先日は民主党に続いて自民党も正式に総裁選立候補者が固まりました。誰が勝っても良い結果には繋がらない気はしますが、事前に結果が読めるような出来レースではなくなったのはポジティブに評価できるでしょうか。先の東京都知事選も悪ふざけのような候補が乱立しましたけれど、なんだかんだ言って政治への関心が高まったのか投票率も上昇しました。これ自体は間違いなく良いことで、後は真っ当な候補が出馬するようになれば……というところですね。
先週の記事では一つだけ肯定できる(ただし、即座に撤回された)政策案を取り上げました。残念ながら良いものほど政府与党内だけではなく、国民の間でも反発が強かったりする、逆に悪いものもまた政府与党の間だけではなく国民からも待望論が根強かったりするわけですが、まぁ「民主的な」選挙を繰り返しても向上できない国というものは政治家以外の部分にも問題を抱えているのだと思います。
そこで今回は小泉進次郎らが主張する解雇規制緩和論をピックアップして考えてみましょう。解雇規制を緩和することで経済成長に繋がる、雇用機会の創出に繋がると推進派は主張して来ました。しかし解雇規制とは何なのか、あたかもそれが存在するかのごとき集団幻想が形成されている一方で、「正社員は解雇できない」とする根拠として法律の条文を提示しているケースを私は見たことがないです。
これは当たり前の話で、日本の法律に正社員の解雇を禁じる規定はありません。ただ「合理的な理由がなければ無効」とされているだけで、裏を返せば理由付けさえ出来れば解雇は可能であり、解雇の正当性を問う判例はあっても解雇そのものを禁止した事例はないわけです。実際のところ社員の整理解雇は日本でも普通に行われており、それを歴史修正主義者よろしく「なかったこと」にしている人がいるに過ぎません。経済誌に「正社員は解雇できない」と書かれているのは聖書に「キリストが復活した」と書かれているの同じで、それは事実ではなく信仰告白を意味します。
まず「理由があって手続きを踏めば解雇できる」という現実がありますし、そもそも「不当に」解雇することだって可能です。例えば私人による殺人を合法化している国は存在しないと思いますが、殺人が発生したことのない国は皆無でしょう。解雇も然りで仮に解雇が合法でなかったとしても、権力さえあれば不当に解雇することは可能です。そして殺人罪とは異なり不当解雇は刑法で裁かれるものではありません。不当に解雇された側が裁判に訴えない限り経営側はノーダメージ、良心さえ捨てれば基本的には自由に解雇できるのが実態です。
他にも正社員の給与の引き下げは経済誌では「出来ない」と書いてありますが実際は可能ですし、中高年層の雇用を守るために若者の雇用機会が奪われたとこれも経済誌に書いてありますが、90年代の景気後退期に真っ先に会社から追い出されたのは中高年層です。結局のところ解雇規制緩和論とは経済誌に描かれたフィクションを前提にしたものであり、現実に向き合うものではない、解雇規制緩和論を掲げる政治家というものは、世の中で実際に起こっていることではなく聖書=経済誌の記述に基づいて政策を決めるいわば神権政治を唱えているのだと言うことが出来ます。
また雇用・人材の流動化が必要であると叫ばれてもいますが、それとは裏腹に若年層の早期離職が嘆かれてもいるわけです。若者がすぐに会社を辞め、他の職場へと流れていくのはまさに流動化の果実と言えますが、これを否定的に見る向きはむしろ政財界にこそ多かったりします。ならば、流動化を否定して社員が自社に定着する世の中を目指せば良さそうなところ、しかるに世代が変わると経営側の目線も変わる、若者の離職を防ぎたい一方で中高年相手になると途端に追い出したがるのが実態です。結局のところ雇用の流動化云々は建前であって、実際に望んでいるのは「年寄りは追い出して若い子に入れ替えたい」というだけのことでしょう。
また「成長産業への人材の移動」云々とも言われますが、そもそも成長産業とは何か、これも具体的なところは言われていないように思います。そしてもし「成長産業」が大きな利益を上げて事業を拡大させている業界を指すのであれば、既に十分な人員を確保できているはずです。人手不足が原因で成長産業が頭打ちになっているのであれば、そこに人材の移動を促すのは政策として合理的かも知れません。しかし本当に「成長産業」で人手不足かと言えば、そんなことはないわけです。本当に人手不足なのは「仕事がきつく、その割に低賃金の業界」ではないでしょうか。
人手不足で名高いのはなんと言っても介護業界であり、他に運送業、建設業、保育士などが挙げられます。いずれも世の中の需要は大きいところですが、しかしこれが「成長産業」なのでしょうか。どれほど社会のニーズは高まっても、安く買いたたかれて利益は伸びない、当然ながら経済の牽引役からは遠いのが実態のはずです。そこで働く人の給与も右肩上がりであってこそ、本物の成長産業と言えます。逆に人手不足なだけ、従業員の給与は低く据え置かれたまま、そんなものは決して成長産業とは呼べません。
もちろん世界で争うレベルの先端技術を担えるような人材は成長産業においても不足しているのかも知れませんが、それはどこの国でも同じ話で、大谷翔平みたいな突出した逸材は奪い合うしかない、雇用の流動化ごときで誰もが手にできるものではないわけです。雇用の流動化で得られるのは「平凡な人材」であり、いくら「リスキリング」などを施したところで世界のトップを争うレベルに達することはできない、この程度のことは誰にでも理解できるはずです。
そして「自分磨きに精を出した40歳」と「特に何もしていない20歳」、結婚相手がすぐに見つかるのはどちらでしょうか? 就活も恋愛も同じで、若さこそが絶対的な価値を持ちます。ただ学校を卒業しただけの若者と、「リスキリング」とやらを受けた中高年、企業が機会を与えたがるのはどちらでしょうか? 解雇規制緩和論とセットで取り上げられることの多い「リスキリング」ですけれど、何をどう足掻いたところで中高年を採用したがる職場は限られているのが実態です。
ただ中高年でも、本当に人手不足の業界なら採用の見込みがあります。それ即ち介護であったり、運輸や建設等々ですね。結局のところ実態としては水商売と同じで薹が立った人間は切り捨てて若い子に入れ替えたい、追い出されて行き場の失った中高年が人手不足産業(介護など)に流れてくれれば万々歳、これが雇用流動化論の本当の思惑であり、解雇規制緩和論の本質ではないかと考えられます。経済成長のためではなく、経営層の満足を満たすため、低賃金や重労働の産業を維持するため、そのための方便なのではないか、と。
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なお解雇が自由に行えるとされている国でも差別的な理由による疑われる場合など不当解雇と認定される範囲は少なからずあり、とりわけアメリカなどでは莫大な懲罰的損害賠償を課されるリスクが大きく、決して経営側の恣意的な解雇が可能というものではありません。むしろ訴訟リスクが皆無に近い日本の方が、解雇は容易であるとも考えられます。
カリフォルニア州における雇用・解雇について(弁護士 戸木 亮輔)
人種や出自を理由にした差別的処遇が認められた事案で、FedExに計61ミリオンドル(1ドル130円で計算すると約79億円)の支払が命じられた例(2006年、アラメダ州裁判所)
ホテル運営会社Wyndhamでタイムシェアホテルのセールスマンとして働いていた原告が、他のセールスマンが高齢の顧客に対して詐欺的なセールスをしていると報告した後に解雇され、計20ミリオンドル(26億円)の損害が認容された例(2016年、サンフランシスコ州裁判所)
解雇に至った主たる動機が労働者としての権利を主張したり妊娠していたりしたことであることが認められ、Chipotle(アメリカでは有名なメキシコ料理ファーストフード店です)に計8ミリオンドル(約10億円)の支払が命じられた例(2018年、フレズノ州裁判所)
その一方で、マスコミは「人件費が高騰している」と騒いでいますから、「はあ、何を言っているんだ?」としか言いようがありません。まあ、確かに昨今では賃金水準が上昇しているのでしょうが、それでも実質賃金が低迷を続けており、最低賃金の引上げ幅も2023年まで全国平均で年率5%に満たない状態となっていますから、「上昇」とは言えても「高騰」とは言えないと思います(最低賃金に関しては、2024年の引き上げ幅が全国平均でようやく年率5%を超え、県によっては6~9%まで上昇しています)。財界では「人件費抑制」が好意的に評価されているが故に、労働者の待遇改善を避けたがるからマスコミも「人件費高騰」と騒いでいるだけではないか、と感じますね。