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愛のメロディー/KOKIA

 昨日、ジュウシマツの歌のことを書いたけれど、それで想い出したのはこの曲のことだった。
あなたを愛して生まれた歌を歌おう 私の愛の証に
とか
あなたと出逢って 流れ出したこのメロディー
震えている今この時も生きてる

なんかは、そのまんまじゃないか、と思ってしまった。しかも、この曲の中で一番耳に残るのって、ここのフレーズなんだ。もしも岡ノ谷先生の仮説が正しいとしたら、ヒトが最初に話した言葉はこういうものだったのかもしれないね。そう、きっとこういうことを伝えたかったんだよ。
愛おしくて 嬉しくて 悲しくて 切なくて
悔しくて もどかしくて…… 愛のメロディー


 でもね、高く歌い上げるところだけじゃなくて、ささやくように歌ってくれるところも好きなのさ。

作詞・作曲:KOKIA

東京都の品格の危機です

 最近は”国家の品格”とかを気にする人が多いみたいなんだが、それにはまずこういうことを言う人を何とかしないといけないんじゃないだろうか。頼むから挨拶くらいはまともにしてくださいよ。
 何がまずいって、この人、世襲の独裁者なんかじゃなくて、民主的な選挙で選ばれた代表だってことだ。しかも一回だけなら「だまされた」という言い訳もできるけど、二回も選ばれてるんだよ。直接選んでしまった私ら都民は品格を疑われても仕方がない。

 これ、海外メディアに載ってるんだよな。なにか取り返しのつかないことをされたような気がする。

小鳥に習ったのは恋の歌だけじゃないかもしれない

ヒバリのこころについて書いたとき、 「人類は恋のし方は鳥たちに学んだのかもしれないね。」なんて書いたのだけど、なんだかそれについて面白い記事を見つけてしまった。
ジュウシマツの歌で「言語の起源」にせまる
 ジュウシマツの歌について研究している岡ノ谷先生という人へのインタビューなんだけれど、この記事によると、ジュウシマツの歌というのは求愛のために歌われる、つまりラブソングで、それは個体ごとにオリジナルなんだそうだ。野生の小鳥たちは求愛だけではなく、なわばりをアピールするためにも歌う、でも人間に飼われているジュウシマツの場合はラブソングだけが進化していった。それも生まれつきじゃなくて、成長するに従って学習していくんだ。
実はヒナから成鳥になる間に、学習によって獲得されるものなんです。ジュウシマツの歌の学習には2段階あって、まず第1段階は親鳥などの成熟した歌を聴いて、自分の歌の手本となる歌や発声のモデルを造る。そして第2段階で、実際にでたらめな歌をうたってみて、第1段階で造ったモデルと自分の歌の誤差を修正します。

そういえば、鳴き方がへたなウグイスのために、上手く鳴くウグイスを先生にする、という話を聞いたことがある。あんなに小さな脳にそんな能力があるなんて驚きだね。

 そして、この先生、ここから人間の言葉の起源についても大胆な仮説を提唱する。
複雑な音のつながりを好む傾向が私達の祖先にもあって、音声による求愛行動が複雑化していき、それが今のような言語に発達したのではないかということです。

 いやぁ、スピッツの歌から言語の起源にまで繋がるとは思わなかったよ(笑)

宗教的情操教育よりも宗教リテラシー教育を

教育基本法改正:日本会議など2団体が緊急集会、決議採択
 こちらの記事によると、教育基本法の”改正”案に「愛国心」「宗教的情操の涵養(かんよう)」を明記したがっているそうだ。私は、以前に書いたようにこれらは食いつきやすいようにまかれた餌だと思っているのだけど、こう懸命になるということは、もしかしたら入れられたら入れたいというのも本音かもしれない。

 愛国心に関しては「馬鹿言ってんじゃねえ」なのだけど、宗教に関しては教育基本法で定めるかどうかは別にして、公教育の中である程度教える必要があると考えている。ただし、情操教育などではなくリテラシーということで。

 日本にいると、宗教に関してはかなり無頓着でいられる。なにしろ、メリークリスマスとか言っていた一週間後に除夜の鐘を聞きながら二年参りで神社に賽銭上げてお祈りしていてもちっとも不思議に思ったりしないのだから。それにはいいところもあるのだけど、一面で宗教に関してあまり深く考えないでいると、そこからくる不都合も多い。どうも日本の学校教育って、必要以上に宗教から距離を置こうとしているために、かえってつけ込まれているんではないだろうか。

 ひとつは、まっとうな宗教と変なカルトとを見分ける力が不足する。宗教と聞くとひたすら忌避するか、逆に簡単にカルトにひっかかるか。両極端になってしまいがち。
 あと、変に誤解しているところも多い。あの、「一神教は狭量で多神教は寛容」という俗説とか。イスラムなんてのもかなり誤解されてると思う。ここは他の宗教に対する寛容さを養うためにも主要な宗教の歴史と教義については教えておいたほうが良いんじゃないかな。
 もうひとつ、これはひとつめにも関連するのだけれど、科学を偽装した宗教(大抵は変なカルトみたいなもの)が教育に入り込んでこようとしていること。「水からの伝言」とか「インテリジェンスデザイン」とか「純潔教育」とか。こういうのって信仰として話してくるのであればいいんだ(もちろんその場合でも公教育の中で教えることは駄目)。でもそれだと現行の基本法では違反になるから、科学を偽装することで学校教育の中に入り込もうとする。実はこれが一番厄介なんじゃないかな。科学という言葉にはそれが正しいものだと勘違いさせる力がある。

 こういうことを防ぐためにも、まっとうな宗教というのはどういうものか、ということは、公教育の中で教えておくべきだろう。あと、できるかどうかはわからないけれど、本当は宗教の持つ負の部分も教えておいたほうが良い。

 最後に「宗教的情操」について、これってどこかの宗教に偏らないような最大公約数的なものにしてしまったら、今の学校道徳とどこが違うんだろうというのがひとつ。それから宗教っていうのは非常に個人的なもので、「宗教的情操」というのは個々人が普段の生活の中で身に付けるものだと思う。だから公教育では変な宗教もどきにだまされないための教育だけをして、そのあとどんな宗教に出会って、どう自分と折り合いをつけるかは個人にまかせたほうがいいと思うよ。

なかったことにはできません

 いつも参考にさせてもらっている成城トランスカレッジさんのところにこんなエントリーが。
「ジェンダーフリーとは」をなかったことにしたい人
 どうやら「ジェンダーフリーとは」を目障りだと感じている人たちがいるみたいだ。このページ、ありがちな誤解やらデマを元にした批判だったら、ここを紹介すればすんでしまうので重宝している。あとジェンダーフリーで検索するとかなり上位にくるようになっているから、関心を持っている人にとってはかなりメジャーなページになっているんだろう。きっとそれが気にくわないのだろう。削除しろなんて要求も来てるそうだ、そうとう都合が悪いみたいだね。まあ、たしかにせっかくジェンダフリー叩きのために集めたアンケートの中身をこんなふうに解析されちゃったりしてるから悔しいのは良くわかるけれど。

 ここまできてしまうと、なかったことにするのは無理です。そんなことする暇があったら、自分たちの主張をもう少しまともなものにしましょうね。

名前が決まってないバトンらしい(^^;

 ユージさんからバトンを貰ったので書いてみます。

1:家に帰ってまず何をする?
 財布とか鍵とかをポケットから出した後、部屋着に着替えて、Macをスリープから起こす。

2:普段家ではどんな格好?
 ジーンズにシャツかな。夏場は短パン。冬場は上にはんてんを羽織っている。

3:部屋はどんな?
 一、二週間に一回くらい綺麗になった後、徐々に混沌が支配するようになっていき……そしてまた綺麗に、の繰り返し。
 全時間の七、八割は混沌が支配している(笑)

4:部屋は理想にかなってる?
 特に不満は無い、という意味ならほぼ理想通りかな。部屋っていうか家だけど。強いていえばもうちょっと風呂場を広くすればよかった。

5:朝方人間?夜型人間?
 真っ昼間の大体十二時半から三時半くらいまでが苦手(中途半端な吸血鬼みたいだ)。午前中と日が傾くあたりから夜中までは元気なんだけど。あと、あんまり夜更かしが出来なくなった。

6:好きな音楽は?
 当然、PSY・Sは別格。
 あとは、種ともこ、遊佐未森、坂本真綾、と女性ヴォーカルばっかりだな。
 洋楽はほとんど聴かない。

7:好きな本は?
 フィクションならSFが多い。星新一、小松左京、平井和正にはかなり影響を受けている。
 ノンフィクションは昔は自然科学系の方が多かった(講談社のブルーバックスのファン)けれど、最近はそうでもないかも。 

8:好きな漫画は?
 好きな漫画家というか、見かけたら必ず購入しているのはとり・みきと山本直樹。
 でも、本当のところ少年マンガの王道パターンの方が好きだな。ジャンプ・マガジンよりはサンデー派。

9:好きな映画は?
 1980年代のSF映画全般は大体好き。CG全盛になる少し前のころの方が話が面白かったような気もするのだけど。いや、でも指輪物語とかは凄かったな。あとはティム・バートンがかなり好き。

10:好きなゲームは?
 当然、パラッパラッパー(^^)v 
 あと、最近は時間がかかるRPGみたいなゲームはやらなくなったのだが、天外魔境は好きだった。

11:好きな服装は?
 スーツは結構好きなのだけど、夏場はちょっとね。

12:好きな食べ物は?
 カレー。普段の行動範囲内に新しい店を見つけると入らずにはいられない。
 辛いのが好きなので。
 
13:好きな飲み物は?
 日本茶が一番。どうも幼児期からそうだったらしい。

14:好きな動物は?
 犬とか狼。今は猫がトップに来ているけれど、実は犬派です。

15:好きな場所は?
 すみっこ(笑)

16:好きな言葉は?
 「群雄割拠」かなぁ。

17:苦手なものは?
 ぶよぶよしてて長い虫。足がいっぱい有る奴も駄目だな。
 あと掃除(笑)

18:人に負けないものは?
 うーん、なんだろう。旅支度の早さ、とか。

19:親友に一言!!
 そういやオフラインというか、ネット以外で一番仲のいい連中にはこのブログのことは教えていないんだった。

20:マイミクさんに一言!
 なんかこっちの表のBlogの方がメインになってますが、見捨てないでください。

21:次にまわす5人?!
 やってみたい人がいたら適当に拾っていってくださいまし。

ヒバリのこころ/スピッツ

 「うわっ、声が若い」というのが第一印象。というのは冗談として(^^;。
 この歌の歌詞とメロディの解放感は、初めて空高く舞い上がろうとしているヒバリのこころ、なのかな。それまで自分がいたところへの執着みたいなものを全部振り切って飛んでいくような思いきりの良さが心地よい。
 何もなければ居心地のいい今の場所から出る必要もないし、出たいとも思わないだろうけど、会ってしまうのだよ、出ていきたいと思わせる人に。そうなったらもう飛び立つしかないではないか、逡巡を捨てて。

 ヒバリが高く飛んでさえずるのは、配偶者を見つけるためだったかな。人類は恋のし方は鳥たちに学んだのかもしれないね。

作詩・作曲:草野正宗

全寮制ってそういうものなの?

 こちらのエントリーで知った今年から開校の海陽学園という学校。

 朝日新聞の(1)外部と遮断し異空間という記事で読む限り、私には刑務所の様にしか思えないのだが、全寮制の学校ってこういうものなんだろうか? (ひとつの記事だけで判断するのは危ないような気がするけれど)少なくとも私は、教科書、参考書以外で持ち込める本が10冊以内というところでアウトだな。これ、図書館を充実させればいいという問題じゃない。たぶん持込みはチェックされるんだろうから、何持っていってもOKってことは無いんだろうね。

 またこの記事から感じられたのは、「子供から一刻たりとも目を離したくない」という親側の欲望だった。これはgegengaさんのこのエントリーのコメントにもあったんだけど、学校全般がそうなっているのかな。そうだとすると全寮制のこの学校の方針もその延長にあると思えばいいのだろう。でも、自律っていうのは誰にも見られていない、自分しかいないところでどう振る舞うかだよね。この環境で自律なんて学べるのかな。必要なのは「どこで何をやっていても常に誰かに見られているから悪いことはしない」という感覚じゃないよね。「誰も見ていないし、誰も咎めない。でも自分はやらない」ってことだ。そういうことを教える体制じゃないと思うんだが。

 しかし、仮に十二歳の私が親にこの学校に入るように言われて刃向かえるだろうか。これが十五歳なら絶対に嫌だと言うと思う。十五歳だったら、このような方針の学校に送られることは自分に対する”攻撃”だと思ったはず。でも自分が十二歳のころってかなり子供だったからな。”保護されている”と感じたかもしれない。先に「親側の欲望」と書いたけれど、これは欲望=悪ということじゃない。子供の発育段階によって毒にも薬にもなるものだと思う。だから全面的に否定はしないけれど、「子供を思う親心」と全面肯定もできない。入学時はそれでもいいのかもしれないけれど、中学から高校のどこかで毒に変わると思うんだけどね。

 外部との接触を制限されて世間知らずになることよりも、誰にも見咎められることがなく、自分を律するのは自分の良心のみ、という環境に置かれないことの方が、エリート育成ということでは怖いと思う。外出の時くらい一人にしてやれよ。

氷のヴィジョン/PSY・S

 氷でできた牢獄。これがやっかいなのは、壁の厚さが見えてしまっていることだろうか。なにも分からないところに置かれるのも嫌なものだが、破れそうもないような壁の厚さを見せられるのはもっと困る。壁を破るのを諦めそうになるから。
予言の声 君の夢を
痛みもなくダウンさせるね

 だけどね、しょせんは氷。砕いて溶かせないわけでもないはず。だから、
Break up the wall 未来のために
勇気が Put to the test 試されてる

 諦めないで、手を付けてみないか。

 アルバム「SIGNAL」にはストリングスが効果的に使われている曲が多いが、これもその一つ。特に間奏から2コーラス目頭にかけてがいいよ。


作詩:森 雪之丞
作・編曲:松浦雅也
アルバム
「SIGNAL」
「Two Bridges」(New Version)

それを自虐と呼ぶのであれば

 どうやら、敗戦までの七十年を否定的にとらえているのを「自虐史観」というらしい。それまでの歴史的経緯や伝統をむやみに否定するなということなんだろうか? だとしたら、敗戦から今までの六十年間を否定的にとらえるのもまた自虐的だよね。直近の過去を貶めてるんだから。
 批判の対象が皇国史観ー>東京裁判史観になったり、教育勅語ー>教育基本法になったりしてるだけで、実は自分たちが批判しているはずの”左翼進歩的文化人”とかと同じだったりして。

 ついでに言えば、三百年の徳川政権、幕藩体制を全面否定していた明治政府も十分自虐的だったんじゃないかな。なんかまた六、七十年経ったら同じことしそうだ。

法の支配

 教育基本法について、自民党が変えようよしていたポイントとしては、愛国心を盛り込むこと以外にも「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」という文章の削除がある。最終的な与党案にはかろうじて残っているものの、教育に対する法の優位性を記していることで、「法の支配を明記することで、教育内容についてやりたい放題がまかり通ってきた学校現場の条文解釈に一定の歯止めはかかるだろう」などと考えているそうだ。
(参照、産経新聞、教育を考える。残るあいまいさ 教基法改正案

さて、教育内容は法で支配されるべきものなのか? 私は、公教育に関してのみであれば、ある程度の規範は示す必要はあるだろうと思う(基本法に盛り込むかどうかはともかくとして)。ただそれはできる限り慎重に、最小限にとどめるべきだろうとも思う。権力が教育内容に干渉するとあまり良い結果はえられないと思えるからだ。

 この手の話でまず思い浮かぶのがアメリカの進化論裁判だ。聖書の教えに反する進化論を学校で教えないようにしようとしたり、創造論と進化論を同等の科学として教えさせようとしたり。問題はこれらを法律で規制しようとしているところだ。ま、実際には「科学と宗教を一緒にするな」ということで、ぎりぎりのところで守られてはいるようだが、科学的な正しさを政治権力でどうにかできると考えている人たちはいるのだ。(そういえば、産経新聞ってID論みたいなトンデモ理論に入れ込んでいるみたいだが。)こういうのを見ると、やはり「不当な支配に服することなく」という一文は残しておかないと危ない。特にネイチャー誌に科学と政治の分離ができてない、なんて批判を受けるような政府を持っている日本みたいな国にとっては。

伝統と文化と祖国愛

 色んな人が突っ込んでいる教育基本法「改正」案の第二条(教育の目的)第五項。
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 ここで言っている「伝統と文化」というのは省かれてはいるが頭に「我が国の」というのが付くのだろう。だがちょっと待ってもらいたい。「我が国の伝統と文化」というのは本当に「我が国」だけに育まれてきたのだろうか? 祖国愛だけで豊かな文化や伝統というのは作れるんだろうか?
 それは日本は島国だけど、文化的に孤立しているわけじゃない。想像してみて欲しい、現代の日本の音楽からロックやジャズやクラシックの要素が無くなってしまったらどうだろう。あるいは日本の伝統から中国由来のものがすべて失われたら。えらく寂しくならないだろうか。
 そう、日本の文化や伝統にとっての”郷土”というのは日本だけじゃないんだ。敬意と愛情は我が国だけでなくそのルーツにも注ぎたいものだね。ついでに言えば、こういう”豊かさ”を日本の文化にもたらしてくれたのは、かつの日本に、他の国の文化に触れ、それらに魅了され、惚れ込んだ人たちがいたからだろう。彼らは、それらを産み出した国や文明を第二の故郷のように感じていたのではないかな。祖国を愛する心だけでは、豊かな文化や伝統は産み出せないはずだ。

 そうだねぇ、日本の文化なり伝統なりを大切にするというのはいいけれど、それならちゃんと来し方も教えて欲しい。歴史教育って政治史や戦史に偏りがちだ。文化史や科学技術史を重視するとかしてくれないかね。自国に視野を固定化しないようにならないかな。甘いか(^^;

今度が本番?

 さて、正式の与党案が出たわけだが、さすがにあれではあんまりだと思ったのか、だいぶまともに読めるものにはなっている。少なくとも文面上は国に対して権限を与えるようにはなっていないし、露骨な中央集権色は薄められている。
 例によって成城トランスカレッジさんのところで比較表が出ているので、それを元にまた考えてみたい。以下、目に付いたところ。

(1)”露骨な”中央集権色は薄くなっているけれど、まだ教育を国で管理したいという意志は透けて見える。第三条(生涯学習)、第十条(家庭教育)、第十一条(幼児期の教育)、第十二条(社会教育)とほとんどすべての場面で首を突っ込んでこようとしている。また第八条(私立学校)では私学にも影響力を行使しようとしている。(一応「自主性を尊重しつつ」とはあるが)
 また十六条、及び十七条は、国と地方公共団体との間に明確な上下関係があることを示している。具体的な教育行政に触れるところでは中央集権色を消しきれなかったらしい。問題点についてはこちらも参照。現在すでに行われていることを追認するような法案なのかも。例えば家庭教育への干渉は家庭科の教科書検定という形で先行している。

(2)「公共の精神」という言葉が入れられている。個人の尊厳が重んじられている現行法に対して不満を持っていた人たちが作成しているのだから、当然入ってくるとは思っていた。しかし、
不協和音~合唱隊の比ゆについて
なんてのを見ると「公共の精神」が「空気読め」になってしまうような気がしてすごく嫌。周りに合わせることが公共精神じゃないと思うんですけど。
 あと、これに関連して第六条(学校教育)の第二項にある「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならないこと。 」も気になるところ。教育を受けるものに対して義務を課している条文というのは現行法には無い。

(3)「国や郷土を愛する態度」については、別記事にする。本丸は教育の中央集権化だと踏んでいるので、ここは餌だと思っているけど、やっぱり突っ込みどころではある。

態度で示せってか?

「国と郷土を愛する態度」 与党検討会「愛国心」合意 教基法改正案事実上固まる
 なにかやたら進行が速い。これまであった「愛国心」という言葉は「我が国と郷土を愛する態度」という表現に変えることで公明党の反発を抑えたということ。愛国心という表現ではなくなったとはいえ、ここでも触れられているように態度ということで起きる問題もあるのではないか
 あと、気になるのは「愛国心」の問題にフォーカスすることで他の部分がそのまま通ってしまったらというのがちょっと怖い。昨日も書いたように、どちらかというとこの法案は統治機構/行政府の教育に対する支配力を強めることが目的ではないかと思っているので、「愛国心」とか「国や郷土を愛する態度」といった箇所は誘いどころじゃないかという気がしている。

 それから昨日は新法案での「国家」と「我が国」はどちらもnationと書いたけれど、どうやら「我が国」のほうはもうちょっと情緒的なものが入っているみたいだね。この「我が国」という言い方も気になる。考えすぎかもしれないけれど、他で出てくる統治機構/行政府としての「国」と混同させようとしていると思えてしまう。

通りゃんせ、通りゃんせ

 成城とランスカレッジさんのところで「現行教育基本法と新教育基本法案の比較」がまとめられている。すでにあちこちでいろいろと検証がされているけれど、私もちょっと気になったところを書いてみる。
 検証しているブログとしては、annntonioさんのところとか、swanさんのところなど。


 現行法と、新法案と読み比べてみて、国や国家といった単語を抜きだして比べてみた。
現行法では、
(1)「国家」が二ヶ所、「国」は五ケ所に使われている。
(2)「国家」は構成員である国民を含む"nation"の意味で、「国」は統治機構としての国"stats"の意味で使われている。
(3)「国」という単語は「地方公共団体」と必ず併記して使われる。「国」と「地方公共団体」とは同等のものとして書かれている。
(4)「国」については責務が規定されている。権限と取れるのは学校の設置について定めた第六条のみで、これも国の独占とはなっていない。

 全体的に、「教育」を「公権力」の影響力から切り離しておこう、という意志が見える。「教育」は国家事業として行うものの、国家に従属するものではなく、求めるものは真理や平和、正義といった普遍的な価値である、という考え方をしているのだろう。

 一方、新法案だが、
(1)「国家」は四ヶ所、「国」が十七ヶ所、「我が国」が四ヶ所
(2)「国」は現行法と同じく"stats"の意味。「国家」と「我が国」が"nation"の意味。
(3)「国」は「地方公共団体」に優越する。
(4)「国、及び地方公共団体は」で始まっている場合はすべて責務についての記述だが、「国は」で始まっている条文は、ほとんど権限についての記述になっている。(例外は十九条の国会への報告義務くらいか。といっても国会も統治機構の一部だからなぁ)

 一読して、やたら「国」を強調してるという印象を持ったのだけど、それにしてもやたら口を出したがる。こちらの条文では「教育」は「国家」に従属するものという意識が見える。たとえば高等教育について書かれた第十一条では、
高等教育は、高度で専門的な知識を備えた人材の育成を図るとともに、真理の探究を通じて、新たな知見を生み出し、学術の進展や我が国及び国際社会の発展に貢献することを期して行われなければならない。

と、我が国という言葉がしっかり入っている。ここだけではなく、家庭教育だの幼児教育だの生涯学習だのと、あらゆる場所に国が顔を出す。
 さらに(4)でも書いたのだけど、「国は」で始まる文章は責務ではなく権限が書かれている。幼児教育(第六条)のところではこうだ。
国は、幼児の心身ともに健やかな発育を期し、幼児教育の大綱的基準を定める。

 なんでここまで国が口を出すんだ。たかが統治機構だぞ。全編こんな感じで、新法案ではすべてを国の管理下に置こうとしているように読める。

 ああ、ところで「我が国の豊かな文化や伝統に立脚」するらしいけれど、伝統にのっとれば、我が国の学問の神様って天神様だよな。こんな学問が権力の下につくような法案を作って、道真公が黙ってるかね。雷落とされないようにね。

HOPE/遊佐未森

 彼女のアルバムの中ではこのHOPEが一番好き。私の大好きな「夏草の線路」が収録されていることもあるのだけど、曲にはずれが無い上に、アルバムとしての完成度も高いと思う。
 このアルバム、どこか小説のようなイメージがある、導入部の「Forest Notes」の後に、彼女の世界に引き込んでゆくように「雨上がりの観覧車」「いつの日も」「雪溶けの前に」と続く。インターミッション的な「ホリディ・オブ・プラネット・アース」をはさんだ後に、アップテンポな「夢をみた」「午前10時午後3時」で盛り上げた後、「君の手のひらから」で一旦ためてから、クライマックスは「夏草の線路」。
 そして、「エコー・オブ・ホープ」で終わったとおもったところに、エピローグの「野の花」がかかる。
 視覚的なイメージが中心だと、映画的と感じるかもしれないけれど、それとも違う。別にストーリーが浮かぶというわけではないのだけどね。

MacでWindows

 エイプリルフールじゃないよね? アップルからMacにWindowsXPをインストールするためのツールBootCampが発表されてます。これを使ってインテル搭載MacにWindowsをインストールすると、起動の時にMacOSとWindowsを選べるようになるというもの。今は開発途中のベータ版としての公開だけど、時期OSでは標準機能としてリリースする予定らしい。

 まさかアップルが自分からこういうのを出すとは思わなかったなぁ。切り替えるには一回立ち上げ直さないといけないところが面倒だけど、次期OSではもしかしたらそのまま二つのOSを走らせることが出来るかもしれない。そんな噂もあるんだ。

 複数OSが走るというのは次期Windowsでも搭載されるとかいう話もあるらしいし、こうなると、もうOSがどうとかあんまり関係なくなるのか。

 今はMacだと使えないサービスが結構あるから、こういうのはちょっとうれしい。あ、いやその前にインテルMacを買わないといけないんだけどね。

さよなら、魚をありがとう

 この曲は、映画「銀河ヒッチハイクガイド」の主題歌。地球で二番目に頭のいい生物であるイルカが人類に別れを告げる歌なのだ(なお一番頭のいい生物は人類ではない、人類は三番目)。
 あっけらかんとした明るい曲にあわせて、見も蓋も無い歌詞を高らかに歌い上げる。いや、この歌大好きなんだ。落ち込んだ時に聴けばきっと元気が出るであろう(笑)

 映画の方はいかにもイギリスコメディという、人を喰ったギャグ満載。モンティパイソンとか好きだったらはまると思う。映画館でも観たのだけど、実は最近DVDが発売されたので、今日買ってきて見直してたところだった。このDVD、特典映像などのメニューの中に、「無限不可能性ドライブ」という項目がある。これ、物語の中にある宇宙航法なんだけど、それと同じでDVDのどこに飛ばされるか分からないという人を喰ったメニューだったりする。(私はいきなりエンドシーンに飛ばされてしまった)

 映画の元になったTVシリーズもDVD化されている。そっちも観てみたい。

30周年

 今日4月1日はAppleコンピューターの創立日(といってもまだ現地は3/31
)。今年で30周年になる。パソコン黎明期から今までずっと、世界に影響を与え続けてきた。なにかと比較されるマイクロソフトに比べれば、シェアの数字は小さいが、存在感の大きさでは負けてないと思う。何か普通では考えつかないようなことをやってくれそうな期待を持たせる会社だ。
 最近はiPodが好調で、このままiPodの会社になってしまったらどうしよう、とか思わないでもないけれど、コンピューターのほうでもわくわくするものを作って欲しい。

 30周年を記念してなにか製品発表があるのでは? という噂があるけど、どうだろうね。ここ数日では目立った動きは無いから空振りかもしれない。(これで本当に何かあったらすごいけど)
 20周年の時には限定生産の記念モデルが発売された。高すぎて全然売れなかったけど(^^;

 三十周年記念ということで、もうあちこちで紹介されているけど、スタンフォード大学でのスティーブ・ジョブズの卒業祝賀スピーチ
 これを読むとAppleが愛される理由が少しわかる。