経済協力開発機構(OECD)のアンヘル・グリア事務総長は25日、東京・内幸町の帝国ホテルで開かれた読売国際経済懇話会(YIES)で講演した。
日本が取り組むべき課題として、労働市場の二極化や男女格差の解消、財政再建などを挙げ、「格差の原因となっている構造の改革が必要だ」と訴えた。
グリア氏は、日本でも他のOECD諸国と同様に、1980年代半ばから所得格差が拡大していると指摘。最大の要因は賃金の格差にあり、非正規労働者の社会保障の適用範囲の拡大や職場訓練の充実などが必要との見方を示した。
「格差の原因となっている構造の改革が必要だ」とOECDの事務総長が訴えたそうで、その省略形として見出しには「構造改革を…」となっているのでしょうか。しかるに日本で「構造改革」と言ったら、問題となっている格差の原因の最たるもの、格差を拡大させた要因でもあるわけです。そりゃ一口に「構造改革」と言っても内容は千差万別たり得るのでしょうけれど、そうであるからには用法にも注意が求められます。OECDの「構造改革を…」という提言を受けて、この十数年来の構造改革路線のアクセルを踏み込む、それでさらなる格差拡大に拍車がかかるなんて事態になったら目も当てられませんから。そこに精神的満足感を覚える人はいるにしても、いい加減に経済合理性など「実利」の部分を考えねばならない段階に来ているはずです。日本的な改革の理想を追いかけて経済と社会を破綻させるような未来は御免です。
小泉一派とその支持層は、格差拡大の原因を専ら高齢化のせいだと主張しました。確かに世代が上になるほど所得/資産の格差は大きくなる、必然的に高齢化の進行は格差の拡大の一員となるのですが、それだけを格差拡大の原因として挙げるのは乱暴に過ぎるでしょう。それ以前に彼らの自家撞着ぶりを示すのは、格差拡大を高齢化のせいと言い繕う人ほど高齢者向けの福祉には冷淡で、あろうことか削減の対象と見なしがちだということです。自分が格差拡大の原因だと説明したものに手を施そうとしないどころか、逆に事態を悪化させようというのですから笑えます。まぁ、笑って済まされるものではないですけれど。たぶん彼らにとって格差拡大は批判的に見るべきことではなく、むしろ歓迎すべきことなのでしょう。いわゆる「好転反応」って奴ですね。格差拡大は意図して推し進められてきた、それは時に経済成長を蔑ろにしてでも実現させるべき改革の理想だったのかも知れません。
なおOECDのグリア氏によると「最大の要因は賃金の格差にあり、非正規労働者の社会保障の適用範囲の拡大や職場訓練の充実などが必要」なのだそうです。確かに賃金の格差は大きいですし、この低賃金が容認されたままでは社会保障の適用範囲が拡大されても、日本の逆進的な社会保障制度の元では加入することによる負担もまた決して小さいものではありません。そうした面からしても賃金格差の是正は求められますが、単に格差是正というと正社員の賃金を下げれば良いのだと素面で口にする改革論者がこれまた幅を利かせているのですから日本は恐ろしい世界です。まぁ、正社員を含めた日本で働く人をことごとく貧困化させて日本経済を破綻させたところで、正規雇用と非正規雇用の賃金格差は解消されることはないでしょう。正社員の賃金が下げられる一方で、非正社員の賃金がそのまま維持されるなどと夢想するのは、あまりにもナイーブに過ぎるというものです。
日本のように非正規雇用が実質的に完全自由化されている社会では、どうあっても非正規雇用=使い捨ての労働者になってしまいがちです。ほぼ「何にでも」非正規雇用が使える以上、必然的に雇用側の都合のいいようにしか使われなくなるのは当然でしょう。あくまで周辺的立場の労働者として、仕事が減ったり、他の人に入れ替えたくなったりしたときに切り捨てるために非正規で雇う、そういうことを可能にする規制緩和が行われてしまった以上、非正規雇用が正規雇用の「安価な代替品」として扱われることからは免れられません。それを避けるためには、派遣などの特殊な雇用形態はあくまで「特別な」職業に限定して、余人を持って代えがたいポジションのみを非正規として認めるよう規制していく必要があります。つまり、構造改革が破壊したものを修復することが求められるわけです。それが嫌なら、最低賃金を2000円程度まで引き上げるなど「新たな」改革が必要になりますけれど、マトモな賃金を払ったら経営が成り立たなくなるような採算性の低い企業の延命を重視する構造改革論者にとって、それは受け入れられないことでしょうね。現行の構造改革路線を続ける限り格差拡大は止めることができない、そこで格差は悪いことではないと彼らなりの道徳論を持ち出す、愚かな政治ですが、それもまた国民の支持を得た政治家の決めたことです。