昨年の2月の記事です・・今年は全くフェアトレードにかかわれずバレンタインデーを迎えてしまったことへの反省を込めて・・・・
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今回、お玉が命の話をするときに心がけたことの一つに「神様の話はしない・・」があります。神様がたとえ、いなかったとしても命の重みは「変わらない」どんな人にとっても、命は重く価値があり、大切・・・・・
ただし、お玉自身は神様はよくわからないけれど、魂ってあるような気がしてるし、コウトさんの考えに近いかな・・・・
KYさん、ごめん、またあなたのコメント引っ張り出しちゃって・・
生命
全ての命に等しく価値があることは認めます。しかしそれでも命の価値は、平等ではないし、それを平等であると言うのも何か違うのではないかと思うのです。
アフリカでチョコレートというお菓子を見ることもなく死んでゆく子供たちの収穫をのうのうと食べて暮らしている私たち、そんな私たちが『命は平等に価値がある』と言うことにどれほどの『価値』があるのか、私は疑問に思うのです。
それが『正しい』ことは、理解できます。理解できますが、『共感』はできないのです。
それはまるでローマの総督がキリストの処刑の前に手を洗って『私はこの人の死に関係がない』と宣言したかのように、まったくの偽善のように罪深く感じられるのです。
ここでKYさんがおっしゃっている「アフリカの子供達」とはチョコレートの原料であるカカオの収穫のためにただ同然で労働させられ、そのために奴隷として売買されている子供達を指していますよね。そして、それを知らずにやれバレンタインだ、何だと日本ではチョコレートを大量に消費する・・あの子供達はこのばかばかしいお祭り騒ぎのために働かされているの?・・・・・・・
お玉は昨年のバレンタインのおりにこの話を取上げてます・・・・・と書いてから確かめたのですが・・どうも記事にしてないみたい(^_^;)・・そうか・・リアル社会ではフェアトレードの事をお手紙にしてチョコに添えてみんなに渡してたんですが・・・・紹介すら書いてなかったのか・・・
日本で売られているチョコレートの殆どはこのアフリカやアジアなどで奴隷として働かされている子供達の収穫したカカオから作られている・・子供達はカカオは知っているけれどチョコレートを見たことすらない・・
なにがアンフェアトレードで作られた商品なのか、お玉達が気がつかないことの方が圧倒的に多いです・・・これも「知らないことの罪」だとお玉自身は感じてます。知っていくこと、そして、考えることしか出来ずとも、折に触れ考え、伝えていくことでたとえ偽善と言われようとも「命のこと」を考えたい・・・そして、自分で出来る一歩から始めたい・・全ての私財をなげうって身を挺しなければ命のことを考えられない?命の重さがわからない?そんなことは決してないよ。その極端さは詭弁だと思う。
知らないことの罪を知る・・・・KYさんはそれを知っているんだとお玉は思う。語る方向は違うけど、思う気持ちは同じというか・・お玉って、考えが甘い?