1月南陽大会の神髄と囲碁界現況
2025.01.13(16:59)
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あけましておめでとうございます
県南囲碁リーグ戦は今年も元気に活動してまいりますのでよろしくお願い申し上げます。
ここは宮城県松島湾の七ヶ浜です。真っ青な太平洋が広がりサーフィンボーダーたちが波乗りの練習をしていました。
年末から大雪情報が流れるとどこのテレビも早速定番のお天気情報ショーに姿を変えました。安上がりだから待ってましたとばかりに飛びつくわけじゃろうがのう、ムフフ。かたやこちらのリーグ戦ブログも同じマンネリズムは決していばれたもんじゃありません。でも今年は少しは変革スタイルを入れ込んでみやうと思うとります。それは皆様の勲章である段級位の表示をポイントに置き換えるのですよ。
碁も純然たる実力をぶつけ合いう勝負の世界です。そこに存在するのは情け容赦のない力の序列なのです。まあ言ってみれば相撲の番付表と同じですね。力の序列、それをより正しく評価出来るのはポイントしかないと断言します。
あともう一つ、リーグ戦のためや碁について言いたいことは言わさしていただきます。皆さんもコメントどうぞください。すべてが良くなるために。
ジャーン、それでは行ってみませう
Aリーグ
優勝 江川さん 喜多方市 中 4勝1敗 ポイントはプラス6で 次回は380
準優勝 長谷川謙一さん 南陽市 右 4勝1敗 同388
三位 小松田さん 村上市 左 3勝2敗 同プラス2で413
優勝請負人江川さんは13回目の最多優勝。
長谷川さんはお久しぶりに参加されました。もとは日本棋院南陽支部の指導会員でした。実力者が戻ってきましたから一つ二つリーグ戦の活性のためにお力をお貸しいただきとうございます。
Bリーグ
優勝 本田さん 南陽市 中 5戦全勝 ポイントはプラス10で次回は349
準優勝 金子さん 川西町 右 3勝2敗 ポイントはプラス2で次回は304
三位 島津さん 高畠町 左 3勝2敗 同で352
本田さんは遅咲きで2回目の優勝。実力者本田さんは中クラスで長年安定した成績を残されており相撲なら幕内の前頭ご常連と言えます。十両に落ちることなく地位を保つのは着実な力を保持していることを示しています。島津さんは最近は350台に乗せて安定した成績を残しています。昨年はカラオケの成績も良かったのかなあ、それが碁にも反映しているんかいな、島恵さんよう。
しかしなんですなあ、リーグ戦のシステムからすれば優勝ってやつは単なる結果であり飾りものなんですよ。リーグ戦の本髄はポイントにあるんです、お分かりですかご覧の皆さん。まあ言ってみれば成績でみんながおいしいと思うのは4勝1敗だしょうけど、これをポイントが実に見事に分析して+6点を導き出すのです。これがあなたの力の一部になります。段級位なんて架空と思ってください。それにとりつかれる方は徳川時代のお殿様でしょうかね。段位は勲章として目安として残しとけばいいんでないですか。「俺は何段だ」は心の奥に終いませう。
事務局
いやあ、今回は事務局平吹が皆様にご迷惑をおかけしました。案内のはがきに会場を間違えていつものえくぼプラザとしてしまい、後でメールで冲郷公民館・防災センターに訂正したんですがやはりえくぼに行かれた方が出ました。
1月12日 第107回の南陽大会
天気は悪くないんですが気温が上がらない日でした。インフルエンザ、コロナが結構流行っていて気を付けなくてはいけません。冬場での冲郷公民館は経験がなく湯沸かしではいろいろ迷い、結局湯沸かし室を使いませんでした。
参加者は予想をしていましたが過去2度目の最少20名。前回はコロナの年だったけど通常期では初めてですよ。20名台は今年度もう4回目です。これは厳しいですね、韓国みたいに非常事態宣言をセナいかんですかな。
A 加藤さん 対 江川さん
雲爺は江川さんにはよく電話を差し上げてリーグ戦や県内情報などいろいろお話します。事務当局としましてはいろんな悩みは尽きません。なんでもそうでしょうが良くしよう良くしょうと常に思うわけですからね。当局者だけが持つ辛さは人にはなかなかわかりませんよ。会社の社長と同じです。
A 長谷川さん 対 船山さん
長谷川さんは千葉大学の囲碁部出身とお聞きしていました。雲爺は参加者対策で何年か前にご自宅にお伺いしてリーグ戦のお話をしました。本人にはその時に初めてお会いしました。昔私どもの会の指導会員でしたので恐れ多かったですしお年も上の方と思っていました。ところが雲爺の方が上のようでした。指導者だものお強いですし雲爺の若い頃は周りはほとんどが初段か級クラスの方ばっかりで上に立つ方は雲の上の存在でした。でもあの当時長谷川さんにお会いしたことはありません。あれから幾星霜、雲爺も長谷川氏もお年をお召しになられとります。「囲碁こそ我が人生なれ」です。
A 橋本さん 対 小松田さん
橋本氏ここのところ好調でポイント410で臨みました。結果-2点で次回は408。望むべくは+6点ぐらいになれば416になってたんだがのう。こりゃ大変なレベルであるですよ。現在の九段の平均基準点は402をキープせなあかんのですから橋本さんは今のところ九段です。そしてこれをキープするのだって大変なんですが、こうなったら遠慮せずさらに上を目指してもらわんといかんなあ。対する小松田さんは411が+2点で413に。さすが実力者です。望むべくは420台ですな。420台はおりませんで、その上は狩野さんの431、そしてその上に君臨する太田尚吾氏と鳴海晴康氏の453。何つうかこの辺に来ると東北一ですしもうプロクラスです。ちなみに453は十三段に匹敵します。雲爺クラスでは恥ずかしながら100点違うんです。こうなりゃ盤上には9つの黒石を置かさせていただくことになりますのじゃから、もう米つきバッタ同然よのう 🤪
B 仲田さん 対 本田さん
決勝戦でしたが本田さんが勝って全勝を飾りました。
A 船山さん 対 工藤さん
若手工藤さんそれなりの高い壁にぶつかりこのところ思うようにポイント伸びていません。早く400に乗せろと言ってるんだが甘いもんじゃないのです。人のことは言えないわね、雲爺だって必至こいても簡単ではないです。
昼めし
B 石上さん 対 片倉さん
B 本田さん 対 佐藤さん
今回対戦中に起きたトラブルがあります
◎石を打つ腕の袖が盤上に触れて打った石が動いたトラブルがありました。これはよくあることで本当に注意しないととんでもないことになります。基本的には反則行為で即負けになりますから皆さん気を付けてください。特に冬時分は厚着になりますから要注意です。
◎もう一つ注意していただきたいこと。今回靴をはき違えた方おります。白鷹の船山さんのをはき違えたようです。お分かりの方は船山さんに電話してください。tel 070-6948-8793
来月のリーグ戦は南陽大会です
2月11日・祝 冲郷公民館・防災センター 受付9時から 開始9時45分から。
予定しておりました太田尚吾九段対鳴海晴康九段の対戦は5月3日・祝 に延期変更になりました。
3月大会は3月2日・日 白鷹大会です。
くどいようですが県南囲碁会の神髄はポイント制です。伝統的な仲良しクラブは卒業してインフレ段位は過去のものにしてほしいと切に思います。昨日、どすこい研究会という相撲の解説番組を見ました。突き押し編の内容でしたが今までで一番面白かったです。相撲の基本は突きに押しなんです。すごいぶつかりは体を張った男の勝負でまさに囲碁も同じです。ポイントはごまかしは許しません、男の勝負はポイントにありだなあ。
お知らせの通りここのところリーグ戦の参加者が減少しています。皆さんのリーグ戦に対する一番の貢献は参加していただくことです。なにとぞよろしくお願い致します。
1月13日
県南囲碁会事務局 平吹
山形県・県南囲碁リーグ戦
伊達政宗公ゆかりの地を巡る会員研修・たかはた伊達の会
2024.12.25(20:10)
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たかはた伊達の会主催のバス研修旅行、今回は「伊達政宗公ゆかりの地を巡る会員研修」です
11月30日、今回は福島県北部、宮城県南部を目指します。
たかはた伊達の会は戦国の雄、伊達氏の歴史を勉強し楽しむことを目的に毎年活動を行っており、雲爺にとっては今年最後の研修でした。それにしても今年はずいぶん研修に行きましたね。たかはた伊達の会を始め、高畠町文化財保護会、県立うきたむ風土記の丘考古資料館、高畠町郷土資料館などに入会してますのでかなりハードでした。齢80も目前となれば第4コーナーに差し掛かったと見て不思議ではありませんから、好きなことを学ぶことが我が道と心得たのです。生涯学習は雲爺の早めの終活なんじゃよ。囲碁と歴史、この心棒が出来てからは気持ちにズレが無くなった気がしています。後は南無八幡大菩薩様だしょうぞ 🈳
参加者は島津会長以下17名、高畠駅からマイクロバスで高速を走ります。冬に入り天候はベストとはいきませんが旅行はやはりいいもんですね。途中大笹生のインターで休憩しましたけど雲爺は知らなかったなあ、ここに福島市の道の駅が出来ていることが。
最初の見学地は桑折町の山城、西山城。そばにガイダンス施設・大かや園があります。
館内に展示物があり島津会長からレクチャーです。
島津会長は知らない方がいないほど有名な方とお聞きしています。又昔の街道や文化財などのエキスパートでもあられます。
たかはた伊達の会には雲爺が生まれた村の女性の先輩と従兄が同じ会員になっていて今回の旅では一緒になりました。人は人生を巡り巡って再会するものなんですね。
施設の前には日本一の大きさを誇る大カヤの木があります
根元から出土した鎌倉時代の陶器や火葬した身分の高い人骨が出てきました。当時の貴人の墓標として植えられたのかもしれません。 【記事は桑折町パンフレットより】
桑折西山城跡 【絵図は大カヤ園の展示物より】
山城、西山城は14代稙宗が前例のない陸奥国守護に任じられ、名実ともに奥羽随一の大名となりました。守護が政治を司るところとして、奥羽最大の大名の居城として交通の要衝である桑折に築きました。本丸、二の丸、中館、西舘があります。【記事は桑折町パンフレットより】
本丸に建てられた本丸御殿の復元図 【画像は大カヤ園の展示物より】
伊達氏が政治を執り儀式や接待を行った特別な御殿とみられます。ここで学校で教わった有名な分国法「塵芥集」に伊達稙宗と12人の宿老が署名し、発布したとされています。
雲爺は今回本丸には行きませんでした。2021年5月のブログで報告してますのでそちらをご覧ください。
西山城出土品
城跡からは宴会で使った「かわらけ」という素焼きの土器や陶器皿、中国の焼き物などが出土しています。
これは宴会の最初に行われた儀式の再現です。
右上の大中小のかわらけで酒をいただき、縁起物の昆布、干鮑、栗を食べました。現代の三々九度にこの儀式の名残があります。この後宴会が続けられましたがそれは非常に政治的なものでした。(大中小のかわらけ以外は現代製品)
【画像、記事は大カヤ園の展示物より】
甕 【画像は大カヤ園の展示物より】
火鉢 【画像は大カヤ園の展示物より】
中館、西舘
この2か所は西山城が廃城になってから戦国時代末期以降に戦闘用の砦として再構築されたと思われます。【画像は現地の案内物、記事は桑折町パンフレットより】
西舘の巨大な土塁と枡形虎口を望む
ここは西山城の西端にあたります。その出入り口に敵の侵入を阻む枡形虎口と土塁が築かれています。それにしても偉い高さの土塁だなあ。なんや、梯子が架けられたるやないか。こんなの今まで見たことないぞ。
戦闘用に再構築されたとあるからそういうことなんだな。戦国期も末期の頃はますます防備が強化されたんかなあ。政宗、秀吉どちらも天下取り意識に燃えておった頃でどちらが先に駆け着くかなんて。物騒、物騒、くわばら、くわばら・・・・
こんな梯子架けてからに、もう目が回るでないの・・・🙃
はは~ん、なるほど 枡形虎口と土塁がつながっとる。
こうして上から見るとえらくでかい枡形虎口じゃなあ。もうがっつりした鉤型になっているから入ったら最後、袋のネズミやぞ。上から鉄砲撃ち放題だわね。
どこから見てもかっこいいとしか言いようがない。
西舘と中館の間の大空堀
えらいこっちゃのう、この溝にはまってみい、蟻地獄でとても登れんぞ。上から弓矢と槍が来るわね。時代は450年経過したとみれば、堀はずいぶん埋まるじゃろうし、当初はもっと深い空堀だったであろうな。それにしても不思議だよなあ、こんなくぼみなんか自然の変化の中に消滅しそうなもんだがよく残るもんだよなあ。
雲爺みたいな観光客向けに地元ではこうして木を切り草を刈ってくださるから空堀の姿形がわかるんじゃ。ご苦労様でありがたいことだなあ。歴史観光行政は力を入れてるところいないところと差があります。恥ずかしながら雲爺の所の二色根楯なんてもう熊さんもあきれるほどにバシバシ荒れ放題になっているからね。西山城は奥羽最大大名の居城だったんだからその辺からしてものが違うわな。
中館から二の丸、本丸方面を望む
本丸へ続く大手道
研修で次に訪れたところは 陣場山館跡から見た白石城方面
【画像はグーグルマップより】
関ケ原合戦直前の慶長5年(1600)7月24日に家康側であった政宗は西軍側である上杉家臣の甘粕備後守清長の守る白石城を攻め落としたのですが、その時の本陣を構えた所が陣場山館でした。この地は白石城を真南にし、周囲の眺望もよく好位置にありました。手前は白石川で向こうに白石城を見渡します。
白石城を落とした政宗は旧領地奪回を図りましたが、南部での一揆扇動を家康に疑われ百万石のお墨付きを失うことになります。代わりに得た北部領地は荒れ地として活用は容易でなく仙台藩の大大名になるにはかなりな期間を経なければなりませんでした。
陣場山入口
世良修蔵墓所への石段
世良修蔵墓所
世良修蔵って知らなんだったな。世羅公則みたいな古いポップ歌手ならなんとなくわかるけどね。
世良修蔵は戊辰戦争で奥州鎮撫監督府下参謀となり、会津藩討伐を主張するも、新政府軍方への密書の内容に激怒した仙台藩士によって暗殺されました。その死によって、当初受理されていた会津藩の除名嘆願が撤回され、会津戦争で徹底抗戦される原因となったとされています。密書は世良修蔵を悪者にするために会津藩が手を加えた偽手紙であるなどの説もあります。
墓碑には為賊とされました後に大赦が降り白石町庁で削除しました。
【記事はウィキペディアより】
最後の訪問は片倉家御廟所となっていましたが、変だな、今回はここは行かなかったと思われます。代わりに片倉喜多御廟所と田村清顕公御廟所を回ったようでした。
雲爺は囲碁の大会の遠征で白石市方面にはよく出かけますが、国道113号線を通るといつもこの看板を見かけます。とても気になりますが時間の余裕がなくいつもスルーしていました。【画像はグーグルマップより】
片倉家廟所 【画像はweb白石市宮城の旅より】
ということでここはパンフレットで訪ねてみます。
片倉家初代当主片倉景綱は通称小十郎を名乗り代々の当主も同様に名乗りました。
弘治三年(1557)米沢市成島の現在の成島八幡神社とされる八幡宮の神職・片倉景重の次男として生まれました。生母は本沢直子。両親は幼い頃に相次いで亡くなり異父姉の喜多は親代わりとなりました。彼女は文武に通じ兵法を好み景綱に講じたといいます。景綱は喜多の教化を強く受け育ちました。
伊達政宗の近侍となりのち重臣として重用されるようになります。政宗の主要な戦いの大半に参加して有能な軍師として伊達氏の危難を救っています。小田原征伐に際しては豊臣秀吉に参陣を決意させました。【記事はウィキペディアより】
10体の石造阿弥陀如来坐像が並んでいます。初代景綱公から十代までの当主の墓標としました。内一体は仙台藩主の息女であり城主同様に葬られています。
【画像、記事はweb白石市宮城の旅より】
喜多の墓所
片倉喜多は天文7年(1538)伊達家家臣・鬼庭良直の一人娘として生まれました。母は本沢直子。母は離縁し片倉小十郎景綱の父片倉景重に嫁ぎました。したがって喜多と小十郎は義姉弟です。
伊達政宗が生まれると乳母を拝命します。ただし喜多は独身であったことから実際は養育係であったと見られ、政宗の人格形成に強い影響を与えたとされています。政宗に嫁いできた正室の愛姫付きとなったらしく、後に豊臣秀吉の人質となった愛姫とともに京へ上洛し伏見の伊達屋敷に奉公しました。秀吉にも拝謁し、秀吉は喜多の才を愛し「少納言」と賞揚したといわれています。【画像はweb白石市宮城の旅、記事はウィキペディアより】
喜多の墓までの途中にある観音堂
田村清顕公の墓所
喜多の墓から約70m離れた場所にひっそりとある田村清顕(きよあき)公の墓。そばには宗顕(清顕の養嗣子)・定広(宗顕の縁故者)の墓も建っています。田村清顕公は伊達政宗の正室・(愛姫)の父で、三春城主(福島県三春)です。田村清顕は坂上田村麻呂の後裔といわれ、伊達政宗に娘(愛姫)を嫁がせ強固な姻戚関係を結び戦国時代には広く名を知られた武将でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めに宗顕が加わらなかったため領地を没収されてしまいました。
その後暫くは伊具郡金山(現丸森町)に隠れ住んでいましたが、陽徳院(愛姫)に招かれ二代城主片倉重長に召し抱えられました。定広は重長の後室の妹で真田幸村の娘、阿菖蒲を妻として片倉氏に改姓しました。この墓所の一角には「真田左衛門佐幸村御墓」と標識とともに刻銘の無い一基の自然石があります。当時、幕府をはばかりながらも、幸村の霊を慰めるために建てられたものといわれ、付近には真田家ゆかりの家と伝えられているところもあるそうです。
【記事はweb白石市宮城の旅より】
結局歴史は証拠物が有力な手掛かりとなるわけで、墓はその最たるものの一つです。でもやはり墓となればいつも空振りしているようなストレスはありますね。出土品でも当時の珍しいものや特別なものが出てくればわれら現人はもっと歴史に惹かれるでしょうが。結局歴史というものは灰色だから年寄じみてとっつきにくいものであることは致し方ありませんな。
12月26日
県南囲碁会事務局 平吹
山形県・県南囲碁リーグ戦
リーグ戦変更のお知らせ
2024.12.23(19:09)
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山形県の百低名山、山形市の大岡山 401m
リーグ戦変更のお知らせ
先にメールでお知らせしていますが
1月12日のリーグ戦の会場はえくぼプラザから沖郷公民館防災センターに変わりました。
2月11日のリーグ戦で岩手県の鳴海九段が太田尚吾九段と対戦する予定になっていますが、現在は鳴海氏のご都合に不明な所があり確定にはまだ時間を要する状況にあります。太田氏と鳴海氏は本年度における東北地区の最強クラス棋士です。
12月23日
県南囲碁会事務局 平吹
山形県・県南囲碁リーグ戦
大成長したミスター滝田がおったぞー☆福島囲碁会館訪問
2024.12.23(17:05)
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リーグ戦で今若手で一番活躍している棋士がおりますが、皆さんご存じでしょうね。そうです、左側で後輩に指導をしている方が福島市の美青年、滝田真大六段です。右の少年は福島囲碁会館で修業し滝田君とともに福島県の次代を背負うであろうと期待される中学3年の山上信太郎七段です。(いずれも福島県段位)
滝田君は少年時代福島市の福島囲碁会館の教室で宮腰典明講師の指導を受けました。そして高校を卒業すると山形大学の囲碁部に入部しました。リーグ戦では平成30年から囲碁部と連携し部員の方に参加してもらえることになったのですが、滝田君は当初力がなかなか発揮出来ずにいました。その後コロナが発生し残念にも部員との接触は途絶えました。そして何年かぶりに再会すると、その時にはもう驚くほどの成長を遂げていたのです。なんで強くなったのか知りたいですね。太田尚吾氏は佐藤雅喜氏と滝田氏が強くなったのにびっくりしたと言ってます。彼は現在地元福島市に就職し折を見ては囲碁会館で生徒の指導に当たっているようです。まさに故郷に錦を飾ったお手本です。親愛なる滝田君、誠におめでとうございます 🌄
そして次にご紹介するのが、山上信太郎君です。山上君はリーグ戦側では5年前に囲碁会館へお邪魔した時に彼の存在を知りました。小学生低学年の頃でしたがピシピシと打つ的確さに感動した記憶がありますが、この辺の才能はリーグ戦に来られる太田栞菜ちゃんにも共通しています。彼は小3、4年の頃にリーグ戦に2度参加して全勝優勝しました。あの時は2級でしたが現在は福島県で堂々の七段です。
滝田君はもう山上君を彼以上の存在と認識しております。恐ろしや!!福島県 😃🍙
.
リーグ戦に参加いただいている斎藤隆六段・左
4勝を挙げ好調でした。
今後に期待される小学生女性棋士、凛々子ちゃん。
雲爺昨日一人で会館にお邪魔しました。福島も小雪舞う冬一番でした。
雲爺としては館長さんからリーグ戦に渡邊圭祐九段をご紹介していただいたこともあり、ぜがひでもと思い2年ぶりにお邪魔しました。そして我が県南勢の強豪に凱旋帰国の滝田君と山上君と対戦してみてほしいと誘ったのですが、各々方はいろいろ事情があり断られました。長年の経験に裏打ちされた雲爺の構想は間違いありゃへんのに今回来れなかった方は誠に不幸と言うべきぞ・・・・それにしてものごとうまくいかんこと多いわな ムシシ 😂
来年は山上君にリーグ戦に来てもらい太田尚吾氏と打ってほしいなあ。そうなりゃリーグ戦ますます若返って黄金期を迎えられそうだわね。🎆
1階入り口
階段を上り2階へ
12月22日、今日は恒例の忘年大会です
宮腰館長さんの御挨拶
地元のご常連さん、1年の締めくくりです
対戦
成績は滝田六段全勝で優勝。
末席ながら平吹雲爺は2年ぶりに参加も四段位で2勝3敗。最初2勝したからもしや心がどこかに生まれたものかは知らねども後が続かなかったでしたな。福島県の方はおっかない気持ちあります、やはり強いんです。でも5年前に4勝しており、負け越してもなんか余裕があったりしてこれはこれで楽しいですがのう。
しかし昨夜は置賜地方にも強烈な冬一番がやってきました
福島からの帰途、高速に乗ったら猛吹雪に見舞われました。いやいやいや、前が見えにくいでしたなあ。見通せないこともありあわてて米沢で降り口を降りてしまいました。こりゃいかんと慌てても後の祭り。小便は催すしライトは下向きにしなけりゃ前が全然見えないしえらいことでした。不気味な暗さの中で標識は高畠方面を示してました。遠回りのうえ何とか帰りつけましたけど、その後にはちゃんと吹雪の中の雪かきが待っておりました。
12月23日
県南囲碁会事務局 平吹拝
山形県・県南囲碁リーグ戦
新庄、北村山からご来場ありがとさま☆新ご来場者紹介12月大会
2024.12.02(18:42)
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コキア(ホウキギ)が二つこの前まで元気に咲いてました
山形県内では現在新庄北村山六支部と県南囲碁リーグ戦が北と南に分かれて元気に囲碁活動を行っています。六支部はキャリアがあり県南囲碁リーグ戦は六支部をお手本にして大会をスタートしてきた経緯があります。
12月白鷹大会に遠く新庄、尾花沢、河北支部から5名の方がおいでくださるとのことでした。県南囲碁会と致しましては誠にありがたきかたじけなきことにござります。
Aリーグ
優勝 樋渡四朗九段 河北町 中
準優勝 橋本浩九段 南陽市 左
三位 太田重人九段 山形市 右
樋渡さんは初優勝です。樋渡さんは六支部の元締め的存在でリーグ戦には随時参加をいただいております。
橋本さんは樋渡さんには機会あるごとに胸をお借りして何かとご指導をいただいております。南陽囲碁会の御大、橋本先生は最近元気がなかったのですが、突然取りつかれたように43センチぐらい一気に棋力を伸ばした感があります。雲爺はなんやこの方不思議なやっちゃなあとあっけにとられておりました。もしかして第二の玉木氏なんちゃって・・・先生はしばし石を握らない期間があったらしく、そこで思うに、人間というものはやはりマンネリズムに安住していては進歩なしつうやつなんじゃなと合点したところです。それでいて先生のバックには樋渡師匠がおりますからもう鬼に金棒ですわね。ただ変わりようが本物かどうかはいずれ分ることで、これはこれで楽しみじゃで。🤪
Bリーグ
優勝 斯波義裕六段 山形市 右
準優勝 石井隆一六段 高畠町 左
三位 島津紘恵七段 南陽市
斯波さんは前回に続き連覇です。ムムッ、今回はこの石井さんに勝っていれば連続全勝で数少ない記録に乗っかるんでしたが誠に惜しいことでした。斯波さん乗ってきましたかな、次回三連覇と参りましょうね。
Cリーグ
優勝 佐藤有弘二段 南陽市 中
準優勝 高山正宏三段 白鷹町 左
三位 小松行信四段 白鷹町 右
佐藤二段は初優勝。南陽囲碁会の副会長兼事務局長。
明日はわしは視察がてら参加してみると言ってたのにすいすい全勝優勝ですからね。南陽にも隅に置けない業師がおりました。
南陽のリーグ戦ではいつも事務局を預からせていただいております。いつも天にも届かんばかりのサンダーボイスで皆様のお耳をお騒がせ致しておりますが、こんなわけですから一度赤湯の夜の巷に行ってみてください。そりゃ、ご自慢のカラオケボイスに火が付いて、ライブハウスは大音響ルームへと変わるんですよ。でも最近は静かになっちゃって詰まらんです。🌠🤩
高山さんは前回に続いて連続入賞です。高山さんの受賞は雲爺人一倍うれしいです。リーグ戦当初から一緒に歩んできた仲でしたからね。でも途中から沈んでしまいその後長期低迷期に入りました。そして永い眠りから覚めて突然の白鷹山噴火です。このままビャンビャン噴石まき散らして行ってほしいな。
12月1日 白鷹大会、会場は荒砥地区コミュニティセンター
昼にかけて天気が良くなりました。参加者は34名と少なめですがせめて40名は欲しいところです。近年リーグ戦の参加者は減少傾向にある中で40名をクリアするのは正直難しくなっています。それでこんな貧乏所帯に新庄、北村山から5名の方が来られたわけですから大助かりでした。
船山会長のご挨拶
Aリーグ
船山嘉実九段 白鷹町 対 渡辺昭彦八段 新庄市
渡辺さんは新庄市からはるばるおいでくださいました。尾花沢の佐藤さんのお車に他の二名の方と同乗されてこられたとのことです。ご苦労様です。雲爺は渡辺さんとはかなり前になりますが親善県支部対抗戦で対戦させていただいたのが最初です。前期高齢期に入りたての頃でした。雲爺は六支部の大会では北は尾花沢市までしか足を延ばしていません。高速道が出来ましたからこれからは新庄市にも顔を出させていただこうかと思っております。昨年文化財保護会の巨樹視察の旅で新庄に行ってまいりました。
Bリーグ
仲原秀夫七段 尾花沢市 対 島津紘恵七段 南陽市
仲原さんは10年近く前に尾花沢の大会に参加した時に参加者の昼食を作っていただいた記憶があります。お料理造りがお得意とお聞きしました。へたくそ雲爺ですがよくお声をかけていただいております。
Aリーグ
加藤泰浩七段 高畠町 対 有路義孝八段 尾花沢市
雲爺は尾花沢や村山大会で有路さんと対戦させていただいてます。
Aリーグ
太田重人九段 山形市 対 佐藤主計八段 尾花沢市
佐藤さんにはずいぶん前に白鷹町の大滝さんと尾花沢の例会に参加したことがあります。芦沢のご自宅には道場があり昼食は手料理をいただきました。みんなはお名前をしゅけいさんで呼んでおりますね。ご存じでしょうがご兄弟は皆さん碁がお強い方です。しばらく道場にはお邪魔しておりませんで村山地区は東根、河北止まりになっています。正直言うと行きはよいよいなんですが、帰りは運転すると眠くなって尾花沢はさすがに遠い感じがします。でもこれも高速道を利用すれば解決出来そうです。
囲碁リーグ戦は村山と違い囲碁参加者が少なく福島県、宮城県、新潟県と長年県外に手を伸ばして参加者獲得に努めてきました。何ともあわただしい多角操業をやっておりますが、食ってゆくのってほんと大変ですね。
Aリーグ
橋本浩九段 南陽市 対樋渡九段 河北町
樋渡家の庭、LINEの紅葉見事でした。
河北ポイント制が広がることを雲爺期待しております。世の中年収103万円の壁もいよいよ崩れようとしておりますが、長年慣れ親しんでこられた段位制の壁の方はなかなか厚いかのようでございますね。雲爺の経験からすれば新庄村山地区、県南地区、会津・喜多方地区の3ブロックを大雑把に見みると棋力格差も3ブロックに分かれるように思われます。最初県南が喜多方地区と通常段位でぶつかった時はまるで歯が立ちませんでした。なんでかなと思ったら一段差違っていたのです。それでこちらは全員を一段下げました。そうしたら何とかイーブンに持ち込むことが出来ました。それでも優勝は少ないし向こうはなかなかねちこくていまだ結構苦戦を強いられます。現在喜多方地区は県南方式のポイント制導入のもとで合理的に大会運営が行われているようです。
Cリーグ
大塚勝衛五段 米沢市 対 遠藤瑠以初段 山形市
遠藤初段は新進気鋭の小学一年生棋士。山形の囲碁教室で学んでいます。
雲爺少し試合を観察しておりました。
遠藤君は戦いに強い印象ですね。相手の石の一団を召し取るとともに中央には広い勢力を築き見事な完勝図が出来ていました。
ところが勢力の壁に蟻の一穴があることに気が付かず中央を破られてしまいました。局地戦の力は強いように思いますが、全体を見渡して大切なポイントを押さえることがまだ身についていない感じがしました。でもまだ1年生ですからまずは積極的な碁を打って戦いに強くなることでしょうね。必ず強くなる少年です。ルックスがいいし将来は何とも魅力あるサウスポー棋士が誕生しそうです。
Cリーグ
高山正宏三段 白鷹町 対 佐藤有弘二段 南陽市
三連勝同士の勝負、軍配は視察がてら全勝優勝の有弘氏に
昼食
食堂は逆光で暗く写真はどんよりした出来栄えでした。でも今のIT技術は後でこのように明るくしたりいろいろ調整出来るからすごいです。アナログカメラにはこんな技術はないんでしたでしょうね。デジタルはスゲーと思うけど基本雲爺の頭ではわからんことが多いです。でも一つ覚えると操作がおもしろくてはまってしまいます。青白いあの方のお顔に血の気を入れ込んでやることも出来るぜい。ウッシッシ👹
しかしITの世の中ってすごいですね。アナログ雲爺の頭では到底太刀打ちできません。でも雲爺はIT最先端時代の人間でなくてよかったです。パソコンにしてもスマホにしても開いてみると何を説明しているのかわからんことが結構多いです。それでも雲爺は最低限のことをしてブログを作ってます。一体において雲爺は短気で頭が悪いからパソコンなんかマニュアル読んでもわからんし体で覚えるタイプなんです。体で覚える・・・これ相撲道の極意ですよ、頭じゃないんだな。白鵬は強かったでしょ、あれ体が覚えて🤸自然に動くからあんなに勝てるんですよね。
日本もIT国家で進むのなら国民ももっと楽しんで学べる仕組みがあってしかるべきと思うんですがそれが出来ていませんね。複雑なものを与えられても理解出来ないでいる方多いでしょう。子供が学校で学ぶように大人ももっと楽しんで学べる教室などが国内には圧倒的に少ないと思います。先端技術で国が進んでゆくんなら国民もそれなりに武装しなければなりません。現状は鉄砲持たずに戦地に行けと言ってるようなもんじゃないですかね。
爺のスマホは写真カットがずいぶん多いこともあるのか最近動きがとろくなりました。いずれにしても買い替え時なんです。どうしょう。
雲爺これからはブログでは言いたいことというかもっと辛口で率直な述べ方をしたいと思っています。型通りではマンネリになるだけで活性が生まれません。ブログは囲碁に携わる方と意思疎通を図れる大切なメディアになれると思っております。
お知らせ
1月リーグ戦は1月12日・日 南陽市えくぼプラザ
2月リーグ戦は2月9日から2月11日・火祝日に変更です。会場は冲郷公民館・防災センター
12月2日
県南囲碁会事務局 平吹