「世界の工場」中国の次 浮上する黄金の三角地帯
編集委員 後藤康浩
「ゴールデン・トライアングル(黄金の三角地帯)」と聞いてピンと来る人は30歳代以下では少ないだろう。インドシナ半島の奥深く、タイ、ミャンマー、ラオスの3カ国の国境が集まる地域だ。
1990年代半ばまで、ケシ畑が広がり、密造された麻薬が世界に輸出される「悪の三角地帯」だった。密林の奥深く、まともな道すらない一帯ではケシ栽培くらいしか現金収入を得る道がなかったからだろう。だが、国際機関や関係各国の努力でケシ畑は消え、代わりに植えられたコーヒーが地元の人たちの収入の糧となった。
道路網整備の陰に日中の思惑も
変化はそれだけではない。今、ゴールデン・トライアングルの近くには片側2車線の高速道路が走る。中国・雲南省の昆明からタイのバンコクまで1800キロを結ぶ「南北回廊」。関係各国の共同事業だが、資金や工事を主導したのは中国。巨額資金を負担した背景には、中国内陸部から南の海への出口を求める「南下戦略」がある。帝政ロシアや旧ソ連が常に南の海への出口を目指したように、現代中国は成長に取り残された内陸部の発展のためにインドシナ半島を縦断する南下戦略を精力的に進める。
2006年12月、タイ・ラオス国境に「第2メコン国際橋」が日本の政府開発援助(ODA)などで完成した。この橋は大きな意味を持っていた。ベトナム中部の港湾都市ダナンからラオス、タイを通過してミャンマーの港湾都市、モーラミャインまでを結ぶ全長1450キロの「東西回廊」が第2メコン国際橋によって全通したからだ。東西回廊は南シナ海とインド洋を陸路で結び、アジアの海上交通のボトルネックとなっているマラッカ海峡を迂回し、物流の時間を短縮するきわめて大きな戦略上の意味を持つ。東西回廊の建設にはアジア開発銀行(ADB)とともに日本が大きな役割を果たした。インドシナ半島の横断ルートを求める日本と縦断ルートを求める中国が対抗する形だ。
労働集約的産業は北回帰線を目指す
東西、南北の道路網の整備は日中両国の思惑以上の大きな効果を地域にもたらそうとしている。新たな産業集積だ。中国は一人あたり国内総生産(GDP)が5400ドルに達し、アジアでは人件費が高い国の一角に入った。工場労働者の賃金でみれば、タイとほぼ同等、ベトナムの2.5倍、ラオスの3倍、ミャンマー、カンボジアの4倍といった水準だ。結果として、労働集約型産業の工場は中国を逃げ出し、インドシナ半島に移転する動きが加速している。世界ではインドシナ半島からバングラデシュ、インド、パキスタン、さらに北アフリカ、大西洋を渡ってメキシコまで。北緯23度の北回帰線近くに、人件費の安い労働力を得られるベルト地帯があり、労働集約型産業がそこを目指して集積しつつある。ゴールデン・トライアングルをヘソとする地域が世界の産業では沸騰地帯になろうとしているのだ。
尖閣諸島を巡る日中の激しい対立は、日本企業に中国戦略の見直しを迫っている。仮に尖閣や歴史問題などが落ち着いたとしても、「安い人件費の中国」という時代がとうに終焉した以上、日本企業は中国に置いていた工場の相当部分の移転を真剣に考慮せざるを得ない。その受け皿はインド、バングラデシュなど南アジア、東南アジア諸国連合(ASEAN )となるが、そのなかでインドシナ半島は豊富で賃金の安い労働力、中国とインドの二つの大人口国を両にらみする地政学的位置という二つの利点、さらに東西、南北の道路網という強みを持つ。
アジアは常に変化する。ダイナミックな展開をみせるインドシナ半島に今、注目したい。