自給率100%の牛乳を値上げしなければいけないワケとは(dot.)
農林水産省の食料需給表によると、2013年度に国内で消費された飲用向け生乳はすべて国産である。自給率は100%だ。それなのに牛乳の価格を値上げしなければならないのは、乳牛が食べる飼料の価格上昇が大きな原因だ。(一社)中央酪農会議によると、トウモロコシや乾牧草など飼料の多くは輸入に頼っており、生乳の生産にかかる流通飼料費は2013年までの過去4年間、上昇傾向にあるという。中央酪農会議のニュースレターでは、酪農家が直面する状況も具体的に伝えている。
新潟市で95頭のホルスタインを飼育している株式会社Moimoiファームでも飼料はすべて輸入品で、この1年間で調達価格が1割~1.5割も値上がりした。生産コストの約半数を占める飼料費の上昇は、多くの酪農家がかかえる経営不安定の要因といえそうだ。また、酪農経営の環境改善には値上げだけでは解消できない課題も多い。若年層の就労者不足や後継者問題など、次世代の担い手に引き継ぐ方策がなかなか見いだせないのだ。
なんと言いますか、日本における食糧自給論議のレベルの低さを窺わせる一節がありますね。曰く「飲用向け生乳はすべて国産である。自給率は100%だ」とのこと。その論理なら日本の食糧自給率は70%くらいになりそうなものですが、世間では自給率が40%を切った云々と叫ばれているのですから不思議な話です。この辺は結局のところ「自給率」という言葉を都合良く使い分けているからと言えます。一口に「自給率」と言っても算定の仕方は一つではない、にも関わらず基準の違いを明示しないことで都合良く印象操作を計る、そういう記者は多いです。
例えば朝日新聞の大岩ゆり記者など、被曝「線量」を語る際に、それが等価線量なのか実効線量なのかを伏せておくことで、福島周辺地域における被曝量を実際より大きく見せかけてきたのは一部で有名な話です。自給率に関しても然り、日本伝統の「カロリーベース」での計算によるものと、もう少し一般的な生産額ベースの自給率などがあるわけです。脳天気に「全て国産なのだから自給率100%」と語っているのが上記引用の記事ですが、自給率が下がっていると危機を煽るためにはカロリーベースの計算が一般に使われており、この場合は家畜に与える餌の国産/輸入比率による補正が行われます。専ら輸入した餌を食べて育つ国内の家畜から収穫された肉や卵や乳の自給率は……
食に関しては至って排外主義的、陰謀論的な世界観を隠せないでいる人も多く辟易させられるところです。ことによると安倍内閣の面々のような公然たるタカ派よりも、ハト派ぶっているけれども心の底では被害妄想や諸外国への疑心に凝り固まっている人の方こそタチが悪いのではないかな、と私などは思いますね。曰く「広い意味での戦争は、我が国でなく他国から、武器を使わずに仕掛けられることもあります」だとか、その頭の悪さには目眩がします。国際的な枠組み作りや輸出入の促進への反対を、外国脅威論に基づいて展開しているのは、実は平和主義を装っている人にこそ多かったりはしないでしょうか?
現実には日本の畜産業は海外からの飼料輸入があって成り立っているものです。そもそも現代の日本で飼育されている家畜の多くは、日本土着の動物ではなく近代に海の向こうから届けられた種でもあります。ついでに香川のうどん文化なんかも、現代はオーストラリアからの小麦輸入があって成立しているわけです。食料輸入を悪であるかのように主張して憚らない国粋主義者も見受けられますけれど、既に海外の食料生産者とのパートナーシップは日本の食文化の欠かせない一要素として定着している、それを否定することはこれまで日本の食文化を支えてくれてきた海外のパートナーに対してあまりにも敬意を欠いた話ではないかと、そんな風にも思いますね。
先日は民主党幹事長の枝野が「金目だけではない一次産業の価値というものをしっかりと支える」云々と宣っていましたが、こういうのはまさに最悪ではないでしょうか。引用元では「若年層の就労者不足や後継者問題など、次世代の担い手に引き継ぐ方策がなかなか見いだせない」とのことですけれど、結局は「金にならないから」こそ新規就労希望者が出てこない、ひいては後継者がいないわけです。儲からない仕事は本当に一部の勘違いした人しかやりたがらないもの、逆に儲かる仕事なら多少の汚れ仕事でもやりたがる人はいるものです。「値上げだけでは解消できない課題も多い」とも伝えられていますが、値上げした分が酪農家の所得に直結するようになれば、事態は変わってくることでしょう。まぁ不毛な値引き競争を繰り広げた牛丼業界もあれば、デフレ不況の中でも価格の維持に概ね成功した宅配ピザ業界など、この辺は「立ち回りの巧みさ」が問われるところです。昨今だけではなく高度経済成長期の頃から値上げの波に乗れなかった酪農業界にはコスト削減などとは正反対の方向での努力が求められるのかも知れません。