Posted: 2009.01.18 (Sun) by うちゃ in
意見など
とは言っても、六十年以上前の話で、私はまだ生まれていないし、今この街を歩いても、そのときの被害を思い起こさせるものはほとんど残っていない。だけどそれは確かに起きたことだ。
「東京大空襲」と固有名詞で呼ばれる場合、大抵の場合、1945年3月10日の空襲のことを差す。このときアメリカ軍は東京の下町、人口密集地に対して焼夷弾攻撃を行い、女性や子供を含む多くの民間人に犠牲者がでた。その数は死者・行方不明者だけでも10万人以上と言われている。
明らかに民間人を直接ターゲットにした攻撃であったが、アメリカの言い分は「日本の軍事工場の生産力を削ぐ」 家族経営の零細工場が多かった日本の工業力を削ぐためには、人口密集地に存在していたこれらの工場とその労働者を攻撃することが必要だというわけだ。
しかし、日本の都市への焼夷弾攻撃については、すでに1932年の段階でミッチェルによる構想が発表されており、そこでは明らかに都市住民を直接攻撃対象としている。日本を爆撃するにあたって彼の思想が参考にされたことは間違いあるまい。
その上、アメリカ軍は爆撃に先立って、どうすればより効果的に日本家屋に対して火災を起こすことができるかを実験している。わざわざそのために、精巧な日本家屋のレプリカを製造し、各種の焼夷弾を使用して実験を繰り返していた。住民の消火活動を困難にし、逃げ道を塞ぎ、より多くの人間を焼き殺すためにここまでする。書いてるだけで胸くそ悪くなる話であるが。
その結果として、東京下町に大量のナパーム弾、黄リン弾などの焼夷弾がばらまかれることになったのだ。
その非道さにおいて3/10の空襲は突出しているものの、それ以前にも東京は爆撃を受けていた。それは高々度から軍事目標を狙った精密爆撃とされている。だが、この方法でも住民にも被害は出る。都市部への爆撃は、百発百中でない限り必ず住民を巻き込む。これらの被害は「付随的損害」と呼ばれる。本来の目標ではない、と言いたいらしいが、それはやはり言い訳でしかないだろう。「付随的」という言葉はあまりにも欺瞞に満ちている。
一方で日本は空爆に関しては加害者でもある。5年半もの間重慶に対する爆撃を続け、死者は6万人以上とされている。だが、これに対して「どっちもどっち」などというイカれた感想を持つ気にはなれない。いかなる理由があろうとも、こんな戦争は許されざるものだろう。戦争と言いながら、やっていることは虐殺でしかない。
幸いにして、今はおおっぴらにこんな非道な行為はできなくなっている……と言いたいところだが、かつて猛威を振るった焼夷弾のうち、
黄リン弾(白リン弾)は煙幕弾という名目で今も使われ続けている。そして、なぜか日本では、使用している側の「煙幕弾である」という言い訳を強化しようとしているとしか思えないようなことを言う人間も多い。
彼らはかつての悲劇を忘れてしまったのだろうか?