仏教美術
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仏教美術(ぶっきょうびじゅつ)は、仏教信仰に基づいた礼拝対象、あるいはそれら活動のための美術の総称である[注釈 1]。これらには、仏陀や菩薩、実在・伝説上の尊格や尊者、祖師、または彼らの生涯(仏伝図)や伝説を描いたもの、曼荼羅や修行のための図像、さらに、ストゥーパや塔門、寺院などの建築や、金剛杵などの仏具が挙げられる[2]。本項においては、仏教に関する芸術のうち、おもに視覚的なものについて解説する。
注釈
- ^ 英語において対応する"Buddhist Art"など、他の言語においては視覚芸術以外の芸術も含まれうる。
- ^ 儀式と哲学が発達したバラモン教においては、火を通じて神々に供物を捧げることはあっても、偶像に対して崇拝を行うことはなかったA. Foucher, Alfred; Thomas, Frederick William; Thomas, L. A. (英語). Beginnings of Buddhist art, and other essays in Indian and Central-Asian archæology. LCCN 51-762 2021年6月9日閲覧。。ゆえに、ヴェーダ時代の宗教建築や神像はほぼ遺されていない。なお、「バラモン教」という呼称はヨーロッパ人によって付けられたものである。
- ^ 当時の仏教徒は、ブッダが悟りを開いたことで人間を超越した存在(不可視)になったと考えていたようである。
- ^ ただし、三十二相八十種好のうちのいくつかはジャイナ教と共有されている[11] 一方で、この様式が一揃いのものとして確立したのは4世紀から5世紀にかけてのことである[12]。
- ^ チャイティヤは本来、ヤクシャやラクシャスが棲む聖樹であり、一種の依代であったが、ストゥーパ信仰と融合した[16]。
- ^ 仏陀に先んじて夜叉などの民間信仰に由来する神々が仏教美術に登場したのは、パトロンであった仏教徒や制作に携わった職人たちが、仏陀の教えと矛盾することなくこれら諸神を信仰していたという背景がある[23]。なお、ヤクシー・ヤクシャはいずれもヴェーダの神々とは異なった出自を持っている。
- ^ 阿羅漢果とは、四向四果という仏教における修行の8段階のひとつで、すべての煩悩を断じ終って涅槃に入り、もはや再び生死を繰返すことがなくなった位のこと。
- ^ 袈裟を両肩にのせる着衣法。
- ^ 三十ニ相の内容は、経典によって差異が認められる。したがって、インド大陸各地方での造像の展開に伴って、段階的に整理されていったと考えられる[41]。
- ^ ただし、グプタ朝は仏教を積極的に弾圧したわけではない。
- ^ インドにおける仏教の実質的な滅亡は、13世紀はじめ頃のナーランダ僧院とヴィクラマシーラ大学の破壊とされる。インドにおける仏教の再興は、20世紀のダルマパーラやアンベードカルらの登場を待たねばならなかった[47][48]。
- ^ 初期仏教においては、バラモン教が実践していたことから儀式を執り行うことは禁じられ、また、悟りとは関係のない形而上学的な事柄・宇宙観については説かなかった。紀元後に成立した中観派もまた、宇宙観・世界の構造は本質的に空であるとした[49]。
- ^ 『大日経』、『金剛頂経』
- ^ ただし、800年前後に活躍した日本の空海は『声字実相義』において、物質を顕色(色)、形色(長短、高低などの形)、表色(身体を動かす運動)の三種に分けて論じている[54]。
- ^ 父(ふ)タントラ系(秘密集会タントラなど)、母(も)タントラ系(サンヴァラ曼荼羅など)、不二(ふに)タントラ系(時輪タントラなど)[61]
- ^ 7世紀から13世紀にかけて、インドでは新興のヒンドゥー教との対立のなかで密教が成立した。中国へは、善無畏、金剛智らによって7世紀(唐代)に伝わっていた。 9世紀、空海によって日本にも中国から中期密教がもたらされた。 一方、チベットは、8世紀後半に仏教を国教とすると、インドから直接密教を取り入れ続けた。それゆえに、『無上瑜伽タントラ』が実践されるなど後期密教の特徴を強く残している。
- ^ インド洋以東には上座部仏教と同時に大乗仏教も広まった。例えば、ボロブドゥール寺院遺跡群を建設したシャイレーンドラ王家は、大乗仏教を信奉していた。
- ^ 部派仏教(後代の上座部)においては、阿羅漢とは仏陀以外の修行者の達しうる最高の境地であり、苦しみからの解放された状態であった。
- ^ 例えば、インドの中期密教以降ではヒンドゥー教と、南北朝時代以降の中国では道教と、新羅以後の朝鮮半島では巫俗と、飛鳥時代以後の日本では神道・怨霊信仰と結びついた。 一方で、その受容の過程にも国によって差異があった。インドではヒンドゥー教への対抗上仏教側が積極的に神格を取り入れたが、朝鮮では仏教側が既存の巫俗信仰を容認する形で取り込んでいった。
- ^ なお、アトラ―スに関しては、6世紀(東魏末から北斉初期)の中国で仏教彫刻に類似の図像がみることができ、ガンダーラ美術からの影響を唱える説もある(大阪市立美術館収蔵の仏三尊像碑など)[75]。
- ^ 仏伝図とは、釈迦の生涯、つまり出生直前の出来事から涅槃までを描いたもの。
- ^ 建設当時、両大仏が建てられたのは交通の要衝であったが、こういった場所に摩崖のレリーフを彫るのはペルシャの伝統であった。また、壁画の色彩感覚や身体表現にササン朝美術の影響を見ることができる[83]。
- ^ 北京大学の考古学者、宿白による石窟形式と炭素14に基づく見解によれば、キジル石窟が造営された時期はもう100年ほど遡る4世紀後半から始められた。
- ^ 儒教の価値観を色濃く反映した『仏説父母恩重難報経』など。
- ^ 528年とも。
- ^ 新羅は立地上、中国大陸への海路・陸路を確立できなかったためであった。5世紀初頭には高句麗の僧侶を通じこの新しい教えの存在を認知していたようである。
- ^ 386年、鮮卑族の一派であった拓跋氏は、華北に北魏を建てた。
- ^ なお、宝冠菩薩の制作地については、百済説、新羅説、日本説、渡来人制作説があり、用材にアカマツとクスノキが使われていたことから、結論は出ていない。
- ^ 著名なものでは聖護院の国宝「摂政像」(平安時代)、飛鳥園の「七歳像」(平安時代、円快作)、東京国立博物館の「二歳像」(鎌倉時代)などがある[136]。
- ^ 密教美術以外の仏教美術(釈迦仏関係の美術、浄土教美術、法華経美術、禅宗美術など)を総称して「顕教美術」と呼ぶ[154]。
- ^ 鎌倉幕府は禅を保護するも、政治上は顕密体制と呼ばれる、南都六宗と平安二宗を重んじる方針をとった平雅行 (2019). “鎌倉幕府の東国仏教政策”. 京都学園大学総合研究所所報 20: 60 - 69. ISSN 1347-4200 .。
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- ^ 『マハーヴァンサ』10章101節には、釈迦在命中に仏教思想が伝わってたと記述される[257]。
- ^ 『マハーヴァンサ』36章128節には、紀元前3世紀に造像されたと記される[263]。チャンドラ・ウィクラマガマゲは、アヌラーダプタ出土のマウリヤ様式からスリランカ様式に移行中の座像を紀元前3世紀制作と見なす[264]。
- ^ ビルマにおけるパゴダ、あるいはパヤー(paya)は、在家信者にとっての信仰の場であり、僧侶の修行の場である寺院とは区別される。
- ^ パーリ語のチャイティヤから。またゼーティは目的別に4種類に分けられ、このうち経典や仏像を備えたゼ―ティがよく建てられた。
- ^ パト―は内部に僧房や居住空間を備えず、運営・管理も在家信者によって行われてきた。
- ^ 過去七仏のうち、迦葉仏・拘楼孫仏(倶留孫仏)・拘那含牟尼仏・釈迦牟尼仏の四仏。
- ^ Traiphum Phra Ruang スコータイ王朝第6代の王、リタイによって1345年に著された。人間界、欲界、地獄について具体的に説く。
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仏教美術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:59 UTC 版)
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