逮捕医師、父親の手術拒否 「なぜ長生きさせる」―京都府警(時事通信)
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者への嘱託殺人罪などで起訴された医師の山本直樹容疑者(43)らが、山本容疑者の父親を殺害したとされる事件で、当時父親が入院していた病院側が手術を提案したところ、同容疑者が断っていたことが14日、捜査関係者への取材で分かった。「なぜ長生きさせようとするのか」と話していたといい、京都府警が詳しい経緯を調べている。
山本容疑者は2011年3月、母親の淳子容疑者(76)、医師大久保愉一容疑者(43)と共謀し、山本容疑者の父靖さん=当時(77)=を殺害した疑いが持たれている
ここで起訴されている医師の嘱託殺人については昨年も当ブログで取り上げたところですが(参考)、難病患者に薬物を投与して殺害した容疑で逮捕されていたわけです。そこから1年近く経って余罪が疑われており、警察発表によると父親が死亡した当時の診断書が偽造であったと確認されたとのこと、他にも探れば出てくるものはありそうです。
父親の死亡診断書偽造 逮捕医師ら関与か―京都府警(時事通信)
一昨年には公立福生病院にて「無益で偏った延命措置で患者が苦しんでいる。治療を受けない権利を認めるべきだ」と主張する医師により患者の透析治療が中止され次々と患者が死亡したなんてこともありました。このときは批判よりも擁護の声が大きかったものと記憶していますけれど、今回起訴されている医師はどう受け止められているのでしょう。
とかく延命色の強い医療行為は評判が悪く、安楽死を是とする人は―――健康な人には多いです。「もしも自分が○○になったなら」延命治療は受けたくないと、そう公言する人は少なくありません。安楽死が認められるべきだと主張する人の方が多数派かなと感じるところですが、しかし実際に死期が迫った人はどう考えているのか気になります。
人生の終末期ともなりますと、しばしば自分の判断ではなく周囲(すなわち健康な人)の判断で物事が決まりがちです。冒頭の殺害された疑いの強い「父親」にしても、手術を受けるか受けないかの判断は家族に委ねられていたわけです。安楽死か延命か、それを判断するのが患者本人ではなく他人となりがちなことは、留意されるべきではないでしょうか。
あまり長生きして欲しくない、そう考える人の気持ちも分からないでもありません。自分も、体力は有り余っているけれども分別は目に見えて衰えていく自分の父親のことを思うと将来が不安になります。もっとも他人の治療を止めるよう求めるのは簡単ですが、自分の死期が迫ったときに周囲の判断を聞いて何を思うのかは分かりません。
延命を諦める選択とは―――厳密に言えば「自分の」ではなく「他人の」ものであることが意識されるべきでしょう。例えば「胃ろう」をしてまで生を長らえたくないと、それに頷く人は多いと思いますが、では誰が延命措置の是非を判断するのかを考慮すれば、必ずしも本人の意思ではなく他人の都合が介在しているわけです。
今回の事件の被疑者には、少なからず思想的な背景があるものと推測されます。特に昨年の難病患者の殺害に関しては報酬面でのメリットに乏しく、疑いを招けば過去の犯行も探られるリスクだってあったはずです。それでも行為に及んだのは、難病患者を「安らかに眠らせる」ことに道義的な正しさを見いだしていたからと考えられます。
犯行は単独で行われたものではありませんし、治療中止という間接的な形で患者を死に至らしめる医師には擁護の声も多い、終末期医療を公然と否定する政治家も決して失脚することはない、似たような思想の持ち主はどこにでもいるのでしょう。ただそれは自分ではなく「他人の」生命にケリをつけようとする思想だと言うことは意識されるべきです。