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非国民通信

ノーモア・コイズミ

選挙の感想です

2009-08-31 22:39:57 | 編集雑記・小ネタ

民主 115 → 308  社民  7 →  7  国民新 4 → 3
自民 300 → 119  公明 31 → 21  みんな 4 → 5
共産   9 →   9

 皆様すでにご存じのことと思いますが、選挙の結果はこうなりました。左側が公示前、右側が選挙後の数値です。共産も社民も数だけ見れば現状維持、前回の参議院選のような敗北だけはなんとか免れたといったところでしょうか。しかるに社民党は東京の比例で1議席もとれず保坂展人議員が落選する等、個々の顔ぶれを見れば何かと残念な結果でもあります。

 自民党は、意外に健闘したのかも知れません。あの体たらくでありながら、公示前の民主党と同レベルの議席を取れただけでも大したものです。とはいえ民主党との対決となった選挙区では連戦連敗、小選挙区で自民が勝ったのは民主党が候補を立てず、社民党や国民新党の候補が相手となった選挙区ばかり、そんな印象も受けます。とりわけ国民新党は綿貫民輔代表、亀井久興幹事長が落選するなど大苦戦、どうやら「非自民」であるだけでは支持が集まらないようです。

 自民党vs(民主党の支援を受けた)社民党の対決となった選挙区でも、自民党に軍配があがることが多かった、しかも社民党候補の票と共産党候補の票を合算してさえ、自民党候補の票が上回るケースが目立ちました。これが自民党vs民主党であれば民主候補の圧勝が大半であっただけに、随分な違いです。「自民党ではもうダメだ」という票は民主党にまでは流れるけれど、社民や共産、国民新党辺りには必ずしも流れてこない、そういうものなのかも知れません。

 ……で、社民や国民新党の候補が相手であれば対立候補が民主党のバックアップを受けていようと互角以上の戦いを見せた自民党ですが、民主党との対決はまさに惨敗でした。稲田朋美などのロクデナシがしぶとく当選する一方で、結構な数のビッグネームの落選が相次ぎました。かろうじて当選を果たしたとはいえ、福田康夫など一時は落選の報道が流される有様です。本気で民主党が対立候補を潰しにかかれば何でもできそうな、まさに破竹の勢いだったわけですが、民主党候補を足下にも寄せ付けず、民主党候補にダブルスコアで完勝した自民党議員が一人だけいました――安 倍 晋 三です。う~ん、今さら安倍に何かができるとは思えませんが、ここは叩いておいて欲しかったところ。

 ちなみに、わずか1議席ですが みんなの党が議席を増やしました。逆に国民新党は1議席を減らしました。小さな変化ではありますが、ある意味では象徴的なものなのかも知れません。つまり自民党の中でも「古い」部分を濃厚に受け継ぐ保守系の国民新党が後退し、自民党の「新しい」部分が最も先鋭化したカイカク系の みんなの党が前進したわけです。自民党が否定されているのは確かなのでしょうけれど、それはむしろ小泉以前の「古い」部分こそが強く否定されているのであって、小泉以降の「新しい」部分は今なお支持があることを意味しているのではないでしょうか。

 そしてこれからは民主党の天下です。民主党への票は政権交代を期待してのものであって、決して民主党を全面的に肯定してのものではないでしょう。しかし改革の是非を問う形で票を集め、その後は白紙委任状を受け取ったかのように振る舞った小泉政権と同様、民主党もあらゆる面で「国民の支持」を後ろ盾にしていくはずです。民主党の掲げてきた「建前」は、意外なほど自民党とは距離のあるものに見えるかも知れません。しかるに民主党がこれまで関わってきた議決や言動を見るに、民主党の本心はもっと別のところにあるのではないかという気もします。これからはどっち?

 今までは野党であり、自民党と対決するという関係上、自民党が右を向いたときには反対に左を向く、そういう動機があったでしょう。しかしこれからは与党です。自民党の動向を窺う必要はありません。イニシアティヴは民主党にあります。右へ右へと突き進む自民党に対抗するという必然性はもはやなく、まず民主党の信じるところが現れてくるわけです。選挙の洗礼を経て、極右系議員が落選、「まともな」議員ばかりが議席を得ているのならまだ安心できますが、今回の圧勝の結果として民主党候補は猫も杓子も当選してしまいました。まともな議員も当選する一方で、歴史修正主義者やネオリベ論者も改憲派も当選、国会に押し寄せてくるわけです。

 何かと似ている前回選挙を経て「官から民へ」の流れが強行されました。今回選挙の結果はどうなるでしょう、「脱官僚/政治主導」と鳩山は連呼しています。「官」を悪者に見立てて、それに対抗する自分たちをヒーローのごとく見せかけようとする、そうした政治手法は忠実に継承されています。麻生政権下では頓挫してしまった構造改革路線が、再びネジを巻き直されたのかも知れません。そして300議席という安定多数を与えてしまった以上、それに対抗するのは極めて厳しい状況にあります。選挙前は春を待つ冬のような気分でいられましたが……

 

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選挙のことは明日書きます

2009-08-30 10:57:38 | ニュース

舛添氏「怠け者に税金使わぬ」発言 抗議受け弁明(朝日新聞)

 舛添厚生労働相は25日の閣議後の記者会見で、総選挙の遊説中に「働く能力と機会があるのに怠けている人に、貴重な税金を使うつもりはない」という趣旨の発言をしたと追及され、弁明に追われた。舛添氏は「自立が大事だということを訴えたかった」と語った。

 演説は18日に神奈川県内で行った。年末年始に東京・日比谷で開かれた「年越し派遣村」に、行政が約4千件の求人情報を提供したにもかかわらず、誰も応募しなかったなどと指摘。同じ演説の中で「怠け者」発言が飛び出した。実際には、初日には申し込みがなかったが、その後100人以上が申し込んだ。

 この発言に対し、派遣村の元実行委員会の湯浅誠・元村長ら有志は24日、「事実をねじ曲げた発言で、今なお厳しい雇用情勢の中で生活の再建を目指して努力している方々への侮辱である」として、舛添氏に謝罪と発言撤回を求める抗議文を出すなど、波紋が広がっていた。

 舛添氏は会見で「怠け者発言は(民主党が復活を強く主張する)生活保護の母子家庭(への加算)の中で言ったつもりだ」と反論しつつ、反発が広がったことには「大変残念。今後、言い方を注意したい」と述べた。

 どうせ惨敗するであろうことが確実な自民党に関しては、あまりムキにならないように努めてきたわけですが、この舛添に関してはいくら何でもどうかと思ったりします。こんな人が次期総裁候補などと言われているのですからなおさらです。いくらなんでもこれはないでしょう。

 発端となった発言に関してはこちらでも取り上げましたが、当初は「派遣村」に集った失業者達が非難の対象とされていました。曰く「大事な税金を、働く能力があるのに怠けている連中に払う気はない」と。しかるにこれが反発を呼び(当然の結果だと思いますが、舛添の思惑は違ったのでしょうか?)、釈明を迫られた結果がこちらです。「怠け者発言は生活保護の母子家庭の中で言ったつもりだ」……ですって。

 派遣村に関しては湯浅氏も指摘するように「事実をねじ曲げた発言」だったわけですが、今回の釈明もまた、事実をねじ曲げた発言です。何しろ母子家庭の就業率は約85%と非常に高いわけですから。就労環境における男女格差が著しいにもかかわらず、日本の母子家庭は極めて就業率が高いのであって、これを怠け者と呼ぶなどとんでもない話です。まともな就職口がない、子供からも目が離せない、そういう「働く環境がない」にも関わらず身を粉にしているのが母子家庭の平均像です。その辺は厚労省で働いているのなら当然、知っているはずですが――あえて知らないふりをすることで、母子家庭社会保障を受給する母子家庭を「怠け者」に見せかけようとしているのでしょうか。

117 :無名の共和国人民 :09/05/15 04:46:52 ID:z14H/VSW
>>103
赤木は2006年の段階ですでにこう発言している。
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/09/post_159.html

「もはや差別などほとんど無きに等しいのに今だに非差別者としての特権のみを得ている、女性や在日や。」

ナチズム運動のエッセンスを見事に体現している認識だ。
最底辺労働者の声を代弁しつつ異民族・被差別者を排斥する(したい)立場が「ナチズム」でなければ何なのだろう。

http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1241523068/117

 ここで名指しされている「赤木」とは一時期持て囃された赤木智弘を指しています。彼に関してはかなり無理のある好意的解釈の積み重ねによって過大評価された印象が拭えないわけですが、それがどういう期待によって祭り上げられたかと言えば、「若き貧困層」の代表としてでした(確かに彼はある種の典型ですが、同年代の貧困層である私としては、彼のようにネオリベ御用学者の劣化コピーみたいな青年を代表扱いして欲しくないのですけれど)。 ……で、彼は上で引用されたように語ります。要するに我々(若く貧しい男性)こそが救われるべきであって、女性や在日やは特権者だと。

 こう言う世界観を持っている人々からすれば、今回の舛添発言は快く受け止められるものなのかも知れません。赤木のように両親が養ってくれる立場であれば貧困は生活の問題である以前に名誉の問題になりがちで、派遣村に集った人々のように頼れるところがない人々とでは相異なる部分も多々あるでしょうけれど、しかし恵まれない貧困層の中には、自分たちとは異なった性質を持つ社会的弱者を悪く思う人もいるのではないでしょうか。自分たちは社会保障の対象外なのに、一方で社会保障の対象とされている(かに見える)人々がいる、そうした部分に執着する人が少なくないとしたら、舛添のつけいる余地はそこにこそありそうです。

 言うまでもなく派遣村に集った人々は、会社からも社会保障からも見放された人々です。そうした面々にしてみれば、(自分たちと違って)社会から見放されていないかに見える人々が、何とはなしに恨めしく感じることもあるでしょう。自分たちは何の保証も受けられないのに、シングルマザーは手厚く保護されている――上で挙げた赤木のように、そう信じて不満を持つ人も中にはいるはずです。そこで舛添はこう言う、「(自民党が断罪しようとする)怠け者は君たち(若年貧困層)ではなく、あの特権のみを得ている母子家庭の方だよ」と。そう語ることで、母子家庭に対して偏見を抱いている人々からは支持が得られると踏んでいるのかも知れません。とんでもない話です。

 

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前夜

2009-08-28 23:02:11 | 編集雑記・小ネタ

 さて、いよいよ以て投票日が目前に迫ってきました。選挙予報は当たることもあれば外れることもありますけれど、とりあえず自民党の凋落と民主党の単独過半数はまず確実な情勢です。前回の選挙で議員が足りなくなるほどの大勝を果たした自民党ですが、北斗の拳で言う「刹活孔(一時的に強くなれるけれど寿命が縮む秘孔)」を突いたようなものだったのかも知れませんね。選挙には勝ったけれど、国会に押しかけたのは全くの無能者ばかり、完全に政権運営能力を失ってしまったわけですから。今やネット上のコピペのごとき怪文書をばらまくまでに凋落した自民党、「おまえはもう死んでいる」としか言いようがありません。

 ……で、前回の選挙は「郵政民営化」が争点にされていました。本当はもっと問われるべきものがたくさんあったはずですが、改革に賛成するのか否かの二元論に持ち込まれてしまったわけです。そして今回は「政権交代」の是非に論点が集約されがちです。とはいえ、郵政民営化を初めとする「改革」の名を借りた破壊行為の数々が政権交代によって消えてなくなるはずもありません。小泉改革路線が継承されるのか、それとも転換されるのか、そこも厳しく問われるべきでしょう。

 小泉改革の評価も遅ればせながら覆りつつあり、あの麻生ですら修正を余儀なくされている有様です。当然、構造改革路線を否定する立場も盛り返しつつあります。かつて「抵抗勢力」と呼ばれた人々の復権も一部で見られる、それが今回の選挙で表に出てくることでしょう。国民新党辺りもさることながら、平沼赳夫や城内実といった極右やレイシストですら、郵政民営化に反対していたという過去によって少なからず評価を高めています。ところが、こうした名誉回復が果たされないまま忘れ去られようとしている人々もいるのです。

 「抵抗勢力」の重要な一翼を構成していた官僚達への評価はどうなのでしょうか? これが政治家であれば、小泉改革に靡かず郵政民営化等に反対していたことによって再評価される、そうした機運が出てきたわけですが、官僚の場合は勝手が違うようです。官僚はいつだって悪なのです。小泉が官僚達の反対を押し切って後期高齢者医療制度を導入し、それが後任者の時代に施行されるや制度が非難の嵐を浴びるに至ったわけですが、最初から制度の導入に反対していた官僚達が称賛を浴びたことがあったでしょうか? むしろ反対に、非難を浴びていたはずです。時代の機運が180°変わろうと、官僚はいつだって「悪」なのです。日本では官僚であること自体が「罪」、いわば原罪のようなものなのです。何をやるかなんて関係ない、官僚であることそのものによって否定されるのですから。

参考、あのカイカクは政治主導ではなかったか

 鳩山の連呼する「脱官僚/政治主導」という考え方は「何を」ではなく「誰が」にこだわるものだと書きました(参考)。まったく以て頷くことのできないものではありますが、ある意味では国民の意思に添った考え方でもあるでしょう。小泉改革に賛同しようが反対しようが、どう行動しようと叩かれるのが官僚です。だから「官僚ではない」ことが重要な意味を持ってくるわけです。「官僚だから悪い」と考える国民に媚びているだけ――これを肯定的に語れば「民意を尊重」となりますが、別の言い方をすれば「ポピュリズム」でしかありません。そして民意を尊重した結果として、トップには巨大な権限が集まるのです。

 今、何よりも決別すべきものは小泉改革であるとするのなら、「脱官僚/政治主導」とは相容れません。言うまでもなくあの改革こそ紛れもない政治主導であり、少なからぬ官僚達は「抵抗勢力」として改革に批判的な立場をとっていたのですから。郵政民営化を見直すというのなら、自民党が政治主導で行ったことを第一の批判としなければならないはずです。それなのに鳩山は官僚主導こそ諸悪の根源と語る、批判はあくまで官僚に向ける、小泉と同じものを悪玉として攻撃の対象としているわけです。それが予感させるものは……

参考、やっぱり鳩山はダメだな

 「天皇は軍部の暴走を止められなかっただけ」と語るとしたら、これは天皇を非難しているのでしょうか、それとも擁護しているのでしょうか? 少なくとも天皇の主体的な関与を否定することで、天皇を免罪しようとする意図は伺えると思います。では「自民党は官僚支配から脱却できない(だからダメ)」と語るとしたら? あくまで支配者は官僚であり、自民党は「官僚を止められないだけ」、そう位置づけられてしまうとしたらどうなのでしょう。主犯は官僚で、自民党は従犯、そんな印象を受けますよね。自民党が政治主導でやったことはどこかに追いやられ、全ての罪は官僚に。あくまで自民党は「止められなかっただけ」――そう見せかけようとしている人がいるとしたら、その人こそ最も熱心な自民党の擁護者だと思うのです。

 まぁ、よくよく考えた上で投票してくださいとしか言えません。私の選挙区のように選択肢の限られているところも少なくないでしょうけれど、その政党に権力を与えて良いものかどうか、それが小泉ポピュリズム路線を継続させるための一票に繋がるのかどうか、単に自民党でなければ済むというものではありませんから。ついでに、最高裁判事の信任投票で×を付けるのも忘れないでください。

 

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自衛隊員にふさわしくない行為

2009-08-27 22:49:10 | ニュース

女性空自隊員の風俗アルバイト、上司が処分せず隠ぺい(朝日新聞)

 航空自衛隊第3航空団(青森県・三沢基地)で昨年、空士長だった女性隊員(26)が風俗店でアルバイトをしていることが部隊内で発覚したにもかかわらず、上司の2等空佐から指示を受け、虚偽の理由で依願退職していたことが明らかになった。

 防衛省の調査によると、元空士長は05年に入隊後、三沢基地で勤務していた。その傍ら、07年初めごろから断続的に派遣型風俗店でアルバイトをしていたとされる。

 08年5月ごろ、同僚隊員が元空士長のアルバイトを知り、直属の上司の2佐に報告した。アルバイトは継続した仕事ではなかったため兼業禁止規定には触れない可能性が高かったが、自衛隊法の「自衛隊員にふさわしくない行為」にあたる。2佐は、本来なら懲戒処分の手続きを進めるべき事案と認識していたのに処分の手続きをせず、元空士長に依願退職するよう指示した。

 元空士長は説得に従い「現在の部隊の仕事では自分が持っている情報処理系の資格がいかせないため」という虚偽の理由で昨年9月に依願退職した。2佐はこうした経緯を一切伏せたまま、上司の第3航空団基地業務群司令の1等空佐に「一隊員の依願退職事例」として報告し、決裁を受けた。「本人の将来を考えて依願退職させた」と説明している。 

 元空士長は今年4月、防衛省の関係機関に非常勤職員として再就職したが、その後も複数回、青森市内の風俗店でのアルバイトを継続していたことが判明。同省は元空士長の処分を検討している。

 どうも私の目には不当解雇/退職強要の事例にしか見えないのですが、ニュアンス的には随分と異なるようです。ここで責められるべきは自衛隊側にしか思えないのですけれど、なぜか非難に晒されているのは元空士長の方みたいですし。とりあえず兼業禁止規定には触れない可能性が高い――すなわち退職を迫られる謂われなどないであろうにもかかわらず、「自衛隊員にふさわしくない行為」なる何とも使い勝手の良さそうな理由で退職を余儀なくされたとか。ふむ……

 この元空士長、今は非正規雇用だそうで、たぶん収入は大きく減ったものと思われます。「ムダを省く」と称して官製ワーキングプアを増やすのが流行ですからね。そうであるからにはアルバイトの一つや二つ認めたところで罰は当たりそうにないのですが、防衛省は「処分を検討している」そうです。それもやはり「自衛隊員にふさわしくない行為」という理由なのでしょうか。兼業禁止規定などの明確なルールと合意があるならまだしも、明確な基準がない中で雇用主が被雇用者の就業時間外の行動に対して、そこまで干渉することが許されるのかと疑問を抱かずにはいられません。ましてや今となっては非常勤という立場、雇用側が使い捨てにしようとしているのならなおさら干渉される筋合いはないはずです。

第四十六条  隊員が次の各号のいずれかに該当する場合には、これに対し懲戒処分として、免職、降任、停職、減給又は戒告の処分をすることができる。
一  職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
二  隊員たるにふさわしくない行為のあつた場合
三  その他この法律若しくは自衛隊員倫理法 (平成十一年法律第百三十号)又はこれらの法律に基づく命令に違反した場合

 自衛隊法に定められた「自衛隊員にふさわしくない行為」が理由付けになっているようですが、いったい何が「ふさわしくない」というのでしょうか。自衛隊に損害を与えたとか、社会的信用を失わせたとか、そういうものならわかりますが、誰に迷惑をかけるものでもなくひっそりと小遣い稼ぎをしていただけのことです。これが免職すべき理由に当たるとするのなら、自衛隊及びそれを取り巻く社会の価値観が知れますね。

 もしかしたらミスコン辺りと、似たような基準価値観が共有されているのかも知れません。一口にミスコンと言っても多々ありますが、風俗店でアルバイトでもしようものなら「ふさわしくない行為」として資格を剥奪されてしまう、そういうものが多いと思います。自衛隊と一緒ですよね。ミスコンも自衛隊も、女性に対して要求するものは大差ないとしたらどうでしょう?

 グラビア写真集を出版したら退学処分にされたとか、ゲイビデオに出演したら出場停止処分にされたとか色々あるわけですが、今回の件も似たようなものでしょう。性的なものに対する社会的な忌避感が何かと強まっている気がします。エロが絡めば首が飛ぶのは当たり前、そういう世の中になりつつあるようです。どう見ても不当解雇に見える事例ですら、懲戒ではなく自首退職で済ませたことの方が問題視される有様ですから。それだけ「風俗店でアルバイト」したことの「罪」は重いものとして扱われているのでしょう。学生がAVに出演したと聞いたある学長は「良識を欠いたあってはならない行為だ」と語ったそうですが、自衛隊内部でもそういう判断が下された、それが社会的にも受け入れられているということなのです。

 とりわけ昨今では、性表現に対する規制が「手ぬるい!」と憤っている人も多々いるわけですが、問題はもっと別のところにあるような気がします。私に言わせりゃグラビアのモデルだってゲイビデオの男優だって風俗嬢だって、どれも立派な仕事です。待遇とか諸々の点で問題はあるかも知れませんが、少なくともそうした職業に従事していることで、社会的な非難を浴びる謂われなどないはずです。仕事に誇りを持って良い、胸を張って表に出て良い、そう思います。ところがそうした「性」に関わりを持つことが「罪」として扱われているのが現状です。性産業と関わりを持てば、学校なり職場なり、いずれにせよ居場所を奪われる、そうした「剥奪」が正当な処分として認められているのが現状なのです。性産業に一定の需要がありながら、同時にその業界の従事者に対して蔑みの眼差しが向けられる、そんな捻れた状況こそが我々の社会の抑圧を構成しているような気がしますね。

 

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誤報である以前に、捏造なんだと思う

2009-08-26 22:53:59 | ニュース

「バンキシャ!」誤報検証番組 前社長ら幹部が謝罪(朝日新聞)

 日本テレビの報道番組「真相報道バンキシャ!」が虚偽の証言をもとに岐阜県に裏金があると誤って報じた問題で、日テレは23日の「バンキシャ!」内で、誤報を検証した結果の要旨を放送した。久保伸太郎・前社長や足立久男・前報道局長ら当時の幹部が誤報を謝罪。すでに行った訂正放送が不適切だったことも認めた。

 番組後半に「検証特集 誤報はなぜ起きたか」として約30分放送した。放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会の勧告に触れつつ、誤報の原因と再発防止策を説明した。

 冒頭で久保前社長が陳謝し、「上司と部下の間の報告・連絡・相談、上司による判断と指示、担当者同士の情報や意見交換などについて、いずれも基本中の基本をおろそかにしていた」と総括した。

 誤報の原因としては(1)インターネットで情報提供者を募った(2)情報提供者の要求に従い裏付け取材を放棄した(3)放送日ありきで取材にあたった(4)取材結果に対する現場の不安がプロデューサーに伝わらなかった、などを挙げた。

 誤報は昨年11月に放送された。岐阜県の土木事務所が架空工事を発注して裏金をつくっているという元土木建設会社役員の話を匿名で紹介したが、これはすべて元役員の作り話だった。放送倫理上の重大な問題があったとしてBPOの同委員会が検証番組づくりを勧告していた。

 経緯は最終段落にある通りで、得意気に「役所の裏金」を報じたものの、実は全くの出任せでした――という話です。まぁ、この「検証番組」自体が十分なものなのかどうかは疑わしいところ、本当に再発を防止できるのでしょうか。誤報の原因は何点か挙げられているようですが、それが生きるかどうかは今後を待たねばなりません。

 視聴者側の欲望と、それに媚びを売った報道機関サイドの姿勢にも問題があると思います。この辺は水商売の客とホスト/ホステスの関係みたいなもので、耳に痛い直言よりも、客の「聞きたい言葉」の方がどうしても中心になってしまうのではないでしょうか。視聴者側が「そうあって欲しい」と思うものを提供するのが報道機関側の「お客様重視」の一環である可能性も考えてみる必要がありそうです。視聴者の望みに合わせて、色々と飾り立てて語るのが大手メディアの常ですから。キャバクラやホストクラブならば、そういう関係でも一向にかまわないわけですが(あくまで「遊び」と心得ている限りは)、自称とは言え報道番組がそれでは不味い……

 諸々の選挙結果からもわかるように、公務員(役所)叩きの集客効果は非常に高いです。公務員(自治体職員、官僚等々)とは、最も需要の高い「悪役」なのであり、それに対するバッシングは何よりも国民の共感が得られる娯楽なのです。誰もが役所/公務員の不正や怠惰を心待ちにしており、今か今かと彼らを罵倒するタイミングを見計らっている、そうした視聴者の期待に応えるべく、なんとかネタを捜してきた結果がこの自称報道番組の誤報だったのではないでしょうか。

 極右層による中国人や韓国人などに対する非難がそうであるように、そして局所的な話題をさらったエロゲー規制論議がそうであるように、「気に入らないもの」を非難するとき、しばしば実態は無視されます。まず初めに、結論があるわけです。誰も真偽など気にしません。誰も検証なんてしません。あいつらはダメな奴ら、有害なものに違いない、そうした確信が先にあり、その確信(思いつき)を補強するために嘘が上塗りされていく、そうやって偏見や差別心が作られていくのです。一連の公務員叩きもまた同様ではないでしょうか。公務員(役所)とは不正にまみれた、無駄だらけの連中に違いない、そんな「信念」があり、その信念を裏打ちしてくれるものを探し求めていたとしたら……

 インターネットで証言者を募り、その証言の裏付け取材はしない――これでは何でも報道できてしまいます。裏付けを必要とせず、自主的に名乗り出た証言者の言葉をそのまま垂れ流しにするだけなら、いくらでも好きな報道が「創れる」ではありませんか。ネット上のヘイトスピーチでもコピペでも、証言者さえ名乗り出れば十分というのなら、いくらでも世界が書き換えられてしまいます。こうした中で公務員叩きの材料を探した結果が「誤報」に繋がったとするのなら、検証番組で挙げられたほかにも反省すべき点は山とあるのではないでしょうか。たとえば「放送日ありきで取材にあたった」というより「結論ありきで取材に当たった」点の方が重要ですよね?

 

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ネガティヴな基準

2009-08-25 22:46:27 | ニュース

ずるい企業罰する政党を=面接合間にマニフェスト比較-非正規雇用者ら【09衆院選】(時事通信)

 衆院選の最大の争点の一つ、雇用問題。各党は求職者支援などを強調、「雇用安定」をうたうが、非正規雇用者は厳しい目で各党のマニフェスト(政権公約)を見詰め、訴えに耳を傾けている。

 「これで内定取り消しになることはありませんから、安心してください」。神奈川県の無職男性(23)は、入社式の社長の言葉が忘れられない。卒業した専門学校の推薦で、4月に県内のソフトウエア開発会社に入社した。しかし社長の言葉の2週間後、突然解雇を言い渡された。「やっと親孝行できると思ったのに」。悔しさのあまり、何も言い返せなかった。

 今は週2、3回ハローワークに。正社員募集の求人票を見ても、面接に行く交通費が工面できずあきらめることもある。

 やっと面接にこぎつけても、採用する気がないのに求人票を出す「カラ求人」だったり、「正社員募集」としているのに「契約社員のみ募集」と告げられることも。巧妙に労働者を使い捨てにしようとする企業に何度となく失望してきた。

 まぁなんですか、そういう時代であり、そういう社会なんですよね。特にハローワークなんて詐欺の仲介役みたいなものですから。立場の弱い人が職を求めたところで、食い物にされるのが関の山です。……で、ここまでは日本の求職現場の実態を伝えているわけですが、この次に来る最後の段落もまた、ある意味では日本の「今」を象徴しているような気がしました。

 投票には行く予定だが、まだどの党に投票するか決めていない。「弱者につけ込むずるい企業を厳しく罰してくれるような政党を選びたい」と、面接の合間を縫って各党のマニフェストを比較している。

 一昨日「利益をもたらさない」ことが重要になると書きました。主として金銭的な利益を地域や業界に誘導することで支持を集める「互恵型(利権型)」から、「悪い奴(抵抗勢力、官僚、労組等々)をやっつける」と叫ぶことで喝采を集める「勧善懲悪型」に政治家の主流がシフトしつつあるわけですが、それはもちろん、国民に選ばれた結果なのです。そしてこの一人の有権者に曰く「弱者につけ込むずるい企業を厳しく罰してくれるような政党を選びたい」と。

 企業側の違法行為は止まるところを知らないだけに、そこは目こぼしすることなく毅然と法律を適用していく必要はあると思いますが、それが目的となってしまうとどうでしょうか? 「ずるい企業」を罰しさえすれば、問題は解決するのでしょうか? 手段が目的化することは珍しいことではありません。たとえば政治ブログの世界では「政治を良くする」というのが当初の目的で、その手段として「自民党政権打倒」というのがあったはずが、いつのまにか「自民党政権打倒」が目的になり、終いには「民主党の勝利」が目的となったりもします。その過程で「政治を良くする」ことは二の次になり、やがて「四の五の言わず、まずは民主党を勝たせよう」となったりもするわけです。そこで企業と労働者の関係はどうでしょう?

 企業への懲罰よりも何よりも重要なことは、労働者側の権利回復です。ともするとそれは対になっているように思われるかもしれませんが、片方を削れば片方に利益が流れる、本当にそんなトレードオフの関係なのでしょうか。企業を罰しても、それが労働者の復権に繋がるとは限りませんし、労働者側の権利を保障したからといって企業が滅ぶわけでもないはずです。ゆえに「ずるい企業を厳しく罰してくれるような政党」が「労働者の生きる権利を適切に保障してくれるか政党」なのかどうか、そこは近いようでいて、実は別問題でもあるような気がします。

 実際、小泉政権ほど日本社会の諸々を「罰した」政権はなかったはずです。その小泉政権は「罰してくれること」を望んでいた国民から熱烈に歓迎され、史上に燦然と輝く高い支持率を得るに至ったわけですが、その結果はと言えばごらんの有様です。有権者の望んだ色々なものを「罰した」小泉政権ですが、傷跡を残しこそすれ、利益は何一つとしてもたらさなかったわけです。確かに小泉が敵に見立てた諸々(抵抗勢力/既得権益)を罰していく過程で人々は精神的な満足感を得たかもしれませんが、結局は巡り巡って自分の首を絞める結果になったのです。

 まぁ財界というのは米軍と並んで聖域の1つで、今月限りの与党である自民党は元より、野党は今月までであろう民主党もまた、批判の対象とはできない世界です(だから官僚叩きで矛先を逸らすしかない)。そうした財界(企業)側を「罰する」政党が頭角を現すとなれば、それはそれで画期的なことになるのかもしれません。とはいえ、だれか他人を罰すれば自分の得になるとは限らないわけです。「罰」を基準に選んだところで、復讐心は満たされても懐は満たされないでしょう。多少なりとも建設的に物事を考えるのなら、「罰してくれるような政党」ではなく、自分にこそ「利益をもたらしてくれる政党」を選ばなければならないのです。

 

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変わる必要はあると思うけれど

2009-08-24 22:58:31 | ニュース

【2009衆院選】「連呼」「涙の訴え」嫌われてます(産経新聞)

 候補者名の連呼、涙の訴え、「本人」というタスキ…。選挙が始まると当たり前の光景だが、こんな活動を「シラケル」と感じている有権者は多いようだ。なぜ嫌われるのだろうか。

 TOKYO FMは30日の投開票日まで、若者を対象とした選挙特番を放送している。これに先立ち、「新聞とは違った切り口から、選挙に対する若者の本音を探ろう」とリスナー1151人に、「思わずシラケル選挙戦」についてアンケートを行った。

 ランキング上位3つには、候補者名を連呼する選挙カー(55・5%)、電話での投票依頼(53・9%)、候補者の「涙の訴え」(45・7%)が並んだ。

 「子供が昼寝しているときに大音量で通る」「学校の授業中に大音量で通りホントにムカついた」「住宅地での街宣は暴走族よりタチが悪い」など、騒音を不快に感じる人は多いようだ。しかし、ある陣営は「マイクの音が一瞬しか聞こえない通行人の記憶に残すには、政策よりも名前を連呼した方が有効なのが実情なので、嫌われてもやめられない」と明かす。

 「電話」については「急に仲良くもない知り合いから票入れの電話がかかってくる」ことが迷惑だそうだ。「涙の訴え」も「涙も大声も日本をよくしたいという本気が見えれば感動するけど、見えなければシラケルだけ」などと手厳しい。

 公示前は氏名入りのタスキの使用が公選法に抵触するおそれがあるため、今年、新人を中心に「本人」と書かれたタスキが流行したが、295人(25・6%)が不快に感じ、8位にランクイン。意外に嫌われていることが分かった。ある陣営は「『私が候補です』みたいにしても、なんか嫌らしいというか、『上から目線』の印象を与えてしまいそうなので使わなかった」と話す。

 このほか「『庶民感覚』『ママさんパワー』『若さで勝負』など、貧乏、女性、若さをウリにした態度」「普段は運転手付きの高級車のくせに選挙の時だけ自転車」「駅前での『行ってらっしゃいコール』」などに対して「NG」とする声があがった。

 ちょっと引用が長くなってしまいましたが、こんな意見があるそうです。まぁ、色々ありますからね。

候補者にバケツの水掛ける=「うるさい」、容疑で男逮捕-警視庁(時事通信)

選挙運動員につば吐き逮捕=「ビラが邪魔」、公選法違反容疑-警視庁(時事通信)

選挙運動中、男がマイク奪い「うるさい!」(読売新聞)

 ……こう言うニュースを眺めていると、さもそれが多数派の意見であるかのように見えてしまうわけですが、実際はどうなのでしょうか。産経新聞報道によれば、ある陣営は「マイクの音が一瞬しか聞こえない通行人の記憶に残すには、政策よりも名前を連呼した方が有効なのが実情なので、嫌われてもやめられない」と明かしたそうです。反感を買っている負の側面ばかりが注目されてはいるものの、実はそうしたマイナス面よりもプラス面の方が多いからこそ、こうした選挙運動が続けられていると考えた方が辻褄は合いそうです。

 結局のところ、名前を連呼することで一部の反感を買うかもしれない、朝から街宣車ならぬ選挙カーで走り回ることで「うるさい」と言われるかもしれない、しかしトータルで見ればプラス部分の方が多いのでしょう。伝統的な選挙運動によって有権者100人の反感を買ったとしても、同時に200人の支持者を集めたとすれば、そのやり方は有効だったということです。政策の実現もさることながら、何よりも当選することを第一に考えて行動した結果が今の選挙運動なのです。なにも考えずに昔ながらの手法を踏襲しているだけなのでしょうか、それとも制度上、許される中で最も有効な方法を模索した結果なのでしょうか? 他にもっと良い方法があるのなら、どの候補もそっちを試しますよね。にもかかわらず、名前の連呼に代表される従来型の選挙運動が主であるのは、一部に反感を抱く人がいるにしても、有権者全体を眺め回してみれば、その方法が最も効果的だからと考えた方が良さそうです。

 政治評論家の拓殖大・丹羽文生助教は「選挙は戦後、全員参加型のお祭りとして発展してきた。選挙カーはみこしで騒音はおはやし。昔は選挙に関心のない人でも選挙カーが通ったら、手を振ったり握手したりした」と語り、「こうしたアンケートが行われること自体が、有権者の政治離れの深刻さを示している。公職選挙法を厳しくして活動を地味にさせるなど、スタイルを見直すときだ」と指摘している。

 拓殖大、と聞くだけでちょっと笑いがこみ上げてくるのですが、拓殖大の先生によると「有権者の政治離れの深刻さを示している」そうです。お祭りに参加しないことが政治離れなんでしょうか、従来型の選挙手法が今なお採用されている=選挙戦の専門家から有効と見なされているだけに、お祭り型の選挙は今なお健在のようにも思われますが、仮にそうしたスタイルから距離を置く人が増えたのであれば、それは「お祭り型」からの卒業、流行ではなく政策を問う選挙への移行を示す兆候とも解釈できそうです。政治参加とお祭りへの参加、政治離れとお祭りへの距離感は、似ているようでいて異なる部分も多いですから。

 で、拓殖大の先生は「公職選挙法を厳しくして活動を地味にさせるなど」と語りますが、この辺もどうなのでしょう? 公職選挙法の規制が厳しいが故に、今の選挙運動のスタイルがあるとしたら、むしろ逆効果になりそうです。そうではなく反対に制度を緩めることでこそ、各陣営が今までとは違った新しい選挙運動を模索できるようになると思いますね。逆にこれ以上制度を厳しくしたら、なおさらワンパターンの行動しか出てこなくなってしまうでしょう。なんだかんだ言いつつも、今のやり方でそれなりの成果が上がっているのですから。

 

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「利益をもたらさない」ことが重要になる

2009-08-23 22:08:41 | ニュース

怠けている連中に税金払う気なし 厚労相、『派遣村』で言及(東京新聞)

 舛添要一厚生労働相は十八日午後、横浜市内の街頭演説で、昨年末から今年一月にかけて東京・日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」に関し、「(当時)四千人分の求人票を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を、働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と述べた。

 これに対し、派遣村実行委員だった関根秀一郎・派遣ユニオン書記長は本紙の取材に「求人として紹介されたのは確かだが、誰も応募しなかったというのは全くのでたらめ。たくさんの人が応募したが、断られたのがほとんどだ。舛添氏の発言は現場の実態が全く分かっておらず、あきれてものが言えない」と批判した。

 舛添は参議院なので、当面は安泰なんですよね。まぁ衆議院であっても舛添なら当選してしまう可能性が高いわけですが。で、その発言の内容は「全くのでたらめ」と評されています。状況から考えればきっと、そうなのでしょう。役所では「働く能力がある」として社会保障の給付を拒んで就職を勧める、一方で雇用者側は「(ウチで)働く能力がない」と見なして採用しない、日本ではよくあることですし。「働く能力」の判定が二重基準になっているんですよね、日本はダブルスタンダードの国ですから。

 舛添は「四千人分の求人票」と自己申告していますが(真偽はさておき)、その内容はどうだったのでしょうか? 介護や農林業など、いわゆる「成長産業」ばっかりで、製造業派遣よりも手取りが少なくなるような求人であったのなら、ありがた迷惑どころでは済みません。職を失っている弱みにつけ込んで、普段なら低賃金で人の集まらない仕事を押しつけようとしているとしたら、それこそ非難される行為です。あるいは、待遇はいいけれど条件が厳しく、実質的な意味をなさない求人だったりとか。いずれにせよ、自分が問題解決に役立てなかったことを舛添は自覚するべきですね。

 ……で、自民党政権はもうダメだと言われます。私もそう思いますが、一口に「自民党」と言っても色々な面があるわけです。そうした「自民党」のどういう面を否定しようとしているか、そこもまた問われねばならないところでしょう。とりわけ小泉以前の「古い自民党」と、小泉以降の「新しい自民党」の間には顕著な違いがあります。支持層だって随分と入れ替わりました。そうした自民党の変化を考慮せずに、ただ漠然と「自民党」を野党に追いやるだけでは、遠からず道を見失ってしまうことでしょう。

 まず「古い自民党」とは「互恵関係」を基盤としていたように思います。政官財(+米軍)が肩を組んで、それぞれに連なる業界や選挙区に利益を引っ張ってくる、そして業界や地域の有権者が自分たちの代表を支持する、持ちつ持たれつの関係が基本線にあったはずです。これが「新しい自民党」となると、財界や米軍との関係は維持される一方で「官(+業界団体)」や地方(とりわけ農村部)との互恵関係が一方的に破棄され、新たな方向性が模索されるようになりました。そして従来の行政と官僚のタッグは解消され、政治(官邸)主導でカイカクが進められたわけですが…… (故に鳩山が盛んに訴える脱官僚/政治主導とは古い自民党への批判であって、新しい自民党への批判ではないのです)

 地方の中高年層から都市部の若年層へと支持基盤を移した「新しい自民党」の基調は互恵関係ではなく「勧善懲悪」でした。有権者や業界に対して利益をちらつかせて支持を訴える代わりに、「悪い奴」を指さして「あいつらをやっつけてやる」と勇ましく約束することで、支持を集めるようになったのです。その「悪い奴」とは官僚/公務員だったり、従来の互恵関係型の自民党議員だったり、あるいは各種の労働組合や周辺の仮想敵国だったりしたわけですが、ともあれ利益ではなく「罰」によって国民に訴えかけるようになったのが、最大の転換点だったのではないでしょうか。

 そしてこの舛添は、典型的な「新しい自民党」タイプだと思います。もし互恵関係を重視する政治家であったのなら、逆のことを訴えなければならないはずですから。つまり、いかに自分たちが国民の役に立ったか、国民に利益をもたらしたか、弱者を助けたかを語る必要があるわけです。しかし勧善懲悪をその哲学とする政党/政治家であるならば、いかに「罰したか」を語らねばなりません。つまり「怠けている連中」という悪者に対して「利益をもたらさないこと」がアピールポイントとなるわけです。だから「払う気はない」と。

 それでも舛添は声望のある政治家です。こういうタイプが好まれる時代なのでしょう。「利益をもたらす」ことではなく、「利益をもたらさない」ことを約束する、そんな政治家を国民が望んでいるのでしょう。似たようなタイプは今後も、増え続けることになりそうです。

 

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いい加減なことを言うと信頼を損ねるばかりか……

2009-08-22 22:02:38 | ニュース

日本の女性婚姻「18歳からに」…国連委が勧告(読売新聞)

 国連の女性差別撤廃委員会は20日までに、日本における女性差別是正に向けた「最終意見」を公表し、女子の婚姻可能年齢を現行の16歳から男子と同じ18歳とすることや、女性が離婚後6か月経ないと再婚できないと規定した民法733条を改正することを勧告した。

 日本政府は勧告に沿った対応が必要となる。

 同委は、日本が1985年に批准した女性差別撤廃条約に基づいて、日本政府が提出した報告書を審査した。最終意見では「条約が国内法に十分に適用される措置」を求め、レイプや性的暴力を含むゲームやマンガの禁止も要求した。いわゆる従軍慰安婦問題についても補償を含めた早急な解決を促した。

 だいたいどこの新聞社でも取り上げられているようですが、とりあえずアクセスランキングで上の方にあった読売新聞を引用します。まぁ美しい国における男女の取り扱いの差は顕著ですから、こういう勧告を受けるのも当たり前の話です。そこで勧告を受ければ受けるほど、依怙地になって頑なに「日本流」を貫こうとするのがいつものことでもありますね。まぁ北朝鮮外交と同じです、真っ正面から意見を突きつけたところで相手が素直に頷くはずもない、日本を相手にするときは色々と搦め手が必要でしょう。

 ……で、大筋では「いつもの」妥当な内容ですが、ちょっと異質なものも混じっていますね。その辺が全体の信用をも損ねているような印象を受けます。昨今の流行もあるのでしょうか。読売報道ですと「レイプや性的暴力を含むゲームやマンガの禁止も要求」ということなのですが、他の問題に比べると社会的な影響力が格段に低い部分に噛みついている印象を拭えません。もっとも、恐怖を煽る輩にしてみれば実際の問題の規模や程度など関係ない、人々の感情に訴えかけることさえできれば十分なのかもしれませんけれど。

 そもそも、該当部分に関しては「よくわからないまま」記事が垂れ流されているようにも見えます。他の項目に関してはどの新聞社も似たような表現、用語なのですが、該当部分に関しては報道機関ごとに言葉遣いがバラバラです。たとえば朝日の場合は「レイプや性暴力を扱ったビデオゲームや漫画の販売禁止」、毎日の場合は「女性へのレイプや暴力を含むビデオ、ゲーム機の禁止」です。特に毎日は完全に別のモノを指していますよね、「ビデオ」と「ゲーム機」の禁止を要求しているということになっていますが、これは違うでしょう。う~ん、やっぱり意味を解さないまま適当に報じているとしか思えません。

 何しろこの辺には、つい最近の前例があるわけです。ある成年向けパソコンゲーム(通称エロゲー)を槍玉に挙げて「こんなタチの悪い性暴力ゲームが氾濫しているんだぞ!」とちょっとしたキャンペーンが張られていたのは記憶に新しいところですが、そうした「性暴力ゲーム規制論」の中身はと言えば、性的なものへの忌避感と未知なるものへの恐怖と憎悪に充ち満ちている一方で、批判の対象になったゲームや購買層に関しては何の検証もされないまま、適当なことが語られるばかりでしたから。

 ゲーム内容の紹介も白髪三千丈なら、問題のゲームが購買層から歓迎されたのか、それとも売れ行き不振でメーカーが軌道修正を余儀なくされるに至ったのか、過去ではなく今の時点で市場に流通しているのはどういうゲームなのか、どういうジャンルのゲームのファンにどういう傾向が見られるのか、そもそも成年向けパソコンゲームの市場規模がどれだけ小さいのか、そしてこの手のゲームによる影響が実際にはどの程度あり得るのか、そうしたものの全ては不問に付されていました。繰り返されたのはただただ脳内設定ばかり、規制論者の大半は「どうせこういうものだろう」という自身の思い込みに基づいて「性暴力ゲーム」を批判していましたが、それはネトウヨの脳内韓国人批判と同レベルの空疎なものに過ぎなかったわけです。

 ただ、偏見も検証されなければ「常識」として罷り通ってしまうことがしばしばあるものです。脳内韓国人批判辺りは、ちょっと冷静な人ならすぐにその異常さに気づけそうなものですが、脳内エロゲー批判の場合は何かとやっかいでした。なにしろ、ニッチな業界ですから。規制論者はさも影響力があるかのごとく語る一方で、それを実際に嗜む人となるとごく一部に限られる世界なのです。だから、誰もエロゲーの実態を知らない。エロゲーについて何かが語られていても、その真偽を検証できるだけの知識を持つ人など滅多にいないわけです。そこで誰かが大真面目に「こんな酷いゲームが蔓延しているんです!」と語り出したらどうなるでしょうか? 誰もその「嘘」に気づかないまま偏見で彩られたイメージが流布してしまいました。その結果が巡り巡って今回の国連勧告にも繋がっているのでしょうけれど、ちょっと薄ら寒いものを感じますね。

 ちなみに、「レイプや性的暴力を含むゲームやマンガ」の部分を報道したのは引用した読売と朝日、毎日です。産経と時事、共同は国連勧告の扱いが非常に小さいせいか、この部分については触れていません(時事と共同の記事が短いのはいつものことですが、産経は……)。そして我らがしんぶん赤旗もまた、勧告自体はある程度子細に報じている一方で、ゲームやマンガ云々には触れていなかったりします。この辺の扱いに不満げなニュアンスを漂わせている人もいるみたいなのですが、贔屓目に見れば赤旗なりの「責任ある報道姿勢」なのかもしれません。大手新聞社が実態をよくわからないまま、検証もしないままにゲームやマンガに言及する一方で、赤旗は「自分ではよくわからないこと」について語るのを避けたのでしょう。それは差別と偏見を広めないという上では大切なことです。思いっきり贔屓目ですが。

 

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極左党公約

2009-08-21 23:27:54 | 文芸欄

公約11

・不当景品類及び不当表示防止法を
求人広告にも適用します

 

・老人党と同じバーチャル政党なので立候補はしません
・極左党代表代行:管理人(かん・まさと)と民主党代表代行の菅直人は無関係です
・自称中道と違って堂々と左に立つので暫定的に極左党ですが、
 他に良さそうなネーミングがあったら別の名前にしようと思います

 

 ←清くなくてもとりあえず1票を!

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