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B・A・D2009
本日10月15日は「ブログ・アクション・デー」なのだそうだ。
これはいったい何をするのかというと、10月15日を目指して、世界中のブロガーが、一つのテーマについて記事を書くというプロジェクト。こちらのサイトによると、今年はテーマが絞れなかったらしく、日本に「なんかいいテーマはないか」と相談メールが来たそうだが、今年は「気候変動」をテーマにすることに決まったそうだ。テーマがテーマだけに、最初はどういう切り口で書いたらいいのかわからなかったのだが、自分の体験から得た範囲内で語ってみたい。
バブル経済絶頂期だった1990年の秋、日本は異常気象に見舞われていた。
朝はひんやりとした空気が流れ、午前中はセーターを羽織っていても、日中になるとセーターを脱ぎ、さらに長袖シャツの腕をまくらなければならないくらい気温が上昇した。当時は「地球温暖化」という言葉はまだなく、生態系の異常を伝える記事も読んだ記憶がない。このままでは「地球はヤバい」という声はぽつぽつと聞こえていたが、せいぜいエネルギーの無駄遣いをやめましょうというスローガンを聞いた程度で、環境のために行動をしているという人の話は、ほとんど聞いた記憶がない。夜になっても熱気が残り、家ではクーラーを入れていた。驚くべきことに、我が家では11月までクーラーを入れていたのだ。11月までクーラーを入れていたというのは、後にも先にもこの時だけだが、それだけ当時の気象が異常だったということだが、その年の異常気象は、地球温暖化の前兆だったのかも知れない。
以前は蚊取り線香を焚いていた期間は、6月前後からせいぜい10月くらいだった。
ところが今は、ゴールデンウィーク前後から、11月近くまで蚊取り線香を焚いている。それだけ家蚊の動きが活発になっているということである。今もちょっと気温が高くなれば、蚊が活発に動く。蚊取り線香やゴキブリ駆除セットも、年間を通じて販売されるようになったのもつい最近のことだ。
異常気象の影響は、商売にも及んでいる。
私は夏の間、昼食に「冷やし中華」を食べる人間だが、例年だと「冷やし中華」は9月の声を待たずに店頭から姿を消してしまう。ところが今年は、10月を過ぎたというのにまだ店頭には「冷やし中華」がある。おそらく顧客から「まだ気温が高いのに、なんで『冷やし中華』を置いていないんだ!」という
クレームが入ったからだろう。
そして気温変動は、時に一国の治安に深刻な影響をもたらす。
1970年代のアフガニスタンは、美しい田園地帯で名をはせた国だ。それは、山岳地帯に降る豊富なひ積雪が夏になると溶けて水になり、秋には色とりどりの作物が市場に並んだ。経済的には「豊か」ではなかったかも知れないが、少なくても「食べる」ということに関しては、人並み異常の生活ができる国家だった。
だが’70年代後半になると、山岳地帯にはほとんど雪が降らなくなる。水が流れないから川は涸れ、国中の至る所で、干ばつ状態のために農産物がとれなくなる。食糧事情の悪化は、急速な治安悪化・政情不安をもたらした。その後この国がたどった運命は、ここで語るまでもない。
アフガニスタンに限らず、干ばつ状態に苦しむ国家・市民は世界中にいる。だがそれらの多くは、メディアで報道されることもないし、実際に救護の手がさしのべられる人はさほど多くない。援助を受けて、経済的に自立できる人はさらに限られる。ほとんどの人は、誰にも助けられることもなく、ひっそりとこの世から消えていく。時には、居住地域ごと消えるケースもあるだろう。
去年の「ブログ・アクション・デー」のテーマは「貧困問題」だったそうだが、この2つの問題は密接に絡んでいる。むろん、全ての貧困問題の原因が気象問題にあるわけではないが、貧困のために食えないこと、「異常気象」という気象問題のために先祖代々から住んでいる地域を追われ、安住の地を求めてあちこちさすらっているということは、生存権に関わる問題であるということは共通している。当該者にとってこの2つの問題は、命に関わる切実な問題だからだ。
もちろんこれは外国だけではなく、日本が抱えている問題でもある。海外の難民が抱えている「食料」「住居」「仕事」の問題は、日本国内のホームレスの問題と共通していると考えるのは、私だけだろうか?
いろいろ書いているうちに、この問題が現代社会において、いろいろな分野と密接な関係があるということに気がついた。書きたいことは山ほどアルのだが、これ以上書くと文章が散漫になるので、今回はとりあえずここまで。おつきあいしてくれた方、どうもありがとう。