最高の酒に杜氏はいらない 「獺祭」支えるITの技
匠を捨て、匠の技を生かす(上)
山口県岩国市の山間、半径5km以内に住む人はわずか250人。そんな過疎の集落に似つかわしくない地上59mの高層の建物が姿を現しつつある(写真1)。
驚くことに、これは酒蔵なのだ。旭酒造という名は知らなくても、「獺祭(だっさい)」と聞けばピンと来る人は多いだろう(写真2)。欧米でも高い評価を受ける最高品質の純米大吟醸酒は、この地で造られている。過疎の集落と巨大な酒蔵はミスマッチだが、獺祭の製造工程も従来の酒造りとは程遠い。徹底したデータ管理によって造られているのだ。
日本企業、特に製造業はビジネスのIT化とグローバル化の波に洗われ、輝きを失いつつある。iPhoneがサービスと組み合わさり大成功を納めたように、時代の流れは「モノからコト(サービス)」。ものづくりだけでは高い付加価値を生み出しにくくなってきた。一方で、新興国の企業が低価格を武器に追い上げ、日本製品の市場を侵食している。
残念ながら日本企業は、新たなビジネスモデルを創ることや、価格勝負で戦うことは総じて苦手だ。では何を武器とすべきか。それこそ、本来の強みであるジャパンクオリティー、つまり日本品質、製造業なら"匠の技"が生み出す高品質だ。人の技量だけに頼ることなく、ITやデータの活用によりコストを下げつつ、品質をさらに磨き込めば国内だけでなく世界と戦える。
杜氏に逃げられ改革断行
獺祭が今、大変な人気だ。獺祭は大吟醸酒のみで、最高級品は720ミリリットルで3万円を超える。高額商品であっても品薄で、直販では2カ月待ちの状態だ。
2014年4月に来日した米国のバラク・オバマ大統領に安倍晋三首相がプレゼントしたのも、この獺祭。米国やフランスなどにも輸出しており、パリの一流レストランのソムリエにも絶賛される。旭酒造の売上高は2014年9月期で49億円だが、前期に比べ26%も伸びた。
「我々は過疎の集落で酒造りを営む山口県内で4番手の酒蔵だった。地元にとどまり他の酒蔵と同じことをやっていてはジリ貧になる。大吟醸酒に特化し広い市場を求めて東京や海外に出て行くのは必然だった」と旭酒造の桜井博志社長は話す(写真3)。
だが、どうやって国内外の多くの人を魅了する日本酒を造り得たのか。「実は経営危機の時に杜氏(とうじ)に逃げられてね。社員だけで酒造りに挑むしかなかった」と桜井社長は打ち明ける。
酒造りは従来、酒蔵とは独立した杜氏の指揮の下で行われる。旭酒造も同様だったが、1999年に新規事業に失敗、杜氏に去られた。それ以前から、酒造りのノウハウが杜氏の頭の中にブラックボックス化されていることに疑問を抱いていた桜井社長は、ここで大胆な改革に踏み切る。
象徴が検査室だ。酒造りの全行程で詳細なデータを取り、検査室のパソコンに蓄積して分析することで、酒造りの最適解を見つけ出してきた。日本酒は、米を麹で糖化させる工程などを経て「もろみ」にして、それを酵母で発酵させて造る。
例えばもろみの発酵は、山なりの理想の発酵曲線(「BMD曲線」と呼び発酵日数と糖度などの関係を示す)に、可能な限り近づける必要がある。そのための微妙な温度管理や水の追加タイミングなどについてデータを活用して知見を積み上げた。
当初はデータ量も少なく、分かることは限られていたが、一番安価な獺祭は初年度から、杜氏の指揮下で造っていたときよりも品質が良くなったという。「ある意味、杜氏は手抜きの天才。我々は理屈で詰めていくしか道がなかったから、どうしたら良い酒が造れるかを徹底的に追求した」と桜井社長は話す。
見える化で更なる高み目指す
獺祭を造る現場は伝統の酒蔵のイメージとは異なり、近代的な工場そのものだ(写真4)。伝統の酒蔵では冬場にしか仕込みができないが、ここでは室温が一定に保たれ獺祭を1.8リットルの一升瓶換算で年間150万本も量産する。
品質にばらつきがないことも獺祭の特徴だ。杜氏の勘に頼った酒造りでは、年により品質にばらつきが出るが、データで管理された獺祭にはそれがない。品評会に出す酒は、他の酒蔵なら市販品と別に造るが、旭酒造は市販のものをそのまま出すという。
近代的な工場と言っても、磨いた米は小分けにして手で洗う、均質に発酵が進むように小型の樽を使うなど、品質に関わるところは手間やコストを惜しまない。一方、一つのラインで全商品のビン詰めを行うなど、品質に関わらないところは徹底的に効率化している。
旭酒造には大手酒造会社など同業からの見学希望が引きも切らない。見学希望者にはデータも含め全部見せる。「我々は他の酒蔵の50倍、100倍もの量の大吟醸酒を造りながら、さらに良い酒を造ろうと試行錯誤を続けている。経験に圧倒的な差があるから、他の酒蔵がまねたところで、我々に追いつくことはできない」と桜井社長は言う。
そんな桜井社長の悩みは、原料となる米、山田錦の不足。山田錦は栽培が難しいとされ、農家が敬遠するのだ。そこで、農業向けクラウド「Akisai」の事業の立ち上げを目指す富士通と協業して、山田錦の確保に乗り出した。山田錦を生産する農業法人などがAkisaiに蓄積した生育データなどを分析することで生産量を増やし、全量を旭酒造が買い取るというもの。旭酒造で成功したデータ活用は、農業にも適用できるとみる。
(日経コンピュータ 木村岳史)
[日経コンピュータ2015年2月19日号の記事を基に再構成]
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