「死神」に「ムカデ」… 珍名ゾロゾロ日本酒事情
「この、けものへんの漢字、カワウソって読むんじゃないですか?」。おじさんが大事そうに抱えた純米吟醸酒の瓶を見て、職場の女性が声を上げた。「獺祭」(だっさい)。今まで何気なく飲んできた銘柄だが、指摘されれば、確かにカワウソのお祭りと読める。
「そういえば最近、ヘンな日本酒の名前が多い気がする」。ネットを検索し拾い上げてみた。「熊古露里」(北海道小樽市)「スキー正宗」(新潟県上越市)「姨捨正宗」(長野県千曲市)「無風(むかで)」(岐阜県養老町)「醸し人九平次」(愛知県名古屋市)「獺祭」(山口県岩国市)ときて、なんと不吉な「死神」(島根県邑南町)まであった。
ポスト団塊の消費者狙う
昔から、これほど多く、風変わりな銘柄が存在したとも思えない。1970-80年代の地酒ブームをリードした「日本名門酒会」が本部を置く老舗の酒問屋、岡永(本社東京・中央区)の取締役企画部長。「日本酒博士」の異名をとる森晃一郎さんの話を聞いてみた。
「銘柄にも一種の流行がある。『よくもまあ』とあきれる名前には受け狙いも多く、日本酒より焼酎で先行した手法」という。ただ日本酒では何度かの衰退期を経て、品質やパッケージのデザインを一新して生まれ変わろうと、熟慮の末に付けた銘柄が多いらしい。
「もともと宮中の酒造りが先行した日本酒には、銘柄がなかった。室町時代に至り奈良の僧坊酒を『南都諸白』(なんともろはく)として売り出したのが、日本酒のブランディングのはしり。15世紀の京都でようやく『柳』『梅』といった造り酒屋ごとの銘柄が広まり、江戸時代後期の灘で清酒と日蓮正宗をかけた『正宗』の第1号、『桜正宗』が誕生した」(森さん)。日本酒は味覚と直結した商品だけに、蔵元は元々、イメージにこだわる。全国ブランドの代表格、「月桂冠」(京都市)も明治時代の初めまでは「鳳麟(ほうりん)正宗」と名乗り、20世紀になって古代オリンピアをしのばせる現在の銘柄へ変更した。
日本酒消費量が1973年の第1次石油危機を境に減少へ転じた中、吟醸酒や地酒のブームを起こし、需要を下支えしたのは当時30代の団塊世代(1947-49年生まれ)だった。万事にマニアックなこだわりを発揮した彼らも、今は60代の退職世代。さすがに「斗酒なお辞せず」とは行かなくなった実態を受けたのか、全国各地の造り手も転機を迎えている。
現在40歳以下の世代には「清酒党」「ビール党」「ワイン党」「焼酎党」……といった特定酒類への忠誠心?がなく、食事や会合の内容に応じ、複数の酒を楽しむ。ワインと同じ感覚で料理との相性を考えながら、おしゃれに飲んでもらうため、容器の小容量化とデザインの改善、銘柄の変更が加速している。全体の消費量は伸び悩んでいても、醸造用アルコールを加えない純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸酒の売り上げは前年比プラスで推移、海外の高級レストラン、和食店向けの輸出にも弾みがついてきた。奇抜な銘柄が台頭した背景には、日本酒市場の構造、日本人の食生活や味覚それぞれの変化が潜んでいた。
2012年の日本酒界を象徴する「ヘンな銘柄」ベスト3、次点1つを勝手に選んだ。
第1位は、やはり「獺祭」。山口県岩国市周東町獺越に本社を構える旭酒造の純米大吟醸酒だ。桜井博志社長が1984年、亡父の後を継いだのが「ちょうど、首都圏で純米大吟醸が売れ出したころだった」。若くして勘当され石材店を営んでいたため、業界を外から観察する目も備わり「日本酒市場の担い手が玄人から素人に移る時期」と見定めた。「『無印良品』に匹敵する素朴なパッケージ、高品質な酒で勝負しよう」と考えるうち、元の銘柄「旭富士」では「東京進出に不安がある」と判断、新たな銘柄の創作に知恵を絞った。
NYでも認められたカワウソ
まずは地名の獺越(おそごえ)の前半、カワウソの一文字に目をつけた。春になると魚を捕り、供物のように川岸に並べる習性は中国古典の「礼記」に「獺祭魚」として採りあげられ、やがて、書物を読みあさり、座右に並べ、創作にいそしむ人々を指すようになった。正岡子規は自ら「獺祭書屋主人」と名乗った。「あまり深入りすると、中国文学や俳句の専門家から突っ込みを入れられる」と恐れつつ、「町名プラス祭り」の銘柄は誕生したが、「最初は『読めない』『ダサイを連想させる』と散々だった」(桜井社長)。だが東京では珍しかった山口の酒、純米大吟醸を精米歩合別に分けた4酒類だけのシンプルな品ぞろえ、「世界の食通の上位5%に受け入れられる味」を極めたという品質の高さ、おいしさがいったん認められると、風変わりな名称は武器へと一変した。
現在、旭酒造の年商は21億円と84年当時の20倍に伸びた。昨年12月には桜井社長自身が民放テレビの「利き水」コンテストで圧勝して知名度を上げ、年初から前年比2倍の注文の対応に追われ、今年10月の新しい酒蔵の稼働が待ち遠しい状態。DASSAIは米国人にも発音しやすい響きらしく、ニューヨークの日本酒ブームの先頭を走る銘柄となった。
第2位は、ホームページに「日本一縁起の悪い名前の酒」と記され、スピーカーから不気味な風の音まで流れる純米酒「死神」。島根県邑南町の加茂福酒造のセカンドブランドだ。メーンは社名と同じ「加茂福」とめでたいのに、なぜまた、こんな不吉な展開を?1995年から季節労働の杜氏に頼らず社員のみの酒造に転換、最新設備の導入や古代酒の再現など様々な実験を続けるうち「当時ブームだった淡麗辛口の吟醸酒と正反対の商品設計、味の濃い旨口(うまくち)に挑み、東京市場を攻めようと思うに至った」(吉賀憲一郎社長)。「名前も縁起の良い日本酒の真逆で勝負した」のが当たり、全国進出を果たした。
第3位は、岐阜県の養老町で唯一の酒蔵という玉泉堂酒造が約100軒の有志小売店グループ「無風の会」専用商品として開発した「無風」。「むふう」ではなく「むかで」と読み、恐ろしげなゲジゲジ虫のラベルをまとったくせ者だ。よくわからないけど、強そう。
2003年に第1弾を売り出した際の口上書きには「人生、風が無き如くおだやかに生きたいものだ。すてきな仕事にはげみ、一日のしめは、うまい日本酒。ああ、日本人に生まれて本当に良かった」とホノボノ調の数行の後、「でも、時には、のんびりばかりでは、だめな事もある。この時ばかりは、勇猛果敢、百本の足もて立ち向かう。見事、難敵をやっつけようぞ」と勇ましい文言が現れる。実は、ムカデは武田信玄の軍令部隊の旗印。「無風の会」の前身となった小売店グループのリーダーが甲府市の磯部酒店だったことから甲斐の国の武将、信玄由来の銘柄が採用された。「獺祭」「死神」と異なり、普通酒から純米、大吟醸など6種類11点をそろえた総合ブランドとして、独自の販路を広げている。
ラベルのみに酔うべからず
さて、次点は「熊古露里」(くまころり)。1879年(明治12年)創業と北海道では老舗の山二わたなべ(本社小樽市)には大吟醸の「雪中花」、純米の「小樽の女」といった銘柄もあり、「熊古露里」は辛口普通酒の銘柄として約20年前に発案。「辛口の日本酒の代名詞では『鬼ころし』が全国的に普及しているが、せっかくなら北海道らしさを強調しようと考えた」。北海道酒造組合の西田孝雄専務理事は「あっさりした酒で、どんどん飲める。気が付くと酔いが回っている。北海道の羆(ヒグマ)でもコロリと倒れるということで『熊ころり』となったようだ」と補足する。いまだファクスが通信手段という頑固な蔵元だが、インパクトのあるネーミングは口コミで広がり、今では「首都圏からも引き合いがある」。
最後にどうしても、かの酒豪の話が聞きたくなった。吉田類さん。BS-TBSの人気番組「吉田類の酒場放浪記」の主である俳人かつイラストレーター。15分番組の終わりころにはもう完全に「できあがっている」、人なつっこいキャラクターの持ち主だ。「全国に1700軒強の造り酒屋で、1軒あたり3銘柄はあるとして5000銘柄強。一生かけても全部は飲めないと思ったら、特定銘柄にこだわるなんてもったいない。行く先々で飲んでみるまで、中身がさっぱりわからないから楽しいんだよ」と、銘柄に振り回され過ぎることにクギを刺す。
「どこの酒蔵も、売れなきゃつぶれちゃう。都会のそばより、山沿いの蔵を訪ねると、素朴な味わいながらも良い酒をつくろうという懸命な雰囲気がひしひしと伝わってくる」と感心する吉田さん。「そんな素朴さに胸を打たれる酒好きなら、蔵元がどんなヘンな銘柄を出してこようが驚かない」と言い、今夜も新しい酒との出会いを楽しんでいるはずだ。(電子報道部 池田卓夫)