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非国民通信

ノーモア・コイズミ

久しぶりに政局ネタです

2009-06-29 22:51:20 | ニュース

ヨシミ、ムネオ 「非自民」結集目指し手を伸ばす民主(産経新聞)

 民主党は、次期衆院選後の政権交代をにらみ、社民、国民新両党以外の新たな勢力との連携強化に動き始めた。非自民勢力結集の地ならしをしておく狙いがあり、鳩山由紀夫代表ら党幹部が、渡辺喜美元行政改革担当相や新党大地の鈴木宗男代表らと相次いで接触している。ただ、鳩山氏の政治資金をめぐる虚偽記載疑惑が新たに発覚したことで、鳩山氏の構想に狂いが生じる可能性も出てきた。

 鳩山氏は今月24日夜、菅直人代表代行とともに、都内で渡辺氏や江田憲司衆院議員と会談した。渡辺氏らは、自民、民主両党と一線を画した新党結成を模索していることから、次期衆院選の情勢分析や選挙後の連携の可能性などについて意見交換したとみられる。

 実際、菅氏は25日の記者会見で、渡辺、江田の両氏が目指す公務員制度改革に関し、「民主党の考え方と共通点が極めて多い」と強調した。

 鳩山氏は25日も、フロノイ米国防次官との会談を岡田克也幹事長らに任せ、鈴木氏らと都内の個人事務所で懇談した。

 民主党はもともと、社民、国民新の両党と連立政権樹立に向け、経済対策や社会保障などで共通政策づくりに着手する考えだ。しかし、社民党とは外交・安保、憲法などで隔たりがあり、非自民勢力との連携を深めるとともに、「社民党の影響力を相対的に低下させたい」(中堅)との思惑もありそうだ。

 その昔カイワレ大根の一気食いという芸で一世を風靡した民主党議員によりますと、渡辺喜美なんぞの公務員制度改革は「民主党の考え方と共通点が極めて多い」そうです。まぁ、党の責任ある立場の人間が断言するからには、自他共に認めるところなのでしょうね。逆に政策面での隔たりが大きいのは社民党で、現に鳩山兄は社民党との連携解消を示唆するコメントを残しているだけに、産経新聞の推察も概ね当たっているような気がします。

 しかし、政権交代を旗に掲げておきつつも、渡辺喜美みたいなカイカク路線の継承者に擦り寄るのは感心できませんね。一方で鈴木宗男なんかはむしろ対照的なタイプですから、いったい民主党がどっちの方向に進もうとしているのかはっきりしない、単に場当たり的に人を集めているような印象もあります。まだ旗色を明らかにしていない大物(人気の面で)としては橋下がいるわけですが、この橋下と手を組むとあらば、いよいよもって政権交代が意味のないものになりそうです。そもそも、国政レベルでは政権交代を掲げ、「非」自民での連携を探っているものの、地方となると……

横須賀市長選、小泉元首相応援の現職敗退…33歳新人が当選(読売新聞)

 小泉純一郎元首相のおひざ元の神奈川県横須賀市で28日、市長選の投開票が行われ、新人で前市議の吉田雄人氏(33)が、元首相が応援する現職の蒲谷亮一氏(64)ら2人を破り、初当選を果たした。

 14日に31歳で初当選した熊谷俊人・千葉市長らに続き、全国で3番目に若い市長の誕生となる。

 小泉元首相は告示前の14日に街頭演説で、告示日の21日夜にも蒲谷氏の個人演説会で、旧自治省(総務省)出身の蒲谷氏の行政経験を挙げ、支持を訴えた。元首相が地元で選挙の街頭演説をしたのは9年ぶり。次期衆院選には、神奈川11区(横須賀市など)から次男進次郎氏(28)が出馬する。

 米海軍横須賀基地を抱える同市では、9期36年にわたり、旧自治省出身者3人が市政を担い続けてきた。今回も自民、民主、公明の県議や市議らが超党派で蒲谷氏を応援したが、吉田氏は「若さ」と「変革」を前面に掲げて、無党派層の多くを取り込んだ。蒲谷氏を応援した市議は「小泉人気も通用しなかった。選挙の方法を一から見直さなければならない」と話した。

 地方選挙では珍しくないことですが、ここでも自民党と民主党、公明党が相乗りで候補を出しています。国政では「自民・公明」連立ですが、地方では往々にして「自・民・公明」なんですよね。政権交代を至上命題とし、政権交代のためなら何があろうと民主党に着いていくような人々は、こうした地方選挙に何を思うのでしょうか。あくまで民主党を支持して、自民党との連立政権を支えるのか、それとも政権交代のためとして、民主党の対立候補に一票を投じるのでしょうか? 熱心な民主党支持のブロガー諸氏には是非、地方選挙でどこの政党に投票したかを聞いてみたいところです。

 で、このニュースには明るい話題もあります。あの小泉純一郎が応援したにもかかわらず、現職の候補が敗れました。小泉のエピゴーネン、新しい小泉には事欠かない昨今ではありますが、小泉本人の意向には翳りが見えてきたのかも知れません。もっとも当選を果たした吉田氏の掲げた「若さ」「変革」そして他紙報道によると「脱官僚」などのアピールポイントは、対立候補(旧自治省出身で経験豊富なんて、いかにも今どきの有権者に嫌われそうな属性です。こういう人を「抵抗勢力」と呼んで敵に見立てるのが小泉流だったはず!)以上に小泉的なポピュリズムの匂いを感じさせるところがあります。小泉本人の神通力は万能でなくなったとしても、「小泉的なるもの」は不滅です。政党色を出すよりも「無党派」が有権者に好まれるのも相変わらずのこと、まぁ今回の候補は正真正銘の無党派のようですから、その辺は自称無党派で媚びを売るタイプよりマシなのでしょうけれど。

 

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脳内エロゲと性的抑圧

2009-06-28 23:30:15 | ニュース

サンテレビお色気番組、即打ち切り…BPOの質問通告で(読売新聞)

 放送界の第三者機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)の青少年委員会が、UHF局のサンテレビ(本社・神戸市)の番組「今夜もハッスル」についての質問書送付を通告したところ、サンテレビは27日の放送を最後に番組を打ち切ることを決めた。

 問題になったのは、AV女優による官能小説朗読や、アダルトゲーム紹介などで構成される深夜の“お色気番組”。昨年4月にスタートし、チバテレビやテレビ神奈川なども含め計5局で放送されている。

 BPOによると、苦情件数が多かったため、23日の青少年委員会で議論。委員からは「ポルノまがい。局の見識を疑う」など厳しい意見が出た。そこで、番組趣旨などを問う質問書を送付することを決め、サンテレビに伝えたところ、同局はあっさり放送終了を決めた。BPOが「青少年に悪影響がある」などの見解を出した後に番組が終了したことはあったが、議論しただけでの打ち切りは異例。

 あまりテレビは見ないものですからこっちの方は推測の域を出ませんが、昔と比べるとどうなんでしょうか、いわゆる「お色気番組」は減っているような気がしますね。まさに昨今話題の凌辱系エロゲー同様、風前の灯火、消えゆく命です。もっとも被害妄想の力は強いもので、先軍主義者が中国や北朝鮮、ロシアなど仮想敵国の軍事力を過大に描き出すように、この「お色気番組」に過剰反応した人も多かったのでしょう。地方局の深夜番組ごときでガタガタぬかすな、とも思うわけですが、世間的にはそうも行かない、とかく「性的な」物事となると厳しく見られるのが現代の風潮です。私に言わせればプロジェクトX辺りの方が、日本社会に女性蔑視を浸透させる上で大きな影響力をもたらしてきたと思いますけれど(こちらの後半部参照)、とにかく性は表に出してはいけないもののようです。

 さて、取材者側が拍子抜けするほど「あっさり放送終了を決めた」そうです。エロゲーの業界団体と同じですね。海外の人権団体や国連機関から諸々の勧告や抗議を受けることの珍しくない日本ですが、耳を傾けるどころか逆ギレして返すのが美しい国の流儀だったはず、ところが躊躇なく白旗を掲げる業界団体もあれば、ちょっと質問されただけで放送打ち切りを決める放送局もあるようです。AVや成年向け漫画、文学の世界では摘発されたり告訴されたりと大変ですが、同じ「エロ」系統でも色々ですね。有罪判決にも負けず規制と戦う業界もあれば、ちょっと凄まれただけで縮こまってしまう、そんな弱々しい業界もある……と。

395 :無名の共和国人民 :09/06/28 02:56:14 ID:ibVtYAQc
>>393今回の問題は、憲法上の二つの利益の衝突ですが、創作物まで規制の対象となるのなら、
明らかに表現の自由に抵触すると私個人は思います。
確かに聞こえてくるのは規制派の声ばかりですね。憶測ですが、アダルトゲームということもあって、
人格を疑われることを恐れているのでは?

http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1244822084/395

 昨日も扱ったことですし、この辺の問題にどれだけの読者が感心があるのかは自信がないのですが、一部のブロガーの間ではむしろヒートアップしているようです。中には関連エントリのリンク集を挙げている人も数名いるわけですが、そのリンク先を見ていると――正直、反吐が出ます。

 反吐が出る理由は昨日も書いたとおり、エロゲー業界(及び購買層)の実態を著しく無視した「どうせこんなものだろう」という思いこみに基づいて書かれたものばかりだからです。極右層は脳内韓国人や脳内中国人について、あれこれ内輪で論議するわけですが、それと大差ありません。脳内エロゲーについて論議している人も同様です。傍目には誹謗中傷でしかありません。自身の頭の中で作り上げられた仮想敵に対して執念を燃やす、その対象が外国人であろうとエロゲーであろうと、私に言わせればどちらも恥じるべき行為です。ところが世間的にはそうでもない、ポルノに関しては実態に目を向けないまま思いこみだけで糾弾することが許されているようです。同じ事が外国人に対して為されたら憤るであろう人々も、ポルノに関しては偏見で語っても良いと、そう行動で示しています。やれやれ。

 マジで有罪判決を受けた澁澤龍彦が訳した本の中では、しばしば凡百のエロゲーなんかとは比較にならないほど女性がひどい目にあったりするわけですが、今となってはそれが糾弾の対象となることはありません。しかし有罪判決からもわかるように、今とは異なる評価を受けた時代もありました。何がポルノと芸術を分けるのでしょうか。「カビが生える」、「蜘蛛の巣が張る」くらい時間の経過が必要なのかも知れませんね。ふむ、有名な画家の中には、死語に評価を高めた人も結構いますが……

 しかしまぁ、冒頭のテレビ番組「自主」規制や、色々と不毛なエロゲー規制(こちらも業界側の自主規制宣言で幕引きになっても良さそうなんですが、エロゲー業界の実態に無関心な規制論者にとっては終りがないようです。脳内韓国人同様、脳内エロゲーは永遠に不滅の加害者なのでしょう)、そうした諸々の「性表現」への規制がもたらす結果は何でしょうか? こうした社会で人々は、(とりわけ女性の)性とは人目に晒してはいけないものである、後ろ暗いものである、そんな感覚を身につけるのではないでしょうか?

 例えばスポーツ選手の場合、その競技能力は人に誇れるもの、人前で披露して金が取れるものです。でも性的魅力ってのは、何かと微妙ですね。それを白眼視する社会の目がある。だから性的魅力を前面に出すより、隠すことが求められる。女性は「慎ましく」振る舞うべきで、その「慎ましさ」に欠けた女性がレイプなどの被害に遭えば「女性側にも非があったのではないか」と、「誘惑した女性の罪」を言い立てる一部イスラム社会のような言動が平然と口にされるわけです。性表現を「人前に出してはいけないもの」として扱おうとすればするほど、そうした風潮は強まるような気がします。昨今の規制論議、山谷えり子など純潔カルト系の連中は自身の目的に適った行動をとっている一方で、えりりんとは理想を異にするはずの人々が、しばしば批判の対象や現状を見誤っている、その辺は実に深刻ですね。ポルノ憎しで冷静さを欠くあまり、結果的にではあれ、とんでもないところと「共闘」を演じてしまうであろう人が(とりあえずブログ界では)増大中です。

 

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その手の人が好むモノ

2009-06-27 23:02:25 | ニュース

NHK番組で8千人が提訴 台湾支配報道は「捏造」(共同通信)

 戦前の台湾に対する日本の植民地支配を報じたNHKのドキュメンタリー番組は「事実を捏造し、放送法違反に当たる」として、歴史研究者や視聴者ら8389人が25日、NHKに1人当たり1万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。番組は4月5日放送のNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」。植民地時代の台湾について、台湾総督府文書や当時を知る住民への取材を基に構成した。

 こんばんは、休日は積みゲーの消化に忙しい非国民通信です。攻略しても攻略しても、新しく買ってきたりダウンロードしたりするので一向に終りが見えません。で、先日も新たに購入したゲームの中には規制論議の喧しい成人向けゲーム(通称エロゲー)もあるわけですが、業界団体の相継ぐ自主規制宣言の中でも、それなりに商品は流通しているようです。現時点で目立つのはタイトルの改訂ばかりですね。今後の新製品開発には暗い影を落とす可能性もありますが。

 ……で、実際のところこの辺の話に興味のある人は、皆様の中にどの程度いらっしゃいますでしょうか? 元よりゲーマー向け、エロゲーマー向けのブログではありませんし、社会問題の一環としてエロゲー規制を論じているブログもあるわけですが、そうしたブログはどこもエロゲー界の実態に興味を示していない、「どうせこんなものだろう」という思いこみに基づいて語るばかりで、実際のエロゲー市場や購買層がどんなものか、その辺には関心がないようですから。

 規制論者は具体例として、とっくの昔に(購買層の要請に応える形で!)陵辱色のある製品開発を放棄したメーカーの旧製品を持ち出してきました。彼らはエロゲー業界の製品寿命の短さを知らないようです。また当該のメーカーが既に「転向済み」であること、その手の作品からは足を洗っていることを考慮していないなど、「現在」に目を向ける気すらないようです。せめて、「今」の段階で陵辱色の強い表現をとっているメーカーを引き合いに出すくらいした方が良心的だと思いますが、そんなつもりはサラサラない、ただ「レイプレイ」という直球過ぎるタイトルに反応しているわけです。そうした点を鑑みると、タイトルの変更で場を乗り切ろうとする個別メーカーの対応は適切と言えます。業界団体が表明しているような過剰反応は必要ありません。規制論者は中味を見るつもりなどないのですから。

76 :無名の共和国人民 :09/06/15 21:11:27 ID:vJ+Ip8cM
>というか日本では、強姦じゃないポルノをほぼ見た事がないんだが。

AVでも和姦物は一割か二割はあるだろうし、エロゲは多分、3割以上は和姦物で、
地上波アニメ化したり家庭用ゲーム機に移植されたりするのは基本的に和姦物だけだから
ネットで話題に多く昇るエロゲは和姦物が多いよ。

ポルノに対する嫌悪感が強い人は拒絶感からポルノの実態を正確に検証せずにポルノを批判する人が多いだろうと思う。

http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1244822084/76

 上記リンク先のスレッドでも、エロゲー規制に関する不毛な論議が続いています。この>>76氏の「拒絶感からポルノの実態を正確に検証せずにポルノを批判する人が多い」という指摘は重要ですが、残念ながら>>76氏にしてさえ、エロゲー業界を見誤っています。和姦モノがエロゲは3割以上? いやいや、そんなものじゃありません、売上ベース――流通量で見るなら9割以上は和姦ものですよ。エロゲー業界では、凌辱モノは絶望的に売れないんです。陵辱色を前面に打ち出したエロゲーに含まれる和姦描写が3割以上、というなら外れてはいませんけれどね(AVにしても、1割か2割というのは有り得ない数値です)。

 外国人の犯罪率は日本人の5倍、在日の半分は無職で生活保護受給者、公務員の給与は民間人の2倍以上……こういうヨタを前提に話を進める人がいたら、それは当然、白眼視されてしかるべきです。ならばポルノ/エロゲーにだって同じ事が言えるのではないでしょうか? あまりにも実態から乖離した認識で物事が語られている、その誤った思いこみが全くの無自覚なまま繰り返されているとしたら、反省が必要だと思います。(凌辱型の)エロゲー及び購買層なんて「どうせこんなものだろう」という勝手な思いこみで物事を語ることには、もう少し躊躇いを感じてくれませんかね?

 陵辱色の強いエロゲーは、エロゲーというニッチな業界でもマイノリティです。規制派があれこれ言い出す前からずっと、「凌辱イラネ」という声が圧倒的でした。苦肉の策で、上のような奇妙な選択肢を設けるメーカーも少なからず出てきましたが、エロゲー購買層の多くは、そういうシーンが含まれていることそのものに我慢ならなかったようです。そんなエロゲー業界ではあるのですが、「海外の人権団体」という、いかにもその筋の人々が嫌いそうな人が発端になったことや、濫用の危険性が方々で指摘される児童ポルノ規制との絡みもあって、規制論議は予想以上に幅広い層から――陵辱色を含むエロゲーの購買層以外から――も反発を招いています。その中には騒ぎに乗じてミソジニーを振りかざす人もいれば、そうした人々に対する私闘から規制派に肩入れする人もいる、色々と妙な有様です。

 ……で、エロゲー業界において陵辱色の強い作品が、まるで同性愛者のごとき少数派であることは売上本数や小売店のランキングを見れば一目瞭然ですが、じゃぁ大半は「良識ある」人々で、ごく一部だけが「凌辱を好む危険な」人々なのかと言えば、それはまた違うと思うのです。むしろ変態的なシチュエーションを好む人ほど良心的で、逆に和姦一色のエロゲーを好む人々の中にこそ、問題のある考え方、発言が目立つような気がします。この辺は、2ちゃんねる(PINKちゃんねる)のエロゲー板からの印象であって、流通量のように客観的に示せるものではないのですけれど。ここは一つ、私を信じてくれませんか?

 実は変態的なエロゲーを好む人々ほどリベラルだとしたら、その理由はどこにあるのでしょうか? 変態的なシチュエーションを好む人はマイノリティですから、必然的に反体制側に傾斜せざるを得ないのかも知れません。あるいは、権威が押しつける性関係の「正しさ」に反発する、前衛趣味だから? シチュエーションが現実離れするほど、フィクションとして距離を置かざるを得ないから? あくまで私個人の印象論ですが、むしろ現実の女性に対する蔑視は「大人しい」性表現のゲームを好む人の中にこそ目立つような気がするのです。

 そこで冒頭の台湾と日本の関係です。日本が軍事力を行使し、台湾住民の意思を踏みにじって支配した――このように語られることを良しとする人もいれば、日本が力ずくで台湾を屈服させたのではなく、あくまで合意の元、歓迎されながら台湾を統治したのだ――そう語られることを望む人々もいます。これ、フィクションにおける男女関係だったらどうなんでしょうか? 後者を好む人が、とりあえずネット上では目立ちます。

そもそも理解できないのは・・・ - Apes! Not Monkeys! はてな別館

 あの番組が「日本の親台湾世論に冷水をかけた」ってのがさっぱり理解できないんだよね。つまりあの番組を見ると「台湾が嫌いになる」日本人がいるってこと? だけどそれって「自分の自己愛を無条件で肯定してくれる相手しか好きになれない」ってことじゃないの?

 こちらは勿論、NHK番組に対する抗議活動を評したものですが、日本と台湾の関係以外にも当て嵌まりそうです。「自分の自己愛を無条件で肯定してくれる相手しか好きになれない」とは至言ですね。そういう人が好むのは、暴力にでも頼らないと自分の思い通りに物事を運べないフィクションよりも、初めから周りが自分に思いを寄せてくれる、それが当たり前のように設定されているフィクションの方だと思います。性表現を追放して後宮に閉じこめるための第一歩とするなら、この弱い部分を足がかりにするのは正しい、その点で山谷えり子なんかは目的に適った行動をとっているわけですが、それとは違った思惑あっての行動なら、何を批判すべきなのか、もうちょっと相手を観察した方が良いでしょう。

 

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極左党公約

2009-06-26 23:33:05 | 文芸欄

公約10

・法人税と所得税の最高税率を引き上げます

 

・老人党と同じバーチャル政党なので立候補はしません
・極左党代表代行:管理人(かん・まさと)と民主党代表代行の菅直人は無関係です
・自称中道と違って堂々と左に立つので暫定的に極左党ですが、
 他に良さそうなネーミングがあったら別の名前にしようと思います

 

 ←清くなくてもとりあえず1票を!

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もう何でもアリのようです

2009-06-25 23:15:56 | ニュース

自民の総選挙出馬要請に、東国原知事「総裁候補なら」(朝日新聞)

 自民党の古賀誠選挙対策委員長は23日、宮崎県庁で東国原英夫県知事と約20分間会談し、次の総選挙に自民党から出馬するよう正式要請した。知事側は自民党総裁候補とすることなどを出馬の条件に挙げたが、結論は出なかった。

 東国原氏は総選挙で「次期総裁候補」として当選した後、総裁に選ぶように求めたと見られる。

 古賀氏は会談で「自民党も自浄能力を発揮して変わっていかないといけない」と出馬を要請。これに対し、東国原氏は(1)全国知事会でまとめた地方分権に関する方針を自民党の政権公約(マニフェスト)に盛り込む(2)自分を次期総裁候補とするとの2条件を提示した。

 このところ地方自治体首長の妄言が相継ぎ取り上げるのが遅れましたが、今日は東国原の番です。しかし人気者ってのはどこの市や県でも同じ様なもの、都市部でも地方でも有権者が好むタイプは似たもの揃いのようですね。

 ……さて、東国原が自民党入りする条件として提示したものの一つが「自民党総裁候補とすること」だそうです。「タレント候補が、身の程を知れ」と少なからぬ人が思ったことでしょう。このあまりにも「調子に乗った」発言を報道各社は大きく取り上げました。まぁ、確かにインパクトはありましたけれど。

 麻生首相は23日、東国原氏について「おちょくったような気持ちで言っておられるとは思いませんけれども、詳細を把握していないのでコメントのしようがありません」と述べるにとどめた。

 で、妄言政治家の本家であるはずの麻生首相のコメントがこちらです。麻生のコメントすら大人の対応に見えてしまうのが何だかなぁ、と。面白半分の報道を繰り広げたメディア各社と比べれば、とりあえず今回に限っては麻生の方が良識ある対応を見せていると言えます。しかるに、私も麻生首相も時局を見誤っているのかも知れません……

「東国原知事の本気度感じた」橋下知事が後押し(産経新聞)

 大阪府の橋下徹知事は24日、宮崎県の東国原英夫知事が自民党の古賀誠選対委員長からの次期衆院選への出馬要請に対し総裁候補とするよう言及したことについて、「本気度が伝わってきた」と述べ、個人的な人間関係から応援したいとの意向を示した。

 橋下知事は、東国原知事を「国民の感覚を代表している知事」と評し、「東国原知事の注文は、国民の総意とみてよいのでは」との見解を示した。

 東国原発言を「しゃれでは」と評したと各社から報じられている一方、独自の情報源を持つ産経新聞によると「本気度が伝わってきた」とも語ったそうです。私や麻生首相からすれば、真面目に受け取る価値があるとは思えなかった東国原発言ですが、人によっては違ったようです。なんでも東国原は「国民の感覚を代表している知事」であり、その注文は「国民の総意とみてよいのでは」と。

 さらに、国民の後押しが政治の力になるとしたうえで「東国原知事が今までの官僚出身の手下のように扱える知事でないということを自民党は理解しているのだろうか」とし、「自民党は大丈夫かと思う」と懸念を表明した。

 そんな国民の総意があって堪るかと私などは思うわけですが、それを語る当の橋下は大阪府内の有権者から絶大な人気を集めている、おそらくは全国区でも同様の傾向であろう事を鑑みるに、看過できないところもあります。しかし、東国原が代表しているという「国民の感覚」って何でしょうね? ここで橋下が述べているように「官僚支配」という仮想敵を掲げて、それと戦ってみせる辺りでしょうか。それは小泉以降に顕著な、ある意味「必勝パターン」でもありますが、むしろ昨今では鳩山兄の方が熱心にも見えます(カイワレおじさんも橋下を指して「(民主党と)同じような考え方を持っていただいているのかなという期待がある」と語ったそうです/民主・鳩山代表、橋下知事らとの連携に意欲-読売新聞)。まぁ、カイカクを競うだけの話?

 橋下は東国原を評して「今までの官僚出身の手下のように扱える知事でない」と語ります。橋下(及び、その支持層)の頭の中では、従来の知事は「官僚出身の手下のように扱える知事である」ということのようですが、実際のところはどうなのでしょう? 確かに、好まれる世界観ではあります。しかるに橋下や東国原は? 「手下のように」扱われていないのは嘘ではないでしょうけれど、むしろ徒に対立を「誇る」ばかり、喩えるなら人前で母親に反抗してみせるガキみたいな印象もありますね。親を邪険に扱うことで、周りの「良い子」を馬鹿にしてみせるマセガキみたいな。敵意を剥き出しにしようが、言われるがままになろうが、建設的な行動ができない点では変わりはないのですが。

東国原知事「条件そろえば国に行く」「自分は真剣」(朝日新聞)

 宮崎県の東国原英夫知事は24日、自民党の古賀誠選挙対策委員長から衆院選への出馬要請をされたことについて「自分は真剣に考えている」「条件がそろえば国に行く」と述べ、自らを総裁候補にすることなど出馬の条件に対する自民党側の返答次第では国政に転身する考えであることを改めて強調した。県庁で記者団に語った。

 自らが提示した条件に自民党が応じるかどうかを問われると、「条件をのんでもらえるかは、五分五分と思う」との見通しを示した。

 で、東国原自身はこう述べているそうです。どうやらネタでも何でもない、マジな発言だったみたいです。「条件をのんでもらえるかは、五分五分と思う」とか。自民党も舐められたものです。昔の自民党だったら強面の「派閥のボス」が裏で脅しを欠けてくれそうなものですが、今の自民党にはそういう「タガを締める」役割を担える人がいないのでしょう。

 

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要するに「踏み絵」です

2009-06-24 22:51:41 | ニュース

橋下知事、府奨励の反復学習「やらない首長落選させて」(朝日新聞)

 大阪府の橋下徹知事は23日、公立小中学校の学力向上策として府教育委員会が提唱する反復学習について「やった所、やらなかった所の情報をオープンにする。やらない所の市町村長は選挙でどんどん落としてもらいたい。それしか教育が変わる方法はない」と報道陣に発言した。

 府教委は07、08年度の全国学力調査で大阪の成績が全国平均を下回ったことから、昨年秋に陰山英男・立命館小学校副校長らを教育委員に招き、百ます計算などの反復学習を奨励。だが府教委作成の反復学習用の教材を使っている公立校は小学校48%、中学校36%にとどまっていた。

 橋下知事は「市町村教委が現場を指導できるかは、教育委員を任命する市町村のトップの政治責任。これを選挙で変えていくのがまさに地方分権だ」と述べた。

 橋下は相変わらずです。まぁ、そう簡単に人が変わるはずもありませんよね。むしろ人気者の橋下にあやかろうと、自民や民主の方が変わろうとしている有様ですから見るに堪えません。で、今回は百ます計算を「やった所、やらなかった所の情報をオープンにする。やらない所の市町村長は選挙でどんどん落としてもらいたい」そうです。それが地方分権なんだとか。

 一方、各校での具体的な教育方法は市町村教委ごとでなく、学校長の判断で決まる。府教委担当者は「反復学習はお願いしてきたが、実践するかは学校独自の判断。市町村教委も強制できないのだが……」と当惑していた。

 勿論、橋下の言うことは支離滅裂も良いところです。単なる「言いがかり」に過ぎません。それでも「民意」を背景とすれば、それはしばしば正当化されてしまいます。「府教委作成の反復学習用の教材を使わなかった」という理由で市町村長が落選、まるで笑い話のようですが、起こりえない事態とは言い切れないのが現状ですし、それが選挙結果――有権者の選択の結果であるとなれば、正しい決断として押し切られてしまうものです。

 以前に、18世紀ロシアで行われた宗教改革を取り上げました。時のモスクワ総主教(カトリックのローマ法王に相当)ニーコンが主導したものですが、内容は以下のようなものです。

・十字を切るときの指を2本から3本に変更
・従来の八端の十字架を廃止して西欧で一般的な形の十字架を使用
・教会の周囲を回るときは時計回りではなく反時計回りに変更
・「アレルヤ」は2回ではなく3回唱えること
・イエスの綴りはИсусからИисусに変更

 改革の中味はこればっかりでもないのですが、傍目には些末なものが目立つのも事実です。一応は宗教的な理由付けもあるのですが、指が3本だろうと2本だろうと信仰心に大した差はないでしょう。くだらない? でも、この「くだらなさ」がポイントなのです。それが形式的であればあるほど、教会トップの決定に従うかどうかを判別する上では、有効になります。

 言うまでもなく、その後のロシアでは総主教の決めた形式を遵守しているかどうかが厳しく問われました。新形式を遵守しない人々は「古儀式派」「分離派」などと呼ばれ異端として迫害の対象となりました。何が問題だったのでしょうか? 勿論、信仰心の問題ではありません。そうではなく、「上」の命令に従順であるかどうかが問われたわけです。総主教、ひいては「権力」の指示であれば黙って言う通りにするか、それとも自分の判断で行動するかどうか、前者を選り分け後者をあぶり出すためにこそ、この「カイカク」は有用だったのです。

 ……そこで橋下に戻ります。府教委作成の反復学習用の教材を使っているかどうか、それは重要なことなのでしょうか? 重要だとしたら、それはどういう点において意味を持っているのでしょうか? 言うまでもなく、特定の教材を使うかどうかは学校が決めることです。教育方法は百ます計算以外にいくらでもありますから、府教委指定の反復学習に拘る合理的な理由はありません。しかし、橋下肝煎りの教育委員が作成した教材を使うかどうかで、橋下への「忠誠度」を判断することが出来ます。

 十字を切る指の数を2本にするか3本にするかで総主教の権威に対する服従が計られたように、百ます計算をやるかどうかで府教委への――橋下への忠誠が計られているわけです。そこで府教委の意志に叛く、恭順の姿勢を示さなかった市町村長は「選挙でどんどん落としてもらいたい」と橋下は語ります。こうやって橋下の言うとおりにならない人間をあぶり出し、選挙を通じて排除していくこと、これが地方分権というわけですね。

 

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議会制民主主義はどこに消えた?

2009-06-23 22:49:16 | ニュース

名古屋市長・河村たかしの挑戦:荒田英知(PHP総合研究所主席研究員)(Voice)

 河村氏のマニフェストは「重量級」のひと言に尽きる。その中核に「市民税10%減税」と「地域委員会の設置」という強烈な二本柱を据えたのである。双方とも地方自治をめぐる本質的な問題提起をなすものだ。

 地域委員会の意図は、学校区などの地域ごとに住民が選んだボランティア委員による意思決定機関を置き、福祉や防犯、街づくりなどの生活に密着した事業の決定権と予算を委ねるという構想だ。

 こうした取り組みは「地域自治区」とも呼ばれ、すでに導入を図る市町村もある。河村氏はこれを政令指定都市で初めて取り入れようというのだ。

「地域のことは住民が自ら決める」という原則は地方自治の精神に則ったものである。ところが、市民自治が浸透すれば、1人当たり2000万円も支出されている市議会議員(全市で75人)の役割が問い直されることは必至だ。

 河村市長は市民自治の充実を図りながら、併せて形骸化が指摘される議会の自覚も促そうとしているのだ。「日本民主主義発祥の地ナゴヤ」という垂れ幕に込めた思いはけっして誇張ではない。

 あの松下幸之助が設立したPHP教団が発行している雑誌からの引用です。雑誌の性格上、河村たかしを挑戦者として肯定的に評しているわけですが、色々とおかしい。曰く「河村市長は市民自治の充実を図りながら、併せて形骸化が指摘される議会の自覚も促そうとしている」そうですが、これは後付みたいなものですよね。まぁ、妄言も「実はこういう意味だったんだ」と周囲が好意的な解釈を付け加えてくれることで奇妙な名声を獲得する、珍しいことではありません。

 しかし私には思われるのですが、形骸化しているのは議会である以前に、選挙なのではないでしょうか。河村みたいなのを当選させたから、というのもありますが、議会の必要性を軽視するようになっているかに見える昨今の風潮こそが、より大きな問題です。河村の掲げる「日本民主主義」とやら以前に、従来の議会制民主主義はどこに行ったのでしょうか?

 何でも河村プランでは、地域ごとに「ボランティア委員」を置き、福祉や防犯、予算までをも委ねるそうです。どうも隣組や自警団を思わせる構想ですが、どうなんでしょうか、住民が地域運営に関与することは肯定的に評価できる部分もあるかも知れませんが、一方で政治の役割の否定にも繋がっているような気がします。

 少なくとも理念上、日本の民主主義において有権者に求められるのは「相応しい代表者を選ぶこと」であり、選ばれた代表者が有権者の意思を代弁するものだったはずです。この方式の利点は、有権者が専門家でなくても済むところでしょうか。代りに、信頼できる専門家を選ぶわけです。ところがこうした間接民主制を忘却して、自覚のないまま直接民主制的な方向にシフトしつつあるのかもしれません。つまり、その地域の議員を代弁者として行動させる代りに、「ボランティア委員」とやらに予算まで任せようというのですから。

 河村市長には、過去最高の51万人が票を投じた。減税案が議会で否決されれば、解散も辞さない構えだ。首長は、議会から不信任を突き付けられた場合と、解散を問う住民投票で過半数の賛成を得た場合に議会を解散できる。名古屋市の人口なら、36万人の署名を集めれば住民投票に持ち込める。

 選挙制度の関係上、必ずしも有権者の選択が反映されるわけではありませんが、もうちょっと「有権者が選んだ議員」の判断が尊重されるべきではないでしょうか。「有権者が選んだ議員」によって否決されるなら住民投票に訴える、媒介者である「議員」を飛ばして「市長」と「市民」だけで政策決定しようというのなら、それは議会制民主主義の否定です。直接民主制、間接民主制それぞれに利点と欠点はありますが、独裁者を生みやすいのは直接民主制でもあります。

名古屋城天守閣再建「本気度100%」 河村市長(朝日新聞)

 名古屋市の河村たかし市長が最近、金のシャチホコの乗る名古屋城天守閣の「木造での建て替え」を公言し始めた。着工した本丸御殿の復元でさえ、「不況下で続けることが適当かどうか」と議論を呼んでいる中で、500億円かかるとも言われる天守閣改築を、「本気度は百%」と宣言。開会中の市議会6月定例会で、独自の財政論を披露し、実行可能の根拠を示すという。

 河村市長が天守閣への熱意をあらわにしたのは、14日にあった本丸御殿復元事業の賛否を問う公開討論会。終わり近くに、司会を務めた市長が突然、「名古屋を訪れても『行く所が無い』と言われるのはいかんこと。わしは天守閣を木造で再建しようと言う意見ですけど。賛成の方どれくらいいますか?」と、参観者150人に挙手を求めた。 

 市長は「8割以上が賛成ですよ」と満足そうな表情。翌日の会見で「本気度は百%。都市として自慢できるものが欲しい。今のコンクリート製の天守閣では『名古屋人として寂しいんでないの』と強調したい」と宣言した。

 さて、500億だそうです。名古屋市民が納める市民税の20%相当です。名古屋市民一人あたりの負担は2万円を超えます。文化財としての価値はお金に換算できない部分もありますが、現状維持で済むものに費やす金額としてはどうでしょうか?

 この支出の是非は名古屋市民に任せるほかありませんが、例によって河村市長のやり方が気に入りません。なんでも「賛成の方どれくらいいますか?」と、参観者に挙手を求めたとか。東京都教育委員会で禁止されているという「挙手」です。挙手を禁止する誰かさんもまた問題ですが、こうしたやり方で自己正当化を図るのもまた問題です。

 果たして市民は、この改築にかかる費用の重みを理解しているのでしょうか? 市の財政に与える影響をどこまで把握しているのでしょうか? 改築費用の「500億円」という見積もりが正しいのかどうか検証できるのでしょうか? その辺を知ることもまた大事ですが、市民が政治の専門家になることは難しい、少なからぬ有権者は争点を理解せぬまま票を投じてしまうものです(小泉自民が圧勝した郵政選挙の時だって「国民が内容を理解していたわけではない」と自民党の某総裁が明言しています!)。もしかしたら、政治の専門家として有権者から送り込まれた代表者である市議会議員によって河村プランは否決されるかも知れませんが、そんな議会の決定をこの「挙手」が示すような「有権者の支持」によって否定しようというのなら、それは紛れもない議会制民主主義の否定、ポピュリストが独裁権を揮う衆愚政治への一歩と言えます。

 

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安倍晋三の真似なんてよしなさい

2009-06-22 22:51:28 | ニュース

町長給与半減案を否決 佐賀・上峰町議会 「職員や他自治体に影響」(西日本新聞)

 佐賀県上峰町の定例町議会は19日、公選法違反事件で前職が失職したことに伴う3月の出直し町長選で初当選した武広勇平町長(30)の給与を50%削減するための条例改正案を賛成少数で否決した。全国最年少首長となった武広町長の選挙公約だったが、町長選で対立候補を支援した議員らが「職員や他の自治体にも(無用な)影響を及ぼす」などと反対していた。

 このところは市民税減税だとか給与カットだとか、なにかと行政の縮小方向に繋がる公約を掲げた候補ばかりが目立ちますね。その手の候補の当選が相継ぎ、一向に歯止めが掛からない有様には頭を抱えざるを得ないのですが、佐賀県のある街では議員達が立ち上がってストップをかけたとか。やれやれ、これで一段落と行けばいいのですが。

 「自身の給与をカットする」と言えば聞こえは良いかもしれませんが、大体においてそれは空疎なパフォーマンスに過ぎません。前例を思い出してください、給与カットと言えば、あの安倍晋三が首相就任後、真っ先に打ち出したことですよ! 安倍晋三は真っ先に自分の給与を削減したわけですが、その結果はどうだったのでしょうか? 支持層の喝采を浴びる以外に、何か効果はあったのでしょうか?

「社長は給与返す、社員も返上を」労組反発 英BA(朝日新聞)

 経営が苦しいから月給1カ月分を返上してほしい。社長も返上するから――。英航空大手ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)のそんな提案に労働組合が猛反発している。平均的従業員は年収でさえ社長の月収の半分。同列に扱う無神経さががまんならないようだ。

 BAの広報によると、月給返上の要請は最近、社内メールで全社員に流された。強制ではないといい、自発的に1カ月間休むか、無給の「ボランティア」として働いてほしいと呼びかけた。ウィリー・ウォルシュ社長自身も7月の給料を返上するという。

 最近の記事から探したため海外の記事になってしまいましたが、日本でも似たようなケースは多々あるでしょう。「経営が苦しいから月給1カ月分を返上してほしい。社長も返上するから!」むしろ日本でこそ、頻繁に聞かれそうな言葉です。トップが勝手に給与返上するなら、まぁご自由にとしか言いようがありませんが、それが他に波及するとなると迷惑きわまりない話です。

 たぶん、目的はそっちなのでしょう。いかにトップが高給取りとはいえ、たった一人の給与を削減したところで会社や自治体の財政には影響しません(社員数名の零細企業ならいざ知らず)。その組織を構成する人々全体の取り分を減らさないことには、有意な支出削減にはならないわけです。とはいえ、いきなり全従業員の給与を一律削減などと言い出せば反発を招くばかりです(日本中の憎悪を一身に集めている公務員に対してであれば「世論」とやらを味方に付けることは出来るでしょうけれど)。給与カットを言い出した雇用主側が「悪者」にされかねません。ではどうすれば?

 それはまず、トップが自ら範を示すことです。まずトップが自らの取り分を減らすことで、「下」の人間だけが苦しい思いをしているのではない、と見せかけることです。決して従業員だけに「痛み」を押しつけようとしているのではなく、自分もまた「痛み」を受け容れる側なのだと、そうアピールすることが求められます。「痛みを押しつける側」と「痛みを押しつけられる側」、実際はそうであっても、そう見せないことが重要なのです。そして自らの立ち位置をすり替えることで、トップを従業員と共に「痛みを受け容れる側」に置いてしまう、これによって対立軸を「痛みを受け容れる側」と「痛みを拒む側」に置き換える、そうすれば非難はどちらに向かうでしょうか? 「痛みを押しつける経営トップ」であれば、世間の非難は免れられないかも知れません。しかし、従業員と共に「痛みに耐える経営トップ」であったなら? 非難が向かう先は常に「痛みを拒む側(労組など)」だったわけです。社長ですら痛みに耐えているのに、お前達は自分だけ楽をしようというのか!と。

・・・・・・

 むしろトップの報酬カットは、「下」に対して犠牲を強いる前段階であるとして警戒すべきではないかと思います。トップの「尊い自己犠牲」精神の発露だなどと思ったら大間違いです。たぶん今回の佐賀県の事例、世間一般では給与カットを阻んだ議員の方が悪者扱いされることでしょう。皇帝は善政を志しているが、実権を握る悪の大臣がそれを阻んでいる――ツァリズムは日本でこそ健在ですから。ですが、首長の暴走を押し止めたという点では、議員として最低限の仕事はしていると評価したいですね。

 

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権力に与えられるべきは自由ではなく監視

2009-06-21 22:51:52 | 編集雑記・小ネタ

 こちらでも取り上げた、例の郵便不正事件ですが、色々と余波もあるようです。なんでも不正利用の発覚を受けて、制度利用の審査が厳格化されているとか。おかげで真っ当な障害者団体でも制度が利用できなくなっているそうです。

参考、大脇道場 NO.1213 障害者団体向け郵便割引制度は 障害者支援の立場で継続、条件緩和を。

 こうした運用は、生活保護行政では当たり前のように行われてきたことでもあります。不正の存在を口実として現場の認定基準を不法に引き上げ、受給資格のある人をも制度から閉め出そうとする、それが生活保護行政の実態です。やっていることは単なる福祉の破壊ですが、これが「不正を根絶する~」とばかりに「正義」を掲げて行われているのだとしたら、なおさらタチが悪いですよね。

 まぁ不正利用そのものは好ましくないのでしょうけれど、不正利用の阻止を口実(これを理由と呼んではいけないと思います)とした制度の「適正化」は、しばしば不正そのものとは比較にならないほど甚大な悪影響を及ぼすものです。軽い症状のために過剰な措置を施せば、当然のことながら副作用の方が大きくなるものですから。

 ……で、不正利用はさておき、それが可能になった背景は大いに問題です。なんでも政治家の名前が出されるや否や、実態の疑わしい団体に障害者団体としての認可を与えてしまったとか。報道によって用語は色々――政治案件、議員案件、行政案件――ありますが、ともあれ議員の圧力があれば簡単に制度が歪められることを、今回の事件は示しています。

 もとより日本では「三権分立」が危うい、言葉だけの一極集中化が甚だしいわけです。自民にせよ民主にせよ、日本が見本にしたがっているというイギリスでもそうですが、まずは内閣と国会、行政と立法機関の分立が疑わしいという点があります。それはもう、国会の多数派の代表者=内閣みたいなものですから、しばしば両者は一致するものなのでしょう。現行の制度をちょっとやそっと修正する程度では、内閣と国会だけで「分立」を機能させることは難しそうです。

 では三権分立の三権を構成する残りの一つである司法/裁判所はどうでしょうか? これも日本では微妙ですね。海外では政府の決定に対して裁判所が違憲判決を下すなど、分立が機能していることを示す事例が少なからずあるわけですが、日本では逆です。政治的な問題には判断を示さない、行政の決定には介入しない、憲法判断には踏み込まない等々、自ら三権分立を放棄し、行政の下部組織であることを宣言するかのごとき判決が相継いできたのですから。司法は「政治案件」には逆らいません、と。

 もし日本の最高裁が、何を思ったか政府の決定を覆すような判決を下したらどうなるのでしょうか? その時はこう言われるのかも知れませんね、「司法を国民(の支持を集めた我ら政権与党)の手に取り戻せ!」とか。ことによると裁判員制度導入にも、そういう思惑があるのかも知れません。ともあれ立法も司法も、日本では行政の軍門に下っているのが現状です。そしてもう一つ、同様に行政の軍門に下っているのが官僚機構でもあります。政治家の指示とあらば、不正の片棒を担ぐことに躊躇いのない――

 時の権力者が聖人君子であるならば、その人(及び、その人が率いる政党)の決定を妨げない環境を作った方が好ましいのかも知れません。しかし聖人君子でないのならば権力の分立が――すなわち、権力の暴走を抑える仕組みが必須となってきます。国民の絶大な支持を集めた誰かさんが構造改革などと称して国民の生活を破壊しようとした時に、それを押し止める役割を担う機関が必要なのです。思うがままに権力を揮いたい暴君は、そのブレーキ役を「抵抗勢力」と呼んで攻撃するかも知れませんが、国民から敵視されようとも怯むことはありません!

 そもそも法律は誰かを罰するためである以前に、権力に対して制限をかけるためのものでもあるはずです。権力=行政の決定を忠実に履行する機関であるべきとするのが昨今で主流の官僚観ではありますが、そうではなく行政の監視役としての役目もまた、官僚組織に求められてしかるべきなのではないでしょうか。民主党、とりわけ鳩山兄の強く主張する猟官制(民主党に従わない官僚はクビ、民主独裁? 参考)などは、こうした監視役としての機能を葬り去ろうとするものですが、どうなんでしょう、実際のところは今回の郵便不正問題でも明らかなように、官僚が政治家のブレーキ役にならないどころか、政治家に言われるがままに不正に荷担してしまう、そういう力関係なのです。むしろ民意を背景にした行政に対し、「法(憲法)」を基準とする司法と各種専門性を基準とする官僚組織が相互に牽制し合うことで三権分立を実現すること、そういう方向性が探られてもいいような気がします。

 

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秘密は公開されるためにある

2009-06-20 22:40:05 | ニュース

「昔もらった恋文、競売に出すな」 前総務相批判相次ぐ 自民各派(産経新聞)

 18日の自民党の各派閥総会で、日本郵政社長人事をめぐり、麻生太郎首相批判を続ける鳩山邦夫前総務相に対する批判が相次いだ。

 伊吹文明元幹事長は伊吹派総会で「自分への支持率は上げて、党の支持率を大幅引き下げることは慎まなければならない。人間としての信義を守り、昔もらったラブレターをオークションに出すようなことはやめてほしい」と述べ、鳩山氏が、日本郵政社長の後任候補を提示した首相の手紙を公表したことを批判した。

 さて、あの鳩山弟が色々と批判されているそうです。一時は党総裁を差し置いて当ブログへの出演率№1を誇った鳩山氏、何かと批判されるべき点は多いのですが、それもあくまで批判の中味次第です。例えば日本の場合、政治家が失脚する最大の要因はカネと女だと思いますが、それ以前の政治的失敗や妄言の数々は許されてきたのに、カネか女で問題を起こすや直ちに辞任騒ぎにまでハッテンする、これは何かが間違っていますよね? 鳩山も然り、彼が批判されるべき、更迭されるべき振る舞いはいくらでもあったわけですが、その辺が今までスルーされてきたこと事態が大いに問題です。

 まぁ、カネでも女性問題でもなく政治的な理由でクビが飛んだだけ、マシな方なのかも知れません。結局のところ、構造改革という聖域に触れるのはタブーだったようです。そして鳩山弟が非難されている理由の一つは、鳩山宛の首相の手紙を公開したことだそうです。伊吹文鮮明曰く「人間としての信義を守り、昔もらったラブレターをオークションに出すようなことはやめてほしい」とか。

 私的な人間関係においては、それは正しいのでしょう。私信を公開するのは確かに礼節を欠いた行為かも知れません(鳩山弟の今までの振る舞いを見ていれば、それぐらいの「非常識」は予想されてしかるべきだとも思いますが)。もっとも、それが政治的、社会的な重要性を持っている場合は別ではないでしょうか。喩えるなら伊吹氏の批判は、組織の不正を内部告発した人に対して守秘義務違反や情報漏洩を言い立てるようなもの、どちらがより非難に値するかは……

 要するに、政府の不利になるような言動諸々は当然のように政府筋から叩かれるわけです。つい先月のことですが、核兵器の持ち込みを黙認する米軍との密約が結ばれていて、これを外務事務次官等が一部の首相及び外相にしか伝えていなかったことが話題になりました。単にトップが部下の仕事を把握できていない、前任者からの引き継ぎが出来ていないだけなんじゃないかというフシもありますが、これも見る人によっては「官僚支配だ!」と言うことになるらしいのです。

 じゃぁ、どうすればいいのかというと、どうにもならないような気がします。密約なんてものは大方「公然の秘密」だったりしますし、いずれアメリカ側の資料公開で実態は明らかになるのですから、外務官僚と政府首脳の間だけの秘密にしておくのではなく、どんどん公開してしまったらどうかと私などは思うわけです(それは現場担当者に過ぎない官僚サイドよりも、最高責任者である行政サイドから公開して欲しいところでもあります)。とはいえ、それでは「密約はない」とする政府の公式見解は足下から崩れ去ってしまう、それ故に秘密の手紙を公開したことで色々と非難に晒される人も出てくるでしょう、「アメリカ様からもらったラブレターをオークションに出すようなことはやめてほしい。人間としての真偽を守れ!」とか。どうせ何をやっても非難されるのが官僚ってものですしね。

 町村信孝前官房長官も町村派総会で「辞めた閣僚が首相を批判するのは、もともと閣僚をやる資格があったのかという議論が出かねない話だ」。山崎拓元副総裁は山崎派総会で、鳩山氏が将来の新党結成に含みを持たせていることを「選挙前に新党を作る動きになれば、わが党は(氷山に衝突して沈没した)タイタニック号になる」とそれぞれ牽制した。

 ちなみに町村氏は「辞めた閣僚が首相を批判するのは、もともと閣僚をやる資格があったのか」と宣っています。う~ん、町村氏が思い描く閣僚のあるべき姿が垣間見えますね。要するに、辞任に至っても決して首相を批判しない、党の利益を考えて行動するのが閣僚の「資格」なのでしょう。しかし、鳩山弟が自ら立候補して閣僚になったのではなく、麻生が選んだから鳩山は閣僚になったわけです。町村定義によれば資格に疑いのある鳩山を閣僚に起用した誰かさんの任命責任にも繋がりそうなことを、しれっと口にしているような気がするのですが。

 

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