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教育費の無償化など訴え
「教育」は貧困撲滅の第一歩なのだが…
高校生パレード:80人が教育費の無償化など訴え 東京
「今イギリスに必要なのは教育、教育、教育だ」
トニー・ブレアが就任早々発した言葉である。彼は政権を発足させると、イギリスの教育立て直しに尽力し、職業訓練等のの充実に努めた。
翻って、日本ではどうか?
格差の拡大とともに、学生の将来は全く先が見えない状態になっている。
教育というのは、本来「政府を監視する民衆」を育成すると同時に、貧困から脱出するための道具であるべきである。だが実際は、高騰する一方の学費に耐えきれず、泣く泣く学校を退学する生徒が後を絶たない。
「オカネがなければ奨学金を借りられればいいだろう」
と言う人がいるかも知れないが、この不況を反映して奨学金を希望する生徒が殺到している。しかしそれらの多くは利子つきで、無利子枠の競争率は年々高くなる一方である。そればかりか、近年日本最大の奨学金運営団体が「民営化」された結果、奨学金滞納分の取り立てが今まで以上に厳しくなり、悪質な「滞納者」はブラックリストに掲載し、未払い分を一括で返済させるよう要求する動きが出てきており、利用者はこれに反発している。学校の教員は、給付制の奨学金の創設や授業料無償化の必要性を訴える。
埼玉県の定時制高校生が呼びかけたアンケート調査によると、高校生の4人に3人が、学業を続ける上で何らかの金銭的な困難を感じているという。夜間定時制・通信制高校に通う生徒の2割が学費を自分で負担している。奨学金受給希望者は12%いるが、実際もらっているという生徒は希望者の1/3にとどまる。このアンケートを企画した生徒も、1日8時間労働して、学費と生活費を賄っているそうだ。
少子化・行政の効率化などを目的に統廃合が進んでいる定時制高校だが、昨今の不景気を反映して、定時制高校を志望する生徒は年々増加傾向にあり、昨年度は志願者が4万人を突破した。本来「働きながら高卒資格を得たい」人のために開設された定時制過程だが、近年は不登校や全日制高校中退者の受け皿になっている。
親の年収で成績格差
「格差問題」=「教育格差」ということか。
親の年収で成績格差 学力テスト 08年小6 1200万円超、正答率高く
私の小学校時代のクラスメートで、かつ富裕層の子弟は、塾だのお稽古事だの運動クラブだの似通っていた。親の教育方針によるものに由来していたかも知れないし、本人の意志もあるだろう。振り返ってみれば、クラスメートの中でも、彼ら富裕層子弟は多彩な趣味を保ち、自分の世界を持っている人間が多かった。
推理小説家のエラリー・クイーンを知ったのは、私の幼なじみが読んでいた本がきっかけだった。その子の両親は歯医者と耳鼻科医という「セレブ」であり、彼女自身も将来を嘱望され、中学校は医科歯科系への進学に実績を持つ、伝統ある進学校に進んだ。小学校の時は「おきゃんな女の子」というイメージだったのだが、高校になると、知性と美しさを兼ね備えた女性に変貌していた。思わず声をかけようとしたが、あちらは地元でも有数の進学校に通うエリート校の生徒に対し、こちらは「○○(鉄道会社名)沿線の落ち穂拾い学校」とコケにされていた、「底辺校」にかよう生徒。恐れ多くて、こちらかはとても声をかけることはできなかった。こちらから挨拶したところで、向こうから「何このバカ?」という軽蔑の視線を向けるだろう。それを考えると、声をかけなかったのは正解だったかも知れない。
別のクラスメートは、クラス内はおろか、学校内でもその名をとどろかす「ガキ大将」だった。親は高名な医者であり、他の兄弟も優秀だった。だが当人の性格はとても悪く、見栄っ張りで、自分よりも弱いものをいじめて楽しむようなヤツだった。友達に誘われてそいつの家に行ったとき、私はそいつの母親から「オヤ、あんたも来たの?」と小馬鹿にした。彼が私の家に来たときの態度も最低で、私の部屋に置いてあった布団(それも干したて!)の上にどっかり座って漫画を読んでいた。母は彼の不遜な態度を見て激怒した。
本人は「子分」を引き連れて学校内を闊歩し、いい気になってふんぞり返っていたが、陰ではみんなでバカにされていたのを本人は気がつかなかった。こともあろうにそいつは、小学校の生徒会会長選に立候補した。例によって学校内を子分を連れて闊歩し、横柄な態度で「オレに投票しろ」とすごんで回ったが、蓋を開けてみれば、当人にとっては対立候補に思わぬ大差(こちらにいわせれば「当然の結果」に過ぎなかったのだが)で敗れ、大いに悔しがった。私は内心で「ざまあみろと舌を出した。
彼はそこそこ頭は良かったのだが、見栄っ張りで、勉強机の上に「目指せ開成!」と書いた紙を貼っていた。「○○君頭いいねえ。開成を目指したら」などとおだてられ、調子に乗ったのだろう。だが現実は甘くない。開成の入試に落ち、地元でも有数の名門校に進んだが、勉強について行けなくなり、その学校をドロップアウトしたと、風の便りに聞いた。親は彼に、医者になってくれることを望んでいたから、学校を中退した時から、彼は「○○家の恥さらし」となった。その後彼がどうなったのか、私は寡聞にして知らないし、知りたくもない。逆にそいつと同じ学校に行った子分格の生徒は、精進して一流大学に進んだという話を聞いた。
横浜市「つくる会」の教科書採択
中田市長が残した、はた迷惑な「置き土産」…
「つくる会」主導の歴史教科書、横浜市の8区で採択
一部支持者から「改革派」イメージで見られている中田市長だが、小池百合子・元防衛相の秘書経験がある経歴からわかるとおり、その歴史観はかなり復古的である。彼自身がこの秋立ち上げを計画している新団体「『よい国つくろう!』日本国民会議」の基本理念のひとつに、「日本人の誇りと自信と夢を回復する」という文言があることでもわかるとおり、「つくる会」の活動趣旨に共感を寄せていうることは確かのようだ。
「つくる会」の教科書は、最近出版方針を巡るゴタゴタで、発行先を「扶桑社」から「自由社」に変更したばかり。このスキャンダルがイメージダウンにつながるのではないかと、密かに期待していたのだが、どっこい彼らはしぶとかった。
「つくる会」の教科書のシェアは、全体の1%にも満たない。しかし政令指定都市がこの教科書を採択するのは全国で初めてであり、横浜市がこの教科書を採択したことで、雪崩を打って他の地区でもこの教科書を採択する動きが加速するのではないかということを、密かに危惧している。
ただし、「つくる会」側も問題を抱えている。先ほど書いたとおり、同会は出版方針を巡って分裂し、前出版社の扶桑社と、現在の版権を持つ自由社から、ほぼ同内容の教科書が発行されている。そのため記述内容を巡って、どちらか一方から「著作権法違反」で訴えられる恐れがあるそうだ。文科省は「著作権法に違反しない限り、検定は進める」と入っているそうだが、もし訴訟沙汰になったら、教科書選定作業をやり直すことになり、費用とエネルギーはバカにならない。費用の負担は、市民の税金だ。
「つくる会」の教科書は、歴史学会でもその存在が疑問視されている「神話」を扱っている。副読本として「神話」を扱うのなら話がわかるが、この本は「神話」を「正史」として教えようというのである。「大和民族は『清い民族』であり、他の民族は卑しい民族」とでも教えるつもりなんだろうか?ナチス顔負けの「優性思想」を子供のうちから教えてどうするんだろう?
生物学五輪で金メダル
日本の理科教育も捨てたもんじゃない。
国際生物学オリンピックで「金」千葉の高3、日本人初
国際生物学オリンピック(以下IBO)とは、高校生を対象に実施される、生物学の問題を解く能力を競う国際大会である。’90年に第一回大会が開催され、日本は’05年大会から参加している。
’90年代以降、環境保護や地球温暖化の問題が取り上げられるようになったが、IBOは自然保護・環境保全の問題にも関心を持っている。IBOの開催目的は、生物学的才能のある学生を集め、彼らの才能を伸ばし、将来の科学者を育て、生物の才能の損失を防ぐことである。
このオリンピックに出場するためには、国内での選考試験を突破しなければならない。選考試験は三次にわたり、最終選考には15人が参加し、その選考で4人が国の代表としてIBOに参加する。
試験は理論と実験で構成され、理論分野で出題されるのは、細胞生物学、植物解剖学と生理学、生態学などで、出題レベルは日本の高校で学ぶ「生物」を遥かに超えるものだそうだ。全参加者の上10%に「金」メダル、次の20%に「銀」メダル、その次の30%に「銅」メダルが授与される。つまり、全参加者の上6割に入れば、何らかのメダルが授与されるということだ。今年のIBOは日本で開催され、過去最多の56カ国・地域から221人の高校生らが参加した。
不起立教員は処分も
「日の丸・君が代」は権力者のおもちゃにあらず。
『不起立教員 処分も』 県教育長「指導徹底」通知を検討
そして神奈川では、こんな判決が下った。
日の丸君が代訴訟、教職員側敗訴 「起立、斉唱義務負う」
何かにつけて 学校行事に「日の丸・君が代」への敬意を求める、松沢成文・神奈川県知事と、上田清司・埼玉県知事には共通点がある。
復古思想の持ち主であり、憲法改正(特に第九条)の改正の必要性を説き、「つくる会」の教科書にシンパシーを持っていること。
「新自由主義」の熱烈な信奉者であり、福祉予算を削減するなど、弱者にきわめて厳しい立場をとること。
国会内の所属会派を、何回も変えていること。
松沢
無所属(県議時代)→新生党→新進党→国民の声→民政党→民主党
上田
新自由クラブ→自由連合→新生党→新進党→フロムファイブ→民政党→民主党
所属会派を変えることについては、それぞれの政治的立ち位置で、評価が異なるだろう。
「節操がない」という人もいるだろうし、自分の政治的立場・良心に基づく行動と評価する人もいるだろうから、この記事ではここであえて書かない。
それでも、「日の丸・君が代」の問題を聞く度に、私は黙っていられない。
前回の記事でも書いたとおり、私は「日の丸・君が代」に誇りを持つと同時に、それを強制する動きには反発を感じる人間である。
式典会場内で「ブーイング」するのなら、何らかの処分を下されても文句は言えまい。
だが、式典で「起立」しないことがそんなに悪いことなのか?
「起立しない」で、黙って座っている分には構わないだろう。
いちいち、そんなことで目くじらを立てるような問題か?
学力テストの結果公開
公開したところで、何の効果があるのかは疑問だが…
学力テスト市町村別成績を公開へ 大阪府教育委員会
今回の決定は、「優等生に優しく、落ちこぼれには冷たい」橋下知事らしいなと思った。
成績のいい市町村には補助金を優遇し、成績下位の市町村は補助金を削られる。
住民はおそらく
「テストの成績がいい市町村は、教育に力を入れるいいところだから、この町に住みたい」
「成績が悪いところは、先生も教委もやる気がないから、他に引っ越したい」
と判断するだろう。
なんかおかしくないか?
知事と府教育委員会を「学校」、住民を「生徒」に例えてみよう。
学校はできのいい生徒を「特進クラス」に入れて熱心に世話をする一方、できの悪い生徒は放ったらかしにする。これは「底辺校」といわれる学校でよく見られる光景(私の偏見が混じっているかも知れないが)だが、今回知事と府教委がやろうとしていることは、教育に関する地域間格差をあからさまに認め、推進しようということである。
教育というのは、できの悪い生徒の世話に全力を注ぎ、彼らがテストでとれる平均点を獲得できるようにするための手段だと思う。時間はかかるが、絶対に必要なことだ。それが「教育」の本質ではないのか?
勉強だけがすべてではない。頭は悪いかも知れないが、器用な子、運動能力に優れた子、動物の世話が好きな子、絵画や音楽など、芸術に長けた子はたくさんいるはずだ。いや、そちらのほうが多数派だろう。そういう子の「個性」をのばすのが格好・教委の仕事のはずだが、今の教育関係者は、子供達全員の頭を良くすることにしか関心がなさそうだ。これでは、子供のストレスが溜まる一方だ。
教え子全員が「一流大学」にいけるはずがないのに。
『無人授業やめさせて』
受験で結果を出すのが「教育」にあらず。
「教育」は人を育てるのが仕事なのだが…
『無人授業やめさせて』 埼玉の私立高 教諭が仮処分申請
ところが母体大学が、高校と地理的に離れていたうえ、昨今の少子化で志願者減少した大学が、本年度(つまり、来年3月)で廃校を決めたため、経営権を地元の学習塾に譲渡し、新たなスタートを切った。だが、これが経営陣と教職員の間に軋轢が生まれたらしい。
底辺校で入学者が伸び悩み、廃校寸前に追い込まれた共学校が、経営立て直しのためにやってきた弁護士の指導で、東大進学者の大量輩出を目指すというストーリーのマンガ「ドラゴン桜」が大ヒットしたせいか、「特別進学クラス(以下「特進クラス」)」「進学クラス」を設置して進学率を上げ、生き残りをかける私立校が増加傾向にある。戦記「特進クラス」を持つ学校の多くが、スポーツ特待生で学費減免措置を執るのと同様に、学業特待生制度を設けて、受験生を釣ろうとしている。実は私の母校も、進学クラスや学業特待生精度の導入で、かつての「底辺校」から脱皮した学校である。
だが「勉強を教える技術に長けた先生」が、生徒に人気があるとは限らない。実際私の母校の教師達は、「勉強を教える技術」では、進学校の教員達よりも劣っていたかも知れない。しかし彼らは皆個性的で人間味にあふれた人であり、生徒から慕われる教員も多かった。生徒にとって「いい教員」とは、「勉強をわかりやすく教えてくれる教員」であるとは限らない。「自分が抱えている悩みを真剣に受け止めてくれる先生」がいい先生だという生徒もいるはずだ。
この教師の問題がテレビで取り上げられていたが、生徒達は皆「いい先生だ」と口をそろえた。生徒からは人気があり、慕われている先生なのだろう。
LEC大が募集停止
「規制緩和」で規模を拡大したツケと見るべきか。
それとも「構造改革」の犠牲者と見るべきか。
LEC大、来年度の募集停止 日本初の株式会社立大
「規制緩和」の波にのり、華々しく登場した日本初の「株式会社立」大学は、開学から5年であっけなく破綻を迎えた。
この学校は「大学卒と弁護士・会計士などの『国家資格』を同時に取得できる。アメリカではそれがスタンダードで、『ダブルスクール』の弊害を解消できる」というのが売り物だった。ところが、この大学は開校当初からうさんくささがつきまとっていた。
ところで、このブログの読者の皆様は「大学」と「短大」の設置基準の違いがおわかりだろうか?
「修業年限」の違いではない。その答えは「施設面」にある。
「短大」は、体育施設(体育館、グラウンド、スポーツ事務)が設置されなくても開設許可が下りる。ところが大学は、体育施設がないと開設許可が下りない。「保健・体育」という科目は「短大」では選択科目だが、大学は必修科目になっており、体育施設が必要だからだ。
ところがこの大学は、同じ会社が経営している資格予備校「LEC東京リーガルマインド(以下LEC)」の校舎をそのまま「キャンパス」と名乗っているだけで、普通の大学にあるはずの「学食」も「購買施設」も、そして設置認可条件になっている「体育施設」も、この大学にはない。認可申請時に届け出た「グラウンド」は、大学「キャンパス」から遠く離れた工場の跡地だった。そのため、どういういきさつでこの土地を「学校グラウンド」として申請することになったのか、国会からも疑惑の目が向けられたのだが、この大学には竹中平蔵がバックに控えていたことも影響したのか、うやむやに終わってしまった。
学力向上事業批判
学力も体力も全国で上位にならないから「できのいい子だけに『お小遣いを増やそう』」って事?
橋下知事が学力向上事業を批判
橋下知事は、教育問題で何をしたいんだろう。スタンスがぶれてきているのがはっきりわかる。
知事はこの発言が飛び出す前日、大阪府の戦略本部会議に出席。中西正人教育長のマニフェスト案に学校での給食導入推進が掲げられたことに関連し
「(給食や弁当ではなく)パンとジュースだけですませている子供を何としても減らしたい」
と訴えたばかりだ。
【橋下日記】(8日)「パンとジュースだけですませている子供を何としても減らしたい」
ところがその舌の根が乾かぬうちに、その翌日には
「この学校がだめで、この学校はいいではなく均等に市町村判断で使えるようにしないと(いけない)」
と、学力向上に取り組む小・中学校に補助金を交付する府教委の事業について見直しを求める発言をした。これには大阪府教育委員会も困惑の体で
「事業の基本的な考え方は変えられないが、工夫の余地があるかは検討したい」
とコメントしている。
奨学金・滞納ゼロ作戦
公的機関が「闇金業者」のまねごとをやってどうする?
いかにも「強者目線の持ち主」橋本らしい発想だ。
奨学金・滞納ゼロ作戦始動、大阪 体制強化で回収増目指す
「借りた金は返す」。
これは世間一般の常識だ。
贅沢のために借金し、首が回らなくなってもそれは「自己責任」の一言で片付けられる。
だが、奨学金は違う。頭がいいのに学資がないために、上級学校に進学できるかどうかわからないかの瀬戸際に煮立たされている、前途有望な若者達のためにできた制度だ。
大学以上の「高等教育」は「無料」でやらなければならないという国際条約がある。ところが、いかなる理由からか、日本はこの条約を未だに批准していない。この条約を批准していないのは、日本を入れてたったの3カ国だけ。「先進国」では批准していないのは日本だけだ。野党が国会で追及しているのか、私は寡聞にして知らない。私に言わせれば、この「奨学金制度」は、条約を批准する代わりに導入したと思っている。
大阪府の説明として、返済能力があるにもかかわらず、返済義務に応じていない受給者対策として、今回の作戦を始めたという。大阪府内では、今年3月末の滞納額は6年前の3月末と比べ約2倍。滞納者数も約1・8倍の約3万5000人に拡大したそうだ。