表紙となっている「次元アイリ」が凄い。バーチャルアイドルは、それこそ山ほど現れては消えていったが、アダルトで3DCGでVRなのが新しい。18歳処女という触れ込みだが、完全なる非実在美少女といえるだろう。

今のところはVRで「鑑賞する」だけだろうが、もっと進むと、コントローラーでこちらから刺激を与えることができるだろうし、さらにインタラクティブに「体験する」ことや、そこからフィードバックを得ることだってできるかもしれぬ。

この先に、ソードアートオンラインやクラインの壺の世界があるかと思うとワクワクしてくる。技術は世界を変えていくが、その技術を社会に普及させていくのはエロパワーなのかもしれぬ。あるいは、サイバーパンクエッジランナーズにおける、性具と同期したVRに耽る世界か(AVと同期するオナホは既に売っているので、インタラクティブに反応するAIを組み込んだVRは、2077年を待たずに実用化されるだろう)。

エロのパワーが社会を変える

今のところ、時間とお金を惜しまない好事家だけが知っているLoRAやGithubやOculusの「技」も、そのうち、一般のご家庭でお手軽に利用できるようになるかもしれぬ。

一般家庭にVHSを普及させたのはAVだったとか、エロサイト見たさにモデム繋いでネットする人が激増したおかげで、インターネットが普及した……といった俗説を耳にする。エロスへの探求心こそが、社会を変えているのかもしれぬ。

その意味で、わたしの知らない世界を拡張してくれた一冊と言える。「におい」フェチの女子高生を描いた『香原さんのふぇちのーと』は知っていたが、凄腕のマッサージテクニックでJKの心と身体をほぐす『さわらないで小手指くん』は知らなんだ(ただ「さわる」だけでこんなにもエロいのか!と驚いた)。

ananがセックス特集を時折するのは知っていたけれど、Webメディアに出ている雑誌系に、今時の女性の恋愛観がセキララに綴られているのを知らなんだ。例えばこれ。

男子禁制女子トーク:秘密のanan
彼氏が欲しいお悩みから笑える恋愛小話まで:ar
恋愛と婚活の悩み+男性心理研究:MORE
メンヘラ系が充実している:WithOnline
エロい告白を集めた:エロコク

いわゆる「女性のホンネ」的なものは、SNSやテレビで伺い知るしかないのだが、出版社のウェブ経由だと過激なものが交じってくる。「ネット」と「エロ」といえば男の独壇場だと思っていたが、それは勝手な思い込みのようだ。

他にも、「闇に葬られたフェミニストAV」「本業と副業が逆転した同人業界」「現代の闇市パトロンサイト」など、知らない沼ばかりなり。エロスのパワーは社会を変える。未来が変わるとしたら、その胎動はここから始まっていると感じられる。

現代用語のエロ知識が詰まった冒険の書。

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