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答えが出ない問題

 こちらのブックマークで話題になっているこの問題。

あめが同じ数ずつはいったふくろがいくつかあります。あめぜんぶの数は
8×5の しきでもとめられます。
つぎの中で正しいものには○、正しくないものには×をつけましょう。

あめのふくろはぜんぶで8つあるね。
あめは1ふくろに8こずつはいっているね。
あめのふくろはぜんぶで5つあるね。
あめは1ふくろに5こずつ はいっているね。

 ブクマではいろいろ言われているけれど、この問題、素直に解こうとすると答えられません。問題文の中では8×5という数式しか情報として与えられていないので、ここから袋一つあたりのあめの数と袋の数を読み取ることはできないのです。数式を立てるときに、(袋一つあたりのあめの数)×(袋の数)と考えて式を立てましょう、とは言えたとしても、その逆は自明ではありません。かけ算の式にはそんなルールは無いので、書かれていないことを読み取ってはいけないのです。

 ですから、設問として書かれている文章はどれも真偽を判定できません。判定するための情報が得られていないのですから、この問題に対する論理的に正しい回答はどの文章も正しいか正しくないかわからない、ということになります。

 これ、問題文を正確に理解し、かけ算の式についての正しい知識を持って論理的に考えると、答えを出せなくなるんだから、問題を出された子供が混乱するのはあたりまえで、国語の問題ですらない、というのは正しい意見です。

 回答可能にするためには問題文を

あめが同じ数ずつはいったふくろがいくつかあります。あめぜんぶの数は
(ふくろ一つあたりのあめの数)×(ふくろの数)と考えて、
8×5の しきでもとめられます。

と改変しないといけないのですが、これじゃ間違える人はいないと考えたんでしょうね。どう考えて式を立てたのかという部分を省略してしまい、問題として成立しなくなってしまいました。

自炊代行の潰し方

 年末に出版社と作家が自炊代行業者を訴えたというニュースがあった。以前から自炊代行を問題視していたので、実力行使に出たというところだろう。確かに現行の著作権法ではかなり黒に近いグレーではある。出版社としては代行業を使わない自炊も規制したいところだろう。自炊によってできる電子データは複製自由なので、流出すれば出版業に悪影響があるし。
 しかし、こんなことしなくてもその気になれば自炊代行業なんて干上がらせるのは簡単なんだけどな。なんで自炊代行なんてものが商売として成り立っているのかって言えば、紙の本を電子化するのがとても面倒だから。だからこれを出版者自身が商売としてやってやればいい。手持ちの本を送ったら電子化してくれるというサービスを始めればいいんだ。いったん電子化してしまえば、あとはほとんど手間かからないんだから、原価はかなり安くできるだろう。
 買い手からしたら、いくら電子本が便利だからっていっても、紙で一回買った本をあらためて同じ値段で電子本で買い直すなんてやりたくない。でもこれだったら金払ってでもやるやつはいるだろう。だから自炊代行なんてのが商売になってるわけだし。

 で、これってたくさん本を買ってるひとほど使いたがるわけだから、出版社に取っては優良顧客情報が集まるわけだよね。ついでに、現在、自炊によって発生している野良電子データを減らすこともできる。自分のところで管理できるんであればDRMをかけるなり、個人を特定できる情報を埋め込むなりといった対策が取れるわけだし。

 もっともこれを始めるとブックオフで買って送ってくるのもいるだろう。ちょっとまずそうに思えるが、これって新古書市場に出回ってる分をユーザー側で自主的に回収してることになるから、トータルで見れば損にはならないだろう。

 今の出版業界は客を泥棒呼ばわりして反感を買った音楽業界の過ちを繰り返しているようにしか思えない。それじゃだめだよ。iTunes Storeが成功したのは客を信頼したからなんだけどね。

笑えない喜劇

 最近は少し落ち着いているようだけど、昨年の終わりに韓国の日本大使館前に元慰安婦をかたどった平和碑が作られたことで、慰安婦問題について触れられることが多くなっている。ところで、今から5年ほど前、2007年にも同じようなことがあったことを覚えている人はどのくらいいるのであろうか?
 このときにのきっかけはアメリカ下院で対日非難決議案が提出されようとしたことであった。そして、それに反発した当時の安倍総理をはじめとした保守勢力がいわゆる強制連行を否定した。だか、結局彼ら保守勢力の主張はまったく受け入れられることが無かった。それどころか逆に大変な反発にあい、当初は少なかった決議案の賛同者は増え続け、さらにアメリカだけでなくヨーロッパや台湾にまで飛び火することになる。最後には日本の見方をしてくれる国などいなくなってしまった。(当時の海外メディアの論調)
 
 では、これだけの非難を浴びた後、日本は何をしていただろうか。事実を列挙してみようか。
1. 池田信夫のように、デタラメな否定論を唱える人間は頻繁にメディアに登場するが、その対抗言論が人目に触れられることは皆無に等しい。(専門家の間では否定論など相手にされていないというのに。)
2.慰安婦問題が取り上げられるたびに、元慰安婦に対して、「嘘つき」「金目当て」という中傷が行われる。中には在特会のように暴力行為に及ぶものもいる。そして産經新聞のようにそれらを助長するメディアがある。(慰安婦たちの集会を反日集会と呼び、出席した政治家を反日政治家と、まるで法を犯しているかのように扱う)
3.日本国からの謝罪として一定の評価を得ている河野談話を撤回しようとしているものもいる。
4.そしてこれらすべてのことについて、日本政府は事実上なんの対策もとっていない。それどころか公職にある者の中にこれらに同調、あるいは率先して主張している者がいる。

 これらはすべて、戦時性暴力被害者に対する二次加害であり、深刻な人権侵害そのものである。戦時中の問題に対してはすでに決着済みだ? 何を寝言を言っている。今現在進行中だよ、なぜ5年前に世界中に呆れられたかわかっていないのかね。

 二度目は喜劇、とは言うが、酷過ぎて笑えないよ。

マクロスF(フロンティア)

 あけましておめでとうございます。
 年も改まったことだし、久々にブログ再開することにした。
 再開一発目のエントリーがアニメの感想(しかもいいかげん周回遅れ)なんだけど、まあ気にしないことにしよう。

 簡単に作品紹介すると、恒星間移民船団を舞台にしたSFアニメで、マクロスシリーズの最新作。2008年にTVシリーズが放映され、2009年と2011年には劇場版が公開されている。シリーズ共通の要素である「歌」「三角関係」「可変戦闘機」は変わらず。今回はランカ・リーとシェリル・ノームというタイプの異なる二人の歌姫がヒロインとなっているのが特徴になっている。
 作品の性格上、すべての歌は劇中キャラクターによって歌われているという設定である。そしてダブルヒロインにしたことで曲の幅が広がった。
 もともと歌が重要な要素になっている作品なので、そこに魅力が無いと物語の説得力が無くなってしまうのだけど、それはまったくいらぬ心配である。質も量も圧倒的と言っていい。これはキャラクターに魂を入れたスタッフ/キャストの功績だろう。音楽担当の菅野よう子さんの力はもちろん大きい。大量かつハイクオリティな楽曲提供にはどこまで突っ走るんですかあなたは、と聞きたくなるほど。それらを歌っているのが劇中のランカと歩調を合わせるように成長していった中島愛、そして銀河一の歌姫という無茶ぶりに抜群の歌唱力で答えたシェリルの歌役であるMay'n。この二人放映当時まだ10代なんだよね。凄いなぁ。
 それだけではなく、作中設定にあわせるように実際のライブも行われているおかげで、SFアニメーションという完全に絵空事の世界であるにもかかわらず、やけにリアリティがある。後追いで見ている私でもそう感じるのだから、当時リアルタイムで見ていた人に取ってはより強いだろうな。
 
 というわけで昨年の秋からすっかりはまってしまった。歌われている曲はそれぞれマクロスFという作品を離れて単独で聴いても名曲ぞろいなのに、それに加えてストーリーに絶妙にからんでいるため、作中で曲がかかると盛り上がり方が半端ではない。おかげで本編を見るとサントラが聴きたくなり、サントラを聴くと本編を見たくなるという無限ループに陥ってしまう。

 まあ、あまりにも二人のヒロインが魅力的なおかげで、ちょっと主人公が割を食ってしまっているというところはあるのだが、それでもおすすめ。一応劇場版は独立して観ても話は完結しているので、そちらだけ見るというのもありではあるが、やっぱりTVシリーズから順番に見た方がより堪能できる。いや、バンダイの回し者とかじゃないですよ?