津波や倒壊を回避 避難の常識覆すスパコン「京」の威力
山側に向かって逃げる住民の前に、川や水路から濁流があふれ出し、海からの津波と挟み撃ちに遭う──。海底で地震が起こった瞬間に、どの建物が倒れて道路を塞ぐのか、何分後にどの方向からどんな勢いで津波が来るのかなどを精緻に予測。スマートフォンなどで一人ひとりに最適な避難経路を伝える。これがスーパーコンピューター「京」などを使った統合地震シミュレーションの最終目標だ。海洋研究開発機構を中心とするグループが研究を進めている。
南海トラフ巨大地震が起こると、沿岸10市町を最高20m超の津波が襲うと想定される高知県。同機構は2013年3月までに、県の全域を5mメッシュで広域かつ詳細に津波の動きを予測した(写真1、図1)。「京」を使えば、地震発生から3時間以内の津波の挙動を約6時間で計算できる。
シミュレーションの結果、高知市では津波が川をいち早く遡上することが分かった。「避難経路の途中にある橋も渡れなくなる。複数の避難場所や経路を考えておく必要がある」と、同機構地震津波・防災研究プロジェクトの金田義行プロジェクトリーダーは話す。
動的なシミュレーションが、従来の防災マップでは見えなかったリスクをあぶり出す。スーパーコンピューターの処理速度は将来、さらに高まる。同機構などは2015年度末までに、地震発生から数分以内に津波による都市全体の被害状況を予測し、最適な対策を先回りで打てるようにする。
阪神大震災の教訓を生かす
統合地震シミュレーションは3段階に分かれる(図2)。
まず、海底に敷設した地震計や水圧計で地震や津波の発生を瞬時に検知。どのような地震動や津波が陸地に伝わるのか予測する。次に、地震動や津波によって建物に生じる被害を想定。最後に、人の避難行動をシミュレーションする。
理学や工学、社会学など様々な分野の研究者が成果を結集した。1995年に阪神大震災が起こった際も、各段階を個別に予測する要素技術はあった。しかし、互いに連携していなかったため、実務では使い物にならなかった。統合地震シミュレーションは当時の教訓を踏まえて開発が進む。
建物の被害を予測するシミュレーションでは、地理情報システム(GIS)のデータをもとに、建物1棟1棟の柱梁の形や構造特性を推定して解析モデルをつくる。地震動などを入力すれば、どの建物の何階が被害を受けるのかが明らかとなる(図3)。
そこに津波が襲う。海側の建物が残っていれば、防波堤のような役割を果たす。ただし、残った建物の間から押し寄せる津波の流れは、かえって速くなる(図4)。
人の避難行動は、マルチエージェントモデルを使って予測する(図5)。人を「エージェント」と呼ぶモデルに置換。各エージェントが周囲の道路網や混雑などに応じて、進む方向を自律的に選ぶ仕組みだ。地震で建物が倒壊した場所は通れないといった条件を与える。
東京大学地震研究所の堀宗朗教授は、住民に避難を促す警察官や消防団員などがどれくらいの割合で存在すれば、全体の避難時間を縮められるか予測。都市の広さや住民の数などによって異なるものの、0.5%程度でも効果があることを確かめた。
誤差を2、3割に抑える
これまでの被害想定は、震度が大きければ建物や人の被害も大きくなるといった大まかな経験式に基づいていた。そのため、事前の想定と実際との間に10倍や100倍の誤差も珍しくなかった。
より現実に即した統合地震シミュレーションを使うことで「誤差を2、3割に抑えたい」(堀教授)。国内の自治体だけでなく、地震の再保険などを扱う欧米の保険業界でも関心が高まっているという。誤差を抑えるには、シミュレーションの前提条件となる人の位置や属性、建物の構造図といったデータをどれくらい多く提供してもらえるかどうかにかかっている。
「統合地震シミュレーションは、防災教育にも役立つ」と堀教授は話す。例えば、90年前に起こった関東大震災で大火に包まれた下町の写真を見ても、「住宅の耐震化や不燃化が進んだ今の都市で、こんな被害は出ないだろう」と思う人は少なくないはずだ。
しかし、阪神大震災や東日本大震災では、火災の被害が相次いだ。現在の都市がどのような被害を受けるのかシミュレーションすることによって、誤った常識や先入観を排した正確な対策が立てられる。
(日経アーキテクチュア 瀬川滋)
[日経アーキテクチュア2013年5月25日号の記事を基に再構成]