非国民通信

ノーモア・コイズミ

将来を悲観してやった

2006-12-31 23:07:36 | ニュース

殺人未遂:ひきこもりの孫切りつける 80歳祖父(毎日新聞)

 滋賀県警大津署は30日、滋賀県大津市馬場1の無職、竹上晃一郎容疑者(80)を殺人未遂容疑で緊急逮捕した。

 調べでは、竹上容疑者は同日午前6時20分ごろ、就寝中の同居の孫の男性(23)の首を文化包丁(刃体の長さ22センチ)で切ろうとした疑い。包丁を避けようとして孫は右手を切って軽傷を負った。孫が家から逃げたため、同容疑者が同署に出頭し判明した。調べに対し同容疑者は「ひきこもりで両親に暴力を振るう孫の将来を悲観してやった」と供述しているという。6人家族で、息子夫婦と別の孫は前日から外出していた。

 今年はもう記事を書くつもりはなかったのですが、ちょっと気になるニュースを見つけてしまいました。祖父母と言ったら30過ぎた孫にもお年玉をくれそうなイメージですが、たぶんそれは離れて暮らしているから、可愛い孫も同居していると嫌な面ばかりが目についてくるものかもしれませんね。しかしまぁ、嫌なニュースです。

 それにしても、引きこもりはネタになるんでしょうか、ニュースとして取り上げられる割合が高いような気がします。今年の児童虐待による検挙数は120件だそうで、うち死者が出たのは61件、全件余さずに取り上げたメディアはないでしょうねぇ。そして最近はご無沙汰に見えてしまう子供の自殺、年間約140件ですから、もっと頻繁に取り沙汰されてしかるべきなのに、今では報道が下火に。報道だけを基準にすると問題が解決されたかに見えてしまいますね。

 大人の自殺は毎年3万件あるわけで、これをきっちり報道していたら自殺報道だけで毎日のニュースが終わってしまう有様です。しかし、報道されない。事件があっても報道されるかされないかはメディア次第、あらゆる事件を報道するのは無理ですから取捨選択が入るのは致し方のないことですが、そこで偏りが生じると視聴者にも偏った印象を与えることになります。たとえば、ありきたりの日本人の犯罪を切り捨てて少数派である外国人犯罪をニュースにすれば、視聴者はあたかも外国人犯罪が急増しているかのごとき錯覚に陥ります。そして毎日100件近い自殺や何万人もの失業者の報道を控えて、少数派である引きこもりの事件を取り上げると、あたかも引きこもりが大きな社会問題であるかのごとき錯覚を作り出してしまいます。

孫の将来を悲観してやった

 暴力を振るうという孫も孫なら80にして人を刺す爺ちゃんもどうかと思われますが、この台詞「孫の将来を悲観してやった」、これは泣かせます。

 いじめによる自殺が報道されていた頃、死んではいけない、生きていればいいことがあるというようなことを語る人もいました。私に言わせればそれは無責任です。生きていたって将来はもっと暗澹たるものかもしれないのです。

 あるアンケートでは企業の65%が、非正規雇用や無職など、経歴に穴のある人間は正社員として雇用しないと答えたと聞いています。件の引きこもり青年の経歴がどんなものかは知りませんが、引きこもりをやめて外に出たところでまともな未来が待っているとは思えません。お偉いさんが引きこもりの青年に向けて外に出て仕事を探すように説くのであれば、私はこう言いたい「あなたが社長であったなら、彼を雇用しますか? まともな条件で?」外に出ても何の希望もないのであれば、外に出ろとは言えません。もう希望はない、そう将来を悲観した爺さんの方が現実が見えている気すらします。

 池内ひろ美氏はその差別心に満ちたブログの中でこう書いています。

「向上心がなくて勉強もせず、平日の早い時間から連日飲んでいる男の子なんて、うちでは絶対に雇わない。スタッフにはお願いして仕事をしてもらってんだから。お願いしたくなる子じゃないと雇わない!」

そうだよね。
彼らに年間300万円以上も払っているトヨタは偉い。

 一度でも低いところに落ちた人間は、収入の面だけではなく尊厳の面でも差別を受けます。そもそも平日の早い時間に見えても、ホワイトカラーの会社とは別の時間で動いている工場の人間からすれば「平日の早い時間」と言えるのかどうか? 向上心がない、と池内氏は断定しているがなぜそんな断定ができるのか? 誹謗されている当人からすれば問題のない生き方も、差別主義者から見ればその違いこそが軽蔑の対象となるのでしょうか。社会の「基準」になっている人がいて、そんな連中が彼らの基準から外れた人々を見下す、これはもう身分制度のようなものです。

 いくら一生懸命働いていても、規定するのは上の人、上の人が「向上心がない」と確信してしまえば、本人がどう頑張っても認められないのが今の格差社会、経済的に上昇できないだけではなく、外部から一方的に規定され、軽蔑される、待っているのは尊厳の格差社会でもあるのです。今回、殺されかけた引きこもり青年だってたぶん将来はこんなもの、経済的に立ちゆかないだけでなく、尊厳の面でも絶えず低いところにおかれるであろうことが予想されるわけです。そんな彼の将来を悲観して刃物に手をかけた老人を、私は責められません・・・


 なお、池内氏は批判を受けて一度ブログを削除、後に再掲と称してエントリを復活させていますが、いくつかの差別発言がこっそりと削除されています。中にはこんなモノもありました。

彼らは『トヨタ』を漢字で書くことができるのだろうか

 トヨタは「トヨタ」もしくは「TOYOTA」なので漢字では書けないと思うのですが、池内氏はトヨタを漢字で書くことができるのでしょうか?

 

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今年も終わりです

2006-12-31 18:27:07 | 編集雑記・小ネタ

 さて、今年も今日で最後、他所様のブログに習って1年を振り返ってみるとしましょうか。

 このブログが始まったのは5月のことでした。タイトル案は「しんぶん くろはた」なんてのも考えました。赤旗のパロディみたいなタイトルではありますが、とはいえ私は全面的にアナーキストというわけでもなく、むしろ福祉国家論者なのでちょっとずれます。それであれこれ考えた末が「非国民通信」これがあたりだったのかはずれだったのかはよく分かりません。Google検索「非国民」で現在上から6番目、Yahoo検索ではヒットしません。もっと上に行けるかな?

 で、始まったのは5月のことでしたが、当初はぐだぐだな内容を週1で書いていただけ、何の宣伝もしなかったのでたぶん、自動巡回のロボット以外に訪問者はいなかったのではないかと。トラックバックという機能の意味に気づいて、ようやく人に来てもらえるようになったのは8月くらいからでしょうか? その頃から更新頻度もかなり高くなりました。

 時事的なネタを「ニュース」、時間がたっても通用しそうなネタを「社説」などという形で分けたわけではありますが、今になって思うとこのカテゴリ分けは失敗だったような・・・ しかし、今更どうにもならないのでいけるところまで行きます。そもそも、当初は“bogusnews”のようなウィットを交えたエントリを中心にしたかったはずなのですが、だいぶ予定とは食い違いが・・・

 私が巡回しているブログの中にはコメント欄を活用して積極的に議論の場を提供している方もいますが、基本的にブログのコメント欄は他人の家の庭ですから、そこであまり議論を白熱させるべきではない、本格的なモノになりそうならば自分のブログに引き取って話を続けるか、そもそもコメント欄には字数制限があるのが普通ですので、それだけの規模があるのであれば自身のブログを使ってTBという形で返答するべきと考えています。なので、私はコメント欄はあまり重要視していなかったりします。その辺は人それぞれですけれどね。

 政治的に左寄りと見なされる記事が多ければ、それに対して悪意あるコメントが殺到することもありますし、そんなモノで神経をすり減らしたくないという思いもあります。逆に善意のコメント、お褒めの言葉も私のような気弱な人間からすれば恐縮なものでして、コメントを戴いたら誠意を持って返答しなければいけない、とプレッシャーを感じたりもします。メールのやりとりにしても自分から切れない、自分が返答して終わる形じゃないと居心地が悪く感じるタイプでして、人様から寄せられたコメントをほったらかしにできない、それが重圧になりそうなのでいまだにコメント欄を開く勇気がありません、はい。

 逆にトラックバックは大歓迎ですよ。こちらはフレーミングに発展するようなモノではありませんし、返答しなくても心が痛むわけでもありませんので。こちらへの言及リンクはあれば嬉しいですが別になくても構いませんし、よほどのことがない限りこちらでトラックバックを拒否することはありません。ただサービス提供元のスパム対策なのでしょうけれど、どうにもトラックバックの送受信が正常に行われないケースが少なくない模様、スパムの削除は別に大した労力ではありませんので、こちらからすれば余計なお世話なのですが・・・

 さて、トラックバックは言及リンクを張ったブログに対して送るのがマナー、というのが建前のようです。現に「はてなダイアリー」などのブログサービスは言及リンクをつけないとトラックバックが通らない仕様となっています。う~ん、でもリンクがなくても共通のテーマを取り上げているブログであればTB送ってもいいんじゃないかとは思いますが。

 こちらからトラックバックを送ると、先方のブログにリンクが張られるわけです。これはある意味で他人の家のポストにチラシを入れる、ダイレクトメールを送るようなものと考えています。赤の他人にこれをやるのは失礼と考える人もいるかもしれませんが、でもせっかく主張のあるブログを書いているのであれば、身内だけではなくもっと広い範囲の人に聴いてもらいたい、そんな気持ちでやってます。「なんだよ急にTB送りつけやがって」と思われる方もいらっしゃるかと存じますが、不愉快でしたらチラシを捨てるつもりで削除してください。

 逆にこちらから言及リンクを張る場合の方がむしろ躊躇します。ブログが普及する以前にはむしろ勝手にリンクを張られたら迷惑とするサイトも珍しくありませんでしたし、左寄りと見なされるブログにはいわゆるネットウヨが取り憑いている場合もあり、リンクを張ることで先方にそう言った手合いを送り込んでしまうことにもなりかねません。そんなわけでリンクフリーを明示しているブログはともかくとして、身内でひっそり平穏にやっているブログにはこちらからTBを送ることはあってもリンクを張るのは少し躊躇いを感じるわけです。ちなみに私のブログはリンクフリーですのでどうぞどんどんリンクを張ってくださいな。

 そんなこんなで人様のブログにトラックバックを送り続けて数ヶ月、なんとかgooランキングに常駐できるようにもなりました。新規読者を獲得すべく登録した人気blogランキングでもとりあえず最初のページにランク入りを続けており、投票してくださいました皆様にはこの場を借りてお礼申し上げる次第です。しかし、blogランキングの中でもできるだけ過疎のカテゴリと言いますか、上位にランク入りしやすいカテゴリを狙ったのですが、それでも1位に居座るのはよくあるヘイトスピーチ系の妄想ブログ、政治的なカテゴリではどこもそんなものですが、何とかこの状況を打開したいものです。

 

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凶悪犯罪は横ばいでも死刑は増える

2006-12-30 18:36:42 | ニュース

死刑宣告、最多の45人 厳罰化 世論が後押し(産経新聞)

 今年は全国の地裁、高裁と最高裁で計45人に死刑が言い渡され、裁判所別の統計資料がある昭和54年以降で最も多かったことが29日、分かった。新たに死刑が確定した被告も約40年ぶりに20人に到達。確定死刑囚の総数は同日現在で戦後最高水準の94人に達している。司法関係者からは「凶悪犯罪に厳罰を求める世論の影響が大きい」と指摘する声が上がっている。

 死刑判決が増加している背景について、今年死刑を宣告された被告の弁護人を務めた弁護士は「凶悪事件が増えたというより、従来の量刑基準なら無期懲役だった事件でも、死刑が言い渡されるようになっている。厳罰化を求める世論の影響ではないか」と分析。

 先日は「死刑囚が100人を超えるとなんかまずそうだから」と曖昧な理由でクリスマスにまとめて死刑が執行された訳でありますが、ロシアのクリスマスは来年1月7日ですしキリスト教文化圏でない国だっていくらでもあるので執行がクリスマスに当たったことはまあよしとしましょう。問題は今でも死刑制度を維持していること、死刑制度への支持が根強く、それが司法にまで悪影響を及ぼしていることにありそうです。

 犯人をどのように罰したところで殺された被害者が生き返ったりするわけではありませんので、被害者への補償の面では死刑であろうとなかろうと違いはありません。より重要である抑止の面、第2第3の被害者を生み出さないための犯罪抑止の観点から見ましても、死刑制度を廃した欧州諸国の統計を見る限りでは死刑制度の有無はほとんど関係していないだけに、死刑制度による抑止効果を期待するのは無理があります。

 さて、引用記事でも弁護士某が発言しているように死刑に相当する凶悪事件が増えているわけではありません。それがどういう訳か判決では死刑が増加、これは世論の影響によるものだそうです。他国に軍隊を駐留させることが国際貢献、国の安全は軍事力によってのみ保証される、そんな勘違い甚だしくも猛々しい考え方の政治家が支持を集めるこの御時世、司法の場でもより血なまぐさい解決が求められるのは仕方がないことかもしれませんね。

 外交、特にアジア外交を見るとしばしば理性ではなく感情によって方針が決められていることが分かります。特に対北朝鮮外交となりますと、拉致被害者家族の憎しみの感情にただ乗りするばかり、今や理性的な外交は姿を消してしまいました。たしかに癒されぬ被害者感情へのケアはあってしかるべきなのですが、周囲がその感情に流されるばかりで理性的な選択を失うのはいかがなものでしょうか。そもそも被害者へのケアとして、被害者感情にただただ同調するのが適切とは言えません。そして感情的な外交は国益を損ねたばかりか、拉致被害者の救出の面でも停滞を招いています。怒れる被害者の感情に従うのは結果として被害者の回復を遅らせることもしばしばあるのです。

 理性的な思考を放棄して被害者の憎しみの感情にただ乗りする、そんな傾向の強まる中で裁判員制度の導入が予定されています。法律の専門家であり被害者とも加害者とも関係のない赤の他人である裁判官でさえ被害者の感情に流され、世論に影響されてしまう有様です、これが法律知識を持たず、世論の担い手である市民が裁判員として判決に影響を与えるようになったらどうなるのでしょうか。今よりも判決はより感情的に、より強く厳罰が要求されることになりそうです。

 ある現役の判事も「平成12年の改正刑事訴訟法施行により、法廷で遺族の意見陳述が認められたことが大きいと思う。これまでも遺族感情に配慮しなかったわけではないが、やはり肉声での訴えは受ける印象がまったく違う」と話している。

 毎日毎日テレビで繰り返される拉致被害者の怨嗟の声に流され、日本の世論は北朝鮮憎しで凝り固まっています。そんな世論を形成してきた市民達が裁判員となったとき、法廷で遺族の訴えを聞いてどう反応するでしょうか。遺族の苦しみと加害者の罪を冷静に裁くことができるのでしょうか? 判事ですら情に流されている有様だというのに。最悪の事態として、裁判員が被害者遺族の悲しみにただ乗りして加害者を殺せと叫び出す、市民の声によって死刑判決が激増する、そんな未来もあるのかもしれません。国民の理性が問われます。

 

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愛の構造改革って何だろう?

2006-12-29 20:40:04 | ニュース

75歳以上の外来医療、「定額制」を導入へ 厚労省(朝日新聞)

 厚生労働省は28日、75歳以上のお年寄りの外来診療について、医師の治療を1カ月に何回受けても医療機関に支払われる診療報酬を一定にする「定額制」を導入する方針を固めた。寝たきりの在宅患者への往診など、高齢者向け医療の一部ではすでに定額制が導入されている。厚労省はこれを外来医療へと拡大して医療費の抑制を図る考えだ。高齢者に対して、必要度の高くない医療が過剰に行われているとされる現状を改善する狙いだが、患者の受診機会の制限につながる可能性や、医療機関がコストを下げようと必要な医療まで行わなくなる危険もあり、今後、適用する疾病の範囲や条件を慎重に検討する。

 患者が支払う側の医療費が定額になればいいのですが、医者が受け取る分の報酬が定額になるそうで。もとより非正規雇用は大変でしたが、ホワイトカラー・エグゼンプションでサラリーマンも追い詰められ、今度は医者も標的にされる模様です。これはもう、働いたら負けですね。

 規制緩和で非正規雇用を推し進めても若者が未来を失うだけ、ホワイトカラー・エグゼンプションでサラリーマンが残業代を貰えなくなってもサラリーマン自身の収入が減るだけ、被害は一人のうちに止まりますが、医療の場合はそうもいきません。診療報酬が定額制になって医者が経済的な都合から医療行為を抑制せざるをえなくなると、今度は患者にまで被害が及びます。これはもう、歯医者のようにまともな治療を受けたければ全額自費診療にしろと言うことでしょうかね。美しい国では医療は富裕層の特権、貧乏人は医療費が無料のキューバか北朝鮮に亡命したほうがマシかもしれませんね。

行政改革担当相 渡辺喜美氏が就任(産経新聞)

 新しい行革大臣に関してはなぜか産経新聞が随分と紙幅を裂いています。何か期待するところでもあるのでしょうか?

 「うーん、まあ、腕力、知力、体力。特に腕力かな」。首相官邸で首相から辞令交付を受けた渡辺氏は、記者団に自身が抜擢(ばってき)された理由をきかれると、こう答えた。記者会見では、「徹底した行政の効率化」など首相の指示について「わたし流に解釈すると『愛の構造改革』を目指すことだ」と、さっそく“渡辺節”も飛び出した。

 愛の構造改革・・・

 税調会長は金と女でクビが飛び、代わりに金と女では問題なさそうだが政策は代わり映えのしない手合いが後任に。行革大臣も政策ではなく金の問題を批判されてクビが飛んだわけですが、さて後任の渡辺氏の政策はいかに。発言内容からは政策がさっぱり見えてきませんが、前任者も政策を批判されてクビが飛んだわけではなかっただけに、後任の政策も似たようなものになるのではないでしょうか。

家賃引き上げを自民が検討 世論に配慮、赤坂議員宿舎(共同通信)

 自民党は28日までに、来年4月から入居が始まる「衆院赤坂議員宿舎」(東京都港区)の月額9万2000円の家賃について引き上げる方向で検討に入った。「周辺相場の5分の1程度で、安過ぎる」との世論の批判に配慮したもので、幹部の中には「2、30万円にしたらどうか」との声もある。来年1月以降に党改革実行本部を中心に引き上げ幅などを検討し、衆院の各会派に打診する考えだ。

 思うに、国民からの批判も常々的を外しているような気がします。たしかに議員宿舎の家賃は相場より安いのでしょうが、それが国民の生活に何か関係があるのでしょうか。議員宿舎の家賃が引き上げられたところで我々の生活環境の向上には全く寄与しません。本間税調会長が議員でもないのに議員宿舎に入居して愛人を囲っていたのは褒められたことではありませんが、そのことが我々国民に害をもたらしたわけではありませんでした。第一に責められるべきはその誤った税制でなければなりません。自民党が世論の批判に配慮すると称して議員宿舎の家賃引き上げを検討する、どうでもいいことです。これがもし、世論の批判に配慮するとして政策の過ちを見つめ直してくれたなら、まだ希望は持てるのですが。

 ちなみに渡辺行革大臣にはこんな経歴もあるようです。

 「チーム安倍」の中軸にある塩崎恭久官房長官や石原伸晃自民党幹事長代理らと12年にグループ「四騎の会」を結成。昨年8月の郵政解散の際、若手議員約20人に呼びかけ当時幹事長代理だった安倍晋三首相と会い、衆院選に敗れれば安倍氏をもり立てると誓った。森喜朗首相(当時)が12年、北朝鮮による拉致事件を不問に付し被害者を「行方不明者として第三国で発見する」との解決方法を探ったことに反発し、退陣を要求した。

 もし拉致被害者の救出が最重要課題であったならば「行方不明者として第三国で発見する」形でもよかったはずです。そちらの方が早期に救出できるというのであればなおさら、躊躇わずそちらを選択しなければなりません。しかし拉致被害者の救出よりも北朝鮮を罰することの方が重要であるとするのであれば、北朝鮮が悪い、という形で決着をつけなければならない、とうてい第三国案は受け入れがたいものなのでしょう。

NYタイムズ拉致「扇動」記事 政府が反論文投稿(産経新聞)

 政府は、右翼勢力が北朝鮮による拉致問題を扇動しているとした米紙ニューヨーク・タイムズの記事(17日付)を問題とし、「事実と異なる」との中山恭子首相補佐官(拉致問題担当)の反論文を、同紙と、記事を転載した国際紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(18日付)に投稿。トリビューン紙には26日付で掲載された。

 ノリミツ・オオニシ東京支局長の記事に対し、反論文は「そのような事実はない。拉致問題は現在進行中であり、これは自国民救出の問題だ」と指摘。「日本人拉致被害者の多くは30年近くも監禁され、すべての自由を奪われている。被害者が自由と尊厳を取り戻すためにあらゆる支援を受けるのは当然であり、救出は日本政府の使命だ」と強調した。

 政府及び産経新聞などの右派勢力からしてみれば痛いところを突かれたのでしょう。拉致被害者家族会が本来の目的を失って右翼団体と密接な関係を保ち、反北朝鮮キャンペーンの旗頭と化してしまっているのが現状ですが、それでも建前としては拉致被害者の救出を掲げているだけに、その活動の実態にはあまり触れて欲しくなかったものと推測されます。北朝鮮側との交渉を頑なに拒み、対岸から一方的な非難を続けるだけの圧力団体が「救出」云々を語るとは笑わせてくれますが。

 

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辞任の理由

2006-12-28 00:16:44 | ニュース

佐田行革担当相が辞任 首相に辞表提出(朝日新聞)  

 佐田玄一郎行政改革担当相(54)=衆院群馬1区、当選6回=は27日、実体のない事務所を政治団体の所在地として届け出ていた問題で、「不適切な会計処理があった」として辞意を表明し、安倍首相も了承した。政治団体の事務所経費は「実際に支出されたもので、架空のものは一切ない」としたものの、別の政治団体の経費を付け替えたことを「不適切」と説明した。先週の政府税調会長辞任に続く閣僚辞任は政権に打撃となるのは必至で、求心力が低下している首相は厳しい政権運営を強いられることになりそうだ。

 郵政民営化反対派議員の復党問題やタウンミーティング(TM)のやらせ問題も含め、政権へのダメージとなる事態が続いており、政権基盤の弱体化は避けられない。

 首相は27日夜、首相官邸で記者団に対し、「任命者として国民に対し責任を感じている」と任命責任を認めたうえで、自らの責任の取り方としては「結果を出していくことによって国民に対して責任を果たして参りたい」と語った。

 なにやら辞任する人が相次いでいますが、今回は不正経理ですか。この人も自民党幹部の例に漏れず世襲議員であり相応の資産家と思われますが、それでも欲を出して不正な金に手を出して、それで親から受け継いだ地位を失う羽目に。政治家たるもの、政策の誤りは許されても金と女の誤りは許されない美しい国の流儀をわきまえておかねばなりませんなぁ。

 以前どこかで「どんどん減る安倍総理の給与」とかいう見出しを見て苦笑した記憶があります。不祥事の都度にけじめと称して自らの給与をカットしていった様子を揶揄したものと思われますが、さて今回はどうでしょうか。さらに給与10%カットでしょうか? 資産家の安倍一族から見れば総理大臣の給与なんて貰っても貰わなくても違いはなさそうですが、一部の自民党支持層にはこの給与カットによるけじめを好意的に受け取る向きもあるようで。う~ん、彼は給与生活者って訳じゃないので、痛くもかゆくもないけじめの付け方だと思うのですが。


政府税調会長に香西氏 旧経企庁出身73歳 本間氏後任(朝日新聞)

 安倍首相は26日、官舎入居問題などで政府税制調査会長を辞任した本間正明氏の後任に、前内閣府経済社会総合研究所長の香西泰(こうさい・ゆたか)・日本経済研究センター特別研究顧問(73)を充てることを明らかにした。27日にも税調委員に任命、来年1月の政府税調総会で互選により正式に選出される。

 香西氏は旧経済企画庁出身で、経済研究所総括主任研究官や東工大教授も務めた。02年に竹中金融相(当時)のもとで「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」座長として不良債権処理策を策定。05年には竹中経済財政相(同)のもとで経済財政諮問会議の専門調査会長として、日本が経済力を維持するために必要な改革課題を記した「日本21世紀ビジョン」をまとめた。

 「ビジョン」では、生産性の向上などによって将来の実質経済成長率を高めることができると指摘。安倍首相が進める成長重視の「上げ潮路線」に近いため、香西氏が就任することで、経済活性化に向けた税制改正という本間前会長の路線を踏襲するとみられる。

 石→本間への交代を私は「犬が去って豚が来た」と評したわけでありますが、今度はどうでしょうかね? 企業に利益を誘導して、そのツケを国民に支払わせようとするのが石、財源を無視して後先考えずに企業に利益を誘導しようとするのが本間でありましたが、香西氏もガチガチの法人税引き下げ論者ということで根っこの部分は変わりそうにありません。変わるとすれば、香西氏は73歳の爺ちゃんですから本間氏のように愛人を囲ったりする可能性が低いことぐらいでしょうか。しかし老いてますますお盛んな御仁もいるので油断はできませんよね。

 前任者が辞任に至った理由は金と女の問題であって、政策の問題ではありませんでした。だから政府自民党としては金と女の問題を起こさない人を後任に起用すれば、一応は国民の声に応えたことになります。政策が理由で辞任に至ったのではないからには政策まで違う人間を起用する必要はない、金と女で非難される人物であったならその部分を改善すればよいのだ、そういうことになるのかもしれません。

 佐田玄一郎行政改革担当相、この人がどういう政策を掲げていたのか不勉強にしてよく知らないのですが、ともあれ辞任に至った理由は政策を非難されたためではなく金の問題でした。自民党の暴走を止めなきゃ!と思っている私としては、安倍政権の基盤が揺らぐこと自体は好機と考えられます。しかし、今回も批判を浴びたのは政策ではなく金銭の問題、これでは自民党の政策を変えることはできません。安倍政権の支持率は下がるかもしれませんが、それでも議会では安定過半数、あの超低支持率を誇った森政権時代にも過半数を保った自民党、まだまだ止めるには厳しそうです。

 

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ホワイトカラー・エグゼンプションとアンケート

2006-12-26 23:10:49 | ニュース

 他所様のブログを見て知ったのですが、かの産経新聞がホワイトカラー・エグゼンプションを巡ってwebアンケートを実施していました。この辺を記事にしようかと思っていたら、すでにアンケートは締め切り済みでした。 昨日の段階で投票だけはしておいたのですが、投票期日を確認しておけばよかったかも。

3K新聞アンケートコーナー
web上での結果発表は1月1日の予定だそうで

際限なき労働を可能とするホワイトカラーエグゼンプションにノーを!
情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士
様、アンケート項目とホワイトカラー・エグゼンプションの解説があります

 さて、結果が楽しみです。さすがに労働者に直接の収入低下を招くこの法案、これが国民の支持を得るとしたら、日本人は重度のマゾヒストだと思いますね。危険な香りのする国、ニッポン!

 同じくweb上の調査ではこの制度を知っている人はサラリーマンの9%しかいないというデータもあります。知られていないのなら賛成も反対もない? でも、わざわざ産経新聞のサイトまで行ってアンケートに答えるような人なら制度を知った上で回答しているでしょうか。

 私には納得できないのですが、御上の手綱捌きがうまいのか貧困層の中には特権階級ではなく中産階級に怒りの矛先を向ける人が少なくありません。一見すると中産階級サラリーマンを狙い撃ちにするかに見えるこの制度、中産階級への怨恨に満ちあふれた血迷える貧困層からはむしろ歓迎されるかもしれません。

 しかしホワイトカラー・エグゼンプション(長い!)、先行するアメリカでは年収10万ドル超の富裕層を対象としていたはずですが日本での当初案は年収400万円がボーダーラインでした。うわ、日本人の平均所得を下回ってる! それが正式に提出される段階となると具体的な数値は盛り込まれず、そして今月20日の段階では「管理職の平均的な年収水準」、そして翌日の厚生労働省の報告に曰く「対象者の年収要件の具体的な額を労働基準法の中には盛り込まず、政省令で規定するとした」。要するに政省令次第でどうにでもなる?
http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/nation/20061221a4790.html?C=S

 以前にも書きましたが国旗・国歌法が制定された際に当時の首相であった小渕恵三氏はこう言いました。「法制化にあたり、国旗の掲揚等に関し義務付けをおこなうことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならない」「義務付けを考えていない」「運用の変更を考えていない」。その結果はごらんの通り、最初は影響は小さいとして油断を誘い、そこからなし崩しに範囲を広げていく、ホワイトカラー・エグゼンプションの適用範囲も際限なく拡大すると見た方がいいでしょう。

 国民に不利益な政策を続ける政府を断固として支持し続ける献身的で忠実な、臣民としか呼びようのない国民も人も少なくないだけに不安はありますが、それでも今回のアンケート、反対の回答が多数を占めるのではないかと予想しています。しかし、もし反対意見が多数派を形成したとしたら、何か影響力を行使できるでしょうか。

 以前、毎日新聞のこれもやはりwebアンケートコーナーで、中国と仲良くすべきか?と言うのがありました。これは回答者の男女比が大きく偏ったアンケートでしたが、仲良くすべきでないとする意見が多数を占めました。この結果にコメントをつけたのが石田衣良氏、「今回のこたえは数字のうえでは「しなくていい」派が圧倒的だったけれど、応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。中国・韓国とは仲良くしたほうがいい。

 この「サイレントマジョリティ」論はネット上ではボロクソに言われました。まあたしかに強引な論法なのですが、ヘイトスピーチ系のブログがここぞとばかりに飛びついて笑いものにしていたものです。

 しかし、日本のサイレントマジョリティ論には偉大な先達がいるわけです。安保闘争に日本が揺れていた時代、当時の首相であった岸信介は言いました。「今回のデモは規模のうえでは「安保反対」派が圧倒的だったけれど、デモに参加しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。安全保障条約は締結したほうがいい。

 ・・・いや、口調はさすがに少し違います。実際に岸信介が口にした言葉はすなわち「声なき声を聞く」でした。でも要するに、反対意見が多数派を閉めているけれど、声を上げていない人は賛成している、そんな人たちを考慮に入れれば賛成派が多数派なんだと、そう取り繕っているわけです。どこぞやの作家がサイレントマジョリティ云々というのはどうでも良いことですが、一国の首相がそんな論法を使っちゃお終いですね。

 さて、安倍晋三首相が元祖サイレントマジョリティ岸信介の孫であることは周知の通り。そこでもし、ホワイトカラー・エグゼンプションには反対が多数派であるとの結果が出たらどうするでしょうか。「今回のこたえは数字のうえでは「導入に反対」派が圧倒的だったけれど、応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。ホワイトカラー・エグゼンプションは導入したほうがいい。」う~ん、間抜けですが、奴なら言いかねない・・・

 

 ちなみにトヨタは先走って制度導入の模様、それはまだ合法じゃねーぞ。

事務職に裁量労働制導入 トヨタ、4月から(共同通信)

 トヨタ自動車は26日、事務系企画職社員を対象に、実際に働いた時間と関係なく、仕事の成果に応じて賃金を支払う裁量労働制を来年4月から導入することを明らかにした。技術系に続く導入。松下電器産業、日立製作所なども導入しているが、国内有数の大企業であるトヨタの導入で、仕事を成果で評価する動きが加速しそうだ。

同社が導入する裁量労働制は非管理職向けで、事業運営にかかわる仕事をする従業員が対象。当初は東京本社で自動車業界の情報を収集する渉外業務を担当する10人程度の社員を対象にする。メンタルヘルスや長時間労働が恒常化していないかなど問題がないことを確認し、対象職場を広げる。

 

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もはや平等ではない

2006-12-26 00:17:45 | ニュース

農業研修のはずが、「性暴力」 外国人実習生が損賠提訴

 東日本の企業で技能実習をしていた外国人女性(35)が、実習先の会社の役員から性暴力を受けたとして、25日、この役員と企業、監督機関の国際研修協力機構(JITCO)、受け入れ機関である協同組合を相手取り、総額約3800万円の損害賠償を請求する訴訟を東京地裁に起こした。外国人の研修・実習生が、監督機関を相手取って起こした訴訟は初めて。

 訴状によると女性は、04年、農業研修のため来日したが、役員の息子が経営する会社や自宅で単純労働や家事をさせられた。05年から1年3カ月間、会社が提供する住居で役員から60回以上性暴力を受け、今年7月、耐えかねて逃げ出した。

 ひどい話です。受け入れ企業もJITCOとやらも、研修制度のザル法を悪用して違法な低賃金で人を働かせて利益を上げようという、その魂胆すら嫌らしいのに挙げ句の果てには性暴力とは、恥じるべきですね。

鉄板入り靴で腹をける 愛知・ホームレス殺害事件

 愛知県岡崎市でホームレスの無職花岡美代子さん(69)が殺害された事件で、住所不定、無職木村邦寛容疑者(28)=窃盗容疑で逮捕=と、同市の中学2年の男子生徒3人(いずれも14歳)が、寝ていた花岡さんを襲って小屋から連れだし、暴行後、護岸下の川に投げ落とした疑いの強いことが県警の調べで分かった。県警は、現場での4人の役割分担や暴行の実態の解明を進めている。

 捜査1課と非行集団対策課、岡崎署の調べでは、花岡さんは11月19日午前1時ごろ、乙川にかかる明神橋の下の河川敷で、頭や顔、上半身を鉄パイプで殴られるなどし、肋骨(ろっこつ)が折れたり内臓が破裂したりして、失血死した。

 県警は、少年らが話した内容や現場の状況、花岡さんの傷の様子などから、襲撃状況を捜査。これまでの調べでは、4人は花岡さんが寝ていた小屋に入り、花岡さんに金を出すよう要求したうえ、外に無理に連れ出し、暴行。その際、木村容疑者は、履いていた鉄板入りの靴で花岡さんの腹をけりあげるなどし、少年らは、直前に近くで手に入れた鉄パイプなどで殴打したという。

 こういうニュースを見るつどに思うわけですが、彼らは相手のことを自分達と同じ人間とは考えていないのだろうな、と。私は時々、黒人奴隷と白人農場主を例に持ち出して話をします。それを私は意思決定の権限を持つものと持たないもの、分配を決める権限を持つものと持たないものという意味合いで使ってきました。しかし、もはやそれだけに止まらないのもかもしれません。

 経済システムが人々を上下により分け、立場の強い人間と立場の弱い人間を隔てていく中で、強者と弱者が同じ人間ではなく違う世界の人間であるかのような錯覚を作り出す、強者から弱者への様々な暴力が何ら良心の呵責もなく振るわれてしまう、そんな状況なのかもしれません。

 アメリカ第3代大統領トマス・ジェファーソンは黒人奴隷に5人の子供を産ませたと記録されていますが、それが咎め立てされることはなかったそうです。冒頭の企業役員と外国人女性の関係もそんなものなのでしょう。ジェファーソン大統領と当時のアメリカ白人の多数派からしてみれば、所有物に過ぎない黒人奴隷に何をしようと別に非難されるようなことではない、そんな感覚だったのでしょうか。

JITCOは「訴状を入手していないので、何とも言えない」と話している。

 訴えられたときの常套句ではありますが、彼らに恥じる意識があるのか、悪いことをしたとの自覚があるのか、そこに疑問を感じます。そしてホームレスへの襲撃を繰り返していた少年たち、彼らにとってそれは人間と人間の関係ではなく、権利者である白人と権利を奪われた黒人の関係、狩猟者と獲物の関係だったのかもしれません。黒人を処分して何が悪い? 獲物を狩って何が悪い? 裁判では反省の意を示すのでしょうが、自分達の犯した罪は何だったのか、それを理解できるかどうか。そして今回の事件は氷山の一角に過ぎません。自分よりも立場の弱い相手を、自分と同じ人間とみなさない、そんな人がいる限り同様の事件は続きそうです。格差社会と言われて久しい昨今ですが、格差は経済的なものに止まらず、人間の尊厳にまで及ぶのでしょうか?

 

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ノーベル賞受賞者なんてこんなもの

2006-12-25 00:15:16 | ニュース

「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調

 政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞受賞者)が8日に開かれた「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)で、「塾の禁止」を繰り返し主張していることが、同会議のホームページに掲載された議事要旨でわかった。しかし、再生会議が21日にまとめた第1次報告の原案には「塾の禁止」は盛り込まれていない。

 議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。

 いつも思うのですが、教育再生会議の連中は教育の現場を知らなすぎますよね。何を血迷ったか唐突に「塾の禁止」などぶち上げているようですが、まったく、塾がなかったらいったいどこで勉強したらいいものやら。

 JR東海会長の葛西敬之氏は「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」と反論したものの、

 数学だけじゃなくて、あらゆる学科のレベルが塾によって維持されているのが現状です・・・

 事務局側は「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」と同調

 この人たちの言う「再生」の中身を見る限りでは学校が塾の代替になれる可能性は皆無であるように思われますが?

 国際教養大学長の中嶋嶺雄氏も「野依座長のおっしゃったように塾禁止ぐらいの大きな提言をやらないと」と野依氏に賛同するなどひとしきりの盛り上がりを見せた。

 会社の宴会じゃないのですから上司をヨイショして盛り上がっている場合ではないと思います。

「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。

 昔できたことがなぜ今できないのか? それを考えるのも仕事ではないかと思われますが、思考放棄して安易に犯人捜しに走る人もいるようです。いつもならここで日教組を犯人に指名していたところですが、今日は珍しく塾を犯人に仕立て上げようとした模様、新パターンですね。少しは進歩もあるのかな? しかし、本当に「昔はできていた」のかどうかにそもそもの疑問を感じるのですが。

 個人的な体験からいえば、小中学校まで勉強は塾でやるもの、学校は邪魔者でしかありませんでした。学校がなければもっと勉強できていたと思います。ああ、塾じゃなくて学校を禁止にしてしまえば日本の学力は上がるんじゃないでしょうか?

 小中学校では暴行、傷害、恐喝、窃盗、器物破損などの犯罪が後を絶たず、私が親であればそんな危険な場所に子供を近づけたくないような有様でした。形式上、授業は行われてしましたが制度上の履修時間を満たしていたので形式的には未履修ではないのですが、教科を最後まで適正に教えられていたとは言い難く、内容の面では実質的に未履修状態でした(これが高校になると内容的には履修済み、しかし授業時間からすると未履修のパターンが増えました)。校内の治安維持、教員の授業能力ともに全くの欠陥校だったわけです(ついでに言えばこれが昨今になって始まったものであるとは思えないのですが)。そして無責任な人はそれを日教組のせいであると、犯人を決めて終わりにしてしまい、問題の本質に向き合おうとしません。

 学校も色々あるわけですし、塾もピンキリです。まともなところもあればろくでもないところもあるわけで、私の体験から断定するのは無理があります。しかし、おおむね塾は学校と違って安全で、ちゃんと勉強を教えてもらえるところでした。この違いは何だったのでしょうか?

 塾とは、勉強をする場所です。だから、学校と比べると余計なものが少ないわけです。朝礼なし、HRなし、給食なし、体育なし、学校行事なし、掃除なし、クラブ活動なし、ただ勉強をするだけです。だから教員側も授業に専念し、授業の質で勝負しようとします。一方で学校では朝礼、HR、給食、体育、学校行事、清掃云々と勉強とは関係のないことが山積み、学校の先生方は授業よりも子供の面倒を見ることで手一杯なのかもしれません。

 私のいた小学校では運動会が盛んで、運動会の3ヶ月前からマスゲームと整列練習に明け暮れ、授業の半分は潰されていました。美しい国が重んじる規律を養うにはよいのかもしれませんが、これでは学力低下も当たり前でした。たぶん、教育再生会議の連中も私の出会った学校の先生方も根本は同じ、規範意識だの品格だの人間力だの、とにかく学力以外の面に干渉したがる、それが高じて肝心の勉強がおろそかになっているような気がします。

 文部省の定めたカリキュラムに乗っ取り検定済みの教科書で授業をしなくてはならない学校、自主的なカリキュラムと独自の教材で授業をしてきた塾、これで後者の方がより効率的な学力向上効果が得られたからこそ、子供が塾に行くわけです。教育現場への干渉を強める教育再生会議の方針ではこの傾向をなおさら強めるような気もします。いくら上から指図したところで児童預かり所を兼ね人格形成に力を注ぐ学校では、勉強の専門家である塾に勝てるわけがありません。野依氏は教育再生会議の教育方針が塾に負ける=自ら誤りを突きつけられるのを恐れて、事前に塾に潰しをかけたいのかもしれませんね。

 とりあえず「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」そう言うのであれば、その「再生」とやらが完了して塾が自然に競争力を失ってから禁止を検討して下さいね。そんな日は永遠にこないでしょうけれど。

 

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共闘はしたいけれど

2006-12-24 00:00:10 | ニュース

民主・鳩山幹事長、共産との共闘見直しに言及

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は22日、党本部での記者会見で「共産党は臨時国会が終わった後、民主党批判を厳しくしている。いま一度、ゼロベースで考えたい」と述べ、来年の通常国会に向け共産党との共闘のあり方を再考する考えを示した。

 共産党の志位委員長は、臨時国会の終盤で安倍首相の問責決議案の提出に民主党が同調しなかったことなどを念頭に「自民党との悪政の共同執行者という姿が浮き彫りになった」と強く批判した。

 鳩山氏は、国会での共闘を来年の参院選の選挙協力につなげる狙いから、社民党と国民新党とは選挙協力を協議している。ただ、民主、共産両党は双方とも選挙協力に否定的。政策の違いが目立つ共産党とは国会での共闘にも民主党内で批判が根強くある。

 これは難しい問題です。安倍内閣の初陣となった大阪・神奈川の補欠選挙ではともに自民党候補が民主党候補に勝利、その際に共産党は独自候補を擁立しており、それが野党側の票割れを招いたと非難する声もありました。しかし、政策が違う政党同士が安易に手を組むのはどうか? 創価学会のように平和主義を捨てて自民党に従うことで党勢拡大を図るのも一つの手段ではありますが、やはり政治家たるもの自分の政治姿勢を党利党略で曲げることはできるだけ避けて欲しいものです。

 とはいえ、自民党の暴走だけは何とか止めなければならない、最悪の事態は避けねばならない、そんな中で「自民党案よりはマシだから」と、消極的な理由で一応の最大野党である民主党を盟主に連合を結成せざるを得ない状況でもあります。

「民主は自民と悪政」 共産・志位委員長が批判

 志位氏は教育基本法改正案の参院採決に際し、共産など他の野党が安倍首相の問責決議案提出を主張したが、民主党が同調しなかったことなどを踏まえ、「民主党のだらしない対応の根本には、愛国心を法案に書き込み、教育基本法10条を壊す点では与党案と同じ内容の改悪案を提出したという大問題がある」と指摘した。

 志位氏は、民主党が防衛省法案などに賛成し、国民投票法案でも与党に歩み寄った点も挙げ、「政府・自公とともに民主党の責任が重大だ」と語った。

 このあたりが民主党側の怒りを買ったのでしょうか。もとより民主党議員には右派、タカ派や新自由主義者、反共主義者も少なくないだけに、その手の連中にとっては共産党と手を切る格好の口実となったのかもしれません。しかし、私も民主党の防衛省法案への賛成には失望しましたが・・・

 果たして共産党は民主党を批判すべきだったのか、それとも批判すべきでなかったのでしょうか?

 「左翼は中国を批判しない」と言われることがあります。その真偽にはいくらか疑いの余地がありますが、仮にそうであるとした場合、なぜ左翼は中国を批判しないのでしょうか? チベットに止まらない人権問題、政府の情報規制、拡大する経済格差、急速に進行する高齢化、環境汚染に党独裁など、中国にも批判されるべき点はたくさんあります。これを批判しないということはどうなのでしょうか?

 誹謗を目的として「左翼は中国を批判しない」と言った場合、その理由として「奴らは中共の回し者だ!」との強弁がついて回ります。こう非難されることを恐れて、とってつけたように慌てて中国批判に走る人もいます。ただ中国を批判しないのは、それを最重要課題とは見なしていない、最優先で取り上げられるべき問題とはとらえてないケースがあるにせよ、決してそれを全面的に承認しているからではないのです。

 世の中には批判されるべき事がいくらでもあります。私のブログでも本当はもっと色々なことを取り上げたいのです。ただ、それは個人の手には余るものですし、私の知識不足、時間の不足、特に付け加えるべき事がない場合など、諸々の事情で泣く泣く取り上げる話題を取捨選択しているのです。

 そんな取捨選択せざるを得ない中で、何をまず第一に取り上げて批判すべきなのか? そうなるとどうしても自分達に関わりの大きい対象を相手にすることになり、関わりの遠い対象は切り捨てることになります。そんなわけで中国の人権問題など、たとえ批判されるべきものでもどうしても扱いきれないものがどんどん溢れてしまう、そうなると結果的に左翼は中国を批判しないと言われる状況が生まれるのかもしれません。他国ではなく自国に深刻な問題が増加している今となれば、それはなおさらのこと、自分の子供が悪事を重ねている有様では、それをさしおいて他人の子供を叱ってなどいられません。

 さて、そこで共産党の民主党批判です。確かに民主党にも批判されるべき点が少なくありませんが、それとどう向き合うべきか? それは左翼と中国の関係と同様で、悪い面を批判せずに見過ごしておけば周囲からの非難を浴びることもあったかもしれません。いかなる状況であろうとよくないものはよくないと、批判の声を上げればそれは筋の通ったやり方とも言えるでしょう。

 しかし、その批判の結果として民主党と共産党が決裂、これは小選挙区制度の下では大きなマイナス、自民党にとって非常に有利に働きます。この結果として次の選挙でも自民党が大勝し、より一層の暴政へと至る可能性も高いわけで、これこそまさに最優先で阻止されるべき事態でもあります。自民党の圧勝という最悪の事態を回避するために、民主党の問題点に目をつぶって妥協しながら選挙協力を続けるべきだったのか、それとも同じ野党である民主党が相手でも悪い面は容赦なく批判すべきだったのか、どちらのやり方も間違ってはいませんが・・・

 

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政治献金が社会貢献だそうで

2006-12-23 23:48:07 | ニュース

キヤノン、政治献金開始へ 自民に数千万円

 企業・団体献金の外資規制を緩和した改正政治資金規正法が25日に施行されるのを受け、日本経団連の御手洗冨士夫会長が会長を務めるキヤノンが、年内に政治献金を開始する。自民党に数千万円を献金する見通し。経団連は政治献金を社会貢献として推進しているが、キヤノンは外資規制に触れる恐れがあるため、献金を見送っていた。

 労働者の敵、御手洗が自民に賄賂を送ろうとしています。去る今月19日に大手銀行からの政治献金の受け取り自粛を語った安倍首相ですが、さて今回はどうでしょうか? 数千万円とは曖昧な表現ですが、減価償却制度の見直しによる6000億円の減税への謝礼でしょうか。それとも将来的なさらなる法人税減税や利益誘導のための根回しでしょうか? 数千万円の献金で自分に有利なルールが作れる、億単位の見返りが得られるのであれば安いものなのでしょう。そしてそれが御手洗に言わせれば社会貢献なのだそうで。

 

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