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矢口敦子 / 償い
- 2008/09/11(木) 00:00:00
ミステリー小説の形式で、命の尊さを訴えた作品と言えると思います。
医者でありながら、多忙を理由に我が子の病死を防げず、さらに妻を自殺で失った日高。それを機に野宿者へと転落します。
ある日彼は真人という15歳の少年に出会うのですが、彼は12年前、日高が無欲で救った、性犯罪の被害者でした。
そんな中、日高はいくつかの殺人事件と遭遇するのですが、次第に真人が犯人ではないか、という疑惑が生じます。自分が助けた少年が殺人鬼に化してしまったのか! あの時真人を助けたのは善だったのか悪なのか?
妻子を失った自責の念と、真人との関係を通し、「生きる」ことについて問いかけてきます。
最近話題になっている、図書館を拠点とするホームレスからの視点、キャラクターや場面設定、話の展開に無理を感じさせないこともありませんが、人の命はなぜ尊いと言われるのか、考えさせるきっかけになると思います。
罪を犯したけれど、罰する必要はないというんでしょうか。人の肉体を殺したら罰せられるけれど、人の心を殺しても罰せられないんだとしたら、あまりに不公平です。
確かに、法律は肉体上の犯罪を問題にしますが、心を殺した罪に問われることはありません。倫理・道徳的観点から意見を言うことはできても、そこに決定的な制裁を与える力は乏しいでしょう。
しかし、口で言うことも、身体でやることも、人間の行動は心の動きによって決定されますので、この人の心を殺しても罰せられないんだとしたら、あまりに不公平ですという問いかけは非常に重い意味を持つと思います。
本書には、このような、人間の幸福感と心の関係、「なぜ生きるか」について考えさせられることが多く、冒頭にも書いたとおり、ミステリー小説の範疇にとどまらない作品だと思いました。
「野瀬さんが不幸だったのだとしたら、そんな状態で殺されたのは気の毒だ、って言ったでしょう。裏返せば、幸福な人なら殺されてもいいってことでしょう」
「そんな裏返し方するなよ。俺は、人が不幸なまま死んじゃいけないと言っただけだ」
「ママはゴミを出すこともできなくなった」
「なぜゴミを出せなくなったんだろう」
「人サマに迷惑をかけるって言うんだ。なにが人サマに迷惑で、なにが人サマに迷惑でないか、ママの分類法はむずかしいよ。僕がさらわれたのも、人サマに迷惑をかけた部類に入っている。誘拐は、村井が悪いんじゃなく、自分の落ち度だと思いこんでしまったらしい。なんたって、買物に気をとられて、まだ2歳の子の世話を怠っていたんだからね。ママにも責任はあるさ」
「そんな無茶な」
「無茶な話でも、ママはそう思っているんだもの。僕が女の子のようにかわいく生まれたのも、僕を女の子みたいな格好で育てて村井の性欲を誘ったのも、みんなママの責任なんだ。結局のところ、ママは僕を産まなければよかったと考えている」
「僕の魂も歪んでいる。僕の歪みは魂ばかりではなく、僕をとりまく空気にまでおよんでいるんだ。その空気を吸って、人が狂う(中略)
倫也は僕に影響されて死んだんだ。堀田さんもそうだよ。僕はあの人を楽にしてあげようと証拠の品を返してやったのに、自殺してしまったんでしょう(中略)
僕はいつも絶妙のタイミングに行き合わせる。そして、人が死ぬ。
村井誠一郎だって、僕がママと一緒にここまで来なければ、自殺未遂ですんだかもしれないんだ。それなのに、僕が来たから、僕の魂の歪みを受けて、本当に死んじゃった。もしかしたら関口さんが殺されたのだって、僕が関口さんを哀れんだせいかもしれない。みんな、僕が悪いんだ。
日高さんだって、そう考えているでしょう。僕をあの時、助けなければよかった、と。そうすれば、死なずにすんだ人がいたのに、と」
「俺もきみも、生きなければいけない。倫也君も堀田さんもいきなければならなかったんだ。だが、死んでしまったものは還ってこない。それは仕方がない。
生きることだ。逝った者達の重さを抱えて、よろめきながらも最後まで生きぬくことだ。それが俺の償いだし、きみの償いだ」
「でも、(中略)僕は生きていちゃいけないんだ。もっと早く死ななけりゃいけなかったんだ。だけど……」
(中略)
「生きていちゃいけないなんて、どんな人にだって、たとえ自分にだって、言っちゃいけないことなんだ」
「だけど、僕には生きる価値なんかないんだ。そう言われたもの」
(中略)
「真人に生きる価値がなくて、誰に価値があるっていうんだ。どんな人間だって、価値がないといえばいえるし、あるといえばいえるようなものだよ。だけど、ここにきみがいて俺がいるのは、一般論じゃなくて現実だ。きみがこの世界にいてくれて、俺は嬉しいよ。そして、それが大切なことなんじゃないか」
「日高さんが僕を大切に思うのは、だけど、僕を助けたという事実なんであって、僕の存在そのものじゃないんじゃないの」
「はじめは誰だってそうだろう。たとえば、オギャアと生まれたその瞬間に親がその子をいとおしいと思うのは、自分の子だという事実によりかかっているだけだ。だけど、やがてその子の存在そのものが大事になってくるんだよ。正直にいえば、再会するまできみは俺の中で、ないも同然のちっぽけな空間しかしめていなかった。でも、いまはちがう。きみがまるごと大事だ」
「だけど、僕は殺人鬼だよ」
「殺人鬼だろうとなんだろうと、まるごと大事だ」
「僕は、生きていてもいい、のかな」
「当たり前じゃないか。生きていてくれなければ、俺が困る。俺が悲しい」
ただ、「僕が困る、僕が悲しい」から「生きていてもいい」というのは、一応は頷けますが、では、悲しんでくれる人がいない人の存在価値はどうなるのだろうか? という疑問は残りました。
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- From: ぱんどらの本箱 |
- 2009/02/25(水) 10:26:39
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