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汚染の中で生きる覚悟を
今日の朝日新聞に載ってます。大事だと思ったのであえて全文起こしてみました。これ、今中さんの発言だから、きっとみんな読んでくれるかなと思った。とくに後半部分、私自身こう思っていても、バッシングが怖くて、はっきり言えなかった・・・・
リスクコミュニケーションを語るのは、やはりこういう方が適しているのだと思いました。

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汚染の中で生きる覚悟を  今中哲二

旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の影響について、長年にわたって現地の調査を続けてきた。その過程で、放射性物質に汚染された地域での被曝線量をソ連がかなり綿密に調べていることを知った。村毎に外部被曝による線量や、食品や牛乳などから体内に取り込まれる放射線物質を計算し、基準値と照らし合わせ、居住可能かどうかを判断していた。
 福島第一原発事故の被災地でもこのような作業が必要だ。放射性物質の分布は濃淡が激しく、同じ集落でも、場所が違うと線量も異なる。だから、住宅一軒ずつの線量を計測しないと、被曝量も出せない。その土地で摂取されるあらゆる食品の放射能も、住民の内部被曝の度合いも測るべきだ。そして、住民に「あなたがここに住み続けると受ける線量はこのくらいですよ」と示す必要がある。

 線量をはかりにくいストロンチウムやプルトニウムがまき散らされたチェルノブイリに比べ福島の被災地に残るのはほとんどが放射性セシウムで、計測に大きな困難はない。自治体が責任を持ってその作業を進めるのが望ましい。そのうえでとどまるかどうかは、住民自身が決めることだ。
 よく基準値以上なら危険で以下なら大丈夫、と考える人がいる。年間1ミリシーベルトとか、20ミリシーベルトとか、さまざまな基準値が議論されている。しかしこうした数値は、科学的根拠に基づいて導かれたものではない。がんになるリスクのある放射線にどの数値まで我慢するかは、社会的条件との兼ね合いで決まる。
 たとえば、1ミリシーベルト以下でも我慢できず、安全な場所に引っ越そうとする人もいるだろう。しかし、引っ越しにはそれなりの経済的、精神的負担が伴う。人によっては「20ミリシーベルトを越えてもまだ故郷に残りたい」「農業を続けたい」という判断もあるに違いない。
 放射能をどこまで我慢するのか。この難しい判断を市民一人ひとりが迫られている。
それは福島県だけのことではない。東京もそれなりに放射能に汚染されている。少なくとも一時は、外出を控えた方がいいレベルだった。だとすれば、汚染の低いところへ避難すべきだったのか。そこでも、個人の判断が必要になる。
 私たちはもはや、放射能汚染ゼロの世界で暮らすことが不可能になった。これからは、放射能汚染の中で生きていかなければならない。その事実を受け入れた上で対策を考えなければならない。

 
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(非公開コメント受付中)

hlllueharaさんの言説に従えば、つまり政府は今中発言のような対策を結果的に採らないということです。
これは過去の公害の例を見ても妥当なところですが、有効な措置を採らないことを仕方の無いことと考えるのか、やはり有効の措置をとらせるために活動するのかは、今後の被災地支援に大きな影響を与えます。

つまり有効な措置の無い中で自己責任を要求するのか、それとも有効な措置を求めつつ自己責任で対処していくのかの違いが出てくるのですが、私はやっぱり両方は車の両輪のように必要であって、自己責任に比重を置いて強調するのは良くないと考えます。

hlllueharaさんは片方で政府の責任が果たされていない現状があるのを知りつつ、そして「出来ない理由」を並べつつも、もう片方で被災者の責任を要求するわけですね。
しかも「のたまう」などと厳しい表現で。
あまりにもバランスの悪い議論であると思うのですが、そういった議論に有用な「放射能リスクの理解」とはいったいどのようなものでしょうか。


まったく同感です
今中氏発言を検索して発見しました。今中氏にまったく同感です、政府も実際にはこう考えているでしょうし、本当に腰の据わった方が対策主管者なら公然とこう言うでしょう。しかし公然とは言えない、あくまで国民を安全に守るのが義務だからだし、言えば大きな批判がくる。
 更に問題なのは「自分では判断できない人」の存在、”自主”避難区域に対してさえ自分の生業を守ることをせず逃げてしまう人の多さ、その挙句に政府に「はっきり基準示せ」とのたまう声。

これは大変難しい問題ですが国民は徐々にわかって来ていると思います。貴殿は放射能リスクに関して珍しく理解ある方ですねツイッターフォローしました。


リスクを伝えて個人の判断を尊重する。
私の意見と何が違うのだろう?と思いますが、まぁそんな感じでしょうね。
あえて違いを言えば「四の五の言わずに放射能を受け入れろ!都会の人間は少々の汚染を受け入れて、原発被災地の生産物を消費しろ!」という意見ぐらいでしょうか。
しかし3.11以降、世界が変ったのですから、実際 四の五の言ってもしかたがないのですが。
 で、「人によっては~」以降に書かれている被災者を、予め想定して危険な話は止めておこうというのはミステイク。

被災者が止まるのは判断した結果であって、最初から運命付けられたものでは無いのです。
運動体の「こだわり」「問題意識」はけっこうな事ですが、それは住民の下した判断に対して投影されるべきもので、運動体側から結果を想定して「こだわり」「問題意識」を持ち込んでしまったら、違う判断をした人に、間接的・直接的によろしくない影響を与えかねません。
まぁ、普通は批判されますね。

これは「やってることは大事なんだけど、なんか違う」という「科学的」政党の運動を反面教師にすれば良いかと。
党の偉い人が「国民」を想定して、その「国民」に対して政策を訴えるわけです。
でもね。勝手に想定しちゃぁダメなんですよ。



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