非国民通信

ノーモア・コイズミ

あの前原ですら相対的にマトモな部類に見えてしまう

2011-06-29 23:31:26 | ニュース

広がる消灯、障害者不安 車いす利用「エレベーター停止困る」(産経新聞)

 ■バリアフリー両立を

 東日本大震災と福島第1原発事故に伴う電力不足や関西電力の節電要請で、近畿地方の官公庁や企業などで節電の動きが広がるなか、施設の利便性の低下を懸念する身体障害者から困惑の声が上がっている。「車いすを使っているので、エレベーターなどが停止してしまうのは困る」「照明を目印にしていた視覚障害者は、暗い駅などで消灯されると身動きが取れなくなり、大変危険」といった声も多く、施設関係者は「極端な節電に走らず、バリアフリーと両立していく方法を考えてほしい」と訴えている。

 「官公庁やデパートではすでにエスカレーターやエレベーターが止まっている場所が多く、買い物にも行きづらくなってきた」。脳を保護する脳脊髄液が漏れ、歩行困難などの症状が出る「脳脊髄液減少症」のため、約10年前から車いすを使用する大阪市西淀川区のNPO法人理事長、栂(とが)紀久代さん(59)は、急速に広がりつつある“節電ブーム”への不安を口にする。

(中略)

 大阪府視覚障害者福祉協会(大阪市天王寺区)で勤務する全盲の男性職員(33)は、JRや私鉄などが導入を検討している「節電ダイヤ」について、「自分たちは、急にダイヤが変更されても掲示板を確認することができないし、情報を瞬時に把握するのは難しい」と、ため息交じりに話す。

 同協会によると、視覚障害者の半数近くは、わずかに視力が残る弱視者で、弱視者の多くはこれまで、照明の光などを目印に移動などを行っていたが、消灯の動きが広がっていることで、日常生活に影響が出始めているという。

 本来ならば節電の必要がなかったはずの関西圏でも、脱原発ドミノとも言うべき状況の中で俄に節電圧力が強まり続けています。この頃は脱原発自体が人気取りには格好の材料ともなりますし、節電にかこつけて隣人に節制や我慢を強いることを好む首長や市民も少なくない中では、こういった状況への批判はなかなか上がってこないものです。節電にかこつけて利用者や従業員に過剰な不便を強いたり、節電を装いつつ実は電気代を節約しているだけみたいな企業は非難を浴びてしかるべきではないかと思われるのですが、実態はいかがなものでしょう。むしろ便利さの方が過剰な贅沢として忌避され、適度に不便さを装ったぐらいの方が世論のウケは悪くないのかも知れません。しかるに、こうした節電ブームの影で真っ先に困窮するのは、引用元で挙げられたような障害者などの社会的弱者でもあります。


前原前外相「急激な脱原発はポピュリズム」 首相を批判(朝日新聞)

 民主党の前原誠司前外相は26日、神戸市内で講演し、菅直人首相が原発政策見直しに意欲を示していることについて「今の民主党は少しポピュリズム(大衆迎合)に走りすぎている。私も日本が20年先に原発をなくすことは賛成だ。しかし、振り子が急激に脱原発に振れた時、皆さんの生活が一体どうなるか考えるのが本来の政治だ」と批判した。

 首相が主導した中部電力浜岡原発の運転停止についても「止めることの是非と、止め方の是非を後で検証しなければならない」と語った。菅政権が検討する消費増税などについても「日本がかかっているデフレという病気を脱却し、安定した経済成長に移るまでは増税すべきではない」と慎重な考えを示した。

 この頃は産経新聞の方が他紙より弱者目線の記事を載せる頻度が高いのではないかというフシがあったり(反対に弱者の立場を無視したブルジョワ趣味丸出しの論調が目立つのは毎日新聞ですね)、あるいは今回の前原が随分とマトモなことを口にしたりと、まぁ天変地異を思わせる状況が続いています(もっとも橋下とかダイヤモンドの類は原発事故後も一貫してぶれることなくトンデモですが)。もちろん民主党がポピュリズムに走るのが今に始まったことではないのは言うまでもなく、前原発言に関しては「今の民主党も相変わらずポピュリズムに走りすぎている」と訂正したくなるところもありますが、その先はどうでしょうか。

 20年先に原発をなくすというのは難しいのではないか、例によって原発を一括りするのは乱暴で、老朽化の度合いや設計の新旧を鑑みて個別にリスク評価すべきではないか等々ツッコミどころはありますけれど、「皆さんの生活が一体どうなるか」というのは反原発の盛り上がりの中で忘れられがちなテーマだけに、これを持ち出しただけでも評価したいところです。そもそも東京電力管内は致し方ないところがあるにせよ、西日本は今まで通りの電力需給と生活を継続することが可能だったはず、しかるに「振り子が急激に脱原発に振れた」結果として、冒頭で引用したように弱者から真っ先に忍従を強いられる状況ができあがっているわけです(もちろん労働や雇用環境にも影響は及びます、まずは不安定な立場にいる人から……)。いったい何を今の政治は目的としているのか、住民の生活が第一ではないのか、それとも脱原発が第一なのか、有権者からの支持を集めることが目的であれば後者を選ぶのが合理的なのかも知れませんが、それを本来の政治とは認めたくはないです。

 消費税に関しては「安定した経済成長に移るまでは増税すべきではない」とのことで、まぁ景気が回復しても消費税より先に累進課税を機能させるのが先ではないかと言いたくもなりますが、これでも今時はマトモな方に見えてくるのですから困ったものです。かつては不況であるにもかかわらず財政再建を優先しようとする「財政再建が第一」な人も少なくなく、不況時にやるべきことか?と疑問を呈しただけでも財政再建に反対しているかのごとく扱われたわけですが、今は「脱原発が第一」の人が跋扈していて、代わりの発電手段を確保できない内にやることか?と問いかけただけでも原発推進派扱いされる有様です。自説を押し通そうとするだけではなく、適切な状況かどうかを考えようとする姿勢を持っているだけでも、今時は貴重なんじゃないかという気がしてきますね。とりわけ政治家となればなおさらです。状況によっては前原がマトモな部類に入るほど、今日の政治を巡る言論は激しい速度で劣化を続けているようです。

 

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せめて筋は通したい

2011-06-27 23:10:04 | ニュース

原発是非問う国民投票、日本でも…市民団体結成(読売新聞)

 イタリアが国民投票で「脱原発」を決めたことなどを受け、日本でも原子力発電の是非を問う国民投票の実現を目指す市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」の結成総会が25日、東京都中央区の公民館で開かれた。

 今後、国会議員に対し、議員立法による「原発国民投票法」の提出を働きかけ、今年12月の法案成立、来年3月25日投票を目指すという。

 この日は、約70人が参加。国民投票について、アンケート形式で〈1〉原発の新規建設を認めるかどうか〈2〉既存の原発の稼働を認めるか、段階的に閉鎖するか――を問う案が公表された。同団体の構想では、諮問型の国民投票を想定、投票結果に法的拘束力はないが、国会で事前に「結果を尊重する」などと取り決めることで、国民の意思を反映させたいとしている。

 なにやら国民投票をやりたがっている人々がいるそうです。一瞬、安倍晋三が作った法案がついに使われる時が来たのかと思いましたが、どうやら「原発国民投票法」ということで個別に法案を設けようとしているみたいです。安倍晋三の国民投票法に関しては「国民投票による意思表示の機会を憲法改正への同意に限定するのはおかしい」なんて批判もあったようですけれど、こちらの原発限定の国民投票法案はいかがなものでしょうか。

 それよりも疑問に感じるのは、今は国民に意見を問うべき時なのか、今は未来を決めるべき時として適切なのかということです。少し前にも書いたことですが、例えば北朝鮮がミサイル実験を強行した直後に「ミサイル防衛計画を強化すべきか」とか、周辺国で武力衝突が起こったタイミングで「日米同盟を強化すべきか」と問いかけ、国民投票に踏み切るとしたらどうでしょう? 私はどちらも適切な時期ではない、国民に意見を問うならせめて素面の時にすべきではないかと考えるわけですが、人によっては片方に賛成し、片方に反対するダブスタぶりを躊躇なく発揮してしまうものなのかも知れません。つまり、国際的な緊張が高まった時期に軍備や軍事同盟強化の是非を問うような手口には反対する一方で、原発事故が起これば今こそ好機とばかりに国民投票に持ち込もうとする、そういう人も少なくないように思います。自説に都合の良いタイミングで勝負を仕掛けたい気持ちはわからないでもありませんが……

・・・・・

 自分が共感できる対象の人権だけを尊重し、気に入らない相手の人権は否定するとしたら、その人は人権派とは呼べません。いかに「無辜の民」の人権を重んじていたとしても、世間的にバッシングの対象となるような、例えば凶悪犯罪の加害者などの人権は全否定するようであれば、決して人権派とは言えないはずです。犯罪者であろうとも、受けるべき罰もあれば守られねばならない人間としての権利はあるわけで、そういう嫌われ者の権利を尊重できるかどうかで、本当の意味での人権派か、それとも単に「正義」を振りかざしているだけなのかが分かれるでしょう。

 上で挙げたような凶悪犯罪もそうですし、あるいは北朝鮮の拉致被害でもそうですが、被害者意識を無尽蔵に拡大させ、社会全体を巻き込んだ憎悪を駆り立てようとする人もいます。逆に凶悪犯罪や拉致被害の「小ささ」を鑑みて、そのために国民への監視を強めたり国際関係にヒビを入れたりするのはどうかと考える人もいます。不運にして当事者となってしまった個人にとっては重大な悲劇でも、やはり社会全体へ制限をかけねばならないものではないだろう、と。概ね右派は前者が、左派は後者の立場がそれぞれ強いわけで、犯罪被害者や拉致被害者に対する左派の態度は右派にしてみれば冷淡なものに見えるようです。しかるに原発に関してはどうでしょうか、果たして日本中に電力不足の危機を招き国民に不自由を強いてまで稼働停止を急がねばならないほどなのか大いに首を傾げるところですけれど、こと原発が絡むと左派も右派と似たようなロジックを披露する人が多いのか、原発事故に対して冷静でいることを許さない気運は高まりつつあります。


東電、人員削減に初めて言及 年末までに規模詰める(朝日新聞)

 東京電力は24日、福島第一原発事故の損害賠償に充てる資金をまかなうため、グループ全体で約5万2千人いる従業員の削減を検討することを明らかにした。事故の収束や賠償の事務を担う社員の確保を前提に、年末までに削減規模を詰める。

 同日あった「東電に関する経営・財務調査委員会」(委員長・下河辺和彦弁護士)の聞き取り調査に出席した勝俣恒久会長が、合理化策として示した。一般社員の年収20%削減や役員報酬返上などで年約540億円の人件費削減は5月に公表したが、24日の説明資料では、「人員削減の実施も検討(年内に詳細公表)」などと初めて言及した。

 また、委員から見直しの声が出ている企業年金について、勝俣会長は委員会の終了後、記者団の質問に対し、「年金は法律で守られているが、(運用の)利率をどうするかなど、委員会の意見を十分に受け止めたい」と述べ、制度見直しに踏み切る考えも示した。

 労働者の権利を守るべしと言いつつも電力会社社員だけは例外として扱うとしたら、それは犯罪者の人権は認めないと豪語しているような輩と変わらないことを示すのみです。加害者なり被告人にも人権はあるように、電力会社社員にも労働者としての権利は当然あります。こちらでも触れたことですけれど、安易に人員削減や賃下げ、年給の減額など労働条件の不利益変更が認められていいのか、それを迫られているのが嫌われ者であるからこそ疑問の一つも投げかけるべきなのです。犯罪者は罵倒して置いた方が世間的にはウケが良いように、電力会社社員に対しても同様、リストラを「当然だ!」とでも評して置いた方が無難な時代ではあるのでしょう。ですが、ここで安易に労働条件の不利益変更を認めてしまったら、もう労働者の権利を語る資格などありません。

 

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悲しき亜熱帯

2011-06-25 22:52:21 | ニュース

埼玉・熊谷市で39.8度 6月の最高気温記録を更新(朝日新聞)

 梅雨の晴れ間が続く関東地方では24日、埼玉県熊谷市で39.8度を観測するなど、内陸部を中心に記録的な猛暑となった。気象庁によると、埼玉県鳩山、寄居両町、群馬県高崎、館林両市などの5地点で39度以上となり、国内での6月の最高気温を20年ぶりに更新した。これまでの最高は1991年6月に静岡市で観測された38.3度。記録的猛暑だった昨夏でも、最高気温は岐阜県多治見市の39.4度(7月)だった。

 35度以上の猛暑日は全国で53地点、30度以上の真夏日は442地点でいずれも今年最多。関東の内陸部は今年初の猛暑日となった22日から高温が続き、24日は太平洋高気圧に沿うように西からの暖かく乾いた空気が吹き込んだため、高温に拍車がかかった。各地で、熱中症によって病院に搬送される人が相次いだ。


熱中症で搬送、すでに685人…沖縄では死者も(読売新聞)

 熱中症で救急搬送された人は19日までの3週間に全国で685人にのぼり、うち沖縄県の女性1人が死亡したことが、総務省消防庁の調査(速報値)でわかった。

 九州・山口地方の今夏の気温は平年並みか、平年より高くなる見込み。節電のためエアコンの使用を控える家庭も多くなりそうで、関係者はこまめな水分補給などを呼びかけている。

 都道府県別の搬送者数は沖縄の67人が最多。愛知64人、大阪37人と続いた。このほか、福岡19人、大分12人、山口4人などとなっている。沖縄は昨年6月の1か月間(37人)を上回った。年齢層別で見ると、65歳以上が40・3%を占めた。

 死亡した沖縄県うるま市の女性は70歳代。沖縄地方が梅雨明けし、真夏日となった9日の夕方、自宅で就寝中に家族が異変に気づいた。救急隊員が駆けつけた際、室内は高温多湿の状態で、女性の体温は40度近く、汗をかいていなかった。

 さて、木曜金曜と恐ろしく暑い日が続きました。まだ暑さがそれほどでもなかった19日までの速報値ですら既に熱中症による死者が出ていることが伝えられていますけれど、今後はますます酷いことになりそうです。広瀬隆の占いによれば「今年の夏が昨年のように猛暑になることはまずあり得ない」とのことですが、占いをアテにして対策を怠れば大惨事を招くことでしょう。取りあえず以前にも書いたことですけれど、熱中症になりやすい、特に生命の危険にさらされるほど症状を悪化させてしまうのは、暑がりの人ではなく「暑さを自覚できない人」です。やはり高齢の人が多いわけですが、暑さを自覚できない、すなわち暑いのに「まだまだ平気」だと錯覚してしまう人も少なくなく、結果として救急車で搬送されることになります。死にたくなければ早めに冷房を入れた方が良いでしょうし、周りがそれを促すことも必要です。


エアコン停止作戦で会見ボードも新調…橋下知事(読売新聞)

 停電危機の際の「エアコン停止作戦」を打ち出した大阪府の橋下徹知事は22日午前、「エアコン切れば原発止まる」と書かれたボードを背に、報道陣の取材に応じた。

 ポロシャツ姿で「夏場の使用電力のほとんどはエアコン。一人ひとりの行動で、原発依存度は下げられる」と呼びかけた。

 橋下知事は、関西電力の八木誠社長と21日行った会談で、電力不足で大規模停電の危険性がある場合は、関西の府県民に「エアコン停止要請をする」と提案。この日朝、府庁で行う記者会見用のボードの模様替えも指示した。

 新調されたボードを背に橋下知事は「常に(エアコンを)切れと言っているわけではない。いざという時に一斉に行動してほしい」と理解を求めた。

 で、昨今の脱原発論の最大公約数的な姿を体現している橋下がこのように宣うわけです。「エアコン切れば原発止まる」なんてボードを掲げたそうですが、これから夏に向けてエアコンを切れば、先に誰かの心臓が止まります。脱原発のためなら罪なき民間人が死んでも構わないと思っているのでしょうか。まぁ、橋下が「尊い犠牲」を産むことに躊躇いなど感じないであろうことは想像に難くありません。「いざという時に一斉に行動してほしい」とも述べていますけれど、こういう危機に前にして大同団結、挙国一致的なムード作りも橋下は大いに好むところでしょう。例によって橋下には反対しているつもりの人も、こと原発が絡むと実質的に同じことを主張しているフシがあるだけに色々と危ういです。

 なお橋下によると「夏場の使用電力のほとんどはエアコン」だそうです。この辺は財政難の原因は公務員の人件費云々と似たような理屈で、不都合の原因を何か気に入らないものへ押しつけているに過ぎません。エアコンの電力消費は決して小さいものではないにせよ、家庭レベルで見てさえ冷蔵庫や照明、テレビやPC等々、負けず劣らず電気を消耗するものはいくらでもありますし、幾ら家庭レベルで節電に努めたところで産業用途だって抑えていかないと電力は絶対的に足りないわけです。もっとも産業用途を抑制すれば、それは第一に職場の空調など従業員の労働環境に関わる部分を削ったり、勤務時間を夜間や休日にシフトさせるなどの動きにしか繋がらないだけに、どのみち痛い目を見る人は変わらないとも考えられますが。

 橋下はポロシャツ姿で会見に臨んだそうです。どんなに暑くともスーツにネクタイで仕事に当たるべきという日本的な価値観が必然的に弱められようとしているのは、電力不足が迫る中では唯一の肯定的に評価できる点とも言えますが、ただ従業員なり職員なりが「自主的な」判断でポロシャツを着てきたらどうなるんだろうと思わないでもありません。知事なり会社上層部なりの号令で軽装が呼びかけられる中で、そのガイドラインに従った服装で出勤するのであれば橋下も咎め立てはしないでしょう。ただし橋下が「クールビズで」みたいな号令をかけるのに先立って、府の職員が自らの判断に基づきポロシャツでの勤務を始めたとしたら、それこそ非難囂々だったはずです。少なくとも風通しが良くなることはなさそうだな、という気もしますね。

 ちなみに私の子供の頃は、扇風機の風に当たり続けると死ぬと教えられてきました。出来るだけ扇風機の風に当たらないようにしろ、絶対に直接風に当たってはならないと口を酸っぱくして言われたものです。皆様の幼少時はいかがなものでしたか? まだエアコンがそれほど普及していなかった時代、悪玉はエアコンではなく扇風機だったのです。かつては読書や野球が悪癖として論難されていたのが、いつの間にかゲームや携帯電話が悪徳として批判の対象となったように、道徳が敵視する対象は時代と共に移り変わります。いずれにせよ「快適」をもたらすものは道徳的に断罪されやすく、その「快適」さを抑えこもうとする主張は左右問わず根強い支持を得ているのではないでしょうか。だから夏場に向けて快適さの象徴たるエアコンが悪玉としてあげられ、それを使わない節制が是とされるわけです。

 「誰もが何一つ不自由なく快適に暮らせる社会を目指します」なんてのより、「豊かさばかりを追わずにもっと慎ましく生きよう」みたいなことを説く輩の方が絶対的に賛同を集めるようになって久しいですが、こうした傾向が輪をかけて強まろうとしているのは頭の痛い話です。原発推進とか言っていた石原慎太郎にしてさえ節電を求めることに関しては妙に乗り気で、では石原に反対しているつもりの人はどうかと言えば、やはり「これからは低エネルギー社会だ、低消費社会だ」と方向性としては石原なり橋下なりと変わらない人が目立ちます。まぁ他人の欲望を抑え込みたがる、他人に我慢をさせたがる、それが日本人のアイデンティティになってしまったのかも知れません。

 

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極左党公約

2011-06-24 23:30:46 | 文芸欄

公約15というより目標

 

・日本人にもう一度「贅沢は素敵だ」と言わせたい

 

 

・老人党と同じバーチャル政党なので立候補はしません
・極左党代表代行:管理人(かん・まさと)とあろう事か現首相の菅直人は全くの無関係です
・自称中道と違って堂々と左に立つので極左党です

 

 

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乾物くんは乾物ランドのプリンスです

2011-06-22 22:59:44 | ニュース

 さて皆様、カルシウムの多い食品を挙げよと問われたら、何を真っ先に思い浮かべますでしょうか? 王道としては、やっぱり牛乳が出てきますかね。カルシウムと言ったら牛乳です。ただし牛乳よりカルシウム含有量多い食品は色々とあります。例えばチーズとか、脱脂粉乳とか。でも、「脱脂粉乳の方が牛乳よりカルシウムが多い!」とか主張する人がいるとしたら、それはちょっと奇妙に聞こえると思います。元は牛乳でしょ?と。他にはまぁ、干しエビとか煮干しとかも、あるいはヒジキとか青ノリなんかも牛乳よりカルシウムが多いです。そんなわけで、この手の乾物類は時に「100g辺りのカルシウムが牛乳の○○倍」みたいな健康食品としてアピールされることもあります。だけど牛乳と同じ分量の青ノリを摂取しようなんて、どう考えたって馬鹿げた話ですよね……


仏で静岡茶「規制値超え」 川勝知事「調査急ぐ」(中日新聞)

 空輸された静岡県産の緑茶の葉から欧州連合(EU)の許容基準を超える放射性セシウムが検出されたとフランス当局が発表した問題で、川勝平太知事は18日、三島市内で取材に応じ「非常に驚いている。誤解を招かないように早速調査に入りたい」と事実確認を急ぐ考えを示した。

 川勝知事は、3月に「静岡県産」と誤表記されたコマツナから放射性物質が検出され、シンガポールへの県内産農産物が一時輸入停止されたことに言及。今回の問題にも「シンガポールでの例もあり、しっかりと確かめる必要がある」と冷静な反応を見せた。

 検出されたとされる1キログラムあたり1038ベクレルの数値には「飲用の茶では10ベクレル程度になるだろう。全く心配ない」と強調。「恒常的な経口摂取でどれだけ影響が出るのかが重要。フランスでは茶を食べる習慣はなく、(規制値の)500ベクレルという数字が独り歩きしている」と述べた。

 静岡県などによると、EUの規制値は大震災を受けて4月に、それまでの1250ベクレルから日本の規制値である500ベクレルに引き下げられ厳しくなった。

 さて、こんな報道もありました。川勝知事の発言は方々で批判されているみたいですが、同情の余地がないでもありません。「静岡県などによると~」と、中日新聞の報道は妙に頼りないのですけれど、元々EUのセシウム規制値は飲料や乳製品を除いて1250ベクレルだったはず、つまり原発事故以前であれば、ここで取り沙汰されている茶葉も規制値以内と判断され普通に輸入されていたことになります。今まで普通にOKだったものを急に基準を厳しくされてダメ出しされた側とすれば、恨み言や言い訳の一つも出てくるものなのでしょう。ここは対外的に厳しく基準を管理する姿勢を見せないと評判を落とすところでもあり(生産者側でも身の潔白を証明しようという意図なのか検査を受けることに肯定的な立場が多いとも聞きます)、その点で川勝発言はクレバーではないのかも知れませんが……

 ちなみに「飲用の茶では10ベクレル程度になるだろう」と知事が述べています。この発言は甘い想定に基づいたものである可能性を考慮し、ちょっと厳し目に100ベクレルぐらいまでにしか下がらないとしましょう。そこで1キログラムあたり100ベクレルの緑茶飲料をペットボトルに詰めて輸出した場合を考えてください。たしかEUのセシウム規制値は元が1000ベクレルで、原発事故後は200に引き下げられました。200ベクレル以下なら新基準に照らしても規制値未満です。問題の静岡産茶葉も、飲用のお茶にしてボトルに詰めて輸出すれば、特に問題視されることはなかったものと推測されます。そもそも輸出したのは乾燥茶葉でしょうから、青々とした生の葉っぱの状態であっても単位辺りの放射線量は相当に下がったはずです。サラダにしても食べられそうな瑞々しい状態で出荷しておけば500ベクレルぐらいは容易にクリアできたような気がします。

 まぁ、この手の検査は杓子定規な基準にならざるを得ないものなのかも知れません。あまり個別の例に対応しすぎると、今度は抜け穴が出来てしまうこともあったり、不適正な基準が新たにできあがってしまう場合もあるのでしょう。ただまぁ、乾物の類に対してグラム辺りの含有量を考えるときは実際に摂取する分量を考慮しないと、実態からかけ離れたイメージが一人歩きしてしまいます。5倍濃縮のめんつゆは食塩が多すぎて不健康だけれど、2倍濃縮のめんつゆはその限りではない――なんてことはないわけです。基準値超え云々と聞かされるとなにやら身構えてしまう人も多いと思いますが、乾物は何でも濃縮されていますので、その辺は割り引いて受け止めるべきでしょう。心配しなければならないのは、風評に振り回される生産者の人と、後は乾燥茶葉を丼に入れてバリバリ食べるような人だけです(そんな偏った食生活では放射線云々以前の問題で健康を損ねること間違いなしですが……)。取りあえず対外的には厳しく輸出基準を管理する姿勢を見せねばならないところもあるでしょうけれど、国内に住む消費者は、あまり過剰に受け止めないことが大事だと思います。

 

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「廃炉推進」82%?

2011-06-20 23:36:26 | ニュース

「廃炉推進」82% 「不安感じる」倍増 原発世論調査(中日新聞)

 本社加盟の日本世論調査会が今月11、12日に実施した全国世論調査によると、国内に現在54基ある原発を「直ちに全て廃炉にする」「定期検査に入ったものから廃炉にする」「電力需給に応じて廃炉を進める」とした人が合わせて82%に上り、「現状維持」の14%を大きく上回った。福島第1原発事故が収束せず、その後の対応をめぐる政府、東京電力の不手際が指摘される中、国が推進してきた原発政策への不信感の強さが浮き彫りになった。

 事故前後での原発への不安を聞いたところ、事故前に「大いに不安を感じていた」「ある程度感じていた」は計43%だったのに、事故後は計94%と倍増。今回の事故が与えた心理的変化の大きさを裏付けている。

 こういう時期の世論調査は何かとバイアスが掛かりやすいだけに慎重に見る必要があると思います。例えば周辺国で軍事衝突が発生している最中に「日米同盟を強化すべきか」「ミサイル防衛計画を推進すべきか」みたいなアンケート、あるいは国民投票なんかが行われるとしたら、国民に意思を問う時期として不適切と感じる人も多いはずです。しかるに世論調査によると「電力需給に応じて廃炉を進める」と回答した人が53.7%との結果が出ています。とかく先鋭化しがちなネット世論にはともすると惑わされがちですが(現職の政治家だって惑わされていますから)、ネットの外の世論調査であればこんなところなのでしょうか。「直ちに全て廃炉にする」「定期検査に入ったものから廃炉にする」みたいな急進派は幸いにして多数派とはなっていないようです。「電力需給に応じて廃炉を進める」と言うことは要するに、電力不足に陥ろうとお構いなしに原発は潰すべしみたいな「脱原発が第一」な人々とは相応の距離があるわけで、この辺は胸をなで下ろすところです。しかるに記事の見出しは「廃炉推進」82%となっています。引用元の本文でも「直ちに全て廃炉にする」「定期検査に入ったものから廃炉にする」「電力需給に応じて廃炉を進める」とした人が合わせて82%と書かれており、その内訳はグラフに記されるのみとなっていますが……

 この辺、消費税増税を巡る世論調査なんかを思い出すところでしょうか。「消費税増税賛成が過半数」みたいな見出しで、さも世論が消費税増税を容認しているかの如き印象を与えておきながら、いざ内訳を見てみると「財政状況によっては増税もやむを得ない」みたいな消極的な回答が多数を占めていたりするわけです。その辺の曖昧な部分や消極的回答を恣意的に振り分けることで、あたかも賛成が多数派、あるいは反対が多数派であるかの如き見出しを掲げる――まぁ、よくあることです。そもそも「電力需給に応じて廃炉を進める」と言うことは、すなわち電力不足であれば原発の稼働を認めることを暗に意味しているはずで、むしろ「直ちに全て廃炉にする」みたいな回答をした急診派とは相容れないような気がしますが、本当に「廃炉推進」82%と一括りにしていいのでしょうか?

 だいたい、電力が余っても尚ムダに発電所を稼働させようなんて物好きも滅多にいないわけです(そこで働いている人の新たな雇用を確保するのが先だ、ぐらいに言ってもいいですけれど)。電力供給に余裕のある状態で敢えて発電所を稼働させ続けようなんて酔狂な人でもなければ、「電力需給に応じて」という回答に落ち着くのが自然です。これを「直ちに全て廃炉にする」みたいな回答と一緒くたにするのは無理があります。元より先の統一地方選では、原発周辺地域の首長候補が「原発推進派」「反原発派」などと二元論的な色分けをされて報道されることも多かったはず、しかるに当時の色分けの基準はどうだったでしょう? 「直ちに全て廃炉にする」的な急進派が「反原発派」とされ、状況を見て判断する、今のところは現状を維持するみたいな立場は軒並み「原発推進派」として括られていたように思います。「電力需給に応じて」的な穏健派は、その時々のノリ次第で原発推進派に組み込まれたり、あるいは廃炉推進派に組み込まれたりと、とかくメディアの扱いは恣意的です。

 まぁ反原発論ってのは、財政再建論と似たようなノリがあるのかも知れません。別に財政再建そのものに反対してはいないけれど、不況下で財政再建を優先することには異議アリみたいな立場でも、財政再建派にしてみれば「財政がどうなってもいいのか!子孫にツケを残すな!」と憤りの対象になっているものではないでしょうか。原発を巡る言論も同様、電力供給に余裕がない状況での急進的な反原発論には首を傾げる人々に対して、脱原発が第一な人々が向けるものは財政再建至上主義者のそれと酷似しています。いずれにせよ、あまり健全とは言えませんね。

 ちなみに山本太郎とか村上春樹とか、その他諸々に言わせればメディアは電力会社によって支配されているとのことですが、しかるに自称全国紙の産経新聞より発行部数の多い大メディアでも「廃炉推進」82%などと廃炉推進派が多数であるかのごとく見せかけようと露骨な印象操作に走っているわけです(同じ調査を引き合いに出したAFPの見出しも「82%が原発廃炉を希望、世論調査」となっており、何だかなぁと思います)。電力会社がメディアを買収し~みたいな陰謀論的世界観は、いい加減に捨てたらどうかと思いますね。本当に電力会社がメディアを支配しているのなら、もうちょっと上手くやるはず、そうでなくとも「電力需給に応じて」という回答を「直ちに全て廃炉にする」と同じ枠に組み込んでまで廃炉推進派を多数派に見せかけるような姑息な真似はしないでしょう。


 政府がエネルギー基本計画で掲げていた「2030年までに原発14基以上を新増設する」との方針には、67%が「新設、増設するべきではない」と回答。「14基より減らすべきだ」は22%で、「方針通り進めるべきだ」は6%だった。

 現在運転中の原発の安全対策では「運転を続けて定期検査で対応するべきだ」が54%で「直ちに止めて対応するべきだ」の38%を上回り、政府の要請で運転停止した浜岡原発のような異例の措置よりも、日常生活への影響も踏まえた現実的な措置を求める声が強かった。

 また、今後重点的に取り組むべきエネルギー分野(2つまで回答)では、太陽光や風力などの再生可能エネルギーが84%でもっとも多く、次いで水力45%、天然ガス31%と続いた。原子力は7%で、石油、石炭(各4%)を上回った。

 なお「今後重点的に取り組むべきエネルギー分野」に関しては、いわゆる再生可能エネルギーが84%と最多を占めました。ただ太陽光や風力には問題も多く、原発の代わりとなるには程遠いのが実態です。いずれ諸々の欠点も解消されることはあるのかも知れませんが、いつになるかわからない技術革新を夢見て現行の発電所を引っ張り続けるのは言うまでもなく高リスクです。もうちょっと、今できる範囲での「中継ぎ」を考えた方がいいのではないでしょうか。どうしても原子力が嫌なら、火力発電をもうちょっと増やしてくれないと間に合いません。一足飛びに理想に飛びつくのも結構ですが、遠い未来だけではなく近い未来のことも考えるべきでしょう。

 そもそも発電設備のカテゴリ単位で野蛮に色分けされることが多いですけれど、一口に火力と言っても施設によって効率は雲泥の差がありますし、原発も同様で老朽化が著しいものもあればそうでないものもある、設計元のアメリカ仕様そのままのものもあれば、日本向けに最適化が図られているものもある、旧世代の設計のものもあれば電源が喪失しても冷却能力を維持できる機構を備えたものもあります。そこでレイシズムの論理とかですと、外国人(あるいは中国人、韓国人)はカテゴリ単位で色分けされがちで、個々人には目を向けたがらず、全てを一緒くたにして否定したがる、そしてカテゴリの中の誰かが悪さをすれば、そのカテゴリに属する全てを悪者扱いするわけです。では原発に対する世間の認識はどうでしょうか? 個々の原発単位でのリスク評価を避け、原発というカテゴリに属するものを一纏めに危険視している人は、あまり考え方の筋が良くないと思います。嫌悪する対象が違うえば、それが是とされるものではありません。

 ともあれ原発を「増設」と言われると否定的な声の方が大きいようですけれど、ただ安定的に大量の電気を供給できる施設を新たに設けないことには、古い発電所を退役させることも出来ないわけです。電力不足で何が起ころうがお構いなく「直ちに全て廃炉にする」派の人であれば、その辺は考える気にすらならないのかも知れません。ただ「電力需給に応じて」という立場からすれば、相対的にリスクの高い古い原発を廃炉にするためには、先に代替となるべきものを作らなければならないはずです。脱原発のために国民の生活や産業ひいては雇用を破壊してしまっては最悪ですから。ならば相対的に安全性の高い原発で老朽化著しい旧世代型の原発を置き換えていくのもリスク低減策としては有効であるように思われますが、「(原発を)新設、増設するべきではない」という世論が強いと、それも難しくなることでしょう。

 

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まぁ傍目に「クリーン」なデモってのも机上の空論に過ぎないとは思う

2011-06-18 21:39:41 | ニュース

三宅雪子が原発反対デモの暴動を望む発言「いかにデモを暴動に発展させるか」→「イイネ!」(ロケットニュース24)

2011年6月11日に東京・新宿で行われた原子力発電所に対する反対デモ。多くの人たちがデモ隊となって新宿を行進し、原発反対をうったえた。そんなデモ隊の暴動・暴徒化を望む発言をしたとして、民主党衆議院議員の三宅雪子さんの公式Twitterが大炎上している。

Twitterユーザーが「いかにして、デモを暴動に発展させるのか、というのが僕の目下の課題です」と発言をしたところ、三宅議員が「イイネ!」と返答したのである。確かに、これは暴動を望んでいるように思える発言である。いや、明らかに暴動を望んでいるといえる。
 
・Twitterによる問題発言までの流れ
ユーザー  いかにして、デモを暴動に発展させるのか、というのが僕の目下の課題です。611に参加する人は、そういう人も来るのだということを前提にして参加するかどうか決めたらどうでしょう? 警察とフレンドリーな勢力は、警察よりも先に殲滅すべきと思います。
三宅議員  イイネ!
 
この発言に対して国民が大激怒。「おいおい! 国会議員がこの発言にイイネ! ってどういうことだ!?」や「いいねってどういうことだよ」、「デモの暴動化を企図することがイイネだと?」、「デモの暴動化にイイネ! って、三宅雪子センセイ何考えてるの」、「与党議員が暴動予告ツイートにイイネ! って正気ですか?」、「なにこれこわい。どうしてこんな人が国会議員やってるの?」などの意見や感想を書き込みしている。

議員とはいえ個人でもあり、さまざまな意見があるだろう。しかし、立場を考えればさすがにこれはナンセンスな発言である。どのようなデモであれ、デモ隊の暴動や暴徒化は望んではいけないし、あってはならないことである。平和的に国民の意思を伝えるのが「デモ」のはずなのだが、三宅議員は暴力で解決したいのだろうか?

 さて6月11日には結構な規模のデモが行われたそうですが、色々とネタを提供している人もいるようです。まず先鋒として三宅幸子議員の発言があります。「いかにして、デモを暴動に発展させるのか~」と書き込んだユーザーに対して「イイネ!」と返答したとかで、それなりに反発も買っているみたいです。まぁ引用元でも書かれているように、国会議員という立場からすれば不適切な発言の部類には入るでしょう。私のようなおっさんが床屋かブログかなんかでクダを巻いているのと、国会議員が口にするのとでは全く意味が違いますから(しかも与党の人ですし)。その辺を鑑みるに本来ならば重責を担うはずの政治家という立場への自覚に乏しいと言えますが、まぁ慎重な人よりも威勢良く何かを断罪するタイプの政治家の方が人気があるものなんですよね。その結果がどうなろうとお構いなしです。

 なお記事には「平和的に国民の意思を伝えるのが『デモ』のはず」なんてことも書かれていますが、これは正しくないでしょう。当初は平和的なデモでも軍事独裁政権なんかの弾圧に抵抗する内に必然的に血で血を洗う争いに発展することもありますし、昔年の社会主義革命やいわゆる新左翼運動の類では元から暴力的な手段による目的達成を是とするところもあるわけで、デモはその初期段階に過ぎません。で、ここで「いかにして、デモを暴動に発展させるのか~」と語った人ですが、元より手法として意図的に極論を持ち出してみる人でして、日頃の言動を知っていればむしろ既成の「デモ」=「平和的に~」という固定観念に挑戦しているのではないかという気がしないでもありません。ただそこに、軽佻浮薄な議員がロクに考えもせずに「イイネ!」と返しただけのことです。反原発系の言動であれば手当たり次第に賞賛の言葉を贈る人が議席を有している人の中にも少なくない、その一人が三宅雪子だったに過ぎません。

 ちなみに発端となった書き込みの中には「警察とフレンドリーな勢力は、警察よりも先に殲滅すべきと思います。」なんてのもあったわけです。私にしても警察にいいイメージはありませんけれど、状況によりけりですね。関東大震災の時であれば、暴徒化した民衆よりも鎮圧に当たった官憲の側(全ての官憲ではなく、あくまで鎮圧に当たった側)に私は付きたいですから。まぁ、ン十年前の左翼運動が華やかなりし頃の風潮を戯画化した発言とすれば、なんとなく理解できるような気はします。そして至り着く先も見えてくるような気がしないでもありませんが、渦中にいる人には想像できないものなのでしょう。

参考、4月10日の高円寺反原発デモで友人が暴行を受けたそうです

 さて「いかにして、デモを暴動に発展させるのか~」と発言した人は、かつて在特会のデモに抗議して暴行を受けたそうですが、反原発デモに近寄って暴行を受けた人もいるようです。まぁ人が増えれば不心得者も増えるという点もありますし、「自分は正しい」と信じ切っている人からすれば、その熱狂に付き合わない人は打倒すべき異教徒に見えるものなのでしょう。ただ訴える内容が外国人差別なら悪いデモ/暴力で、反原発なら良いデモ/暴力ということもないはずです。むしろ私にはどちらも大差ないように思えますが、その辺は特定の立場によって共感できる人とそうでない人に別れるものなのかも知れません。

 この6月11日のデモでは、右翼団体の登壇を巡って随分と揉めたとも聞きます。この辺は右翼を排除するのか云々と言う声もあれば、反原発にかこつけて排外主義の主張を許すべきではないみたいな見解もあるわけです。ただ実際のところ反原発のムーブメントはどうなのでしょうか。橋下を初めとした明確に「右」に位置する政治家もまた反原発の流行に乗っていますし、世論上も反原発は決して左派の見解とは言えなくなっているはずです。原発事故以前から反原発だった人からすれば「サヨク=反原発」的な固定観念ができあがっているのかも知れませんが、今や反原発論は良くも悪くも左右が寄り集まっている、原発なり電力会社なりといった「敵」を同じくすることで挙国一致的に左右が結びついているところは否定できないと思います。もう反原発は左翼の手から離れている、今さら右翼を排除しようとしても、もう遅いのではないですかね。猛々しく反原発を叫ぶ「同志」の中には、登壇しようとした右翼団体に共感するタイプの人も少なくないことでしょう。

 それ以前に、右翼団体さえ遠ざけておけばいいのか、という気もします。こちらでも触れたことですけれど、関東大震災で暴徒化した「善良な市民」は単にレイシストと見なして済むものではありません。人種や国籍を理由とした排除はもちろん問題ですが、それさえ排せば後は万事解決かと言えば、そう都合良くはいかないものです。週刊誌の煽り報道を真に受けてデマを撒き散らし福島近辺の住民を脅しつける人々や、あたかも福島周辺の農産物が基準値をクリアしたものでさえ実は汚染されており有害であるかのごとく語り風評被害を広める人々、科学的知見に沿って事態を語る人を御用学者だの買収されているだのと罵倒して憚らない人々、こういう人々もまた右翼団体と同様に遠ざけることが出来なければ、昨今の反原発運動の「質」は推して知るべしです。右翼団体にはご退場願った、だけどヘイトスピーチにはご退場願ったのかな?と首を傾げないでもありません。ヘイトスピーチもまた、単にレイシズムを指すのではないのですから。

 反原発が広範な支持を集めているのは、それが誰にも利益をもたらさないからとも言えます(橋下が著書の中で説いたような「仮想の利益」――まず相手の不利益を強調し、次に不利益をなくすという利益を与えるというもの――はあるのかも知れませんが!)。石原慎太郎も石原に反対しているつもりの人の多くもそうであるように、とかく「利己(我欲)」的なものは嫌われがち、目の敵にされがちです。誰かの利益、とりわけ自分たちの利益のために声を上げるような運動が近年の日本で支持を集めることがなかったのは、このゆえではないでしょうか。逆に好まれるのは「利己」ならぬ「他罰」とでも言うべきものです。何か「悪い奴」をやっつけよう、そういう主張が幅広く支持を集めてきた、何かを罰することの方にこそ国民は情熱を傾けてきたわけです。

 相手が何であれ、憎悪や嫌悪に基づいた主張や行動には賛同できないのですが、憎悪を向ける対象次第の人もいるのでしょう。外国人への憎悪に駆られた運動には賛成しない、公務員への憎悪に駆られた主張には同調しない、しかし原発への憎悪に駆られた運動には共感している人が少なくありません。その手の人が外国人さえ排除すれば、あるいは公務員の人件費さえカットすれば何でも好転するかのごとく信じているように、原発さえ潰せば世の中が良くなるかのごとく語る人も目立ちますけれど、魔王を倒せば世界が救われるなんてことはないわけです。にも関わらず、突如として脚光を浴びるようになった「国民共通の敵」を前に世論は沸騰しているというのが実態ではないでしょうか。むしろこういう盛り上がりの方にこそ、私は危ういものを感じます。

 

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都市部に建てる必要のないもの

2011-06-16 23:34:07 | ニュース

※一部、勘違いがあったので該当箇所を訂正しました。大阪には火力発電所はあります。
 反原発に好都合なウソやデマなら積極的に広めようとしたり容認したりする人を釣ってみた……わけではなく、単に私が寝ボケていただけです。失礼いたしました。

原発、本当に必要なら大阪に…橋下知事(読売新聞)

 原子力発電所の新規建設を中止する「脱原発」構想を打ち出している大阪府の橋下徹知事は13日、「もし原発が本当に必要なら、電力消費地の大阪に造るという話にして、(建設の是非を)府民に問いかけるしかない」と述べ、電力消費地の都市部がリスクを引き受けるべきだとの考えを示した。

 府庁で報道陣に話した。
 
 橋下知事は、大阪から遠い福井県に原発が集中していることから、「府民は原発を自分のこととして考えていない」と指摘。生活の快適性とリスクを比較して住民が判断するべきだとし、「原発が必要だと府民が決めて大阪湾に造るなら、それなりのリスクは覚悟しないといけない。(造る地域は)神戸とか京都でもいい」と述べた。
 
 一方、府は、福井県敦賀市の河瀬一治市長から「脱原発」構想の真意をただす公開質問状が届いた、として、13日付で橋下知事名で回答したことを発表した。原発が立地地域の活性化や雇用につながっているとの河瀬市長の主張に対し、回答書は「そのために原発を維持するというのは本末転倒の議論」としている。

 まぁ何でしょうか、原発が必要だというのなら東京に原発を建ててみろとか白面で言う人がいるわけです。馬鹿馬鹿しくて相手にする気にもなれませんが、今度は似たようなことを橋下が口にしています。こと「欲」に関しては石原慎太郎と同様の価値観を持つ人が石原に反対しているつもりの人に中にも目立つ昨今ですが、原発に対する捉え方は橋下と同レベルの人が、これまた橋下に反対しているつもりの人の中にも多いのではないでしょうかね。「(原発が)必要なら大阪に(or東京に)」云々に関しては、ガキの喧嘩みたいな理屈をいい年した大人が持ち出して恥ずかしくないのかと思わないでもありません。

 確かに大阪に原発はありません。ですが、よく考えてください。必然的に大規模にならざるを得ない発電所を、大阪のような人口密集地に建てるのは安全性云々の問題を度外視したとしても合理的なのでしょうか。都市部から遠く離れた場所に集中しているのは、別に原発だけではないのです。火力発電所だって風力発電所だって、必要とする規模が大きくなればなるほど、土地に余裕がある場所(他の土地需要と競合しにくい場所)に建てられるものなのです。だいたい人が密集する都市部には、都市部である必然性を要するもの(商業施設や、そこで働く人の住居など)が優先的に建てられるのが当たり前の話で、逆に都市のど真ん中に建てる必然性のないもの(すなわち発電所など)を都市部に建てようなんてのは、安全性云々とは関係なく狂気の沙汰と言えます。その土地を利用したいという人が逼迫しているエリア(=都市部)に敢えて発電所を建てるのか、それとも土地に余裕があり、建設が地域のメリットとなる場所へ発電所を建てるのか、マトモな人間ならどちらを選ぶかは考えるまでもないでしょう。都市部は金を動かし、産業の乏しい地域は空いた土地を活用する、持ちつ持たれつでいいのです。

 ちなみに自分の住んでいる地域では原発を動かさず、遠く離れた行政区に存在する原発から電気を送ってもらうというやり方は、実はドイツのそれと似たところがありますね。東京電力管内ではなく福島に原発を置いたり、関西電力管内ではなく福井に原発を置いたりするのは、フランスの原発に頼る脱原発先進国のドイツ方式に近いところもあるはずです。まぁ、別に自給自足を掲げて自家発電に励む必要はありません。持ちつ持たれつで構わないと思います。ただ隣の原発大国からの送電によって自国民に不自由を強いることなく脱原発を進めてきたドイツに対し、日本の場合はどうでしょうか? 敢えて震災後の電力供給に不安のある時期を狙っての脱原発は、まさしく痛みを伴う何とやらと化しています。

 この「痛み」に対して鈍感であるからこそ橋下が思い切った脱原発論へと舵を切れる側面もあるとは先日述べたところですけれど、痛みを被る側の府民はどうなのでしょう。原発がもたらす地域の活性化や雇用(言うまでもなく、これは火力発電所や補助金漬けの風力発電所の場合にも発生しうることです)は府民には無関係なのかも知れませんが、発電所を止めた結果としての電力不足は府民にも否応なく襲いかかってくるわけです。生活や産業などあらゆる方面に関わる社会インフラとしての電力供給を、より安全で安定したものにすべく最良の方式を模索していこうというのなら理解できますけれど、脱原発のために住民の生活が犠牲になっても構わないというのであれば、それこそ本末転倒のはずです。大阪に限らずどこの有権者も「悪者」を叩くのに熱心な政治家が大好きなようですが、もうちょっと考えるべきことがあるのではないでしょうかね。

 

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 ちなみに橋下に関しては、下記の思いつきをぶち上げたりもしていたようです。菅の方針にも沿うとのことですが、「平均約200万円の設置費用は自己負担」とは自宅を新築しようとする人にとっても決して安い金額ではないでしょう。そもそも家庭向けの太陽光発電なんてのは、訪問販売がらみが少なくないにせよ「話が違う」と国民生活センター等へ苦情が続出した代物でもあります。売り込みを図る側の想定通りに発電してくれるかなんてのは運任せ、現時点では「エコに努めてます」みたいなアピールにはなっても経済性は甚だ微妙な代物です。それでも未来への投資として太陽光パネルの設置に補助金を出すというのなら一概に否定はしませんが、義務化というのは論外です。まぁ、何でも強制が好きな知事ですし、国旗/国歌がらみの強制には否定的でも原発関係なら強制的措置を取るべしと叫ぶ人も少なくないご時世ですから……

橋下知事、新築住宅に太陽光パネル義務化検討(読売新聞)

 大阪府の橋下徹知事は26日、新築住宅の購入世帯に対し、太陽光パネル設置を義務づける制度の創設を検討する考えを示した。

 原子力発電に代わる自然エネルギーの普及が狙い。全国にも例がなく、実現すれば菅首相が25日夕(日本時間26日未明)、経済協力開発機構(OECD、本部・パリ)での演説で表明した「日本中の約1000万戸の屋根に太陽光パネル設置を目指す」との方針にも沿うことになる。
 
 関西広域連合の会合で表明した。知事の構想では、新築住宅の屋根に太陽光パネルを取り付けることを条例で義務化し、平均約200万円の設置費用は自己負担とする。十分な面積のパネル設置が難しいマンションの購入者に対しては、代わりに負担金を徴収し、既存住宅のパネル設置を促すための補助金財源に充てることも検討する。

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「影」の部分も考えよう

2011-06-14 22:48:17 | ニュース

東日本大震災3カ月 生産復旧 電力の壁 関電節電、西日本に停滞波及(産経新聞)

 全国規模で広がる電力不足が、東日本大震災から3カ月を迎える日本経済の重い足かせとなっている。10日には関西電力が15%の節電を要請し、東日本から西日本への生産などのシフトを進めてきた企業を直撃した。震災被害や電力不足で停滞する東日本をカバーし、牽引(けんいん)役を期待されていた西日本の生産活動も縮小すれば、復興も停滞しかねない。企業の海外移転による空洞化が加速する懸念もある。

                   ◇

 「今後、影響を精査してこのまま計画を進めるか修正するかを決めたい」。富士通では、関電の節電要請に困惑の色を隠さない。

 同社では、東京電力管内の電力不足に対応し、東京・蒲田と川崎市のシステム開発拠点にあるサーバー約1万台のうち最大3600台を6月末までに兵庫県と富山県のデータセンターに移す作業の真っ最中。「移転先でも十分な電力を確保できるのか」。今後の対応の検討に追われている。

 サーバーを保管するデータセンターは機器の過熱を防ぐ冷房に大量の電力を消費する。停電でデータが消失するリスクを回避するため、西日本のセンターに管理を委託する動きが広がっているが、「節電要請が全国に広がれば海外に移すしかなくなる」(IT大手)と苦慮している。

 生産シフトを進めていたメーカー各社も、計画の修正を余儀なくされる恐れがある。

 伊藤ハムでは、主力の西宮工場(兵庫県)など関電管内の3工場に東日本から一部生産を移す予定だった。夜間や日曜の工場稼働など新たな節電対策の検討を始めたが、「生産移転は白紙になる可能性もある」(同社)と頭を抱える。

 資生堂は、7~9月に東電管内の鎌倉工場(神奈川県)と久喜工場(埼玉県)から一部品目を移管する予定だった大阪工場(大阪市)について、節電対応の調査に着手。兵庫県に製鉄所が集中する神戸製鋼所は、夜間への生産シフトの検討を始めた。

 さて、必然的な動きが出ています。当初、電力不足が見込まれるのは東日本だけでしたが、しかるに西日本でも電力不足となるのが必至、東京一極集中から西日本への分散化という対策を立てた企業も計画変更を余儀なくされているようです。こうなると土日祝日や夜間へのシフト、そして海外移転を加速させるという結果にならざるを得ません。ただでさえ海外移転が進んでいる中で、新たに電力事情が企業の背中を後押しするような状況ともなれば、今まで水漏れのようなものであった雇用の流出が今度は堤防が決壊したかの如き勢いへと変わることもあり得るでしょう。そして労働者は深夜労働や休日労働へと駆り出されたり、最悪の場合は失職したりするわけです。自分が職を失う可能性など考えたこともない驕れる中産階級や、あるいは不都合なことは何でも中国人や韓国人原発や電力会社のせいにしてしまえば納得できる人も少なくないのかも知れませんが、現実問題として割を食わされる人も少なくない、こういう部分が蔑ろにされるようなことはあって欲しくないと思います。

 電力は足りる、と机上の空論を振りかざす人もいます。その中身はと言えば、あまりにも甘すぎる想定に基づいた代物でしかなかったりしますが、まぁ何であれ売り込みを図る側は自説に好都合な部分しか見せようとしないものです。この辺の売り文句を鵜呑みにして失敗する人もいて、それが後から訴訟沙汰になったりすることもあるのは先日のエントリで取り上げたところでもあります。とはいえ訴訟に勝っても失敗が挽回できるはずもない、だから「そう都合良くはいかないだろう」と自主的にリスクを勘案して「備え」を取るところもあるわけです。上で名前の挙がった企業はこのパターン、「電力は足りる」という威勢のいい言葉を鵜呑みにはせず、足りない場合をも想定して対策を練らざるを得ないのでしょう。こと世論上は、対策を取るより失敗という結果を目にしてから「そら見たことか、やっぱりダメだったじゃないか」と後ろ向きの予言に走る人が多いですけれど、こんな真似をしていては組織が潰れますから。

 ちなみに電力需給に関する見解は、おおよそ3パターンに分けられると思います。「元から(原発がなくとも)電力は足りてるよ派」と「節電すれば足りるよ派」、「節電したって危ないよ派」ですかね。そこで「節電すれば足りるよ派」の場合、節電に励む企業には割と肯定的だったりします。節電と称して電気代を節約しているだけだったり(参考)、利用者(とりわけ弱者)に不便を強いたり(参考)、労働環境を著しく悪化させたり、あるいは自前の設備で発電した電気を顧客や自社従業員のためには使わず売却に回すという飢餓輸出に走ったり等々(参考)困った企業は後を絶ちませんが、節電に協力的な企業は脱原発にも協力的と期待してしまうのか、決して否定的な目を向けてはいないようです(道徳家にとっては人々に忍耐を強いることではなく、儲けることこそが「悪」なのでしょう)。しかるに「元から電力は足りてるよ派」が、この節電に励む企業をどう評するのかは興味深いところです。節電に励むことはすなわち、節電しないと電力が不足するという現状認識を如実に示すものでもあります。節電にいそしむ人々の存在は「原発がなくとも元から電力は足りている」という彼らの世界観を覆すものでもあるはずですが――


[CML 009327] 共産党 原発政策を転換か? 共産党のこれまでの主張と吉田万三さんの「脱原発」宣言

私の知っている東京在住のある共産党員の若手弁護士は先にあった東京都知事選と関連させて共産党の原発政策のあいまいさについて次のような感想を述べています。

「小池さんの選挙で歯がゆかったのは、すっりと脱原発と言い切っているようには聞こえないことです。安全神話問題から始まり、最後の方になってようやく、自然エネルギーへの転換が出てきます。これでは現代人のペース・理解力には合わないのではないでしょうか。新聞報道では、ワタミの人の方が反原発論者で、小池さんの言っていることは要約されるとよく分かりません。/また、東京では連日のように反原発のデモ・行動が行われていますが、赤旗では報道されません。今の反原発の波に乗れなかったことが、敗因の一つではないでしょうか。/ドイツの緑の党の躍進と対照的ですね。」

この若手弁護士は、共産党が「反原発」政策を明確に述べなかったことが都知事選「敗因の一つ」ではなかったかと分析しています。比喩的に言えば共産党が「反原発」政策を明確に述べなかったことが「東京都民の半数近くを敵に回す」ことになった、と同若手弁護士は分析しているということです。○○さんの分析とはまったく逆の分析ということになりますね。

 某所でこのような書き込みがあったわけで、まぁ今となっては共産党も世論の熱狂に引きずられているフシも少なからず見受けられるのですけれど、人によっては共産党の原発に対する姿勢が生ぬるいと不満を持っているようです。まぁ、うちの選挙区の共産党議員でも若い人は割と猛々しく原発を非難していますけれど、配っているビラに書いてあった放射線量は随分と大人しいものでした。「放射能汚染」と銘打った割には自然放射線量を差し引けば「気にするほどの放射線量は検出されていない」と判断できそうな代物です。もちろん0でなければ「汚染されている!」と大騒ぎする人もいるのでしょうけれど、どこで計ったのか条件は元より真偽すらも不確かな放射線量を引き合いに出すような週刊誌報道と比べれば物足りないと感じる人も多いのかも知れません。もっと公務員の人件費を高く算出してほしい放射線量を高く発表してほしいと願う人からすれば、共産党の姿勢を歯がゆく思うものなのでしょう。

 さて「あいまい」とされた共産党候補の小池氏に対し、引き合いに出されたのは民主党が推したワタミの社長で、そっちの方が明確な反原発論者だったと評されています。まぁ「脱原発が第一」の人からすれば、そういうものなのでしょう。ならば、どうしてワタミの社長が小池氏とは違って明確な反原発論者となれたのか、その辺は考えてみる余地があると思います。

 ヒントになるのは、ワタミの社長と同様に威勢の良い反原発論者である大阪の橋下の存在です。橋下もまた、小池晃よりも立場は明確と言えます。なぜでしょうか。それはつまり、昨今の反原発論の煽りを食らう人々への配慮の有無が違いを産んでいるようにも思います。ワタミの社長も橋下も、自らの政策のウケの良さは気にしますけれど、その人気政策が実行される影で切り捨てられる人の「痛み」など省みようともしないわけです。だからこそ、思い切ったことが言えるのです。昨今の流行の中で脱原発を叫ぶのは簡単ですが、それを実現に移したときの犠牲は決して小さいものではありません。この小さなくない「痛み」を住民に強いることに躊躇いを感じる人であれば、必然的に慎重な態度に終始せざるを得ないでしょう。一方で「痛み」を「耐えよ」とばかりに一蹴してしまうような人物であれば、自らの政策の「影」になる部分など考えません。反原発を叫ぶときの思い切りの良さは、政治家あるいは政党としての責任感の欠如の度合いに比例します。そして責任感に欠ける政治家を台頭させようとする気運は、左右問わず広がりつつあります。

 

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明日は明日の風が吹く

2011-06-12 22:30:34 | ニュース

国内最大の新出雲風力発電所再開へ 事故乗り越え(朝日新聞)

 島根半島に直径90メートルの巨大な風車を林立させる新出雲風力発電所(島根県出雲市小津町)は、国内最大の出力7万8千キロワット(3千キロワットが計26基)を誇る。東日本大震災による福島第一原発の事故で、自然エネルギーに期待が集まるが、事故が相次いで思うような成果が上がっていない。

 発電所は2009年4月に営業運転を始めた。最初の事故は、半年後の10月8日。台風に伴う強風で1基の装置に不具合が起き、羽根(ブレード)を破損した。さらに1基が落雷を受け、別の1基も風車を支えるタワーにブレードが接触して破損した。

 11月4日にも1基のブレードがタワーに接触、26基すべての運転を停止した。

 10年7月から順次、運転を再開したが、12月27日には、以前に事故を起こした2基のブレードがタワーに接触、再び全基を停止した。

 発電所を運営するユーラスエナジージャパン工務部の長谷川幸司・島根事業所長によると、地形の影響で、乱れた風を受けたのが事故の原因という。風車の上部よりも強い風を下部に受け、ブレードが大きくたわんでタワーに接触したと分析している。


「回らない風車」訴訟、早大への賠償命令確定 最高裁(朝日新聞)

 小中学校に設置された発電用の風車が計画通りに回らなかったとして、茨城県つくば市が風車を設計した早稲田大学などに設置費用約3億円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は、つくば市と早大の双方の上告を退ける決定をした。9日付。約9千万円を支払うよう早大に命じた二審・東京高裁判決が確定した。

 二審判決によると、同市は風車の電力を売って地域の活性化につなげようと計画。ところが肝心の風車が回らず、発電量が計画を大きく下回った。同市は環境省からの交付金1億8500万円を返還したうえで、早大と風車メーカー(大阪市)を訴えていた。

 二審判決は「つくば市への説明を怠った」として早大の過失を3割認めた一方、同市についても「計画通りに実現するか容易に疑問を抱けた」と7割の過失を認定していた。メーカーの賠償責任は認めず、最高裁も同市の上告を退けた。

 さて、いわゆる再生可能エネルギーに分類されるものでは現時点で最も採算性が高いと言われる風力発電ですが、その稼働率は甚だ微妙なところです。落雷や台風が多く風量の変動も激しい日本の場合、他所の国よりも風力発電はハードルが高いのではないでしょうかね。ともあれ発電設備に限らず何であれ売り込みを図る側は、往々にして自分に都合の良いことしか言わないもので、「これでばっちりですよ」という売り文句を真に受けて契約を結べば後から後悔することは必至です。だから営業が語りたがらないデメリットの部分も勘案しながら、良い面と悪い面を総合的に鑑みた上で導入を検討しなければならないように思えるのですが、実態はどれほどのものでしょう。最高裁第一小法廷は説明を怠ったとして早大の過失を認める一方で、つくば市に対しても「計画通りに実現するか容易に疑問を抱けた」と指摘しています。風力発電なんですから文字通り風任せ、設計者の思惑通りに動作してくれるかなんて空に聞くしかない代物です。そこは思惑通りに風が吹かなかった事態を導入する自治体の側も想定すべきだったと判断されたようです。

 まぁ、風車がガンガン回れば回ったで、これまた設計側の想定を超えた騒音被害が頻発しているのもまた風力発電です(洋上に置けば万事解決みたいに語る人もいますが、そうしたら今度はコストやメンテナンスの問題、漁業や船舶への影響など新たな問題も出てきます)。つくば市の風車が想定通りに回ったら、今度は風車からの低周波で健康を害する児童が続出していた可能性もあります。とかくクリーンなイメージの強い風力発電ですけれど、課題は山積みなのです。しかるにクリーンなイメージが強いだけに、反対の声も上げづらいのが実態ではないでしょうか。まれに風力発電による健康被害の訴えを取り上げた記事もあったわけですが(参考)、こういう訴えを「再生可能エネルギーに冷水を浴びせるような記事」と切り捨て、挙げ句の果てに広告主の企業のご機嫌を取るためだ得意の陰謀論に結びつける輩もいるのですから救いようがありません。風車を企業ではなく市民団体が設置しているとでも思っているのか?とでもツッコミを入れたくなるところですが、まぁ原発「以外」の発電手段に対する批判的な見解は今後ますます、隅に追いやられていくことでしょう。そのような状況こそ私が最も嫌悪するところですが、脱原発という大義名分の中では風車の騒音被害に苦しむ人などは小異として黙殺されていくものなのかも知れません。


ザ・特集:悩む原子力専攻学生(毎日新聞)

 原子力に未来はあるのか--。福島第1原発で起きた最悪の事故は、この国の原子力産業の先行きに暗い影を落としている。そうしたなか、この国の未来を切り開くエネルギーであると信じて、原子力を専攻する学生たちの目に、今回の事故はどう映っているのか。若き原子力エリートの悩める心に迫った。

(中略)

 福島問題の関心の高さを示すように、この日のフォーラムでは活発な質疑応答が繰り広げられた。その多くは、放射線量の単位など専門的な知見に関するものだった。そして、最後に4列目に座っていた横浜市の会社員(49)が質問に立ち、こう切り出した。「原子力は長期的に日本のためになるかどうか。ご意見をお持ちであればお聞かせ願いたい」。空気の流れが少し変わった。
 
 壇上の学生たちが顔を見合わせる。押し出されるようにしてマイクを握った杉山さんは「私が大事だと思っているのは、0か100か、という強い議論に押されることなく、総合的に今後のあり方を考えていくことです」と答えた。緊張した様子が見て取れた。これで時間切れだった。

(中略)

 「それでも」と寺井教授は言葉を継いだ。「5年ほど前から、世界的なエコエネルギーの潮流に乗って原子力が見直され始め、『原子力ルネサンス』なんて呼ばれていたのですよ。やっと風向きが変わってきたと思っていたところに、今回の福島の事故が水を差してしまった。主に米国メーカーの基本設計でつくられた、福島第1原発は津波の想定が甘かったのです。女川原発は被災した住民が避難してきたというのに……」と悔やむ。言葉の端々から、米国依存の設計ゆえに壊滅的な事故につながった--と言っているふうにも聞こえた。

 まぁ、「今」の時点で風力発電が使い物にならないとしても、将来的には諸々の課題が克服されて安全で安定したものになることもあるでしょう(残念ながら近い未来ではないと思いますが)。ただ、現時点で抱えている課題が克服される可能性があるのは別に風力や太陽光発電に限ったことではありません。火力などの化石燃料発電でも効率は上がっていますし、それは原子力に関しても同様です。現に電源を喪失した場合でも原子炉を冷却できるような機構は既にできあがっており、福島第一原発で起こったような事態を防ぐことは難しくないわけです。今までの常識を覆すような画期的に安全で安定した風力発電の方法が生み出されることもあれば、やはり従来とは比べものにならない画期的に安全で高効率の原子力発電手段が実用化されることも将来的にはあり得る、その中で最も状況に適したものを選ぶべきだと思うのですが――しかるに原子力研究が、あたかも「敵性学問」みたいに扱われがちな辺り、薄ら寒いものを感じます。

 中頃に登場する横浜市の会社員(49)は、いかにも自分に酔っている様子で山本太郎と似たような気持ち悪さを感じさせます。引用記事自体が「原子力に未来はあるのか--」という問いかけならぬ反語で始まっている辺り、ブルジョワ新聞の記者としては「我が意を得たり」といったところだったのかも知れません。正直、答える必要のない問いであるようにも思います。原子力に未来はあるのか、日本のためになるのか、そこに急いで結論を下し、研究することにさえも否定的な目を向けようとすることこそ野蛮と言われるべきではないでしょうか。ちょっと風向きが悪くなれば全否定して葬り去ろうとする、そういう態度が新しい技術の誕生を阻害するものです。確実に成果が出るとわかっている研究しか認められないのであれば、それこそ風力だって太陽光だって怪しい代物になってしまうのですから。

 ちなみにサラッと触れられている女川原発、指定の避難場所ではないにも関わらず、少なからぬ被災者が避難しています。そりゃまぁ周りの他の施設に比べれば災害への備えが厳重に決まっていますから、他所にいるよりも原発の施設内にいた方が安全だったということでしょう。ことによると浜岡原発を止めろと騒いでいた人が最も恐れるのは、浜岡が福島第一のようになることではなく、この女川のようになることだったのではないかという気がしないでもありません。まぁ、運が良かったところもあると思います。ただ、福島第一のような事態を防ぐことは不可能ではないということも意識はすべきでしょう。取材を受けた寺井教授は「米国メーカーの基本設計でつくられた、福島第一原発は津波の想定が甘かった」と述べ、これを毎日新聞は「米国依存の設計ゆえに壊滅的な事故につながった--と言っているふうにも聞こえた」と評していますけれど、いうまでもなく事実を語っているのは寺井氏の方です。福島第一原発建設当時は国内メーカーにノウハウがなく、米GEの言うがままに作っただけ、日本の事情に合わせた変更を利かせるだけの技術の蓄積がなかったわけです。たぶん、福島第一原発はもっと早い段階で廃炉とし、新しい原発に置き換えられるべきだったのではないかという気がしますね。原発の一切合切を含めて全否定するのではなく、古い原発、それもアメリカ仕様そのままの原発を引っ張り続けたことの方が(こうなった理由は電力会社のみに帰せられるものではないはずです)、本当は批判されるべきなのではないでしょうか。

参考、「地下に非常電源」米設計裏目に ハリケーン対策だった(朝日新聞)

 

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