きちじょう‐てん〔キチジヤウ‐〕【吉祥天】
読み方:きちじょうてん
《(梵)Śrī-mahādevīの訳》福徳を授ける仏教守護の女神。父は徳叉迦(とくしゃか)、母は鬼子母(きしも)。毘沙門天(びしゃもんてん)の妻とされる。ふつう立ち姿の天女で、左手に如意(にょい)宝珠を捧げ、右手で施無畏印(せむいいん)をつくる。功徳天。宝蔵天女。きっしょうてん。
きっしょう‐てん〔キツシヤウ‐〕【吉祥天】
読み方:きっしょうてん
⇒きちじょうてん(吉祥天)
吉祥天(きっしょうてん、又は、きちじょうてん)
吉祥天
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 15:24 UTC 版)
吉祥天(きっしょうてん、きちじょうてん)[1] とは、仏教の守護神である天部の一尊。もとはバラモン教の女神で、のちに仏教に入って天女となった。顔かたちが美しく、衆生に福徳を与えるという女神。 幸福・美・富を顕す神とされる。また、美女の代名詞として尊敬を集め、金光明経から前科に対する謝罪の念(吉祥悔過・きちじょうけか)や五穀豊穣の点でも崇拝されている。像容は普通,唐服の貴女の姿で,左手に玉を持つ立像が最も多いが坐像もある。
吉祥天 | |
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名 | 吉祥天 |
梵名 |
「ラクシュミー」 (लक्ष्मी Lakṣmī) (マハーデーヴィー) |
別名 |
功徳天 宝蔵天女[1] |
種字 | श्री(śrī) |
経典 |
大般涅槃経 金光明経 |
関連項目 |
七面天女 弁財天 毘沙門天 鬼子母神 |
概要・信仰
仏教においては、父は

早くより帝釈天や大自在天などと共に仏教に取り入れられた。後には一般に弁才天と混同されることが多くなった。日蓮宗では弁財天と共に七面天女の本地神とされた。北方・毘沙門天の居所を住所とする。不空訳の密教経典『大吉祥天女十二契一百八名無垢大乗経』では、未来には成仏して
天河大弁財天社の創建に関わった天武天皇は天河の上空での天女(吉祥天)の舞いを吉祥のしるしととらえ、役行者とともに、伊勢神宮内宮に祀られる女神(天照坐皇大御神荒御魂瀬織津姫)を天の安河の日輪弁財天として祀った。この時、吉祥天が五回振袖を振ったものを元に作ったものが五節の舞とされる[2]。現在でも宮中の慶事の度に催されている。
廃仏毀釈後も信仰の対象としていたり、仏像を安置する神社が残っている。また、埼玉県久喜市など、七福神に吉祥天を加え八福神として信仰している地域もある[3]。
吉祥院天満宮の吉祥院に菅原清公卿、菅原是善公、伝教大師、孔子と共に祀られる。菅原道真公の幼名の一つは吉祥丸であった。道真の祖父清公の遣唐使霊験譚以降菅原家は代々吉祥天信仰になったという。また、道真の正室島田宣来子と習合したとされる。[4]
起源
もとはバラモン教の女神であった[1]。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされる。ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の妃とされ、また愛神カーマの母とされる。
吉祥天を祀る・安置する社寺
寺
- 鞍馬寺-京都市-木造吉祥天立像(国宝)を安置する。
- 浄瑠璃寺-吉祥天立像(重要文化財)を安置する。
- 六波羅蜜寺-吉祥天女像(重要文化財)を安置する。
- 勝林寺-京都市
- 両足院(建仁寺)-同上
- 宝塔寺-同上
- 立本寺-同上
- 東向観音寺-同上
- 慈心院(清水寺)-同上
- 西大寺-奈良市
- 法隆寺-国宝木造毘沙門天立像・吉祥天立像を安置する。
- 東大寺-国宝 塑造弁財天吉祥天立像を安置する。
- 薬師寺-国宝薬師寺吉祥天像を安置する。
以下多数。
神社
- 吉祥院天満宮-京都市南区吉祥院政所町。菅原家の氏寺である吉祥院の祭神。廃仏毀釈が行われる中でも吉祥天像と吉祥院は守られ、現在も神仏習合の仏堂建築のまま存在している。
- 三熊野神社-岩手県。木造伝吉祥天立像(国指定重要文化財)を安置する。
- 吉祥天神-同上。
- 皆葎住吉神社-富山県東砺波郡。
仏像・美術
出典
関連項目
外部リンク
吉祥天
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:47 UTC 版)
吉祥天は、バラモン教における自然精霊アプサラスの一柱であるラクシュミーが、美と繁栄の女神として仏教に取り入れられたものである。一切の貧苦や災いを取り除いて、豊穣と財宝をもたらすとされ、日本では特に古代に信仰された。中国の貴婦人の服装をし、左手に如意宝珠を持ち、右手を与願印とする立像が多い。
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