狩猟と肉食について
私のナイフコレクションの中でも、トップクラスのお気に入りである「放鷹刀(ほうようとう)」だ。
鷹狩に帯同し、獲物の皮を剥ぐ目的の小刀である。
私はさすがに鷹狩はしないが、独特の形状のこのナイフは案外に万能である。
ハンドルも実に握りやすい。
これは、ジーサカイ(G.SAKAI)の製品である。昭和22年創業の老舗のナイフメーカーだ。ちなみに、Gは米国の有名なナイフメーカーであるガーバー社を指し、技術提携の関係にあるらしい。
さて、鷹狩は武士のスポーツとして有名で、徳川家康もこれを好んで行ったことが知られているが、本来はやはり食料調達のための狩猟である。現在はほぼ行われていない。
そもそも、現在、特に国内では狩猟全般がなくなってきており、食肉用の動物のほとんどは飼育されたものである。
これら飼育された動物が、食肉とするために屠殺(とさつ)されるのを見てベジタリアンになったという人がよくいる。ポール・マッカートニーもそうだったと思う。
ただ、聖書にも書かれている通り、イエス・キリストが、動物を屠って(殺して)食べるよう薦めており、全ての食べ物は清いと宣言された。釈迦もまた、肉食を禁じてはいないらしい。
これら食肉となった動物に感謝しながら食べれば良いと言う人もいる。
水野南北も、鳥や魚は、人に食べられることがその本分であるという思想を否定してはおらず、特に老人の場合は消化の良い肉食は少量であれば薦めてもいる。
そもそもが、時代や地域によっては、肉以外に食べるものがないという状況も少なくなかったと思う。
私は、自分は肉や魚は食べないし、出来れば肉食を避けることをお薦めするが、他人の肉食に口を挟む気はない。
だが、上にあげた「食肉となった動物に感謝しながら食べれば良い」ということに関しては、他に食べるものがなく、少食である場合のみ認める。飽食で、その肉を美食として楽しむというなら、私は良いこととは思わない。
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