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遠藤周作~沈黙

  • 2007/03/07(水) 12:59:06

遠藤周作 沈黙
 毎週、仏教の話を聞いているという友達に紹介されて読んだ本ですが、遠藤周作といえばクリスチャンです。彼女がなぜこの本を勧めたのか、聞いてみると「暗いの好きだから」と笑っていましたが、実際読んでみて、なるほどと納得しました。これは、遠藤周作自身の、キリスト教信仰の崩壊を告白した小説ではないか、と思います。ちょうど、国木田独歩「祈らずとても、助くる神なきや」と叫んだように、「神は存在するのか」という悲痛な叫びが聞こえてくるようです。

 キリスト教弾圧の激しかった日本に、果敢に布教に乗り込む宣教師ロドリゴが目にしたのは、過酷な弾圧の実態でした。文章で読むだけでも身震いするような、恐ろしい表現が続きます。日本人を救う為にやってきたロドリゴは、その光景を前になす術もなく、神の奇跡を願うのですが、神は終始「沈黙」を保ったまま。そして、自分が棄教しない限り信者は許されない状況に追い詰められ、彼の苦悩は深まってゆくのです。
 踏み絵の中のキリストに、「踏むがよい。お前のその足の痛みを、私がいちばんよく知っている。その痛みを分かつために私はこの世に生まれ、十字架を背負ったのだから」と語りかけられ、彼は踏絵を踏むことを決意するのですが、なおも心の支えを以下のような結末で表現しています。

自分は彼等を裏切ってもあの人(イエス)を決して裏切ってはいない。今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。

「信じる」とは、疑いの心を必死に押さえ込もうとしている姿に他ならないのではないか、と思いました。

 ひたすら暗く、重く、沈鬱な空気が終始充満している作品ですが、多くの人が読むべき傑作ではないかと思います。
 信仰とは如何なるものか、考えさせられました。特に日本人は宗教的無知、無関心が指摘されていますので、私もこれから勉強してゆきたいと思います。次はドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』でも読んでみようかと考えています。

 ちなみに、仏教の信心について調べてみましたが、「平生業生」という言葉があって、生きているときに救われた自覚があると教えられているようです。詳しいことはこれから調べるとして、最後まで沈黙の神よりも、私には仏教があっているかも知れません。


(参考)
愛とまごころの書評
U田の感想文
「読書放浪」より
ウィキペディア