周辺の番外霊場
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節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 天霧八王山奥之院 弥谷寺前身の八王山蓮華院八国寺(行基開山)の旧跡とされる。宥沢法印に拠れば八国寺は、三院六坊(一説によると十二坊)を備へ東院・西院・中尊院および弥之坊・谷之坊・独鈷坊・龍華坊・安養坊・海印坊・納涼坊ありと記される。 所在地:香川県仲多度郡多度津町大字奥白方地図 虚空蔵寺 弘法大師が虚空蔵求聞持法を修行したところで、その霊跡をあがめ建立されたとされている。本尊・虚空蔵菩薩坐像、右脇仏・弘法大師、左脇仏・十一面観音菩薩立像。 所在地:香川県仲多度郡多度津町奥白方:地図 八丁目大師堂 弥谷寺への車道の途中にあり、弘法大師を祀っている。 所在地:香川県三豊市三野町大見乙70:地図 天霧八王山奥之院 虚空蔵寺 八丁目大師堂
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周辺の番外霊場
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犬墓大師堂 青年僧・空海が四国の山野修行の途中、愛犬を連れ当地に至る。その時、猪に遭遇するも愛犬に守られ難を避けるが愛犬は猪の毒牙に倒れる。空海はその死を弔うため当地に葬り草庵を建て阿弥陀如来を祀った。人々は空海の徳を称えるため犬墓村と名付けた。大師堂には石の大師像が祀られ、地蔵堂の左には戌墓と刻まれた34cm×40cmの台座に36cm~40cmの楕円形の自然石が置かれ、さらに、是より六十三丁(約7km)で切幡寺の丁石がある。所在地:徳島県阿波市市場町犬墓地図
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周辺の番外霊場
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法谷寺:峯の薬師と呼ばれ、空海も入山して三密伽相応の霊地として真言密教をひらいたと云われる。その奥の院タタリ谷常厳寺には聖徳太子の墓所という伝承がある。 蔵珠院:平安時代に聖宝理源大師の開基。螺旋状のスロープで井戸の底まで降りられる珍しい「まいまい井戸」がある。とくしま市民遺産に選定された。
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周辺の番外霊場
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月山神社 古来、金剛福寺を打ち終えた遍路修行者は番外の月山を詣でてから延光寺へ向かったと云われ、番外なれど、篠山観世音寺とともに遍路が参詣すべきところと伝えられていた。 住所:高知県幡多郡大月町月ヶ丘1443 詳しくは月山神社を参照
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周辺の番外霊場
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「鶴林寺 (徳島県勝浦町)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
水呑大師(みずのみだいし) 当寺の1.27km手前にあり、弘法大師が杖を突くと水が噴き出たという伝説の所で、ここまではコンクリート舗装され、ここから上が阿波遍路道鶴林寺道の史跡指定部分になる。
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周辺の番外霊場
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松尾大師(麓の堂) 予土県境の松尾峠に祀られていた霊験あらたかな大師像は愛媛県側へ4.5km麓の一本松町の県道299号脇(南宇和郡愛南町一本松地図)に平成21年3月26日宮崎建樹の尽力により下ろされ新しい堂に祀られた。 高野山 仏眼院(ぶつがんいん) 高野山から貧者の一灯を分伝され明治35年創建、安産祈願に霊験あり。所在地:愛媛県南宇和郡愛南町城辺甲1896地図 篠山神社(観世音寺の奥の院跡) 観世音寺は、篠山(標高1065m)の中腹にあり、空海の開基にて、用明天皇勅願所と伝わる。その山頂近くに天狗堂、その上の山頂に三所権現があり此所に札を納めていた。往時は札所の数とせずといえども皆往詣する霊境なりと四国遍礼霊場記に書かれているように新客の遍路は必ず参拝したようだが、神仏分離により廃寺となり、本尊の十一面観音立像、脇持不動明王像は正木の白翁山歓喜光寺(篠山権現前札)の権現堂に安置された。今は山頂に篠山神社一棟が中腹には石垣だけが残り、観自在寺にはその遥拝所としての祠がある。所在地:愛媛県南宇和郡愛南町正木 地図 歓喜光寺(曹洞宗)の所在地:愛媛県南宇和郡愛南町正木1468 地図 明治期に篠山観世音寺が廃寺になった後は観自在寺を打ったあと歓喜光寺を打ち戻るのが一般的であった。なお、歓喜光寺は県道から一本中に入った村道から入ったところにあり、その権現堂は本堂と大師堂の間にある元篠山大権現と刻まれた石柱門から奥にある約50mの石段を上がった鬱蒼とした裏山の中にある。 清水大師 観音岳(標高783m)から西に延びる尾根の標高約460mあたりの峠にある。灘道のうち柏集落から柏坂を登ると大師石像を祀る柳水大師があり、さらに上がった峠付近を越えると小さな祠がある。それが清水大師で、遍路がのどの渇きで倒れそうになったとき大師が現れシキミの根本を掘れと告げた、掘ってみると清水が湧き出したという伝説がある。 満願寺 行基が薬師如来を本尊として開基、さらに空海が中興した。その後、地元の僧侶により現在の臨済宗妙心寺派になったが大師草創の古刹である。以前は40番観自在寺から次への遍路道は3ルート(灘道、中道、篠山道)あり、いずれも満願寺で交わってから龍光寺に至っていた。真念の時代には寺は荒れていたようで、真念が「道指南」を出版したのは満願寺の再興費用捻出が目的であったと述べている。 詳しくは満願寺 (宇和島市)を参照
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 21:12 UTC 版)
高野山今治別院 南光坊の南側に隣接していて、明治13年3月、高野山から大師像を勧請し高野山の出張所として開創、大正11年8月今治別院に昇格した。山門の正面奥に大きな遍照殿があり、また、弘法大師巡錫伊予21霊場5番札所の不動堂や、四国33観音霊場15番札所の観音像や、日切地蔵尊堂が境内にある。所在地:愛媛県今治市別宮町2丁目4−14地図
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:09 UTC 版)
「本山寺 (三豊市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 枯れ木地蔵堂 空海に頼まれ本山寺建立の用材を運んでいた深山の天狗が1本の木材を落とした。後の世に発見されたその木で地蔵菩薩を刻んで安置したと云われている。地図 興隆寺遺跡の石塔群 鎌倉後期から室町末期の、約200年もの期間をかけて造立された石塔群。崖の上段には五輪塔や宝塔など70基、下段には磨崖仏を中心に五輪塔が30基残されている。香川県指定史跡に1976年(昭和51年)6月29日指定される。住所:香川県三豊市豊中町下高野(延寿寺から石仏を辿って谷沿いの道を登る) 砥石観音 本山寺建立のため徳島の井ノ内村で伐採された木材を財田村で整えていたが斧の刃がこぼれて難航していた。そのとき、巡錫中の僧が砥石を大工たちに与えた。その砥石で研くと作業は順調に進んだ。その後、砥石が光を放ち、村人たちが近づくと光の中に観音菩薩の姿があった。そこで、観音菩薩の化身として祀った。住所:香川県三豊市財田町財田上 地図 不動の滝 空海が修行の折、この岩に不動明王像を刻んだと云われる落差約50mの滝住所:香川県三豊市豊中町岡本3567 不動の滝カントリーパーク内 地図 生目神社 1838年(天保7年)日向の生目村八幡宮から勧請されたのが始まりで。境内から少し下ったところに眼洗いの井戸がある。所在地:香川県三豊市豊中町笠田笠岡:地図 枯れ木地蔵 興隆寺遺跡の石塔群 砥石観音堂 不動の滝 生目神社
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:09 UTC 版)
生木地蔵尊 天保7年(1837年)森安利左衛門が病弱な娘のために大楠(高さ30m、幹回り10m、樹齢推定約1200年)に五尺の地蔵尊を彫り上げた。 住所:観音寺市大野原町大野原1208(大野原ICより約2km) 地図
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:20 UTC 版)
洲崎寺 真念の墓がある。空海も当地で修法をされ霊験も有由なれど源平の戦いで焦土となり元禄12年約50m西方に復興される。 詳しくは洲崎寺を参照 六萬寺 行基が聖武天皇の勅命で建立したのが始まりで、その後、檀家六万戸の威信を称して六萬寺と改号、そして、空海が当寺で千手観音像を刻み八栗の獄に安置したと云われている。 詳しくは六萬寺 (高松市)を参照
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周辺の番外霊場
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「曼荼羅寺 (善通寺市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
七仏寺 空海が七体の薬師如来の石仏を刻んで祀ったと云われる七仏薬師堂がある。納経は曼荼羅寺で受け付けている。住所: 香川県善通寺市吉原町字三井之江 詳しくは七仏寺を参照
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周辺の番外霊場
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三度栗大師 弘法大師が通りかかった時、子供たちに栗を一つ貰ったお礼に年に三回実を与えようと云って去った。それ以来この辺りの栗は年に三度実をつけるようになった。その後、宗祇法師が「秋雨に 谷の柴栗 そぼぬれて わが袖ぬらす 宇摩の関守」と詠んだ。 三栗山地蔵院、本尊地蔵菩薩立像、左脇仏弘法大師。 場所:四国中央市土居町木ノ川集会所前(遍路道沿い)
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周辺の番外霊場
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弘法大師お杖の水 水を求めた旅僧に対し、この井戸水には塩がさしていると嘘をついて断ったところ、本当に塩が混じって飲めなくなってしまい、数年後に再び通りかかった旅僧に塩辛い水に困っていると助けを求めた。旅僧が杖で土地を衝くと清水が噴き出したという伝説があり、この旅僧が空海だったことからこの名がある。 住所:徳島県小松島市日開野町加々ませ31地図 釈迦庵おむつき堂 空海の襁褓(むつき・オムツのこと)を納めたといわれる「おむつき堂」があった霊跡である。恩山寺を出てすぐの弦巻坂を上がって弦張坂を下った竹林の中にあり、現在はその堂は無く山門と大師堂があり、ほかに四国最古と云われる仏足石(小松島市指定有形文化財、1987年6月1日指定)がある。 住所:徳島県小松島市田野町中須(恩山寺より立江寺方向へ遍路道を約0.7km)地図
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周辺の番外霊場
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「竹林寺 (高知市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
吸江寺(ぎゅうこうじ) 五台山の麓にあり、竹林寺庭園を造ったと云われる夢窓疎石の庵の跡である吸江庵跡(県指定史跡)で、夢窓が2年間で去ったあとも多くの著名な門弟を輩出し土佐の中世禅寺文化の中心となった。真念や寂本の遍路本にも、当寺の記述があり、また、四国遍礼名所図会(1800年調査研究)には「及郷寺」として記述されている。 詳しくは吸江寺を参照 高野寺 明治16年(1883年)高野山出張所として開創された。四国三十三観音霊場第13番札所。 詳しくは高野寺 (高知市)を参照
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周辺の番外霊場
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「青龍寺 (土佐市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
花山神社(かざんじんじゃ) 花山院廟とも呼ばれ花山法皇が崩御された地と伝えられ、明治初期に廃寺となるまでは春日山阿弥陀寺千光院という寺であったと言われている。かつては花山法皇の位牌が祀られていた。本殿の裏山には陵墓とされる不入の藪がある。しかし、花山法皇が高知で崩御した史実はない。住所:高知県須崎市浦ノ内出見(いずみ)846番 地図 仏坂不動尊(ほとけざかふどうそん) 遍路道の仏坂峠から斜面を200m下ったところにあり、光明峯寺(真言宗泉涌寺派)の境内にある。空海が巡錫中、紫雲とともに諸仏が降臨するのを感得そこにあった大岩に触れると不動明王が浮かび上がったとされる霊場である。岩不動とも呼ばれ実際に火焔んの形が自然に浮き出た岩がお堂に祀られている。 なお、納経は行われていない。住所:高知県須崎市神田983-2 地図
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周辺の番外霊場
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「霊山寺 (鳴門市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
十輪寺 - 東林院と霊山寺の中間にあり、空海が学僧を集めて密教の教義について論議を行ったことから「談義所」とも呼ばれ、白雉2年(651年)に智光律師によって開創された。地蔵菩薩が本尊の寺である。住所:徳島県鳴門市大麻町萩原字アコメン15。
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周辺の番外霊場
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香山寺(こうざんじ) 香山寺山にある市民の森の一角にあり、空海の開山と伝えられている。本尊は十一面観音で、当寺(金剛福寺)を弘安年間(1279~1288)に中興した南仏上人の木造坐像(像高82cm鎌倉時代作 高知県指定有形文化財 昭和57年5月6日指定)が祀られていたが四万十市立郷土資料館に移されている。往時は七堂伽藍の大寺であったが衰退し、明治4年廃寺になるも、昭和30年代に地区の人々により現在の堂が建てられた。現在は当寺が管理している。住所:高知県四万十市坂本 地図 真念庵 空海が地蔵菩薩を祀ったところと伝えられ、四国遍路を大衆化し庶民のものとした功労者である真念が遍路のために善根宿を建てた所と云われている。真念自身の著書に「これより足摺へ7里、ただし、篠山へ駆けるときはこの庵に荷物を置き足摺より戻る、月さん(月山霊場)へ駆けるときは荷物を持ち行く。初遍路は篠山へかへると云い伝う。」とある。 詳しくは真念庵を参照
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 18:36 UTC 版)
高野山讃岐別院 明治16年時の高野山管長により弘法大師像を讃岐に勧請、その像を祀るため大正5年より着手し大正8年10月21日に開院。その後、高松空襲で焼失するも昭和37年本堂復興となる。宿泊可能。駐車場12台バス1台。納経可。 所在地:香川県高松市築地町7−1地図
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:42 UTC 版)
義安寺 遍路にゆかりある河野家の霊を祀る。 宝厳寺 空海の逗留の記録があり、一遍上人の生誕地と云われている。 蓮華寺 本尊は薬師如来、行基が開基と伝えられる。山頂には1500年以上昔の霊所遺跡があり古くから尊信を集める霊地であった。
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:26 UTC 版)
「浄瑠璃寺 (松山市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
網掛石 三坂峠より遍路道を浄瑠璃寺方向へ4.3km下ったところに、表面に網の目の溝が刻まれた大岩があり傍らに大師堂がある。その昔、三坂の道を塞ぐように2つの大きな石があり通行を妨げ困っていた。通りかかった空海は村人のために取り除こうと、村人たちに作らせた葛で編んだ網をかぶせオウク(天秤棒)でその2つの石を運び始めたが、あまりの重さに網が食い込みとうとうオウクが折れて石は飛び、一つの石は三坂の川底へもう一つは現在地に、そして、オウクが飛んで行ったところは大久保と呼ばれるようになったとの伝承がある。 住所:愛媛県松山市九谷町榎 地図
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周辺の番外霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 19:26 UTC 版)
長福寺 弘法大師が極楽寺再興の折、上野山の山上にあった庵である峰寺を極楽寺の塔頭として現在地へ移転させ極楽寺東院として開基した。往時は再興された極楽寺とともに東讃僧徒の学問所で談義所、歴代朝廷の勅願所として栄えた。本尊は伝弘法大師作・千手観音。重文の木造薬師如来坐像(桧の一木造り、素地、144.5cm、藤原時代作、明治34.3.27指定)がある。さぬき三十三観音霊場第四番札所。地図 霊芝寺 弘法大師の開創、天正の戦乱で衰退。本尊・十一面観音が残る。本堂および中腹の廟所は松平家を祀っていて、庶民は頂上近くの奥の院大師堂を参拝する。さぬき三十三観音霊場第十番札所。地図 與田寺 行基が創建、後に弘法大師が逗留し伽藍の整備をするとともに、大窪寺の造営の拠点とする。13世紀後期ころには「弘法大師再来」と云われた増吽により中興される。四国八十八ケ所の総奥之院と呼ばれている。地図 釈王寺 行基が草創、後に弘法大師が堂宇建立、天正の陣で焼失するも重文の本尊・聖観音立像など多数の仏像が残る。さぬき三十三観音霊場第五番札所。地図 田の口薬師 (月光山青宝院薬師坊東照寺、又、瑠璃山薬王密院とも号す) 行基の開基。本尊は、弘法大師が弘仁12年に立ち寄り三国(讃岐・漢・天竺)の土で作ったと云われる塑像乾漆の薬師如来で背面に空海の名と手印が刻まれているとされていて、日本三薬師(空海の弟子・実慧大徳が名付け再興する)と称され、毎日、本堂内で参拝できるが本尊は絶対秘仏(住職でも引き継ぎのときのみ見られる)で、江戸時代初期作と云われる前立ち仏が拝観できる。また、本堂の地下は真っ暗い戒壇めぐりになっていて中央には大日如来・釈迦如来・阿閦如来が、その先には閻魔大王が祀られていて上に上がると干支の十二仏が祀られている。所在地:香川県東かがわ市白鳥352地図 東海寺 行基が開基し、弘法大師も逗留。源義経が四国上陸したとき最初に宿営した寺と云わる。地図 長福寺の本堂 霊芝寺の奥之院大師堂 與田寺の山上の大師堂 釈王寺の本堂 田の口薬師の本堂 東海寺の本堂と大師堂
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周辺の番外霊場
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「薬王寺 (徳島県美波町)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 小松大師 国道55号脇の坂を約20m上がるとある。大阪難波の石工が大師石像を彫り上げ納品を待っていると、夢枕に大師が現れ阿波の小松へ送るように警告を受け、当地に届けられたものと云われている。 所在地:徳島県海部郡牟岐町辺川地図 草鞋大師 八坂トンネルの西側口の道を海方向に約50m行くと右側にある。台座に草鞋供養と刻まれ、難所である当地を無事通過できるように祈願している。大師石像は平成22年に造り替えられ、受難に遭い顔が削られた古い石像は、牟岐町の満徳寺(新四国曼荼羅霊場第85番)の境内に移されている。 所在地:徳島県海部郡牟岐町内妻白木125地図 野江の浪切不動尊 海部川の支流の母川にかかる不動橋を渡ると目の前にあり、苔むした境内は厳粛な趣がある。弘法大師は不動の森で崖から大きな岩が落ちそうなのを見て、その前の地面に二本の杉の箸を立てて帰った。後にその箸が芽をふき大木となり大岩を支えたといわれる。その奥に祀られた不動尊を参りに来た心の悪い人が通ると二本の杉の木に挟まって通れなくなるといわれている 所在地:徳島県海部郡海陽町野江地図 古目大師 清水豊かな古くからの大師堂であるが由緒不明である。 所在地:徳島県海部郡海陽町宍喰浦地図 小松大師 草鞋大師と以前の石像 野江の浪切不動尊 古目大師
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周辺の番外霊場
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「法輪寺 (阿波市)」の記事における「周辺の番外霊場」の解説
小豆洗大師堂(あずきあらいだいしどう) 空海が水不足に苦しむ農民を哀れみ、小豆を洗った水を加持して清水を湧出させたと云われる霊跡である。別の逸話として、寒い冬の夜、当地で野宿しようとした空海が小豆粥を炊こうとしたが水が無く楠の根元を杖で突き清水を湧出させた。その泉が傍らにあり、周辺の家ではその日にあたる12月24日夜には小豆粥を炊くという風習が残っていたと云われている。 住所:徳島県阿波市土成町水田(9番と10番との間の遍路道脇にある)
※この「周辺の番外霊場」の解説は、「法輪寺 (阿波市)」の解説の一部です。
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