

ドッジボールと民主主義
自分が見ていた情報番組でドッジボールに全員参加した方が良いという意見が6割強で、希望者のみの選択制は4割弱くらいだったわけですが(←数値については若干うろ覚えです)、たぶん6割強の多数派の方には「どうして選択制が良いという人がいるのか」「どうしてドッジボールをそこまで嫌がる人がいるのか」分からない人が多いのでしょうね。
そもそも「全員参加が良い」と思う方のほとんどは、ドッジボールを楽しいと感じている、あるいはドッジボールという競技を普通にやれていた(ボールを取り、投げることができた)方々だと思います。
「ドッジボールは楽しいもの」という前提があるからそれを全員でやりたがり、ドッジボール自体を否定するような意見に反対するのだと思います。
ですが、その多数派の方々の中に「本気でドッジボールがイヤでイヤで、狭いコートの中でボールから逃げ回る時間を地獄の苦しみだと感じている人間が世の中にいる」ということを理解している人は、どれほどいるのでしょうか。
人間、体格にも運動能力にも差があります。
ドッジボールを楽しむどころではない、飛んできたボールをとれない、ぶつかることしかできない子どもだっているんです。
そういう子にとってドッジボールの時間は、ただひたすら当たらないように逃げ回るしかない苦痛な時間です。
しかもそんな運動能力の低さゆえにターゲットにされたり、避け方がヘンだと笑われたりしたら、子どもの心はズタズタです。
そんなトラウマを抱えるような目に遭い、それを耐えている人間がいるのに「全員参加」を強いるのは残酷です。
多数派の人たちは、「ドッジボールは楽しい」という自分たちの固定観念に縛られていて、少数派の痛みに気づいていないのではないか――そんな風に思ってしまいます。
ですが、かと言って必ずしも選択制が良いとは思いません。
なぜなら、選択制にしようと何にしようと、結局イヤイヤ参加せざるをえない子はいると思うからです。
自分も経験していることですが、授業の空き時間のレクリエーションに何をするか多数決で決めるとなった時、結局は圧倒的人気でドッジボールになるとういこと、ありませんか?
ああいう議論の場で下手に反対意見など出そうものなら「空気読めない」扱いされて、周りから嫌がられるじゃないですか。
そういう感じで周りの空気に流されて「不参加」を言い出せない子は、絶対出てくると思います。
(そもそも学校内のアレコレで悩んで苦しむのはいつも、自分の意見を言い出せない、イヤだと思ってもそれを口に出せない子だと思うのです。)
だからそもそも自分は、「多数決で何でも決めようと思うのが間違い」だと思います。(身もフタもない意見になってしまいますが…。)
民主主義全般に言えることだとも思うのですが、建設的な議論のないうちに多数決で最終的な決定を下してしまったら、絶対なにかしらの禍根が残ると思うのです。
ドッジボールの議論にしても「全員参加」をよしとするなら、「必ず全員が楽しめる」手段を講じることが必須条件だと思いますし、議論において重要なことは自分と異なる意見に耳を傾けることであって、数を多くして自分の側を優位に立たせることでは決してないと思うのです。
ですが、とりあえず、今のこの時代に初めて「ドッジボールは嫌だ」という意見が表立って現れたことに、心から拍手したい気持ちはあります。
きっと今まで、言いたくても言えなかった子はたくさんいるはずですから。
大多数の人が「好き」「楽しい」と言っているようなものにはっきり「嫌い」を言うのは、とても勇気のいることですし。

ドッジボールに「痛み」は必要なのか?
自分が見た番組ではドッジボールを「全員参加でやる」べきか「選択制(?)にして希望者にみでやる」べきかの2択でアンケートをとっていました。
まぁ、そのあたりの2択は今回とりあえず脇に置いておいて…
そもそも自分にとっては「人に当てる」ことを主とするスポーツのボールが「当たると痛い仕様になっている」のはなぜなのか?という、そこからしてまず疑問があるのですが。
そもそもドッジボールを嫌いになるのは、ぶつかると痛いからという理由が圧倒的に多いと思うのですが(←違っていたらスミマセン)。
あのサイズのボールで当たっても痛くなく、もちろんケガをすることなどまるでなく、でもそれなりの性能を持ったものって今の日本のスポーツ用品メーカーの高度な技術をもってして作れないシロモノなんですかね?
と言うか、今までに誰も提案すらしてくれていないものなんですかね?
野球やテニスには、硬球の他に軟球とかのソフトなボールがあったりするじゃないですか。
そもそもスポーツって、本来はケガをしないように細心の注意を払って行うものですよね?
それなのに、小学校の低学年からやっているようなドッジボールは当たると痛いボールを力まかせに人に向かって投げつけるという、そのあたりには矛盾を感じずにはいられません。
ドッジボールに痛みは必要なのでしょうか?
個人的には、ドッジボールは「当たったか否か」が重要なのであって、必ずしも痛い必要はないと思うのですが。
「ぶつかると痛い」という事実に萎縮してしまってボールがとれないという子や、過剰な恐怖心に駆られる子などもいるはずですし、全員が楽しくプレイするためには、むしろ「痛くない」方が絶対に良いと思います。
というわけで、誰かそんな痛くないドッジボール用のボールを開発、もしくは提案して研究をスタートしてくれればいいのに、なんて他力本願に思ったりしているのですが、どうでしょう。技術的にまだ無理ですかね…?
もしも開発に成功したなら、その人はきっとドッジボールの痛みに耐えている子どもたちの英雄になれる!と思います。

ナウ○カのオープニング映像がトラウマ
そもそもあのアニメ、幼い子にとってはちょっといろいろ恐いシーンがたくさんあると思うのですが、中でもあのオープニングの「火の七日間」で巨神兵の群れが槍のようなものを持って歩いてくる映像が子ども心に恐すぎて、当時は絶対に見られませんでした。
なにせ実際、あの巨神兵が出てくるシーンだけ、目を逸らしたり、つぶったりして、かたくなに見ないようにしていましたから

何が、どうして恐かったのかは、未だに説明できないのですが、とにかくある程度の年齢になるまで自分はあのシーンをまともに見ていないのです。
(さすがに現在は普通に見られますが。)

ねこ写真紹介8(スーパーマン気取り?)

バトル・アクションシーンは精一杯ハデに!
ここ(ブログ)ではなくホームページの方で連載している和風ファンタジー小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」(←詳しくはブログ右側の「オリジナル小説紹介」のバナー画像をクリックしてみてください。もくじページへジャンプします。)ですが、作中の戦闘シーンやアクションシーンについては「とにかく派手に!」「スペクタクルな感じで!」を目指して頑張っています。
(と言っても血なまぐさいという意味でのハデさではないのですが。)
小説というメディアは当たり前ですが文字情報のみですので、絵の迫力や「見開きドドーン!」みたいな画面構成で派手さを演出することはできません。
ですので「派手に!」というのは「いかに読者様の頭の中にド派手なシーンを想像させられるか」ということになるわけですが、とりあえずは「的確な情景描写で読者様の脳内にリアリティのある場面を浮かび上がらせる」という方向性で努力してみています。
それと「書けなさそうだから」と妥協せず、難しいアクションや、決着のしかたにひとひねりのある頭脳戦にもバンバン挑戦しているつもりです。(←まあ、あくまで「チャレンジ」なんですが。その結果がどうかは自分では判断できませんし。)
ちなみにアクション・バトルシーンの頻度は1~2章に1回程度(?)で、後半へ行くに従いアクション・バトルの密度が高くなっています。
(次から次へと何かが起こる感じになっているので)
テーマ : 自作小説(ファンタジー)
ジャンル : 小説・文学

気になるネコの本のリスト、作りました。
Amazonのアフィリエイトで「購入する」ボタンの付いていない「画像だけ」も使えるということに最近気づいたので、作ってみたのですが、ほぼ自分のためのリストとなっています。
Amazonでも「カートに保存」したり(ショッピングカートに入れた後、「今は買わない」を選択する)、お気に入りリストに登録するなど、気になるモノを登録しておくことはできるのですが、項目やジャンルごとに分けたりはできないので。
なにより、ネコ本の表紙(しかも自分がピックアップしたもの)がどわーっと一箇所にまとまって載っているのを見るだけで個人的にはうっとりしてしまうので。
こうして趣味でいろいろなページを作りたがるので(なにせWEBページを組み立てること自体が既に趣味のようなものなので)、本来は小説サイトのはずが、どんどん余分なおまけページが増えていっているような…

(おまけにその「おまけページ」の存在にほとんど気づかれていないような…。)
あと誤解しないでいただきたいのですが、小説の方もちゃんと作業してますよ。
今週はちょっと間に合わなさそうですが…。(←だから
あと、ついでに我が家で愛用しているネコ用品(便利なペット用品)リストもアップしてあります。
こっちはちょっと修行が足りなくて、レイアウトが崩れまくっているので、そのうち修正しようと思っていますが…。