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冬の入口で烏帽子山の桜を復習してみようよ

2024.11.25(15:45) 364

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秋のシンボル、コスモスです

11月25日の今日はすでに花は散ってます。そしていよいよ赤湯にも初雪がやってこようとしています。
ということで、今日は春先までフイルムを逆回転して赤湯の桜の名所、烏帽子山の桜の満開を振り返ってみようと思います。晩秋に春を楽しむ、これって頭の健康にいいんでない❕気持ちがフレッシュになってあなたのボケ防止😲にもいいですよ。



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4月15日、本日は何たる良き日ぞや、烏帽子山の桜が満開です。今我が家を出て公園の近くに来ています。

しかしですね、雲爺のスマホには長期に渡り大量の写真が保存されっぱなしになっておるんですが、そのまま構わずにしておりましたので最近は不調を起こすことが多くなりました。なので保存写真の在庫放出を兼ねてブログ化しております。



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天下に名高い、赤湯ラーメンの「龍上海」の前に来てます。今は期待はずれでお客さんは玄関の所に1列だけ列を作っております。何のことはない、偶然通りかかった時などは駐車場の車列の間をぐるぐる巡って歩道まで超長蛇の列が出来るんです。ほんと仰天ものですわ。これって、大東京の名店にもひけをとらんかもです。

天下の味とてどっからか老若男女が集まって来るんでしょうね。味が天下一かどうか、そりゃ決めるのはあなたですばい。



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リーグ戦でおなじみの会場、えくぼプラザから満開の烏帽子山公園を望みます




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赤湯商店通り


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商店通りに接して桜で名高い烏帽子山公園があり、石段がまっすぐに伸びてます。

公園はもともと戦国時代には上野山館という山城でした。この石段は堀切という戦いに備えた大きな溝でしたが明治になってから? ここに石段を設けたのかもしれません。


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石段を中腹まで登りました

南の高畠町方面の眺望が望めます。
烏帽子山は置賜盆地の北の縁に位置していますから南側の眺望が効きます。これと反対に南端に吾妻連峰がありますがこちらは北向きです。北向きは良かおまへんて。



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園内を進む


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明治36年に建てられた石の大鳥居があります。継ぎ目がない石柱としては日本一の鳥居です


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烏帽子山八幡宮

前九年の役、後三年の役で源義綱が陸奥の国を鎮定し、彼はその後陸奥守になり1093(寛治7)年に烏帽子山公園の北東に祠を建て勝軍の長久を祈ったのが起源とされています。1890(明治23)年に現在の山上に社殿を新築遷座しました。長らく平安でしたがここに来て平成15年に不審火で焼失に会い平成17年に新しく再建されました。



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神社の境内にある磨崖碑 烏帽子石(えぼしいわ)

全国でも珍しい巨石の磨崖碑で高さ3メートル、重さ10トンの巨石です。長方形の碑が3面に刻まれています。磨崖碑とは古代から近世にかけて死者の追善や死後の逆修供養を目的にされたものです。


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人出が出てきました



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日光猿軍団のお猿のパフォーマンス



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なかなか好評


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花吹雪が石段に


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立派な古木巨木たち。

古木とはいっても烏帽子山の桜は明治になって植えられましたからまだ百数十年の若木なんです。1000年先に希望ありと地元は期待します。期待っていうのかね1000年つうの。

烏帽子山公園は明治11年(1877)に温泉客向けに桜などの花木を植えたのが始まりです。その後町が2度の大火に遭うなどして公園の拡張活動は困難を極めましたが、地元の有志たちの努力が実り1886年(明治19)に完成しました。
公園を覆うように植えられている「千本桜」は完成時と1935(昭和15年)年に植えられたものがもとになっています。現在はエドヒガンザクラなど25種約1000本が植えられています。ここの桜の特色はエドヒガンサクラが群生していることです。在来種のエドヒガサクラは一本桜では有名なものが多いですが、群生は全国的にも珍しいのです。


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広くてゆったりした広場は戦国時代の郭跡

なんか平成になって以降は往々にして従来のお花見の宴が姿を消してしまっているように思われます。各所に陣取ってワイワイやっている方は姿を消しました。
赤湯の飲み屋街も夜は閑散としています。65歳ぐらいまでですかね、夜の町に流れて行くなんてのは。若い方は飲みに出ることはめっきり少なくなってます。まあもっとも若い方は赤湯くんだりにはおりませんで、かっこよく都会に出てしまってます。昔の宴は日本酒一升瓶ですよ、今みたいにサワーなんての雲爺どこか好かんな。🍶🍢



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イザベラ、バードが赤湯温泉に泊まる予定のところ周りが騒がしすぎて泊まらずに上山へ向かいました。その当時このお花見だったらどうなっていたですかね。


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烏帽子山はそんなに大きい公園ではないですが、場所が高台にあるからそりゃあもう147%絶景だわね


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真っ青な空にやさしく映える花ビラたち

花の命は短くて・・・映えながらも絶えず舞い散っております。
和歌のように、静心なく花の散るらん・・・・ほんまですね



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公園は3つに分かれています。というのは戦国時代の名残で3つの郭があり、このように堀切という通路によって分けられたと思われます。公園化で郭の上に桜が植えられました。

この近くに二色根館という大きな伊達時代の支城があり、上野山館は付帯城としてこの二城で赤湯エリアを防御したのかもしれません。南北朝時代の1380年に伊達氏が置賜の長井氏を侵略して伊達領にしてしまった時などには当然この二色根地区も戦場になったと推測します。そして伊達領になってからはこの二城は一層整備されたと思うと楽しくなってくるのです。二色根館を根城に高畠、川西方面に多くの家臣が配置され、今の市町村と同じようにいたるところに地方の支配館が設けられたのかもしれません。我が生家の小村でさえ地方領主様の舘がありましたからね。こうして伊達氏全体の支配体制が出来上がって行ったのでしょうね。ううーむ、なんか雲爺式勝手流見えて来るなあ😁 


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桜の公園造設を主導した赤湯温泉の有力者、石岡氏の顕彰碑



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酷暑に向かっていたあの頃、時は巡りてここ数日はどんより空が・・・・雲爺は沈んだ気持ちで白い小悪魔の到来を待っています。


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公園の裏手から見てます

上は駐車場になっていて右に急な石段があります。この前ここに駐車しようとした車が下まで転落したとか。どこに危険が待っているかわかりません。


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ここの駐車場はもともと市立のプールがあったところでした。気が付けば赤湯の町もどんどん姿を変えております。当然ですが雲爺のご面相も若い頃とはえらく違っておるわけです。


記事解説は
【南陽市ホームページ、烏帽子山千本桜保存会、JTBの美しき全国観光資源台帳】を利用させていただきました。


11月25日
県南囲碁会事務局  平吹



山形県・県南囲碁リーグ戦


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