勇ましき魚
捕鯨は文化って言うけれど、でも日本って国は「全ての動物は神が人間のためにお作りになったものだから、人間の好きにしていい」とか言い出すような”野蛮な一神教”を信じてる人はずっと少数派だったわけだよね。
それどころか、けものだけでなく虫だとか植物、はては無生物にいたるまでその中に神性を見ちゃうようなアニミズムの国で。さらにそこに仏教経由で”慈悲”だとか”輪廻”なんてものまで入ってきたおかげで、
「たとえケダモノと言えども、むやみやたらと殺しちゃいけない。殺さなくて済むんだったら、なるべく殺さないようにした方がいい」って考えるのが、日本の文化だったんじゃないかな。しないですむ殺生だったらしないほうがいいってね。阿弥陀仏。
そう考えると、もはや日本人にとって必須の蛋白源なんてものではなくなっているクジラ肉をとるために、南氷洋まで殺しに行くというのは、ずいぶんと罪深い話なんじゃないかな。
Apemanさんのところのコメント欄でseiryu95さんが書いているように、
日本での需要が少ないというのは、日本が捕鯨をしない理由にはなっても、捕鯨を禁止する理由にはならない
というのは確かに正論だとは思うんだけど、殺さなきゃならないという、かなり積極的な理由がない限り、殺さなくてもいいんじゃない? というのが正直なところである。
反捕鯨国って、既にクジラのことを水産資源としては見てないと思うんだよね。大型野生動物だと考えているんだとしたら、同じような見方(積極的な理由がなければ殺すことを認めない)という考えになってるんではないかな。
追記:このエントリーを書く気になった直接の動機は、こちらのガイア教の天使クジラの一連の記事を読んだことによる。
確かに、急進派というか過激派の反捕鯨グループに一神教的ヒエラルキー思想があるというのは、多分その通りだと思うが。他方で、南氷洋での商業捕鯨というのは、日本人の伝統的な宗教風土から見ても異質なんじゃないのか? とも思うんだわ。
別にクジラを人間よりも上位に置かなくても、「むやみに殺生をすると仏罰が下る(笑)」という発想は出ないんでしょうか? 日本人にとってはクジラは魚? いやん、そんなこと今更信じてないくせに(笑)
と、挑発的なタイトルを付けながら、実は私も
「ムリに食うこともあるまい」と思っています。
鯨が増えちゃって、増えちゃって困っちゃう~、っていうのならまだしも、そんなこと、ないんでしょ?
(増えてる説もあるけれど、怪しい)。
食いたいから食うじゃあ、世界はもうもたない。
そういった意味では、問題が鯨に絞られちゃっているのはまずいと思っています。
海洋資源全般に関して、世界的議論をすべきじゃないでしょうか?
日本、クロマグロ食い過ぎ。
ところで、日本のいつの時代に南氷洋まで鯨を捕りに行く「文化」があったのかしら?
2008.01.22 (Tue) | gegenga #Tk1SCyj2 | URL | Edit