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「あいつ終わったな」の恐怖

野球評論家 工藤公康

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みなさん、自分が死ぬかもしれないと、おののいたことがありますか? 私はあります。あれは西武ライオンズでプロ野球選手として名が売れてきた1980年代も終わりのころでした。「こんなことを続けてたら、あんた死ぬよ」。医者から、そう宣告されたのです。プロ野球選手としてはもちろんのこと、文字通り命さえ危ない、という意味でした。

理由ははっきりしていました。お酒の飲み過ぎです。その飲み方が半端じゃなかったのです。先発投手としての地位を勝ち取って8勝(3敗)したのがプロ4年目、85年でした。翌86年は11勝(5敗)。87年には15勝(4敗)して最高勝率、最優秀防御率のタイトルも獲得できました。

夜のお誘いは絶えることなく、時間があれば飲み歩いていました。ボトルを次々と空にして朝日が昇るころに家に帰り、昼ごろまで寝てから重い体を引きずるようにして球場へ。そんな毎日でした。2~3年で内臓はボロボロになっていました。

「あいつは終わったな」。そんな声も聞こえてきました。恐ろしくなった私はビールやウイスキー、ブランデーなど酒類をすべて捨て、自宅にこもったものです。

しかし、そんな私を一変させてくれたのが、妻の雅子です。26歳で結婚した当初は、食卓におかずが15品も並ぶほどで、嫁さんは「全部食べて」といい、私は「無理だよ」の繰り返し。

ただ、肝臓に良いとされるシジミをふんだんに使ったみそ汁や酢の物、旬の食材を取り入れた総菜のあれこれを手を尽くして作ってくれたのは本当にありがたかった。肉を食べるときにはパイナップルなど、肉類の消化・吸収を助ける果物を食べるなど、内臓に負担のかからない食事を心がけ、疲労が取れやすい体質になっていきました。

食事や睡眠をしっかりとることを第一とし、もう、ネオン街に繰り出すことはなくなりました。まわりの選手たちからは「どうしちゃったの?」と思われるほど。結婚は、自堕落だった私を生まれ変わらせる、素晴らしい出来事でした。

その嫁に約束させられたことがあります。「体を治す食事は私が頑張るから、あなたはトレーニング方法やプロ野球以外の人たちに会って色々なことを学びなさい」

人が真剣に変わろうとすると、その「思い」は通じるものです。ちょうどそのころに出会うことができたのが大学教授や医師らスポーツ医学・運動生理学に詳しい方々。みなさんに教えていただいたことは、投球をする前提となる体のしくみ、体が進化するためのトレーニングのあり方です。

例えば、ピッチングには、大胸筋や三角筋などボールを投げるためのパワーを生む筋肉だけでなく、それらの筋肉の内側にあって関節を安定させる棘(きょく)上筋、小円筋など肩や股(こ)関節の周りにある小さな筋肉の働きが極めて大切なのです。私は球を投げるために必要な筋肉や骨の名前、役割をひとつずつ、着実に学んでいきました。

酒びたりだった日々は、私がプロで築いた貯金を取り崩すようなものでした。それがあまりにひどい危機をもたらしたために、私は肉体・知識の両方で"自己投資"することの大切さに目覚めたのです。

95年に移籍したダイエーホークス(現ソフトバンク)時代からは自宅と同じマンションに、もうひと部屋借りるようになりました。ナイターが終わった後にトレーナーの方にマッサージをしていただくためです。

これは10年以上、続きました。部屋には血行促進に効果があるという低周波治療器や、ゲルマニウムを使った温浴機器などもそろえました。自分の体に耳を傾けることがごく普通のこととなり、ケガが起きるかもしれない、という予兆の段階で自分の体調を自覚できるようになっていきました。

30年近く厳しいプロの世界の中で生きてこられたのは、私に最初から自覚やノウハウがあったからではありません。若いころに遊びほうけて人生のがけっぷちに立たされた痛烈な危機感があったればこそです。「ここで生きていきたい」「もっと知らなきゃいけない」というプロ意識はどん底の恐怖感を経て養われました。

プロの世界に長くいられた秘訣がもう一つあります。それは自分自身の「データ分析」です。

ダイエー時代、私は過去の投球データを徹底的に洗い直しました。試合のビデオも見直しました。カウント別の配球、決定打を許したときの決め球……。例えばライト打ちがうまい右バッターと対戦しているとき「ランナーを背負っているから、詰まった打球を打たせよう」と簡単にインサイドを攻めるのは極めて危険だ、ということが客観的に理解できました。打たれるのには理由があったのです。

これに私なりの経験を加え"工藤流データベース"を構築していきました。例えばスライダーを狙っている右打者が、狙いに反して直球が来ると、一塁ベンチの上空方向へのファウルになるケースが多いものです。アウトコースを待っているとき、内角に投げられると普段よりも派手によけるものですが、そのよけ方の癖はバッターによって微妙に違うのです。そのほんの小さな動きや反応で打者の狙い球やどこに打とうとしているのかがわかるようになったのです。

対戦相手の性格も研究しましたよ。夏のオールスター戦のベンチ内でのたわいない会話。シーズンオフのテレビ番組でのやりとり。そんなささいなことでわかるんです。「この打者はこらえ性がないな」とか「そうか、自分の信念を貫くタイプか」などと。

あまりに相性の悪かったバッターには「おまえ、何でオレの球をこんなに打っちゃうんだよ」と笑って聞いたこともありました。すると、「だって工藤さん、3回クビを横に振るとストレート投げるんですもん。ヤマを張りますよ」。

なるほど! ストイックな努力はあって当然ですがその上で、何でも盗んでやろう、という欲望が渦巻いているのがプロの世界なのです。もちろん、相手もこの会話から工藤攻略法のカギを探っていたに違いありませんが……。

子供のころから負けず嫌いでした。それが大人になっても変わらず、「もっとできることがあるはず」というエネルギーになったと思います。今でもその欲求は自分の中に涸(か)れることなくたくさんあるのです。

60歳になった自分をイメージしたとき、もうひと踏ん張りしないといけないな、と思っています。今の自分をさらにステップアップさせて、私を育ててくれた球界への恩返しをしなくては。そう真剣に考えています。

工藤公康(くどう・きみやす) 1981年度のドラフト6位で名古屋電気高(現愛工大名電高)から西武に入団。落差のあるカーブと相手打者の心理を読んだ配球を武器に、大舞台に強い左腕として西武の黄金期を支えた。生活の乱れから一時成績が落ち込んだが、食事の改善や大学教授らと連携したトレーニングで低迷から脱却。86年から2年連続日本シリーズMVP。95年ダイエー(現ソフトバンク)にフリーエージェント(FA)で移籍、捕手の城島健司(引退)を育て、99年にチームを日本一に導き「優勝請負人」と呼ばれた。2000年には2度目のFAで巨人へ。07年から横浜に移り、10年に西武に復帰。同年オフに戦力外となり、11年12月引退を表明。プロ野球29年間で224勝142敗3セーブ。最高勝率、最優秀防御率各4度など多くのタイトルに輝く。1963年5月5日生まれ、愛知県豊明市出身。日刊スポーツ評論家。
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読者からのコメント
野球ファン 50代男性 東京都
これほど理論家のプロ野球OBはいない。横浜の監督になる話が立ち消えになったが、こんな人材を指導者に起用しないのは球界の損失だ。ぜひ監督やコーチとしてもう一度、ユニフォームを着てほしい。
善ちゃん 60代男性 福岡県
学生に就職活動の基本や、労働法を教えたりしてますが、野球の話をよくします。一流選手と二流で終わる差は何かを示す具体例を教えてくれます。皆、素質はあっても大成しないのは、なぜか。「自分に投資する」ことの大切さ。また、毎日が大切で、それを、ごくあたりまえにやること。できるようで、なかなかできないことです。さすがと思ってます。
康正 30代男性 広島県
80年代後半の工藤さんの活躍を、西鉄ファンだったうちの父親が「工藤君、やるねえ」とはしゃいでいました。僕にとっても、憧れのプロ野球選手です。伊東さん、久さん、秋山さん、タイゲンさん、デストラーデさん、広岡さん、根本さん、みなさんが、僕にプロフェッショナルの野球を教えてくれたのです。バランスの取れた食事の大切さも、西武野球を通して学びました。これからも、活躍を期待しています。

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