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雪山飛狐 第八集

 またなんか痛い人新たな登場人物が。

雪山飛狐 第七集

 突っ込みどころできごとが多すぎるので、今回は一話づつエントリーにします。

あの水伝が最後の一匹とは限らない……

既にあちこちで話題になっていることではあるが、
 『教育現場に水のメッセージを』(『Hado』9月号)|ほたるいかの書きつけ
 
水伝はさんざん批判を受けていたので、もうさすがに教師も分かってきてるだろう、と甘く考えていたのだが、どうやらそうでもないみたいである。水伝自体への批判はかなり以前からなされていて、もう出尽くした感じすらあるというのに、校長先生の方から講演を依頼したというから頭を抱えてしまう。
north-poleさんがエントリーで上げているように、科学としてはでたらめ、道徳としてはうすっぺらく、物語としては安っぽい、こんなまがい物をありがたがってるとは、かわいそうに。なんて感じの批判であればいくらでも出来るし、こういった個々の事例に対して抗議していくことは必要だとは思う。だけど、こちらでのコメントのやりとりなんかを見ていると、確かに現場では水伝は排除されつつあるものの、それは問題が理解されたからじゃなく、世間で叩かれているから、というケースも結構あるらしい。それでは世間の評判が変わればまた元通りだろうし、水伝以外のニセ科学には対抗できないだろう。それでは困るのだ。
水伝のようなまがい物の代わりに、正しい科学の常識を教え込む、というのは一見正しそうだが実は根本的な解決ではないように思える。そのやりかただと、ある権威を否定するために別の権威を持ち出してくる、という形になりがちだ。そして、それはまた別の権威によってあっさり書き換えられてしまう危険を伴っているだろう。実際、学校で教えてもらえなかった真実に目覚めちゃった人ってのは結構見かける。
north-poleさんも書いているが、科学の真髄は「確かめること」にある。いつの時代でも科学は間違いを犯してきたことからも分かるとおり、これは言うほど簡単なことではない。だが、きちんとした教育を受け、物事を科学的に見ることが出来るようになれば、ニセ科学に騙されることは少なくなるはずだ。登場するたびにモグラたたきみたいにして批判していくことも必要だが、知識を授けるという形ではない科学教育を進めるという方法も必要ではないだろうか。もちろんこれは教師の方たちや教育行政に携わる人たちの協力も必要なのだが。

実際にどんなものにしたらいいのか、というのはそのうちまた考えてみたい。

手紙/夢来(ゆらい)

 この間のライブで知ったこの曲。気に入ったのでCD買って、ほぼ毎日のように聴いている。良い曲だなと思ったのでご紹介。(彼らのWebページからも試聴/購入できます。)

 近しい人に気持ちを伝えるのは意外と難しい。言葉にしなきゃ伝わらないけど、言葉にしたから伝わるってものでもない。親しいが故に言葉になってないメッセージも一緒に受け取ってしまい、それが相手や自分を戸惑わせたりもする。
 
強くなりたい人が強くないように
伝えたい人に伝えられないって事


 そういや、父親と話すの、結構苦手だったよなぁ、なんてことを思い出しながら聴いている。

作詞・作曲:健太

ソラリスの陽のもとに/スタニスワフ・レム

 二度映画化されている古典SF。学生時代に一度読んだきりだったのだけど、ものすごく久しぶりに再読……というより、ほとんど忘れていたので初めて読んだようなもの(^^;

 二重恒星系の周りをあり得ない軌道で回る惑星ソラリス。その原因はこの星の表面の大部分を占める”海”にあった。この”海”はそれ自体が一つの巨大な生命で、惑星の動きをコントロールしていると思われていたのであった。人類は長年にわたってこの全く異質な生命とのコンタクトを試みるがことごとく失敗に終わる。そのソラリスの惑星ステーションにやってきた心理学者のケルビンは、この基地で異常な事態が発生していることを知る……。

 SFには多くの異星生物が登場するし、知性を持つものも少なくない。だが、ここまで圧倒的な”他者”として描かれた存在も珍しい。まず「生物である」というのも”海”の振る舞いを見た人間がたてた仮説に過ぎず、もしかしたらソラリスで起きていることは少し複雑な物理/化学現象でしかないのかもしれない(いや、それを言うなら、生命というのも「少し複雑な物理/化学現象」ってことになるのだが……)。
 それでも、異なる生命ということであれば、ずいぶん思索もされている、が知性となるとほとんどが人間のそれから大きく逸脱することはない。それは当然かもしれない、本書の中で、人が人以外の知性を求める動機について書かれている。少し長くなるけど引用してみよう。
われわれは人間以外の誰をも求めていない。われわれには地球以外の別の世界など必要ない。われわれに必要なのは自分をうつす鏡だけだ。(中略)そこでわれわれは自分自身の理想的な姿を見出したいと思う。

 結局の所、自分の姿を写す鏡として他者を求めているのに過ぎない人類に対して、ソラリスの”海”はあまりにも異質すぎた。だが、理解も共感も不可能でありながら、そこに確かに”知性”の存在を感じさせる相手がいれば、鏡として自らを映しださずにはいられないのか。もし、自分がその場に居合わせたら、やはりソラリスの”海”から、なんらかの悪意なり善意なりを受け取ってしまうだろうと思う。おそらくそこにはそんなものは存在していないだろうと知りながらも。

雪山飛狐 第五集、第六集

 若蘭かわいいし、胡斐もなかなかいい感じだし。正ヒーローと正ヒロインが魅力的なのはいいことだ(笑)

元気玉作戦

 iPhoneに続いてandroid携帯も発売ということで、携帯の世界も変わるか、それとも日本の携帯は世界標準から比べて非常に高機能だからそれほど大きな変化にはならないか、とか色々と言われてるようである。
 日本の携帯事情に関してはガラパゴス化してると言われることが多い。世界標準から外れていることで市場が限られているために、飽和状態になっていることが閉塞感を生んでいるというのが、主な批判だろうか。キャリア主導型なのでメーカーが消費者ではなくキャリアの方を向いているということも。
 一方で、日本は進化に取り残されたガラパゴスではなく、逆に先に進みすぎているんだという反論もある。確かにAppleがiPhoneで見せたビジネスモデルはいろんなところで日本の携帯事業を参考している節があったりする。立ち後れていたわけじゃない、というのも一理あると思う。

 だが、いずれにしろ、あのまま突き進むことは出来なかったんじゃないかとも思う。それはどちらかというとビジネスモデルがどうこう言うよりも、開発者側のリソースの問題が顕在化してしまったであろうから。既に携帯電話というのは単なる電話機ではなく、インターネットと接続可能な情報端末であり、電子決済のデバイスであり、メディアプレイヤーですらある。これらの機能はすべての人間に必要なわけではないにしろ、必要とする人がいる以上、乗せた機種を作っていかないとならない。こういう機器を年に数度バージョンさせながら開発を継続していく、というのはどれだけの開発リソースを投入し続けないとならないか。プラットフォーム部分の共通化の動きが出てくるのは必然だったのだ。

 そして、AppleやGoogle(おそらくはMicrosoftも)がやろうとしていることは、この圧倒的に不足するであろう開発者側のパワーを、SDKを公開することで広く世界中から調達しようということなのだ。「みんなの元気をちょっとだけわけてくれ」ということだね。もちろん、ただ公開しただけでみんなが力を貸してくれるわけではなく、そのための動機付けの道具としてAppストアとかGoogleのマーケット構想なんかがあるわけだが。
 そして、そうやって作られた「元気玉」に、国内メーカーがいつまで技術的な優位性を保っていられるか、というのも気になるところである。
 

秋晴れでもSeptember Rain

 二ヶ月前にも観に行ったみおさん主催のライブイベント「Walk on」、「September Rain」というサブタイトルに反して、きれいな秋晴れとなった昨夜、行って参りました。前回同様、粒ぞろいの出演者さんたちは皆それぞれ個性的かつ魅力的で、約四時間という長さを感じさせないほど楽しいイベントでした。やっぱりライブで聴く音楽はいいなぁ。

 これも前回同様、みをさんによるカバー曲(「晴れた日、雨の夜」/ 区麗情)で幕を開け、最初に登場したのは渡辺たくやさん。ご自身で「昭和フォークの手触り」と仰るとおり、なんか私にとっては懐かしい感じのするサウンド。すっかりツボにはまってしまった。二人目はぐっとアダルトな感じの手塚伸吉さん。演奏した中でも、一番おバカでエッチな曲と言っていたのが「Sweet Kiss」なのだが、実はこういうのは大好きなのであった(笑)。
 そして三人目は木村ユタカさん。カバー二曲とオリジナル三曲を歌ってくれたんだけど。すみません、カバーの元歌知りませんでした(^^; も少し、最近の歌も聴かないと(^^; それはともかく、最後に歌った「約束」がなんかいろんな事を思い出させてくれたのでした。
 次はしみずまなぶさん。「ハッチ」で心をわしづかみにされた後は、すっかりその世界にっ。「刹那の放楽」とか、「生まれ出ずる悩み」とか曲だけでなくタイトルもひと味違う。
 五人目というか五組目は夢来(ゆらい)
のお二人。ハモりがとってもきれい。男性二人できれいなハーモニーってそれだけで凄い武器だと思います。いちばん気に入ったのは「ともだち」なのだけど、昨日買ったCDには入ってなかったのが、ちょっと残念。もちろん「手紙」もいい曲だと思う。
 そしてラストは主催者のみをさん。今回は先に登場した手塚さんの「未来へのペダル」のカバーも。次は新曲も聴かせて欲しいな。

 次回は11/15に開催と言うことで、また行きたいなぁ、と思っているのである。

「大決戦!超ウルトラ8兄弟」

「映画」カテゴリで書いちゃうわけにはいかないの。たぶん、思い入れのある人と無い人では、全然評価が違うであろう映画(^^;
 多少ネタバレもあるので、本文は隠そう。

雪山飛狐 第三集・第四集

 三集までが物語の背景を語るプロローグで、四集からが本編という感じなので、三・四の二話で一つの感想にするのはちょっと難しいのだが……まあいいか。

雪山飛狐 第一集、第二集

 東周列国の鑑賞も無事終わり、先週からチャンネルNECOで放映されている雪山飛狐を見始めました。放送に合わせて二集ごとに感想を上げていきます。って、早くも一週遅れになりそう(^^; 感想は例によってキャラクターごとに書いていきます。

 時は清朝始め。かつて李自成の側近の護衛兵だった、胡・苗・笵・田の四家だったが、様々な因縁により、今では胡家と他の三家は敵対していた。それにはある秘密が隠されているようなのだが……。

電子書籍って、そろそろ本格的に始まらないかな

 アメリカじゃAmazonのKindleが結構普及し始めているらしい。あれが売れるとは最初は思ってなかったんだけど、みんな結構読書好きなんだね。一方日本では、専用読書端末は完全に失敗。まるっきり普及しなかった。著作権処理に縛りを入れすぎて使い勝手が悪かったというのもあるかもしれないが、ほんと、見向きもされなかった。

 電子出版がブレイクするには、課金と、使い勝手、著作権処理、品揃えの四つくらいが大きな障壁になっているのではないかな。ところで、最近は携帯小説が流行っている。今のところ、否定的な見方も多いのではあるが、一番有望なところにいるようにも思う。ただ、いまのところ、書き手も読み手もほとんど若年層になっちゃってるところがなあ。もうひとつ本格化しないところでもあるのだが。
 あとはDSでも電子書籍は出ている。これも結構有望そうだけど、ダウンロードで好きな作品を好きなときに落としてきて読む、というKindleの領域にまでは達してはいないんだよね。やっぱり、ある程度立ち読みが出来る、それなりの数の品揃えがある、といった条件がそろってないとなかなか難しいと思う。

 で、iPhone/iPod Touch なんだが(笑) 実は既に仕組みだけならほとんど出来てはいるんだよね。実際に英語中心とはいえ電子書籍もAppストアで販売されているし。テキストリーダーとしての使い勝手は以前も書いたようになかなかのもの。そして、課金や著作権の問題も、Appleの管理を受け入れるなら、という前提付きだが一応解決されることになる。
 立ち読みも、例えば、最初の章だけ無料で公開するとか、シリーズものだったら最初の一巻だけは無料とか(書いていて結構あこぎな気がするが(^^;)という手が使えるし、値付けは作者次第で好きに決められるということで、環境としてはわりと整って来てると思うのだが。

 問題は、国内のユーザー数と、Appストアの検索性の悪さなんだよな。それさえ解決できれば、結構行けそうだと思うんだけど。3G網が使えるところならばどこでも検索できて、すぐダウンロードして読み始めることが出来る本屋さん。最近、ちょっと前の本だと大きめの書店でもなかなか手に入らないことを考えると、魅力的なんだけど。

東周列国 戦国編 第十一集(3)

 約二ヶ月にわたっての古代中国の旅も、これでお終いである。

東周列国 戦国編 第十一集(2)

 ラス前、ついにここまで来ました。

東周列国 戦国編 第十一集(1)

 天下統一も秒読み段階となった。

東周列国 戦国編 第十集(3)

 ついに残り1エピソードとなった。

東周列国 戦国編第十集(2)

 まったく、いけすかないガ……もとい、かわいげの無いお子様である(^^;

東周列国 戦国編 第十集(1)

 
 戦国の笑うせぇるすまん(笑)呂不韋の物語。時期的には第九集での秦による趙攻撃のさなかから始まる。

東周列国 戦国編 第九集(2)

 ここまで来ると、終わりも間近である。

東周列国 戦国編 第九集(1)

 ステキな爺キャラが登場する、というだけで、ご飯三杯はいけてしまうのである(^^;