物事を単純化すると「善悪」がはっきりして見えるものです。裏を返せば、単純化のために「その他」の要素を無視しているからこそ「善悪」がはっきり見えてしまうとも言えるでしょうか。そして白か黒かの二元論の世界に押し込められてしまえば簡単に見える話も、実際は諸々の付随する要素があって決して単純には語れないものだったりします。例えば顕著なのが原発問題で、単純に原発稼働にリスクがあるかないか、そういうレベルで物事を考えることができれば結論を出すのは容易です。しかし現実とはシンプルな二元論では対応できない代物でもあります。リスクがあると言ってもどの程度か、原発を稼働「させない」ことによって生じうるリスクはどうなのか等々、総合的に対処しなければなりません。
あるいは混合診療の問題はどうでしょう。全額患者負担の自由診療と保険が適用される保険診療とがある中、保険が利く範囲は保険で、利かない範囲は自由診療でと両者を併用して請求することは現行の法律では禁じられています。保険外の自由診療を行えば、保険適用範囲内の医療行為が含まれていても全額患者負担になってしまうのです。そこで混合診療を解禁すべしとの意見もあって、まぁ単純に「これだけ」を考えるなら患者側の選択肢を増やすものと歓迎されても良さそうに見えるのではないでしょうか。必ずしも適用範囲の広くない保険治療か、それとも高額な自由診療かの二者択一より、必要に応じて両者を組み合わせることができれば患者側の利益になる、と。
ところが結構な反対意見もあるもので、とりわけ医療関係者には否定的な見解を占める人が目立つところ、どうにも混合診療の解禁によって「保険診療の領域が縮小される」「国民皆保険が危うくなる」などの可能性を懸念して反対の立場を取る人が多いようです。確かに、公的支出に占める医療費の削減に繋がると称して混合診療解禁を説く論者もいるなど、混合診療を保健医療の縮小に繋げようとの思惑を隠せていない人も散見されるわけで、この辺も併せて考えると混合診療の解禁が患者の利益に繋がるかどうか訝しくも思えてきます。
そして今回の本題として挙げたいのが「一票の格差」問題です。これまた単純化すれば、直ちに是正されるべき悪として議論の余地はないように見えることでしょう。一票の格差が2倍や3倍に止まらないレベルで存在する、それが良いことか悪いことかと問われれば、迷う余地などなさそうです。しかし、この問題もまた一票の格差「だけ」では済まされないところがあるはずです。混合診療の解禁に保険診療縮小の影がつきまとうように、一票の格差是正にもまた付き物と呼べる存在があるのではないでしょうか。
当初、民主党政権が一票の格差是正のためにも有効と言い出したのは「比例定数80削減」でした。今なお民主党が拘るのは「40削減」ですし、相対的にはマイルドな自民党などとの折衷案にしたところで「0増5減」となっています。どうにも一票の格差を是正する過程で議員定数も減らしてしまおうという思惑を、程度の差はあれ現政権や次回選挙で与党になるであろうと予測される党は共有しているようです。違憲と裁判所の判決が下されるほど一方の格差が大きくなってしまった中では当然のこととして是正が迫られる、しかしその是正のために議員定数が削減される可能性が高いわけです。日本は人口に比して議員の少ない国ですが、その「少なさ」を問題にする人は珍しいのでしょうか。今以上に議員が減らされるのであれば一票の格差是正には反対する、そういう立場の人がいたって良さそうに思うのですけれど。
何であれ格差が存在するからには、格差の「上」にいる人々と「下」にいる人々へと必然的に分かれるわけです。そして一般的に格差是正は「下」の人からの支持を集めるものでもあります。もちろん経済的な格差是正については「下」からの反発が必ずしも弱くないところですが、そうした人々ほど別の面で(実態を伴わない被害妄想ではあるにせよ世代間格差や官民の給与格差などの)格差意識を持っている、格差の「上」にいる奴らを懲らしめよと「下」の意識を持つ人々が主張してきたと言えます。では一票の格差の場合はどうなのでしょう?
一票の格差の「下」にいる有権者が存在すれば、当然ながら鏡像のごとく一票の格差で「上」となる有権者もまた存在することになります。そして一票の格差を是正すべしと言う声は決して弱くない、行政の補佐が基本スタンスのはずの最高裁ですら違憲判決を下すほどですが、このような状況を一票の格差の「上」にいる人々はどう感じているのでしょうか。しばしば格差是正論は格差の「下」にいる人へと呼びかけられる中、一票の格差是正もまた例外ではありません。確かに格差の「下」にいることによって「損」をしていると感じる人もいるはず、こうした人々に格差是正を訴えては賛同を得る、これは容易なことです。しかし反面では格差の「上」に立つ人もいる、では「上」の人にどう向き合うのかもまた問われるように思います。
基本的に一票の格差で「下」になるのは人口の多い都市部であり、逆に「上」となるのは人口の少ない地方です。ここで一票の格差を是正するとなると、人口の少ない地方から選出される議員を減らして、人口の多い都市部から選出される議員を増やすという形になります(ただし現政府案では前者のみ)。確かに是正には違いありませんが、今まで以上に地方の声が国政の中央に届きにくくなるであろうこともまた考慮されるべきではないでしょうか。地域主権だの地方分権だのと喧しい中、東京などの元から中央に存在する地域から選出される議員の割合が増えるというのも時代に逆行した話に見えます。
昔年の自民党には「地元に利益を引っ張ってくる」タイプの議員が結構いたものです。これは「自民党をぶっ壊す」と称した小泉純一郎が、その後継者である民主党がともに「既得権益」「古い自民党」などと呼んで否定したものであり、「地方に富が吸い取られる」とばかりに都市部の有権者からも嫌われてきたものです。そして現代において有権者の支持を集めるのは専ら「利」ではなく「善」を説くタイプでしょうか。もっとも何が「善」であるかは人それぞれ、公務員/官僚や電力会社、あるいは社会保障受給者や外国人などを「悪」と見なしては、その仮想的を咎めることに熱心なタイプが目立ちますかね。
何はともあれ「地元に利益を引っ張ってくる」タイプの議員は近年ではすこぶる評判が悪い、むしろ「利」をもたらすこと自体が悪徳であるかのように語られがちです。しかし「利」ではなく別の動機で行動する公平無私の政治家こそ正しいと、そうした幻想が地方を衰退させ、地方議員の価値を喪失させたところもあるように思います。自身の選挙区のことより日本全体のことを考える、天下国家を語る議員がいても良いですけれど、同時に地元のために戦う議員がいても良い、異なる立場の両方が国会に送られても良いのではないでしょうか。しかるに格差是正のために地方の議席が削減されてしまえば、「両方」が議席を手にする可能性は極めて小さなものとなってしまいます。
アファーマティブ・アクションは差別なのでしょうか。それに反対する人の中には、アファーマティブ・アクションこそ不公平なものだと主張する人もいるようです。諸々の事情によって弱い立場に置かれた人々に一定の優遇措置を執る、これは公平性を担保するための措置なのか、それとも不当な優遇なのか。もちろん程度にもよりますけれど、弱い立場、不利な立場にある人々には下駄を履かせてやるべきだという考え方と、これを疎む考え方とがあるわけです。では、一票の格差に関してはどうなのでしょう?
一票の価値に関しても、アファーマティブ・アクションの理念は適用できるように思います。そもそも一票の価値が「高い」選挙区がいかにして生まれるかと言えば、その地域が衰退して有権者数も減っていくからです。逆に一票の価値が「低い」選挙区とは、不況の時代にも怯まず、少子化の時代にも有権者数を増やすもしくは維持できている地域です。人口が減り続ける「弱い地方」で一票の価値が高まり、人口が増える「強い地域」で一票の価値が低下する、確かに一票の価値「だけ」に焦点を当てれば不平等な話かも知れません。ただ一票の価値「以外」の格差をも含めて総合的に見るとどうなのか、その辺も考慮されるべきです。
もし現状とは反対に、人口だけではなく産業も集中する都市部で一票の価値が高く、国会議員もまた都市部から選ばれた人ばかり、一方で人口が減少する地方では一票の価値すら低く住民も産業も議員も減るばかりとあらば、これは直ちに是正されるべきものと言えます。しかし人の集中する豊かな都会で一票の価値が低くなる反面、色々と恵まれない地方では一票の価値が高くなる、これ自体が一種の是正措置、アファーマティブ・アクションとしての機能を持ちうるものとなっているのではないでしょうか(そのためには地方選出の議員が自身の地元を重視する必要がありますが)。
確かに現状では一票の格差が大きすぎるところです。しかし、有権者数が減少する=一票の価値が上昇するような地域に下駄を履かせてやっても良いのではないか、そのような立場もあってしかるべきと私は考えます。単純に一票の格差だけを取り出せば善悪がはっきりするかも知れませんが、「その他」の要素をも含めて是正措置の一環としてみれば、議員定数の削減とセットになることが濃厚な格差是正をどこまで急ぐべきなのか、とりわけ議員定数削減に執着する民主党政権下での一票の格差是正は危険ではないのか、そう簡単に結論は出せないように思います。
アメリカの場合、下院議員はドライな人口割りである一方、上院議員は州単位で2人ずつの選出となっており、それこそ上院議員選挙では10倍や20倍では済まないレベルの「一票の格差」が生じています。これを問題視する人がどれだけいるのかどうか知るところではありませんけれど、「人口割り」と「州毎に2人」と明確に制度が分けられていることによって「一票の格差」を感じさせにくい作りになっているとも考えられるでしょう。翻って日本はと言えば、この辺の区分が酷く曖昧なままです。
その内部で衆院と参院の振り分けをどうするかなど意見は分かれると予測されますが、日本でも「人口割り」の議員定数と「都道府県単位」の議員定数を明確に分けてしまったらどうでしょうか。そこまでの抜本的な変更となると次の選挙までに間に合わないであろうことは必至ですけれど、しかし現行の政府案のように議員の数を減らす、とりわけ人口が減って相対的に一票の格差が高まった地域の議席数を減らす、衰退する地域からの声を吸い上げるパイプを細くするという、そんなやり方を少なくとも私は歓迎することができません。もっと他にも、探られるべき道はあるように思います。