大正11年 (みずのえいぬ 壬戌)
年(年号) | |
●1903年 (明治36年) | ■江戸開府300年 |
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 |
●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 |
1922年
(大正11年 から転送)
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1922年(1922 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。大正11年。
- 1 1922年とは
- 2 1922年の概要
大正11年
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「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事における「大正11年」の解説
1922年の大正11年勅令第415号により、同年9月26日に以下のように改正された。 軍帽及び軍衣の地質について、従来は茶褐絨のみとされたが、茶褐布も許容されることとなった。 従来は軍衣及び外套には袖章(将校緋羅紗玉縁縫込み、下士官兵蛇腹織緋線)が、長袴及び短袴には側章がそれぞれ付されていたが、これを廃止して軍衣と夏衣を全く同じ製式とする。これは戦地における迷彩性を高める目的や過剰な装飾を除くことで経済性を追求したものと考えられる。一般に「改四五式で緋線が廃止された」と言われるのはこの改正を指している。
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