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ドストエフスキー / 死の家の記録

  • 2009/08/14(金) 00:00:00

久々の(ような気がする)読書感想文

『死の家の記録』というタイトルから

連想されるイメージと、

ペトラシェフスキー事件で逮捕されて、

シベリア(オムスク)に4年間抑留された体験記、

ということから、

どんなにか過酷な労働状況が書かれているのか、

と思っていましたが、

意外と淡々とした、第三者的な記述に貫かれた人間観察日記でした。


中には、不衛生な病院の実態の描写は生々しいものがありましたが、

それ以外は、娑婆の世界とさほど変わらないと思いました。

(娑婆とは本来「堪忍土(堪忍しつつ生きる世界)」という意味だそうです)


巻末の解説にもありましたが、

ここでの人達が、後の『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のモデルになったのだろう、

と想像させされます。


名誉や自尊の強い囚人が、何百、何千の笞(鞭:むち)打ちの刑に耐えるとか、

上官の目を盗んで酒やタバコ、博奕(博打:ばくち)を楽しんだり、

自分の過去物語を自慢げに語りあい、

言い争いが起きたり、友情や信頼関係が生まれるなど、

血の通った、生身の人間的なものを感じました。


そして、

冷酷なシベリアの地にあって、囚人たちの苦しみは、

肉体的な労働の厳しさにあるのかと思いきや、

そうでないことが知らされます。


生きる希望を剥奪され、
無目的な労働を強制的に課せられる
事。


これは、囚人であろうがなかろうか、

人間なら共通に感じる苦痛だと思います。

そして、なぜ生きるかを知らず、生きるために生きている人生ならば、

どんな人であっても、意味の無い行為を余儀なくされている人と変わりが無いのでは、とも。



また、囚人たちの望むところは、共通して「自由」ではありますが、

完全なる自由を謳歌している人が世間にいるかといえば、

皆何かしらの不自由を感じている訳で、

本当の自由とは、仏教で説かれている「無碍の一道」であり、

それこそが人生の目的と言えるのだと思いました。




以下、長くなりますが、なるほど、と感銘を受けた箇所です。



最後の場面は、『歎異抄』第9章の

「苦悩の旧里はすてがたく、安養の浄土は恋しからず」

が思い出される、人間の心理ですね。



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