時の流れに思いを馳せて・・・・
2023.10.17(16:07)
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逆光に向かって時を遡ったりすると大きな不思議と驚きに出合うことになります。
地球は約3億年前は一つのプレートになっており超大陸パンゲヤが部分的に海から顔を出している状態でした。そして約5000万年前にパンゲヤは分裂を起こし、約150万年前に大陸が移動して別れました。大陸はこれまで数億年ごとに離合集散を繰り返しており、現在は東アジアに集合しつつあるといわれています。そして2~3億年後には南極を除く大陸が合体し、新たな超大陸アメイジアが誕生するとのこと。 ー 産経新聞の記事から ー
何とでもしてくれたらええだろよ・・・・
地震、火山などは地球が生きている証拠で体で言えば一瞬のかゆみみたいなものですね。
こうして過去、現在、未来のどてらい時の流れに思いを馳せれば、とてもじゃないが現実的な想像は出来ないし、そこの山が幾万年前から本当にあり続けていることすら理解に苦しみます。
猛暑は過去のこととなり心落ち着く秋になりました。今年の柿は実がポツンポツンで不作です
つげの老木
ここで現実的な思いを馳せてみます。雲爺は郷土史に興味を持つようになり以前ご紹介しました戦前の人類学歴史家、西村真次博士の著書を再度めくっています。そこにこんなことが書かれています。東置賜地方には諏訪神社、熊野神社の数がとりわけ多いと。社格の高い上小松の諏訪神社は越後から小国を経由する古道に面しており、ここを起点に諏訪神社は意味を持ちながら郡内に分社として伝播してゆく。「三代実録」にある須波神は諏訪神社に相違なく信濃の移民によってその文化は広まっていったであろうと。
一方熊野神社については東置賜地方では諏訪神社をはるかに上回る数で分布している。大社は宮内の熊野神社である。中世の熊野信仰は紀州の熊野に関係が深いが、この起源は出雲に発しているゆえに諏訪信仰とともに出雲系文化の濃厚なる浸潤が東置賜郡においてみられる。これらは信濃移民によってなされたと考えられる。ところでこれほどまでの大社がこの地にあることは大きな意味を持っていたであろう。宮内の奥地の吉野渓谷に古より大きな金鉱が認められておりその採掘のために入口となるこの位置でいろいろの意味、いろいろの方法で祭儀が執り行われたと考えられる。熊野神社の根源は出雲にあり、出雲は遠古から砂鉄を産した地であるから、熊野神社と鉄鋼は蓋然的に不可分の関係にあり、諸鉱脈に富んだ吉野渓谷の入口に熊野神社が鎮座するのは極めて意味深いと言わなければならない。
昔は人口が少なく多くの移民が来れば置賜地方では血の混在がたやすく、蝦夷系に信濃系や出雲系と同化が起きることは自然であったろう。雲爺の祖先は江戸時代までしかさかのぼれませんが、そこから先は闇でしかなく記録がない限り探索は出来ません。西村博士の説を辿れば雲爺家のルーツは長野県や島根県にあったりして・・・もしかしてさらに朝鮮にまで行きついたりして・・・あなたの所もかな、モンゴル系だしね。😀
いわゆる家系というものは記録がしっかりしていれば幾世代もさかのぼれるのでしょうが、ここにご自分の家系を始点に広範囲に調べ上げられた方がおられますのでご紹介します。
県南囲碁リーグ戦でもご一緒している白鷹町の 高橋敏郎さんです。後で高橋さんから教わったのですが、高橋さんと雲爺は 「はとこ」 同士でした。
高橋さんにお聞きしたら親戚の自宅の整理中に高橋さんの祖母が書いた「折々の記」を目にして感動されたのがきっかけとなり、その後系図の調査研究を本格的に始められたようです。記は二十歳前の若かりし頃のもので、毛筆で書かれておりお年とは思えぬほどの達筆です。系図は一つのルーツとして高畠町の一本柳というところを起点に、ここから多角的につながりを辿られ、詳細な情報を基に驚くほどの研究をされています。この中に雲爺家も入っています。高橋さんは九十歳を越えご高齢ですがお元気です。
昔風の便せんでしょうか毛筆で書かれています
家系譜
左に雲爺家、右上に高橋家、右下に両家がたどる一本柳の金子家
地球の寿命と違って人生はちっぽけですから、人はそれぞれの時代の主人公として懸命に生き続けてきました。
ここで蛇足気味ですが雲爺の母方の実家の集合写真です
2列中央に高橋さんの祖母のお姉さんが写っています。この方は雲爺の祖母の姉でもあります。おまけですが前列左から3番目に幼き頃の雲爺も写っていました。
明日は島根県の隠岐諸島に女房と旅行に行ってきます。飛行機でブーンと飛んで左上の隠岐諸島です。隠岐は承久の乱で後鳥羽上皇が流刑に遭ったところとか。帰ったらブログでご紹介します。雲爺も爺様なもんで旅行も一つの早め早めの「何とか活」ですかのう。
10月17日
県南囲碁会事務局 平吹