大学4年生、関西ではなぜ「4回生」と呼ぶのか
関西の大学生が他の地域の大学生と話すとき、学年の呼び方で戸惑われることが多い。関西では一般的に「○年生」ではなく「○回生」。留年した場合、他では普通「4年生」のままだが、関西では5回生、6回生……と年を重ねて表現する。「○回生」という呼称は一時期九州などでも見られたようだが、今も広く使われているのは関西だけだ。なぜ関西で広まったのか。
大阪や神戸にある幾つかの大学に、この疑問を投げかけた。「数十年前から『○回生』という呼び方が根付いているのは確かです。ただ詳しく調べたことがなく、由来は分かりません」(神戸大学文書史料室)といった反応がほとんどだったが、大阪市立大学の大学史資料室が耳寄りな情報を寄せてくれた。「うちの初代学長は京都大学出身。創立当初は他にも京大から来た教員が多かったようです。京大の影響かもしれません」
京大は1897年、関西で最初に設置された大学。謎を解く手掛かりがあるかもしれないと、京都を訪れた。
「大正時代、大学令が施行されて関西でも多くの大学が創立されましたが、そのころにはすでに京大では『○回生』という呼称が定着していたようです。ただし、公文書で使う正式な用語ではありません」。こう教えてくれたのは、日本近現代史に詳しい京大大学文書館の西山伸准教授(48)。最も古い資料では、1925年の学内新聞に「○回生」の表現が登場するという。
「○回生」の呼称の由来については「はっきりしません」と西山さん。ただ「京大の成り立ちにカギがあるのでは、とにらんでいます」。
京大より20年早く設立された東京大学は、学年ごとに履修する科目を決め、試験に合格しなければ進級できない制度だった。「官僚を育てる目的が明確だった東大では、厳しく進級を管理したのでしょう」と西山さんは話す。
これに対し創立時の京大は学年と科目を結びつけず、一定の単位を取れば卒業できる制度を採用した。「これが学年で区切らずに『○回生』と呼ぶようになった発端では」と西山さんは推察する。
京大の木下広次・初代学長は東大を意識して「京大は東大の分校ではない。独自の特性を備えたい」と考えていたという。また「当時の京大にはドイツ留学を経験した教官が多く、進路に関して学生に一定の裁量が与えられるなど、海外の自由な学風を取り入れようとしたのかもしれません」(西山さん)。
京大出身者が教官として関西の他の大学へ移り、「○回生」の呼称も広がった――。西山さんの推測はこうだ。
呼称の広がりには「京都の土地柄が関係していた」との説もある。「自転車で少し走れば別の大学に着くのが京都。古くから大学の教員や学生の交流が盛んで、文化や慣習が共有されてきました」。京都府内の50大学・短大が加入する「大学コンソーシアム京都」(京都市下京区)の西山信行さん(60)はそう話す。
京都市は日本で最も大学が密集している自治体で、市内には38の大学・短大がひしめき合う。市内に通学する大学生は2010年度、約14万人。人口約147万人の約1割にあたる。「日本一の学生の街」とされるゆえんだ。
京都では、今も大学間の人や文化の交流が盛んだ。単位の互換制度があり、他の大学の授業を自由に受講できる。大学の垣根を越えた部やサークルの活動も活発。京都にとどまらず大阪や神戸、奈良などの大学とのパイプも太い。
大学生を「学生さん」と呼ぶ京都市民からは若者への温かいまなざしが感じられる。学問の街が持つ自由な空気、それが「○回生」という呼称の母体となったのだろう。
(大阪社会部 松浦奈美)
[日本経済新聞大阪夕刊オムニス関西2011年7月27日付]