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ステキなカフェはいかがです?
先日の記事で、ステキなカフェを2軒紹介したが、今回は雰囲気が好対照のカフェを紹介したい。
まずは、西国分寺駅から歩いて5分ほどの所にある「クルミドカフェ」。客席スペースがさほど広くなく、その中に効率よく座席を設置しているので、階段がやや急になっているのが難点だが、この店を訪れた客は、店内は街中に響く雑音とは無縁の、異次元の世界に圧倒されるだろう。そして木目調の内壁と、店内に鳴り響くチェンバロの音、バロック音楽、そして美しい照明といった、店内に漂うハイセンスな雰囲気に癒されるのだ。1人あたりのスペースも広めにとられているので、ゆっくり読書をしたいとか、原稿を書きたいとかという人には、おすすめの場所である。
このお店のコンセプトは、それぞれがはみ出しながら緩やかにつながる、コミュニティを持った暮らしの場であるということ。そして、ここをきっかけになにか生まれるような、そしてこの店がなくなった時に、多くの人が惜しんでくれるような店になって欲しいというのが、店主の願いだそうだ。
提供されるメニューは、コーヒー・紅茶・ケーキのどれもが自家製である。コーヒーは札幌にある小さいな焙煎所から直送されている。それを水だけで8時間かけ、じっくりと抽出する。それがこのコーヒーのウリになっている。店側は「味はしっかりしているのにすっきり飲める」と宣伝している。
このカフェはソーシャル・イベントにも力を入れおり、1階のスペースでは様々なイベントが施行されている。つい先日も、社会活動家・社会起業家を集めたセミナーが開催された(私は日程が合わず不参加)。日程はHPに随時更新されているので、興味がある人は参加されてはどうだろう。
次に紹介する「新宿ベルク」は、クルミドカフェとは全く対照的な雰囲気を持つ喫茶店である。
新宿駅東口改札から徒歩1分、新宿の駅ビル「ルミネ」地下1階という最高のロケーションを誇るこの店が世間に知れ渡ったきっかけは、ビルテナントでも売り上げ上位を占めているにもかかわらず、駅ビル側から理不尽な理由で退去勧告を受けたことが、メディアで大々的に報道されたことだ。そのニュースを知って憤りを感じた常連客が、「ベルク撤退反対」を訴える署名活動を始めたところ、瞬く間に支援活動の輪が全国に広がった。
原発勉強会に参加した
昨日、都内某所で原発についての私的な勉強会があった。この勉強会のメンバーは、以前からtwitterで社会問題について活発に意見交換をやるだけにとどまらず、実際にNGO・ボランティア活動をしている人たちである。そんな人たちがふとした機会から「オフ会」という名の会合をもち、メディアの現状に不満と危機感を持っているという認識で意見が一致した。そのために何かやろうということになり、集まったメンバーが一番関心を持っていることが原発問題ということで、そのことを取り上げようということになった。
昨日講師になってくれた人は、実際に電力会社で広報活動をしている人である。その人はなぜ電力会社が原発を推進するのかを、詳しく説明してくれた。
原発で使うエネルギーであるウラン供給国が、オーストラリア等政情が比較的安定している国に多くあること。原発の割合が増えているのは、石油産出国である中東の政情が安定していないことに起因する。二度の石油ショックに懲りた各国は、より安定したエネルギー供給を模索した結果、原発の比率を高めた。そのおかげで、ウランも争奪戦の様相になっているそうだ。
出力が安定しているのも、原子力発電所の最大の長所だそうだ。電気は水と違い、貯めておくことができないため、ピーク時にあわせて電気を作る必要がある。火力発電は立ち上がりが早い反面、出力調整が難しい。反対に原発は立ち上がりにやや時間がかかる反面、出力調整はわりと容易だそうだ。日本国内には全部で54基の原発があり、他に10基が計画中だそうだ。
反原発派は「電力会社は、自然エネルギーにもっと力を注ぐべきだ」といってるが、電力会社は自然エネルギー開発にも力を入れている。だが、会社にいわせると、これら自然エネルギーにも欠点があるという。
風力発電は山手線の三倍の面積が必要とされ、さらに電磁波公害、騒音問題も抱えている。実際、伊豆地方にある風力発電所は、騒音問題で地元住民とトラブルになっている。海上で風力発電の施設設置を検討しているが、今度はバードストライク問題(鳥がプロペラに体当たりし、プロペラが破壊されること)がおこる。日本は国土が狭いため、風力発電に向いた施設は国立公園ないしかないといわれている。国がそこに風力発電所を設置する許可を出す可能性はないといわれているので、どこまで普及するかどうかは未知数である。太陽光発電はお天気でないと全く役に立たないし、地熱発電は硫酸化硫黄という有毒物質を発生する上、設備・備品がその悪影響で耐久性が弱いため、実用化しても普及する確率は低い。あらゆる事を検討した結果、現状では原発がコスト面で一番安定している発電方法である(7.3円、ちなみに水力10.4円、火力12.2円)、というのが電力会社側の主張である。
身体にいい食事を!
さて、先日私が体験した「フェアトレード」な一日について書いてみたい。
その日、最初に訪れたところはオーガニックカフェの草分け的存在である「カフェスロー」である。この店は以前別の所に店舗を構えていたのだが、そこが大家の都合で立ち退かざるを得なくなった。あちこち候補地を探した結果、見つかったのが現在店のあるところで、潰れた工場を店に改造してリニューアルオープンし、現在に至る。
場所は、国分寺駅から5~6分歩き、坂を下りきったところにある。新宿から電車で30分圏内にもかかわらず、まわりはとても静かである。「ここはペンションか?或いはロッジか?」と思わせる店内は、スタイリッシュかつオーガニックな雰囲気が醸し出ている。私がここに着いたのは13時を過ぎていたのだが、客層から判断して、この店のコンセプトは、地元住民にも受け入れられているのだと確信した。
この店のメニューには「肉」料理がない!実は肉というのは、皆さんが思っている以上に環境に優しくないのだ。1kgの肉を作るのに、鶏肉の場合は4kg、豚肉の場合は6kg、牛肉には6kgの穀物が必要だ(足立直樹著「2025年 あなたの欲望が地球を滅ぼす」より)。いいお肉を作るには、いい環境が必要だということを、世間はどの程度理解しているのだろう。いい穀物を育てるためには、いい土壌が必要だ。同じ場所で同じ作物を作ると、地力が落ちるというのは、農業を少し囓った人間でなくても知っているはずだ。だから、お肉は環境にも身体にも優しくないのである。
そんなわけで、私はこの店で「パン定食」を注文した。店の名前に「スロー」という言葉がつくだけあり、なかなか商品が出てこない。普通の店だったら
「遅い!こんな店二度と来るもんか!」
と怒鳴る客がいてもおかしくない。だがここは「カフェスロー」なのだ。「ゆっくり過ごす」事をコンセプトにしている店なのだ。商店街を席巻している「早くてなんぼ」のファストフードショップや定食チェーンと違うのだ。だからこの店で「遅い!」「早くしろ!」という言葉は禁忌である。常連客の多くも、この店はこういう店なんだということを理解している。
実際、この店は読書をするのには最高である。照明が心理面に影響を及ぼしているのかも知れないが、活字を追っていても、まわりでおしゃべりしている音がまるで気にならない。椅子やテーブルに、木製であることも関係しているのかも知れない。
注文して20分くらい経っただろうか。料理を口にして目頭が熱くなるということを、私は初めて経験した。焼きたてのパンを一口囓ると、これまで味わったことのない感覚が、口の中にあっという間に広がった。この味を一言で説明するのは難しいが、あえていえば(半可通の意見で恐縮だが)、その味は「粉が本来持っている特徴をを生かした優しい味」というべきだろう。私もいろんなパンを食べてきたが、こんな味のパンを一度も食べたことがない。それでいて、パンに必要な「もちもち」した感覚もしっかりある。このパンは、カフェスロー敷地内にあるパン屋でも売られているが、あまりにおいしいので母のためにお土産にしたほどである。このパンはそれほど美味しいのだ。是非試してもらいたい。
フェアトレード三昧
カフェスローで開かれた祝島写真展があった日は
一日中「フェアトレードな気分」にはまっていた。
さて、皆様は「フェアトレード」という言葉を知っているだろうか?
実はこれ、立派な社会運動の一つである。
グローバル経済が進む中で、富める国家と貧しい国家の格差は広がる一方である。
わかりやすいケースとして、二国間貿易の例を挙げることにする。
「先進国」の国民が、なぜ物質的に豊かな生活を送ることができるのか?
低価格の商品が世間にあふれているのはなぜか?
それは簡単だ。
「先進国」に本社を置く「グローバル企業」が、「途上国」の市民を、不当に搾取しているから。
「グローバル企業」にとっては「数字」こそが全て。
自分達の利益を上げるためには、ムダなモノはとことん削り捨てる。
彼らがやり玉に挙げているのは、材料費と人件費。
連中が「途上国」にやってくるのは、安い人件費と材料費目当て。
当然のことながら、「途上国」の特殊な事情や文化にはこれっぽちも関心がない。
「グローバル企業」は「数字」という、自分達の欲得のために
ひたすら現地の人たちをこき使う。
その最たる例が「モノカルチャー」政策である。
「モノカルチャー」とは
「A」という地ではパパイア、「B」という地ではコーヒー豆というふうに
一つの地域では、一つの農産物しか生産しない(させない)システムである。
農業を少し囓った人ならご存じだと思うが
土地というのは、同じ作物を何年も作り続けていると、地力が落ちてしまう。
作物がとれなくなると、グローバル企業は彼らを放ったらかしにして
新天地に行ってしまう。
あとに取り残されるのは
衰えた大地と、ろくに技術もないまま捨て置かれた無辜の市民達。
守るべきもの・祝島
書こう書こうと思っていたのだが、ずるずるとここまで来てしまったののをお許し願いたい。
先月12日、国分寺にあるカフェスローで開催された、D-Lightという若手フォト・ジャーナリスト集団による、祝島写真展が開催されたので、その感想を綴ってみたい。
この写真展の舞台になっているのは、瀬戸内海に浮かぶ、山口県上関(かみのせき)町にある祝島(いわいしま)という、人口550人あまりの小さな島である。周囲は瀬戸内海有数の漁場で、島の住民は漁業と農業で生計を立てている。この島は自然の宝庫であり、天然記念物に指定されているカンムリウミスズメ、スメナリと行った寄生生物も生息していることから、この地はしばしば瀬戸内海の原風景とも言われている。
この島が一躍注目を浴びたのは、30年前に持ち上がった中国電力(以下中電)が、この地域に原子力発電所の建設計画を発表したからである。中電の懐柔政策により、島内住民は原発賛成派と反対派に別れて対立し、古くから続いていた地域内のコミュニティは崩壊した。しかし今もなお、島内住民の9割は原発に反対の意志を貫き、週1回原発反対デモを行い、それと並行して「原発に頼らない街作り」運動を進めている。
それでも、彼らを取り巻く原状は厳しい。先月行われた上関町議選挙では、原発賛成派が議席数の3/4を占め、中電側もつい先日、上関町民に対し、一人あたり20,000円の給付金を支給を発表するなど、原発建設に向けて着々と足場を固めている。昨年秋には海上で中電社員と原発反対派の間で小競り合いが起き、反対派の活動家が海に転落し、危うく溺死しかけたという事件が起きている。
現地ではこれだけの大騒動になっているにもかかわらず、このことを伝える中央のメディアは皆無である。現地の詳しい状況は、有志がインターネットで伝える情報が頼みである。ごく一部の新聞記者が記事を書いてくれることもあるが、それは極めてまれなケースであり、掲載されても地方版、それもネットの片隅にひっそりと載せられている、という場合がほとんどである。
この写真展を企画したグループ「D-Light」は、日本唯一のフォトメディア雑誌「DAYS JAPAN」が企画した「DAYS JAPANフォトジャーナリスト学校」出身者が結成した。DAYS JAPANは創刊以来ずっとこの問題を取り上げ続け、創設者・編集長である広河隆一氏が、全国各地で講演会を開く度にテーマにするほど、原発問題に力を入れてきた。だが残念ながら、同誌以外に上関原発問題を取り上げるメディアは極めて少ないのが原状である。恥ずかしながら、私もこの問題を知ったのはインターネットのコミュニティサイト「twitter」からである(twitterについては、すでにご存じの方も多いだろうから、ここでは省略する)。
彼らは昨年8月に初めて現地を訪問し、そこでなにが起きているのかをつぶさに見てきた。今回会場内に展示された18点の写真は、島で暮らす人々の姿をあますところなく表現している。写真だけでもこの地が「美しく、平和でのどかな田舎である」ということがおわかりいただけるだろう。
ABSレポート・4
生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)シンポジウムの最終回。
今回は
渡辺重夫氏(元A SEED JAPAN理事)
小林邦夫氏(A SEED JAPAN 生物多様性プロジェクト)
水野政義氏(外務省国際協力局地球環境課長)
のお三方によるディスカッションの模様をお伝えします。
渡辺重夫(以下W):ABSのテーマ自体が複雑だから簡単に説明したい。FAOとかいろいろあるが、どんな国際制度が必要なのか?議定書を聞かれることがあるが、枠組みに関してどんな形を作るべきか?国内法の関係性を教えて抱ければいい。
アクセスする条件の要素、その取得するプロセス上の配慮点取得プロセスについてどういう点に配慮するべきか。利益分配についてどう配慮するべきか。遺伝子資源の分配についてどう配慮するべきか。どういった形の国際条約が必要か?
小林邦彦(以下K):ボンガイドラインの制定後、アクセスと利益配分はどうなっているのだろうか?
水野政義(以下M)政府にはいろんな面があるが、日本は利用する側の方が多い。この会議では、いろんな要求・提案がなされているが、アクセスを改善させることに絞っている。各国に最低限守って欲しいということをEUが提案している。日本も遺伝子資源が豊富なのだが、現時点ではABSの国内法を作っておらず、自国で制限的に供給するという姿勢をとっていない。提供国の要求は日本からしてみれば「お願いします」とはなっていない。交渉の状況からいえば、テキストの中には国際条約のシステムはできてるが、日本としては受け入れがたいものがある。そのなかで今後どのようにすればいいのか?1年前より地に足の着いた議論ができている。いかにして提供国で事前違反をした企業にきちっとした対応をできるシステムをつくるのか?これには特許以外の手段も入っている。
会場からの質問(以下Q):出所開示にやめているという事例が紹介されたが、その是非について議論されているのか?それがどういう争点になっていて、現時点でどうなっているのか?
M:国内的にいろんな議論がある。今までの交渉は、どういうテキストにすべきかを議論していたので、理由付けについては議論されていないが、どんな提案が載っているのか説明したい
開示すべき情報がソースなのか、提供国で事前同意をとったのかなどが争点になっている。出所開示をどこまで強くするのかを、行政機関に関するチェックポイントである。情報確認する時、出所開示義務を果たさない時に特許を認めない、後で虚偽と判断した場合は特許を取り消す、許認可、輸入を止めるなど考えられるが、そこで議論が分かれている
Q:議定書の代わりになにがあるのか?それを作る時、遵守メカニズムを厳しいものにするのか?
M:議定書で拘束力を作らない場合、どんなやり方があるのかは議論していないが、おそらく任意性格として、ボンガイドラインが考えられる。これは任意であると明示した上で合意したもの。COPで決定しますというのがある。違いは微妙だが、義務があるかどうかという違い。後で義務を負っているので承認をとるかとらないか。任意という性格を明示しないのもり、会議で約束すれば決定に縛られるので、政治的な拘束力を持った決定力があるなど、いろんなバリエーションが考えられる。まずは議定書を目指すという国が多い。
『祝の島』座談会・2
「祝島座談会」第2回目。
今日は、映像放映に引き続いて行われた、座談会の様子をお送りします。
私のメモを元にしているので、ところどころ行き違いがありますがご容赦願います。
映像終わり。ここから座談会
内藤(以下:N)
このイベントで話すのはこれがは2回目で、前回は殴り込みみたいな形で来た。前回は永六輔が出ていたが、(彼は高齢なので)舞台で倒れた時に備えて待機していた。
島の中では、普段は暮らしに溶け込むような格好をしている。纐纈さんも、島内では目立たないようにしていた。
余命というのは医者の言うことを真に受けてはいけない。あくまでも統計でしかない。そのおばあちゃんは余命1ヶ月といわれながら、結局10ヶ月生きながらえた。その様子を見て「うらやましいな」と思った。
纐纈(以下:H)
死にゆく患者を支える中で、人が最後の時を迎える仕事ををしているということが伝わってきた。映像を見ていて感じたことは島の人たちの生き様に強烈な者を感じている。
N:最初祝島という文字も知らず、どこにあるのかわからなかった。映像は言葉以上にインパクトがあるが、それだけがリアリティーではない。命は自分が困ったり傷ついたりしないことには学べない。私は地理がわからない。学会で高知に行った時に祝島のことを聞かされ、現地訪問のお誘いに対し。軽い気持ちでOKした。原発建設予定地に上陸したので、そこでなにが起きているのかわかった。
段々畑のあるところは歩くと1時間以上かかる。坂を転げるとそのまま海に落ちる、そんなところばかりだ。みんなでいいなあ。そこで亡くなりたいと望めばできる状態になっている。子供が来られないと決まっていたら、子供がこちらに来ることができる方法を、今から考えないと間に合わない。
知らない、なにかを作り出すという世界がそこにある。輸入品に頼って生きているが、原発の問題が反対していることを誰も知らない。そこに現代社会の危うさがある。命に触れるということを何らかの形で考えて欲しい。
山秋(以下:Y)
今からなら何とかしていける。纐纈さんが無関心への怒りがあるといっていたが、それだけで映画を作っているわけではないと思う。そこまで粘り強くやっているところには、そういう物のつながりが希薄な首都圏の人間関係に物足りなさを感じているのかな?地元の人たちとの交流で印象に残ったことを教えて。
H:怒りもあるが、島の人が本当に好きになり、いろいろ知りたくて共感したくて、それを撮影という手段を用いて、島に通い続けた。年末年始に「寅さん」を見たが、そこで展開される世界には、たとえ悪人とか裏切りが入ってきたとしても、全体として他人の暖かさ、つながり、信頼感があり、神経の1本がゆるみ、常に安心してみられる。寅さんと祝島の人は感覚が似ている。絶対的な安心感がある。いろんな人がいるが、それぞれがいいと認め合いながら暮らしている。そうでないと、厳しい環境では生きていけない。自分がその空間にいることが嬉しい。突き詰めて考えていけば、命と命の実感がある。島の住民はコメディアンみたいだ。
N:原発のデモは安否確認かと思うほど静かだ。世間話をしながら「エイ、エイ、オー」と叫ぶ。警官はその様子をじっとみている。それが28年も続いている。
『祝の島』座談会・1
今年の夏、上関(かみのせき)原発建設問題で揺れる祝島(いわいしま・山口県)の風景と、その地で暮らす人たち日々を扱ったドキュメンタリー映画「祝(ほうり)の島」という映画が公開される。それに先立ち、1月28日にスペースカフェ・ポレポレ坐(東中野)で『祝の島』座談会の第3回目が開催されたので、その様子をご報告したい。今日は、座談会に先立ち公開された映像の様子を、かいつまんでご報告する。なお発言は要旨であり、私のメモを元にしていることを最初にお断りしておく。
出演者
纐纈(はなぶさ)あや:映画「祝の島」監督
ゲスト
内藤 いづみさん(在宅ホスピス医)
司会進行
山秋 真(ライター)
映像公開の前に、纐纈さんから挨拶があった。
初めて祝島にやってきた時、強烈で、明るくて、痛快で、加わっただけで元気になってしまった。あの時のうれしさは忘れられない。きちんとした映画を作ろうということで、映画制作がはじまった。
島の人が対峙にしているものがなんなのかをを知りたい、映像を記録したいという気持ちから撮影を開始。現地で自炊しながら撮影していた。クランクアップは昨年12月で,今は編集中、今年12月に公開したい。一人でも多くの人に見てもらおうと、4月26日にイベントがあるので、その時にお披露目したいと思っている。
この座談会は原発だけでなく、いろんな事を楽しく話す場を設けたいという気持ちからはじまった。今日は地域で最期を迎えるというテーマで話を進めたい。島に通い始めて、すごく大きなことに気がついた。祝島の住民は高齢者が78%で、ここ最近は急カーブで高齢化が進む。祝島は30~50歳代の層がほとんどいない。それは仕事などで島の外に出てしまうからだ。自分達の代で島の営みの連鎖が終わろうとしている、それが原発以前に大きなことだ、街自体が元気だったら原発誘致ということにならなかったのではないか。内藤泉さんが祝島に来ることになって、今回の座談会につながった。
この映像は、祝島のジジババの映像満載である。私が惹かれた島の姿が伝わればと思う。
美しすぎる環境活動家
12日、東京・南青山で開かれた「GREENDRINK TOKYO」において、カナダの「美しすぎる環境活動家」メラニー・マレン氏の講演会が開催された。今日はその模様をお伝えする。
今晩は、お招きいただきありがとうございます。日本という国に招いてくれたエコロジャパンにお礼を申し上げます。私はオンタリオ州の緑の党で副代表を務めており、グローバルグリーンズにもカナダ代表として参加した。今日は、自分が住んでいる地域を復興しようという活動について話す。
私は13歳の時から、学校内で様々な活動をしてきた。高校の時は地元にある土地の生態系を守ろうと、政府に働きかけることをした。大学ではローカルなビジネスに関わってきた。去年(2008年)はオンタリオ州議会選挙で出馬し、メディアの注目を浴びた。それを上手に利用し、地元であるナイアガラコール市の復興活動について、人々の関心を集めることに成功した。
ナイアガラコール市のダウンタウンは、多種多様なお店があったおかげでコミュティは潤っていたが、最近では世界的チェーンショップがどんどん入ってきて、地元のビジネスが破産に追い込まれていた。建物は廃墟になり、窓には板が張り付けられ、人々は寄りつかない状態になっていた。商店街は昔はとても栄えていたが、大手企業が入って廃れた。地域経済の転換は多大な影響を与え、地元の人の多くはパートで生計を立て、薬物に頼り、政府からの援助自他夜という状態が30年間続いている。投資家がいろんなプランを持ってきたが、地元の支持をえら得ずに失敗に終わった。
そこで自分は住民に対し、私の街はどこという質問を聞くことから始めた。刺激的な街を再認識する街を作ろうと計画し、意思決定の段階から住民参加を促したりした。私がテーマにやってきたのは生き生きとした街を取り戻し、自分の街で遊び、芸術文化に触れ、オーナーシップを取り戻そうと呼びかけた。
昨年(2008年)1月の寒い夜、地域の人たち有志に呼びかけてミーティングをした。真っ暗で電気もストーブもないなか10人が集まり、彼らで地域コミュを活性化するために何ができるかを話し合った。繁華街を自分達に取り戻すためにはどうすればいいかと話し合った。とりあえず、それぞれが10人街に連れ戻すことを決めた。 次のミーティングで、自分達の場所ではなく、毎回集まって行動できる基地が必要だと感じた。市内の建物オーナーに話しかけ、きれいにするかわりにアートを入れて地域を蘇らせたいと思った。オーナーはだんだん説得を受け入れ、窓を開け、部屋の中をきれいに掃除し、家具やアートを入れるようにした。ハブを作り、2週間ごとにミーティングをした。地域住民をインプットできるよう、また創造性を引き出す活動をした。経済活動をするにはそれが絶対必要だからだ。街の復興をどうしたらいいのかアイディアを発表し、ローカルなスポンサーがつき、広告を出し、クリエイティブな形で街をどうしたら活性化できるかを考えた。テーマのなかで、街がどうして大事なのか、素晴らしい街ができたときにどう変わるかを問いかけた。住民のアイディアでイベントがどんどん出てきた。メディアから注目を集め、勢いが出てきた。メディア関係者の中には、紙媒体やビデオの人もいた。
ここでさらに戦略的組織的に動くことにし、いろいろ計画を練った。一つは計画を練るためのNGOで、もうひとつは芸術家を支えるためのNGOだ。同時に、総合的なコミュニティを作るための委員会を作った。その結果、高い目標を掲げ、多くの重要人物を巻き込むことに成功した。市議会、ビジネス改善協会、市役所スタッフ、ビルオーナー、その他利害関係者、アーティストらだ
「しろかねの森」を散策する
「最近の『マイブーム』はなんですか?」
人からこう質問されたら、私は「落ち着く場所に行くこと」と答える。
実際、私の生活環境はストレスばかりである。職場では
「早く仕事をしろ!」
とせっつかれ、ミスをしようものなら
「どうしてこうなったのか?」
と突っ込まれる。そして、こちらが何かいいかえそうなものなら、言を左右して自分を正当化し、ああだこうだとへりくつをこねるバカ社員達。
パートもパートで、本当にどうしようもないヤツがいる。その男は「派遣」からうちの会社にやってきたが、とにかく仕事ができない。あちこち部署をたらい回しされた末、今はフォークに乗っている。会社は解雇したかったらしいのだが、「クビにされてたまるか!」とばかりに本人がフォーク操縦者の資格を取ったため、かろうじてクビがつながった。とはいえ、その仕事ぶりはというと…(以下略)