Posted: 2007.03.07 (Wed) by うちゃ in
意見など
前回のエントリーの続き。本当は追記として書きたかった部分だが、ちょっと文章にまとめきれずに断念した部分と、さらにkeatzchenさんのコメントに関する追記を含んでいる。
なお、最初に断っておくけれど、私は史学に関しての専門家ではない。これから書くことは、Apemanさんたちの行なっていることをずっと見てきて、「こういうことだろう」と自分なりに理解した内容である。もしかしたら考え違いもあるかもしれない。そういう部分には容赦なくツッコミを入れて欲しい。
まず、史料批判について。証言を嘘と決めつけられたと感じていたようだけど、前のエントリーのコメントでも書いたように、それは誤解である。よくApemanさんの文章を読んでもらえば判るが、証言そのものを嘘と断定することは、注意深く避けている。
もしかしたら史料”批判”という言葉が誤解を生んでいるのかも知れない。なにか、証言のあら探しをするというように受け取られているのではないだろうか。私は史料批判というのは砂金取りに譬えられるのではないかと思っている。一見、砂利と泥しか無いように見えても、史料批判というふるいにかけることによって中に含まれている真実を見つけることができる。砂利と泥にしか見えないからといって捨ててしまうのも誤りだが、ふるいにかけずにそのまま提示しても価値がないのだ。
だから、あやふやであっても広く証言を求める、ということと、それらの証言に適切な史料批判を行なう、ということは両立する。いやむしろ、両立させて始めて証言が生かされると言ってよいだろう。
続いて、私やnomisukeさんが問題にした「2桁や3桁は許容範囲の中」という発言について。これは犠牲者の数についての発言であれば言語道断である。
確かに「たとえ一人であったとしても虐殺は虐殺であり、数の問題ではない」という言い方は、”価値判断”としてはありうるし、私もその立場は支持したい。しかし、事実認定として「2桁や3桁の違いは許容範囲」とはとても言えない。南京事件の犠牲者数については、各研究者のあいだで推定数に幅があることは事実だが、それは事件の全体像に関してのものであり、その幅も数万から20数万以上と言う幅である。ひとつの証言の中で2桁も3桁も数が異なっていては、事実そのものが疑われてしまう。
研究者によって推定犠牲者数に幅があるのは、各種の要因があるのだが、ここでは省略する。きっと誰か(誰か?)が補足してくれると思う(笑)
というわけで、
Apemanさんが指摘しているように、
kaetzchenさんのエントリーのような形で「南京大虐殺はあった」と主張してしまうことには問題がある。適切な史料批判がされていないために、否定論者が付け入る隙が出来てしまっているんだ。
では、否定論に対峙するにはどうしたらいいだろうか? これには、正しい知識を知っておく、ということが一番である。もっとも、正しい知識と言っても専門家でもない人がそこまで詳しく知る必要もなく、新書1、2冊程度で充分である。実はほとんどの否定論者は、トンデモ本程度しか読まないのか、基本的な知識すらおぼつかないというのが実情である。
よく言われている「20万人しかいないのになんで30万人も虐殺できるんだ」とか「証拠写真って捏造なんでしょ?」なんてのは、「おいおいまたかよ、ちっとはまともな資料にあたれよ」ということで終わってしまう話なんだ。
参考図書としてはゆうさんの
このページにあるものを一つか二つ選んで読んでおけば、まず一般常識としてトンデモ否定論程度のものには対抗できるんじゃないかな。
それでもしつこく粘着されてしまうようなら、
Apemanさんとか
青狐さんとか、ずっと否定論と戦っている人たちに振ってしまうのも一つの手である。もっとも、なるべく多くの人に前述した一般常識レベルが浸透してくれればトンデモさんたちも今みたいな大暴れは出来なくなるだろう。
さて、だいぶ長くなったので、ここらで終りにしたい。なお、このエントリーだけど、前のエントリーともども、Kaetzchenさんの元記事の他に、そこにトラックバックを送っている方のエントリーに対してもトラックバックを送らせていただいている。
これは、共同声明に賛同したものとして、Kaetzchenさんの書かれた記事には問題があることを知らせたいということと、賛同者として名前を連ねることの重みについて考えて欲しいという期待をこめてのことだ。
(前回の記事については、どうやらKaetzchenさんによってトラックバックを削除されてしまったようだ。もしかしたら、個人攻撃ともとられるようなコメントが入ったことが原因かも知れない。例のコメントについては今回の件とはまた別の話であるので、削除させてもらった。よければ再度のトラックバック受付を検討していただきたい。)