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全ての子供達に笑顔を!
チャリティー・寄付文化を創造するNPO支援サイト「チャリティー・プラットフォーム」は、毎年、クリスマスの時期に「企業」と「NPO」、そして「市民(WEBではあなた)」がつながるための、募金活動プロジェクト「SAY LOVE」を通じ、子供達を助けるキャンペーン「子どもの笑顔100万個プロジェクト」を実施している。この団体が、先日twitterを通じて協力を呼びかけるメッセージを発信したので、私も参加することにした。
ご存じの通り、国内外を問わず、子供達の置かれている状況は、年々厳しさを増している。
国内では、いじめ等による集団暴力や人とうまくコミュニケーションをとれないこと(私がそうだ)、将来に希望を持てないことに起因する自殺の問題は以前からあったが、ここ最近は家族(特に母親)の虐待で死に至るというケースが急増している。そして我が子を虐待する親は、地震も親や周囲から折檻(せっかん)を受けて育った人間が多い。格差問題がメディアで盛んに取り上げられているが、児童虐待問題も深刻な状態である。そしてこの二つは、密接に関わっている。我が子を虐待し、死に至らしめる親の収入はほぼゼロか、あっても「ワーキングプア」並の年収しかない。自分達に余裕がないから、何か不満があると、怒りの矛先は我が子に向かってしまう。雨宮処凛の著書「生きさせろ!」-難民化する若者たち-の中に、子供を虐待して死に至らしめた若い親は、日雇い労働派遣であちこち転々としていたワーキングプアだったという事例が紹介されている。メディアは事件の真相背景まで取材して記事を作成しないが、こういう事例は案外多いのではないか、と思っている。
国外に目を転じると、こちらも子供達は生きるのに命がけである。先述の貧困や児童虐待問題に加えて、戦争災害、民族差別、児童売春、難民という問題が彼らの頭上に降りかかる。彼らは、海外のメディアに向かってしきりに訴える。
「学校へ行って勉強したい。友達と遊びたい」。
学校へ行って勉強する。
友達と好きなだけ遊ぶ。
たった2つの願いことが、彼らにはあまりにも遠い現実…。
戦争によって子供達は家族・友達・家だけでなく、時には身体の一部をも奪われる。
運良く命が助かったとしても、生存への道のりは前にも増して厳しくなる。
新天地で住居を得たとしても、いわれなき差別に苦しむかも知れない。
時には、売春などの理不尽な要求もされるかも知れない。
心身とも傷つけられ、精神を病み、心の中に深い闇を抱えた子供は
成長して大人になってもその後遺症に苦しむことになる。
そして、彼らを悪の世界へと誘う悪魔のささやき。
彼らが「テロリズム」に走る気持ちもわかるような気がする。
だって、彼らには未来がないのだから。
しかし、未来がないからという理由で関係のない第三者を傷つけるのは許されないし、認められない。
鉄道遅れ半数超が自殺
あまりの数の多さに、すっかり慣れっこになってしまった感覚が怖い…
鉄道遅れ4万本、半数超が自殺原因…首都圏
皆さんは、鉄道自殺の現場に出くわしたことが何回あるだろうか?
私は、記憶にある限り4回ある。
最初は上野駅のホームでで「人が飛び込んだ!」と大騒ぎになった。
どういう状況か確かめてみたかったのだが、死体を見るのがイヤだったのでそばに寄らなかった。
2回目も、やっぱり上野駅での出来事。
駅員が、大きな袋に何かゴミみたいな物を詰め込んでいた。
だが、私はその袋の中身を一瞬で理解した。
あれはゴミじゃない!
さっきまで生きていた人間だ!
そう。
その人はいかなる理由からか、ホームに侵入する電車に身を躍らせ、自らの命を絶った。
傍目から見たら、犠牲者はうら若き女性だろう。
バラバラに打ち砕かれた女性の遺体を拾う、駅員の精神的ストレスは察してあまりある。
3回目は、深夜におこった。
乗車した列車に先行して走っていた特急が、通過駅で人身事故を起こしたというアナウンス。
ややあって、私の列車は遅れて出発し、事故が発生した駅に到着した。
駅では、駅員が事故対応に追われていた。
列車を見て、私は顔色を失った。
車体には、犠牲者の血糊がべっとりとついていたからだ。
通過する駅のホームを見ている最中、自分の席の窓に血糊がべっとり飛び散ったらどう思うだろう?
私が見た時はかなり洗い流されていたとはいえ、血糊のあとがかなり残っていた。
深夜だから、遺体を集めるのも一苦労だったに違いない。
急いでいるから料金を払って特急に乗ったのに、後続の各駅停車に追い抜かれたのだから
利用者から見たら「カネ返せ!」と叫びたい心境だろう。
新型インフル脅威再び
今、そこに近づく危機…
新型インフル 1週間で入院86人 厚労省 重症化防止策を強化
2月から4月頃にかけて、日本中をパニックに陥れた「新型インフルエンザ」がまた流行の兆しを見せている。「日刊ゲンダイ」は、これまで再三「今は嵐の前の静けさだ」と警告し、政府・厚労省の対応の遅れを非難していたが、彼らが訴えていた「嫌な予感」は不幸にも的中してしまった。新型インフルエンザによる死者が2名出てしまったのだ。厚労省の発表では、2人の死者はいずれも腎臓疾患など重篤な病気を患っており、健康な患者にはたいした影響はないと、不安を打ち消すのに躍起だ。しかし、厚労省は本日対策会議を開くとしており、それなりに危機感を持っているようだ。願わくば、それがパフォーマンスでないことを祈るのみだが。
新型インフルエンザのワクチン接種をどうするのかを巡って、政府・与党と民主党は激しく対立してきた。政府・与党は医療関係者のワクチン接種を優先するべきだというのに対し、民主党は子供・お年寄りなど「社会的弱者」への接種を優先すべきだと主張し、妥協点は今も見つかっていない。両方の言い分にはそれなりに筋が通っているだけに、どう折り合いをつけるのか難しい問題だ。
政府が対策をモタモタしている間に、影響はじわじわと広がっている。プロ野球・北海道日本ハムの選手3人が、新型インフルエンザに感染しているのを確認されたのを始め、高校野球でも天理・PL学園・立正大淞南の3校の野球部員が、新型インフルエンザに感染しているのが確認されるなど、関係者の間では動揺が広がっている。
64回目の終戦記念日
未だに「戦争待望論」がわき起こるのは何でだろう?
次代へ継ぐ 不戦の誓い 64回目終戦記念日 戦没者追悼式
今から四半世紀前、今上天皇陛下は皇太子時代にメディアのインタビューで、1年に4回家族で黙祷するとお答えになったことがある。その日とは沖縄陥落、広島原爆忌、長崎原爆忌、そして終戦(敗戦)記念日。ご幼少時代に疎開を経験し、小学校時代に外国人家庭教師から教育を受けた陛下にとって、先の戦争での犠牲者に黙祷を捧げるのは、当たり前のことなのかも知れない。幼少時代に受けた彼のリベラリズムは、数年前のサイパン訪問で「万歳クリフ」といわれた崖で黙祷を捧げ、「韓国に縁(ゆかり)を感じる」と語り、園遊会で「(日の丸を歌わせ・君が代に敬礼させることを)強要するのはよくないですね」と、皮肉を言う原動力になっている。昨年の誕生日の時は「国民の幸せを願う」とはっきり言っている。言い換えれば、今の右傾化した政治状況と空気に、陛下「皇族」ではなく、一人の「戦争体験者」として、相当頭にきておられるのではないか。そんな感じがするのである。
この時期になると、メディアは「終戦特集」と称して、戦争に関係のあるドラマ・ドキュメンタリーをばんばん流す。流す方は「過去を忘れないために」これらの番組を制作・放映しているのだろうが、この時期メディアが流す「空気」には、いささか違和感を感じる。戦争が起きているのは、あの時期の日本だけではない。現在も、世界中の至る所で銃口が鳴り止むときはない。パレスチナで、イラクで、チェチェンで、そしてアフガニスタンで。チベット、ウィグル、そしてイランでは、政府の圧政と戦う人たちが立ち上がり、命をかけて世界中で自分達が受けた仕打ちをアピールしているが、メディアは彼らの声を伝えることはないし、あったとしても周知されることはない。多くの事実と悲劇が、世界中の視線から覆い隠されているこの現実を、我々はどう受け止めるべきなのだろうか。
twitterが変質した
先日、このブログでもtwitterについて書いた。
ところがその直後、twitterの雰囲気が変わってしまった。
そのきっかけは、先週末何者かにtwitterが攻撃されたこと。その後のネット情報によると、この攻撃は、旧ソ連圏在住で、twittrを使って反体制活動をする活動家(それも1人!)を攻撃するために、体勢がtwitterシステムに、なんらかの妨害をしたらしいのだ。そのため数時間にわたってtwitterは機能不全に陥り、投稿不能になってしまった。
このシステムはもともと、参加者が知り合いに「今○○」をしていますとつぶやくためのスペースである。○○の言葉には、プライベートな部分が入る。飯食った、散歩中、今○○にいる、○○と会っている、○○している、原稿を書いている、ブログを書いている…私は目にしたことがないけど、ひょっとしたら「ラブホで○○の真っ最中」なんて描き込みをしているヤツもいるかも知れない(妄想ふくらみすぎ?)。
以後、twitterの雰囲気は明らかにおかしくなった。プライバシーに関する書き込みがめっきり減り、ニュースに関する情報や意見交換、自分が活動していることの宣伝告知といった、本来のtwitterの趣旨から大幅に外れたものが急増している。参加者の中には「自分のプライバシーが漏れているかも」という恐怖感から、顔写真(twitterでは「アイコン」という)を変えたり、プロフィールを書き直す参加者も増えているという話が流れている。すべては「身の安全」のため、有り体に言えば「ネットストーカー対策」と言っていい。
twitterの魅力とは
最近、twitterなるものにはまっている。このシステムを知ったのは知人のブログからだった。ブログにtwitterのパーツが貼りつけられており、私はそれが何のシステムなのか知らないまま参加したが、何のために、どんな目的で使うのかよくわからないから、しばらくの間放置していた。
ところが、先月来のイラン国内の騒動がきっかけで、私はこのシステムの本当のすごさを知ることになる。twitterは「ささやき、つぶやき」という意味の英語だが、このシステムは140字以内で自分のいいたいことをネット上につぶやく。自分の気に入った人間をフォローし、フォローされることで、ネット上の人脈が広がるというシステムである。
mixi等のSNSと違うのは、SNSはその人とくっつきたい場合、相手にメールを送って先方の了承を得なければならないのだが、twitterは自分が気に入った人間を勝手にフォローし、面白くないと思えば勝手にフォローリストから外すことができる。当人が知らないうちに、有名人からフォローされることがあるというのもtwitterの大きな特徴であり、これはフォローされた人間から見れば大きな喜びである。もっとも、フォローした人間の発言が面白くないと思われたら、あっさり外される恐れもあるのだが。
その多くが招待制をとるSNSと違い、twitterは入るのもくっつくのも敷居が低いこともあり、国会議員・地方議員、クリエイター、ジャーナリスト及びライター、有名人がこぞって参加し、twitter内は大賑わいを見せている。一度に送信できる文字数が少ないために深い議論には向かないが、参加メンバーが常日頃何を考えているかがすぐわかるため、参加者は増加傾向にある。あるフリー・ジャーナリストは
「twitterは、ネットやメディアに新たな可能性をもたらした」
と語っている。
集会拒否で賠償命令
保守化著しい上級審で、この判決がひっくり返らなければいいが。
集会拒否で賠償命令 日教組請求2.9億円全額『プリンス』敗訴
発端となったのは、プリンスホテル(以下ホテル)側が、日教組の予約を取り消したことである。ホル側は一度、予約を受け入れたのだが、日教組が過去に開催した教育研究全国集会(以下教研集会)で、右翼側の妨害に遭っていたことを知ったホテルが、日教組の予約に虚偽の申請があったこと、右翼団体による妨害活動のために、ホテル近隣に迷惑を掛けるとして、日教組の予約を取り消したことである。
日教組はこの予約取り消しを不服として東京地裁に仮処分を申請、地裁、東京高裁も日教組の仮処分申請を認め、ホテル側の契約破棄を不当とし、契約を元に戻すよう命令したが、ホテル側はこの命令を無視した。日教組は急遽代替会場を探したが見つからず、教研集会は中止になった。
日教組は「(憲法で認められている)集会、言論の自由が侵害され、信用も大きく失墜した」として東京地裁に訴訟を提起した。その結果、昨日の判決で東京地裁は日教組の主張を全面的に認め、被告・プリンスホテル側に対し、原告・日教組側に対し、損害賠償約2億9,000万円全額を支払うとともに、全国紙への謝罪広告掲載を命令した。
「脳死は人の死」成立
この問題については、まだ議論の余地があったと思う。
「子の命は」親心明暗 「脳死は人の死」成立
最初に断っておくが、私は基本的に「脳死は人の死」という意見に賛成の立場である。
理由は2つ。
脳はすべての臓器の司令塔であり、「脳が機能停止に陥る」ということは、他の臓器の働きに影響を及ぼすということ。そして、「植物人間」状態に陥った患者をみるのは忍びないこと。
もう一つは、臓器移植の問題。「脳死」の場合、臓器移植が成功する可能性が高くなるという話を、聞いたことがある。臓器移植をしないと助からないケースが多々ある以上、それをしやすいようにするためには、積極的に「脳死認定」を進める必要があるのではないか、と思うからである。無駄な延命治療をしてお金をかけるより、使える臓器を他人に移植してもらいたい、という考えもある。
法律改正前は、当人が生前に臓器提供意志を書面で意思表示することを証明する必要があったが、今回の改正で、生前に本人が提供意思を表明していない限り、家族の同意があれば臓器提供ができるようになった。同時に、臓器提供の年齢制限(改正前は15歳未満)も撤廃された。
背景として、海外での臓器移植に関して、国際世論の風当たりの厳しさが挙げられる。世界保健機関(WHO)は、自国内で臓器提供を増やすよう求める、臓器移植指針を改定する方針で、今回の改訂はそれを先取りしたものだ。海外の臓器移植には滞在費・医療費を含めると億単位の費用がかかるのが現状で、海外でも「なぜ日本人だけが?」と、非難の対象になっているため、その批判をかわし、患者の費用負担を軽減することも、この法律が制定された理由のひとつだと思われる。
「ナイキ公園」誕生?
施設ならともかく、公園にまで「命名権」ビジネスを導入することには抵抗感がある。
渋谷・宮下公園 “ナイキ公園”に 『市民活動に制約』反発も
昨日は宮下公園に行ってきた。美術展覧会開催以外では、ほとんど渋谷に行かない私がそこを訪問したのは、渋谷駅近くにある宮下公園が「ナイキ公園」に改称されるという記事が夕刊にでかでかと載っていたので、どんなところだろうと興味をもったからだ。
この公園は駅から歩いて5分ほどの好立地にあり、面積は10,000平方メートルほど。ブランコ、ジャングルジム、砂場といった幼児向けの遊具の他、2つのフットサルコートがあり、週末は愛好者で賑わう。だが昨今の不況を反映してか、この公園にもホームレスが目立ち、敷地内にはホームレスが建てたと思われるテントが約20件ほど軒を連ねていた。
実際に歩いて感じたのは、幅の狭さと奥行きの長さ、想像以上だった緑の豊かさ。道路と線路の空きスペースに設置されたという印象なので、普通の公園とはちょっと違うイメージがあるが、敷地内には鬱蒼とした雰囲気が漂っている。雨上がりにいったせいか、公園内はボウフラとおぼしき虫がうじゃうじゃ飛んでいた。
ホームレスのテントについては「公的スペースは彼らのものではない」という認識を持つ人が多い。公園内の敷地の一角を占めるホームレスのテントに、威圧感を覚える人も、彼らを「気持ち悪い」と嫌う人の気持ちはわかる(私だってそうだ)が、彼らだって好きこのんで公園に「移住」してきたわけではない。仕事がないから金がなく、金がないから家賃が払えないし、身なりだって整えられない。本来なら「ホームレス出て行け」というまえに、ホームレスが出ない社会を作るにはどうしたらいいのかを考えるのが先決じゃないかな。
自殺者30代で過去最多
たったひとつしかない命。大切にして欲しい…
自殺 30代で過去最多 19歳以下11%増
3年くらい前、朝日新聞の論断し「論座」に「希望は、戦争」と主張する論文が投稿され、論断が大騒ぎになったことがある。この論文の作者は20代後半のフリーター(当時)だが、筆者は戦争を起こすことですべてがよくなると信じているようだ。だが、戦争がもたらすのは破壊であり、希望の代わりにやってくるのは絶望である。作者は、そのことを知っているのだろうか。
彼は、近著の中でも相変わらず「戦争の必要性」を説いているようだが、現在の若者にとっては、日々生きることが戦争になっている。そして、その戦争の敗者が自殺に走るのだ。本来なら、自殺者防止のための「セーフティーネット」が必要なのだが、近年はびこる「自己責任論」のために、彼ら社会的敗者は肉体的・精神的・金銭的にも追い詰められている。
私が育った世代は「いじめ」の問題がひどかった。
「いじめられる側が悪い」といわれて育った。
子供を育てる親の側に、そういう意識がはびこっているのだから、いじめの問題が解決するわけがない。
「自殺するのは、自殺する人間が弱いからだ」
「強者」の側にたつ人間は、こういって弱者を蔑む。
「おまえらには、生きる価値がないのだ」といわんばかりに。