非国民通信

ノーモア・コイズミ

反省があるとは思えない

2015-04-29 11:24:45 | 社会

外国人技能実習で不正、241団体…4年連続増(読売新聞)

 外国人技能実習生に対する賃金不払いなどの不正行為を行った受け入れ団体・機関が、2014年は計241団体に上り、前年から11団体増えたことが法務省の調査で分かった。

 外国人技能実習制度が現在の形となった10年以降、4年連続で増加している。

 不正行為の総件数は350件(前年比16件減)だった。最も多かったのは、賃金不払いの142件で、講習期間中に業務に従事させる行為が74件、実習計画と異なる作業を行わせる行為32件などと続いた。

 特に悪質な人権侵害行為としては、パスポートや在留カードを取り上げていた事例、妊娠した実習生を本人の意思に反して即日帰国させようとした事例、実習生の銀行口座を無断で開設し、通帳やキャッシュカードを管理して自由に賃金を引き出せないようにしていた事例などがあった。

 

 これが選挙の争点になることはないわけですが、外国人技能実習/研修制度は日本の暗部として、もう少し追求の対象になっても良さそうな気がします。自民党政権から民主党政権に変わっても、安倍内閣が誕生して経済政策が90°くらい変わっても、この恥ずべき人身売買制度が変わることはありませんでした。しかし、こうしたやり口が当たり前のように罷り通るようでは、とうてい自国を誇らしく思えることなどできませんよね。

 それなりに人権意識が高い風を装っている政党でも、弱者の味方と称している中の「弱者」には「弱い企業」が含まれているのでしょうか。往々にして最悪の雇用主は中小/零細企業に多くて、外国人を技能実習の名目で売買し、人権侵害を繰り返しているような輩もその例外ではないわけですが、「大資本にいじめられる弱い企業の味方」でもある小政党は、この制度に対して厳しい態度を取れなくなっているところもあるように見えます。「弱い企業」にも厳しい態度を取れないと、人権は守れないと思うのですけれど。

 ただ日本側だけではなく、「実習生」を送り出す側の国の人権意識も問われます。受け入れ側(つまり日本)の悪質さもさることながら、こうした実情を知った上で同胞を日本に売りつける「親日派」のブローカーもまたいるわけです。その辺、送り出す側の国ではどう考えられているのでしょうね。まぁ、日本に来てしまう人が後を絶たないからには、「よく知られていない」のが実態なのかも知れません。

 率直に言えば、こうした外国人の扱いを見るに日本が「反省していない」と周辺国から非難されるのは当然だなと、そう思うところです。日本が「今」やっていることだって、将来的には謝罪なり賠償なりを求められてもおかしくない非道な行為です。外国人を騙して日本に連れてきて、それで半強制的な労働に――日本人相手には許されない低賃金で――従事させるのですから、これが罪でないはずがありません。中国なりベトナムなりが、もう少し自国民を大切にするようになったら、日本における同胞の境遇を問題視してくることもあるでしょう。その時になって問題を「なかったこと」にしようとしても、それは通用しません。

 

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分の悪い賭はしないのが賢明

2015-04-26 23:53:53 | 雇用・経済

日本の高校生は安定志向「起業したい」6% 4カ国調査 (日本経済新聞)

 財団法人「日本青少年研究所」(東京)が日米中韓4カ国の高校生を対象に行った調査で、将来の仕事で「起業したい」と考える日本の高校生は4カ国中最低の6%にとどまったことが26日、わかった。日本は公務員希望が最多で、同財団は「リスクを避ける安定志向が目立つ。地に足がついているともいえるが、上昇志向は薄い」と分析している。

 調査は昨年9~11月、4カ国の高校生計6647人を対象に実施した。うち普通科の生徒は5310人だった。

 普通科の生徒に将来就きたい職業を複数回答で尋ねたところ、日本では公務員が20%で最も多く、教員が18%、建築家や服飾デザイナーなどが13%、一般事務職が10%と続いた。

 「起業」と回答した生徒の割合は中国が31%で最も高く、米国は19%、韓国は12%だった。「会社経営や管理職」も日本は4カ国中最低の11%。中韓はともに27%、米国は12%だった。

(中略)

 学校の授業などで職業観などを学ぶ「キャリア教育」は日本の高校生の52%が受けたことがあると答えた。韓国は59%、米国は47%、中国は19%だった。うち「進路選択の参考になった」と答えたのは日米が82%、韓国71%、中国68%だった。

 

 果たして我々の社会では、何歳くらいまで夢を見ることが許されるのでしょうね。小学生が「○○になりたい」と語る分には、それを悪く言う人は誰もいないわけです。では、中学生ならどうなのか、高校生ならどうなのか、20歳を過ぎた人間ならどうなのでしょう。中学生ぐらいの子供が「ミュージシャンになりたい」と語ったなら、まだまだ周囲の目は温かいかも知れません。しかし20代も半ばで同様に夢を語れば、そのときは冷ややかな目を向けられることも多くなるものです。子供がプロ野球選手になりたいと言えば周りの大人は応援してくれても、30を過ぎた野球ファンが「プロ野球選手になりたいんだ」と力説すれば、それは白眼視を招くだけのことです。

 とかく日本では賛美されることの多い起業ですが、メディアにおける「もっと日本人は起業すべきだ」との声とは裏腹に、実際に起業した人を待ち受けているのは厳しい現実です。まぁ、それを理解している若者が多いからこそ、上記に引用したような結果が出ているのではないかという気がしないでもありません。上昇志向が薄いのではなく、現実を分かっているだけのことです。まさに発展の過程にある国や好景気に沸く国では新たに誕生した小企業にもビジネスのチャンスはありますが、世界の経済発展から取り残された日本では何の基盤も持たない新規が市場に入り込むのは至って困難ですし。

 なお「キャリア教育」は日本の高校生の52%が受けたことがあるそうで、うち「進路選択の参考になった」と答えたのは日米が82%、韓国71%、中国68%と、この項目に関しては日本の高校生は高いパーセンテージを記録しています。日本の高校生は、他の国の子供よりも「キャリア教育」を参考にしていると言えるでしょうか。その結果として、起業したいと考える高校生は他の国より少なくなっているわけです。概ね、日本のキャリア教育は若者に変な夢を見せて踊らせるよりも、現実を理解させる方向で役に立っているのかも知れません。

 むしろ私には、起業に対する意識ではなく「借金」に対する意識こそ変わるべきものなのではないかと、そんな気がしますね。「未来にツケを残すな」「子供達に借金を残すな」みたいなのが日本の合い言葉と化していますけれど、時にはお金を借りてでも未来に投資しなければいけない場合もあるわけです。起業にしたところで勤め人の「貯金」が可能にしてくれるのは個人経営の飲食店に毛の生えたレベルが限界です。日本経済の起爆剤となり得るような成長の芽のある起業を望むなら、まずは借り入れることで資金を調達しなければなりません。しかし日本では借金が無条件に忌み嫌われる、そういう環境では起業も何もあったものではないだろうと思います。

 

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静かな場所で暮らす権利は認められていません

2015-04-23 23:07:13 | 社会

 さて沖縄と「本土」の政府との隔たりが目立つばかりの今日ですが、どうしたものでしょうね。反対の対象は様々ながら各種の反対運動はヨソの地域でも見られるところ、沖縄におけるそれは最も有名であり大規模でもあるだけに県外からの注目も大きいわけですけれど、沖縄県知事側に共感する人と反発する人の立ち位置は興味深いものがあります。何事にも程度があって、運動の中心が当事者であり、その周囲に理解者がいるくらいの範疇に収まっていれば、それは健全と判断されるでしょうか。逆に周囲の人間が当事者を煽り立てて反対運動に担ぎ上げるような場合――例えば原発への反対運動のように地域外の住民が実質的に主導するような――となると、それは当事者不在の、一部の政治的な思惑を持った人の暴走に見えてきますよね。

 一方で、当事者だけの孤独な戦いになっているケースもあると思うのです。当事者が中心となって周りに支援者が存在するのでもなければ、周りの人間が囃し立てて当事者を御輿に担ぎ上げるのでもなく、共感してくれる人など皆無の中で当事者だけが矢面に立たされている、そうした過酷な状況下での反対運動もまた見過ごされるべきではないでしょう。誰も理解を示さないだけで当事者だけが苦しめられているような事態に、どのような態度を取れるかどうか、そういうところで人の資質も知れるところですから。

 ここで私が思い浮かべているのは、保育園建設への反対運動のことです。沖縄の基地問題でも原発再稼働問題でも、反対する人に味方をする人もいれば反発する人もいるわけですが、保育園建設を巡っては反対する地元住民を誹謗中傷する声ばかりで、これに支持を表わす人は皆無と言えます。それもまた不健全な話だと私には思えるところなのですけれど、基地や原発再稼働への反対には共感する人でも、保育園建設に反対する人が生活権を侵害されていることを全く理解しようともしないどころか頭ごなしに全否定していたりする、そんな他人の痛みへの想像力が欠落した人ばかりなのは、何ともお寒い話です。

 

 上記のツィートを見かけたとき、私は「なるほどなぁ」と思いました。もっとも上のツィートは沖縄の基地問題に言及したものですが、しかし米軍基地に限らず保育園だって地域住民の平穏の妨げには変わりがありません。ただ当事者たる近隣住民の困窮に「部外者」が理解を示すかどうか、それだけの違いですね。周りが当事者以上に盛り上げを計るような反対運動もあれば、地域外では賛否両論の反対運動もある、そして当事者だけが反対していて、取り沙汰されている施設から離れたところに住む人々が負担の押しつけに何の罪の意識も覚えていない場合もある、と。

 先日は島根で母子・父子家庭を対象に月給15万円の介護職を紹介するなんて取り組みが伝えられていまして、これが朝日新聞的には「破格の条件」と言うことでした。朝日新聞に限らず、これを「十分な好待遇だろうが」と言い切る人もいたものですが、そうした人の立ち位置は例外なく「(一人親を)働かせる」ならば十分だろうと考えるものであり、自分自身がその条件で「働かされる」ことを想定していないわけです。自分自身が月給15万円で介護職に就かされた場合に、それを破格と感じるかどうかは全く考慮されていません。

 保育園の設置問題も然り、自分の住居から遠く離れた場所に保育園が建っても、その人の迷惑になることはありません。どこか遠いところで保育園の近隣に住む人が難儀していても、それは「我慢しろ」「お前が引っ越せ」という話にしかならない、当事者の目線が欠落していれば、そういうことにしかならないわけです。絶えることのない騒音に苛まれるのは、本当に近くに住んでいる人だけですから。しかし、沖縄の米軍基地よろしく「ヨソに」負担を押しつけることへの良心の呵責はないのでしょうか。何でも「子供」を盾にすれば許されがちなのが日本の文化というものですが……

 沖縄への負担の偏在によって米軍基地は支えられているように、一部地域の住民に忍従を強いることで保育園建設は進められていきます。まぁ保育園の新設は必要なのかも知れませんが、だからといって一部の人間に負担を押しつけていいのか私は疑問を感じるわけです。平穏な生活を侵害される近隣住民が反対運動を起こせば、世論は反対の声を上げる人々を袋叩きにしてきました。東京都では「騒音はダメ、でも保育園は例外」と条例を改める方向だそうで、それはもう近所に保育園が建てられれば住民は泣き寝入りするしかなくなってしまいます。これをファッショと言わずして、何をファッショと言うべきでしょうかね。

 結局、他人の痛みなんて誰も分かりません。一部の人に負担を押しつけることで「ヨソの」人間に好都合なら、そっちが選ばれるものです。子供達がどんなに泣き喚こうと、離れたところに住む人にとっては痛くも痒くもありません。保育園建設に反対する人なんて本当に近所に住む一部の住民だけ、そういう少数派はキチガイ扱いして建設をゴリ押ししてしまえと、そういう方向に世論が向かっているのは実に恐ろしいことですが、これが日本の人権意識というものなのでしょう。そして「子供のために」と掲げれば、生活権の侵害であろうと何であろうと、全ては許されるのです。

 前々から書いていることですが、「子供のため」が最優先で周りの人間が我慢するのを当たり前と考える風潮は、当然ながら子供と最も距離が近い人を苦しめているとも思うんですよね。つまりは、母親を。とにかく現代日本では「子供のため」が大正義で子供を最優先するのが当然、周りの大人の都合は蔑ろにされがちです。保育園建設に反対する大人なんて反社会的勢力以下の扱いですけれど、それ以上にちょっとでも母親が子供のためではなく自分自身のエゴを優先させようものなら非難囂々ですから。今の日本で子育てが大変なのは、たぶん子供を大切にしすぎているからじゃないでしょうかね。子供の近くにいる人は、本当に大変だと思います。

 

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裁判所の責務の放棄

2015-04-20 22:47:44 | 社会

 情報セキュリティの三要素として「機密性、完全性、可用性」なんてものがあるわけですが、皆様の勤務先ではいかがでしょうか。私の勤務先では可用性は徹底無視、機密性のみにフォーカスしたルールが定められています。そして、このルールを守ると業務上で必要なデータにアクセスすることが不可能なため、誰も守っていません。管理簿上、守ったことにしているだけで実際は裏運用で動いています。合理性を欠いた厳しすぎるルールを作ると守る人がいなくなり、逆にリスクが増えるわけですね。もう少し可用性(使いやすさ)に配慮がなされていれば、ルールは守られたと思うのですけれど、会社のルールを決める人は裸の王様ですから仕方がありません。

 

規制委員長「事実誤認多い」=高浜差し止め、地裁に反論(時事通信)

 原子力規制委員会の田中俊一委員長は15日の定例記者会見で、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を差し止めた福井地裁の仮処分決定について、「決定文には事実誤認がいっぱいある。私たちの取り組みが十分に理解されていない点があったと受け止めている」と述べた。

 田中委員長は、地裁決定が新規制基準を「合理性に欠け、緩やかに過ぎる」と指摘したことに対し、「東京電力福島第1原発事故の教訓を踏まえ、かなり厳しい規制を要求している」と反論。「絶対安全を求めると、結局は安全神話に陥るという立場で(規制を)やってきているが、その意味が理解されなかったのは極めて遺憾だ」と不満を口にした。

 また、安全に重要な設備の耐震性分類が低いとした決定の指摘には「給水設備がBとあるが、これはSクラス。非常用発電機なども要求しており、これもSクラスだ」と例を挙げ、「重要な所の事実誤認がざっと見ただけでもある」と批判した。

 

 先日は日本の裁判史上に残りそうなトンデモ判決がありました。まぁ、色々と考えさせられます。裁判員制度――有罪か無罪を決めるアメリカの陪審制度とは大きく異なり裁判員が「量刑を決める」仕組み――の導入に当たっては「市民感覚を」みたいな触れ込みもあったわけですが、では裁判官が市民感覚に疎いのかというと、そこに疑問を感じないでもありません。裁判官自身は専門家として何でも分かっているつもりでも、実は専門知識を有しているのは司法のことのみ、科学やリスク管理に関する知見は偏見に凝り固まった素人同様の、そんな市民感覚溢れる人も山のようにいるのではないでしょうか。

 

「発言を曲解」-決定文に発言引用の京大名誉教授が反論(産経新聞)

 関西電力高浜3、4号機の再稼働の差し止めを命じた14日の福井地裁の仮処分決定で、新聞記事の発言を引用された京都大の入倉孝次郎名誉教授(強震動地震学)が産経新聞の取材に応じ、「発言を曲解された」と話した。

 入倉氏は、国内で起きた地震の平均像をもとにした地震動の計算方法を考案した専門家。今回の仮処分をめぐり、入倉氏が法廷で証言したことはなく、意見書も提出していなかったが、住民側が証拠提出した記事をもとに発言が決定文に引用された。

 決定文では、入倉氏のインタビュー記事での「基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値のように思われるが、そうではない」「平均からずれた地震はいくらでもある」との発言を取り上げ、「基準地震動を平均像をもとに策定することに合理性は見いだせず、理論面で信頼性を失っている」と断じた。

 これに対し、入倉氏は取材に「決定は発言の一部しか引用しておらず、内容が曲解されている」と反論。「基準地震動は地震の平均像だけで計算しているわけではなく、原発が立地する地盤特有の影響や断層の動きの不確実性も考慮して策定される。明らかな事実誤認だ」と強調した。

 

 結局、高浜原発の再稼働を差し止めるべく理由を作るためには、こうした「切り貼り」が必要だったということなのでしょう。新聞でもテレビでも、報道側の思想信条に沿った結論を導くために普通に行われることではありますが、これを司法がやっては大いに問題があると言うほかありません。今回の地裁判決は司法への信頼を揺るがしかねないものであるように思われます。強制力のある判決を下す、その根拠がインタビューの切り貼りであり、入倉氏には証言すら求められなかったのですから、これは明らかな裁判所側の怠慢として糾弾されるべきものです。

 

高浜原発:「驚いている」…地元の高浜町で戸惑いの声も(毎日新聞)

 福井地裁が、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜市)の再稼働を差し止める仮処分を決定した14日、地元の高浜町では住民らが戸惑いを口にした。福井県内の首長も複雑な反応を見せた。

 高浜町商工会の田中康隆副会長は「原子力は国家事業で、共存共栄を図ってきた。原発が再稼働すれば町の経済が活性化すると思っていたので、決定に驚いている」と話した。

 

 なおメディアによっては差し止めを求めた原告団を安直に「住民側」と呼ぶところもあるわけですが、本物の「住民」は特定の新聞社が描き出す虚像とは裏腹に、必ずしも原発反対一辺倒ではないことが分かります。実際のところA新聞などが「住民」と呼んでいる人の中には、むしろヨソから遠征してきている人も多い、一部の住民を担ぎ出し、煽り立てて、あることないこと吹き込んでは原発に反対させているだけのような印象が拭えないでもありません。そういう人こそ、私は最もタチが悪いと思うのですけれど。

 

高浜再稼働差し止め、原告「最高の内容」 自治体反発も(朝日新聞)

 「喜んでくれていると思う」。申立人副代表を務める大阪府高槻市の水戸喜世子さん(79)は、記者会見で夫の遺影を掲げ、声を震わせた。芝浦工業大教授だった夫の巌さんは「脱原発」の草分けとして知られ、各地の訴訟で「原発事故は広い範囲に被害を与える」と証言してきた。

 水戸さんは福井地裁が昨年5月に関電大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを命じた裁判の原告でもある。樋口英明裁判長が判決で「原発の危険性の本質、その被害の大きさは福島の原発事故で十分に明らかになった。危険性の判断を避けることは裁判所の責務の放棄だ」と述べたことに胸を打たれ、中国語や韓国語などに翻訳してネットで発信した。

 しかし、関電は判決を不服としてすぐに控訴。再稼働に向けて手続きを進める姿勢が許せず、今回の仮処分の申立人になった。「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」。元京都大助手で物理学者でもある水戸さんは力を込める。

 

 朝日新聞ワールドでは、「住民」が原告であり判決に反発しているのは「自治体」ということになっているようですが、判決に納得していない福井市民は住民ではないということになってしまうのでしょうか。「非国民」ならぬ「非市民」と言ったところですかね。そして住民側代表として大阪府高槻市の水戸喜世子さん(79)の声が紹介されています。たぶんまぁ、大阪府民からすれば福井なんて自分の庭のようなものなのでしょう。大阪府民が福井の「住民」副代表を務めることは、ある種の人々にとっては何の不思議もないのだと思います。

 何でも京都大助手――京都大助教の小出某と同じで論文は書かなかったのでしょうか――で物理学者でもあるとのこと、曰く「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」だそうです。じゃぁ、この人は家にガスや電気は引いていないのでしょうか。車にも電車にも乗ったことはないのでしょうか。包丁など刃物には触ったこともないのでしょうか。まさか自動車は「100%安全だと保証」されていることにでも、この人の頭の中ではなっているのでしょうか。「100%安全だと保証」されていなければ動かしてはならないというのなら、正直なところ自分には動かせるものが見当たりません。

 2013年、ロシアでは隕石によって300人以上の子供を含む1500人程度の負傷者が出たそうです。「100%の安全」を求めるのならば、それこそ「天が落ちてくる恐れ」までをも心配しなければなりません。それは杞憂だと言いたいところですが、そうならないことは誰にも保証はできないわけです。仮に天が崩れ落ちるのは杞憂だとしても、例えば私の住む地域では非常に車が多く、交通事故も耐えない、人が目の前で車にはねられるのを目撃したこともありますし、大事には至りませんでしたが車にぶつけられたことや因縁を付けられたことも一度ならずあります。それでも自動車の運行が差し止められる気配はありません。福井地裁の論理に従えば、危険な車が往来を埋め尽くすことで私の人格権は絶えず侵害されていることになるはずですが……

 今回、司法は極めて「政治的な」判決を下しました。まぁ裁判官にも思想信条はあるものです。判決の根拠として持ち出したのがインタビューの切り貼りであって当人の証言を得ようともしなかったのは、まさしく「裁判所の責務の放棄だ」と言うほかありませんが、信念が何にも勝ることはあるのでしょう。しかし闇雲に危険を叫ぶだけでは「この人は何を言っても無駄だな」「実態を見ようともしていないな」と思われるだけです。そうなると、ルールが守られなくなる、規制が有名無実化してしまいます。絶対安全でなければならないと、程度の議論を無視して強弁されるのであれば、そこはもう「ハイハイ、絶対安全ですよ」と適当に調子を合わせるぐらいしか対応の仕方がありませんから。

 

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Es muss sein

2015-04-18 11:31:48 | 編集雑記・小ネタ

 先日の記事ではマクドナルドをネタにしました。実を言うと客としては案外、マクドナルドが好きだったりします。ハンバーガーはあまり美味しいと思わないのですが、サイドメニューはまぁ値段の割には悪くない気がしますし、何よりコーラがコカ・コーラなのがポイントが高いです。逆にダメなのはモスバーガーですね、コーラを頼むとペプシネックスが出てくる、それだけでもう食欲が失せます。

 ラーメン通として知られる阪神のメッセンジャー選手は「ヌードルは熱くないといけない」「冷やし中華ではだめだ。ホットで脂がなければ」との名言を残していますが、私は「ファストフードには薬臭いコカ・コーラでなければいけない、癖のないペプシではダメ」というのが信条ですね。過去にコカ・コーラはペプシより美味しいコーラと称して「ニュー・コーク」なる代物を販売して大いに売り上げを落としたことがあります。この製品はブラインドテストでは「ペプシより美味しい」という評価を得ていたようですけれど、消費者がコカ・コーラに求めていたのはペプシを味で上回ることではなかったのでしょう。

 日清のカップヌードルも今月下旬からリニューアルされて、通称「謎肉」ことダイスミンチが復活するそうです。6年ばかり前に、謎肉が消えて「コロチャー」という名の、チャーシューを模していることだけは理解できる代物が使われてきたものですが、昔からのカップヌードルファンには概ね不評であったように思います。ペプシより美味しいはずの「ニュー・コーク」がコカ・コーラのファンに受け入れられなかったのと同じでしょうか。ファンは昔ながらの薬臭いコカ・コーラや正体不明のダイスミンチを楽しんでいるのであり、美味しいか不味いかという範疇を超えた「それでなければダメ」というものがあることがわかります。

 ……で、最近は「ポテそば」が、ちょっとだけ流行っていますね。フライドポテトを載せた、かけソバです。元は大阪のそば屋のアイデアだったそうですが、俄に関東の立ち食いチェーン店まで真似を始めたこともあって、ちょっとしたニュースになっていることもあるわけです。概ね好意的に紹介している記事ばかりなのですけれど、実際はどうなのでしょう。立ち食いソバはサラリーマンのソウルフード、当然のようにポテそばも食べてきました。

 「ポテトが揚げたてなのが良くない」と思いました。最初にメニューに載せた店のフライドポテトが揚げたてであったせいか、追随する都内の店でも揚げたてのポテトをソバに載せてくれるのですが、立ち食いソバの天ぷらは、むしろ揚げたてではダメでしょう。立ち食いソバの天ぷらと言えば揚げ置きが基本、ショーケースの中で僅かに暖められていても、冷めて固くなっているのが由緒正しい立ち食いそば屋の揚げ物です。

 そんな冷めて固くなった天ぷらやコロッケを熱いつゆに浸すことで、暖める、かつ柔らかくして食べるのが立ち食いソバの作法というもの、揚げたての天ぷらなんて、それこそ邪道です。ソバにポテトという組み合わせは立ち食いソバ的には決して突飛ではありませんが、揚げたてではダメです。芋だけで食べるなら揚げたての方が美味しいのかも知れませんけれど、立ち食いのかけソバと合わせて食べるなら、揚げ置きで少し固くなっているぐらいの方が味の調和が取れるというもの、これからポテそばをメニューに加える店舗には、フライドポテトは必ず事前に揚げておくよう提言したいところです。

 

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マクドナルドがすきや

2015-04-15 22:32:23 | 雇用・経済

マック、失われた清潔感 なぜピカピカだった店舗がボロボロに?(ビジネスジャーナル)

 かつてのマクドナルドは営業が終了すると、清掃専用のキャスト(アルバイト)が店中をピカピカにして、徹底的に清掃を行っていた。客席やガラス窓、植栽など、あらゆるところまで手を抜くことなく清掃していたのである。厨房も同様。営業時間中は厨房のキャストが作業の合間にグリドル(ハンバーガーやバンズを焼く鉄板)をスクレーパーでこすっては焦げ付きを取り除いていたし、閉店後はマックシェイクの機械を分解して水洗いしていた。分解したまま乾燥させるので、朝イチのシェイクマシンの組み立ては、キャストが覚えるべき大切な仕事のひとつだった。

(中略)

 しかし、24時間営業となると、それまでのように徹底した清掃作業を行うことは不可能だ。厨房設備も休むことなく使用され続けるわけで、こちらもしっかりとした清掃やメンテナンスを行うことができなくなる。これまでのようなCleanliness意識を持つことが難しくなったのである。

 マクドナルドが24時間営業をスタートさせたのは06年5月。原田氏が社長に就任して2年目を迎えた時だ。06年の春、同社は「今後の成長戦略」としていくつかの施策を打ち出しているが、そのひとつに「既存事業のより経済的・効率的な事業展開」のために「24時間営業に向けた深夜営業の拡大」を掲げている。要するに、販売する時間帯を広げて売り上げを伸ばすことにしたのだ。

 

 先月は、今日に至るマクドナルド低迷の象徴であった原田泳幸氏がついに会長を退任したわけですが、多額の退職金に株主からは不満の声も聞かれたとか。この原田氏はベネッセの顧客情報流出問題でも広く知られるところ、まるで疫病神のような人物であるにも関わらず社長の座を託そうとする会社が存在しているのですから、ある意味で凄い人なのかも知れません。まぁ「会社の業績は落としても自分の評価は落とさない」日本的経営者の究極系と言ったところでしょうかね。

 マクドナルドと言えばメニュー表を撤廃したり(ほぼ100%の客から反発を買いましたが)、砂時計まで持ち出して60秒で提供云々と言い出したり(元から提供は早かったので客としては店員を無駄に追い込んでいる印象しかありませんでした)、色々と迷走も目立つわけです。そして、マクドの現在の失墜に至る一つの転換点として挙げられているのが、24時間営業化です。これがマクドナルドの哲学を変えてしまったと、些か感覚論的ではありますけれど、上記の引用元では指摘されています。

 端的に言えばマクドナルドは「すき家」と似ているように思います。両社共にデフレ真っ盛りの時代には、表向きは勢いがあるように見えたものです。どちらも24時間営業を押し進め、従業員の過酷な労働の上に安価なサービスを提供して顧客を開拓していったわけです。すき家もマクドナルドも、安倍政権に変わって景気が僅かに上向くや隠してきた綻びが次々と露わになっているところですが、二社ともダラダラと放置された景気低迷の中ではデフレ時代の勝ち組と賞賛されていた時期もあった、そのことは忘れられるべきではないでしょう。

 デフレ不況(あるいは日本の誤った経済政策)が産んだ負の遺産と言うほかない飲食チェーンは他にもありますけれど、マクドナルドには原田泳幸時代とは違った、もう少しクリーンな時代もあったはずです。自分のノスタルジーの中のマクドナルドは、もう少し牧歌的であったように思うのですが、それは思い出補正の故でしょうか。今のマクドナルドは、お金がない人のための店舗であり、そして職場としても薄給で長時間の労働を強いられる希望のない世界です。まぁ、人々が貧しくなっていく時代には合致していたのかも知れません。しかし……

 

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12,000人斬り論争

2015-04-12 23:21:34 | 社会

元中学校長「1万2千人超買春」 児童ポルノ容疑で逮捕(朝日新聞)

 少年捜査課などによると、高島容疑者は1988年から3年ほど、フィリピンの日本人学校に勤務。その後、横浜市内の中学で校長などを歴任し、2011年に退職した。同課の調べに対し、容疑を認めたうえで、「現地に派遣されていた当時から買春を始め、帰国後も休暇を利用して買春目的でフィリピンに渡航していた」と供述。「現地でのべ1万2千人以上の女性を買春し、うち1割は18歳未満だったと思う」と話しているという。動機については「仕事のプレッシャーが強ければ強いほど、倫理観のたがを外すことで解放感を味わえた」と話しているという。

(中略)

 「買春を繰り返している日本人がいる」とフィリピンの捜査当局から情報があり、県警が自宅などを捜索。フィリピンで撮影したとみられる女性の写真14万点以上を押収した。1万2千人以上の女性に番号がふられていたという。

 高島容疑者は編集に関わった教育冊子に93年、「フィリピンで学んだ教育の原点」というリポートを掲載。「物質的に豊かになったことでなくしてしまった心の中の尊いものを、見つけた気がした」などと書いていた。(興津洋樹)

 

 このニュース、それなりに話題にもなったようですけれど、凄いですね。1988年から2015年までの期間で1万2千人というと、概ね1年平均で500人弱です。3年間の現地赴任の後は出張した時しか機会が無いのに、それでも年平均500人もの女性を買ったというのですから驚愕するほかありません。かつて中国で100人切ったと自慢した人もいたものですが、フィリピンで12,000人切りを達成したと伝えられる人の場合は証拠写真まで自ら用意しているのですからレベルが違います。悪名は無名に勝るとも言うところ、この人は紛れもない大人物です。日本に戻ってからも校長職を歴任したのも大いに頷けるところでしょうか。

 この人は逮捕時点で64歳だそうですから、フィリピンに赴任した1988年は37歳ということになります。そこから12,000人も女性を買うとはまぁ、ある意味で世間のオジサン達から羨望のまなざしで眺められてもおかしくない話です。曰く「仕事のプレッシャーが強ければ強いほど、倫理観のたがを外すことで解放感を味わえた」とのこと、世の中にはストレスから勃起不全に陥る男性も少なくないようで、この辺は少子化の進行の一因ともなっているように思われますが、強いオスもいるものですね。この人を校長に選任してきた人々もまたいるわけですが、そういう側面を買っての人事だったのでしょう。どういう性質を持った人が日本で評価されるのかが窺えるところでもあります。

参考、困った人こそ出世する

 なお容疑者が編集に関わったという教育雑誌では「フィリピンで学んだ教育の原点」との題目で「物質的に豊かになったことでなくしてしまった心の中の尊いものを、見つけた気がした」などと述べていたことが伝えられています。まぁ、日本では頻繁に見かける紋切り型の主張ではありますけれど、買春を繰り返してきた人の言葉として聞くと、なおさらこの種の文明論の傲慢さが理解できるところではないでしょうか。結局のところ、この人がフィリピンで見出した「尊いもの」とは、安価に買える女性達だったのですから。

 日本は近年の低迷こそあれ、半世紀前に比べれば物質的には豊かになりました。そこで失われたものは何だったのでしょう? その一つは、格安の売春婦でしょうね。まぁ性産業のデフレも進んできたようですが、フィリピンに比べれば日本の女性は高価です。一応は児童の保護も進んで18歳未満の女性を買うのは、もちろん無理ではないにせよ手軽な話ではなくなりました。そうした日本の「物質的に豊かになったことでなくしてしまった心の中の尊いもの」を、この容疑者はフィリピンで見つけたということなのでしょう。やれやれ、フィリピンが一刻も早く物質的に豊かになり、こうした文明論者を喜ばせてきたものが失われていくことを、切に願うばかりです。

 

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男女の格差は子供の頃から

2015-04-09 23:03:14 | 社会

小1「将来就きたい職業」、会社員が初圏外 クラレ調査(朝日新聞)

 化学メーカーのクラレが毎年調べている「新小学1年生が将来就きたい職業」で、「会社員」が初めて男の子の20位圏外に落ちた。同社は「目立つ職業に人気が集まっており、勤め人のお父さん、お母さんには少し寂しい結果だろう」。1位は男の子が「スポーツ選手」、女の子が「ケーキ屋・パン屋」でともに17年連続だった。

(中略)

 保護者が「就かせたい職業」は、男の子は「公務員」、女の子は「看護師」で昨年と同じ。女の子で「研究者」が18位(1・1%)となり初めてランクインした。同社は「第一線で活躍するリケジョ(理系職の女性)をアピールする企業が増えた影響ではないか」としている。(伊沢友之)

(以下は色々と略)

【男の子】

5位 TV・アニメキャラ

【女の子】

1位 ケーキ屋・パン屋

3位 花屋

6位 看護師

9位 アイスクリーム屋

 

 毎年恒例のアンケートなんですが、相変わらず項目の中には不思議なものがあります。「将来就きたい職業」の選択肢に「TV・アニメキャラ」なんてのを用意したクラレの思惑はどこにあるのでしょう。なおクラレのサイトまで行けば20位くらいまでのランキングや過去のアンケート結果まで見られますが、意外に漫画家になりたがる子供っていないものなんですね。クラレが項目を用意してくれなかっただけなのでしょうか、まぁ案外、少年向け漫画も読者層は大人が多かったりするところ、今時の子供は昔ほど漫画を読まなくなっていたりもするのかも知れません。堅い本だけじゃなくて漫画雑誌も部数の減り続ける時代ですから。

 なお、男女の職業意識の乖離は相変わらずと言えます。子供もそうですし、親すなわち大人も同様です。男の子が就きたい職業と女の子が就きたい職業、そして息子に就かせたい職業と娘に就かせたい職業、見事なまでに性別により異なった役割意識が浸透していることが窺われます。これは男性向けの仕事、これは女性向けの仕事、そういう意識は老若男女を問わないものなのでしょう。男女平等云々に関しては行政や企業など権力を持った層の対応にも不十分なものが見られますが、それ以上に国民の意識のレベルで遅れているところがありそうです。

 保護者が「就かせたい職業」は女の子で「研究者」が18位となり初めてランクインとのことですけれど、男の子の場合は10位で、常に女の子のそれを上回っています。そして「就かせたい職業」で男の子は今年も公務員、女の子は看護師が不動の1位であり続けているわけです。可愛い息子と娘は平等に見えても、その実は性別によって期待するものが異なっていることがわかります。子供とは染まりやすいもの、周りに流されて性別に沿った役割意識を受け入れてしまうのは致し方ないかも知れませんが、親の場合はどうなのだろうと思います。

 

大阪では子どもが「ハロワ」に通う!?→真相は...(Jタウンネット)

大阪の箕面市では、"働いてお金を稼ぐ"ことと"お金の大切さ"を学ぶことができるユニークな取り組みを行っています。箕面市にあるショッピングモール「みのおキューズモール」では月に1度、子どもたちにショッピングモール内の仕事を紹介するイベント「まーぶハローワーク」を開催しています。

まーぶハローワークは箕面市のNPO法人「暮らしづくりネットワーク北芝」が、仕事で稼ぐ体験をして生きる力を養うことを目的に2014年6月から開催しています。参加資格は18歳以下の子ども。箕面市在住に限りません。

まーぶハローワークでは、20分仕事をすると箕面市の地域通貨「まーぶ」を100まーぶ稼ぐことができます。100まーぶは100円の価値があり、みのおキューズモール内の81店舗と箕面市内のお店やコンビニなど合計110か所で使うことができます。

仕事の内容は、イベントのマイクアナウンスやカメラ撮影などなど。また、広場では食べ物や雑貨などの手づくり市「みのおマルシェ」も開催されていて、販売やお店の作業のお手伝いも子供たちの仕事です。

 

 たぶん、こういう大人の取り組みが子供達に間違った職業観を擦り込んでいくような気もします。なんでもショッピングモール内の仕事を紹介するイベントとのこと、しかし女の子に人気の「お店屋さん」の仕事の多くは薄給の非正規労働です。ここで紹介されているような仕事の多くでは稼げない、働いて得たお金では欲しいモノが買えない、そういうことをこそ体験させてやらないと「生きる力」は養われないでしょう。逆に「お店屋さんごっこ」で満足させて、そのまま育ってしまえば将来の貧困は約束されたようなものですから。

 日本の公教育では労働者の権利や労働者を守るべき法律について教えられることはありません。たぶん日本は、昔から労働について本当のことを伏せておく、外面だけを取り繕って満足する社会なのでしょう。求人広告には嘘を書いても許されるように、子供向けの職業教育でも同様、現実からかけ離れた甘い夢を見させておくことに、誰も欺瞞と感じないものなのだと言えます。女の子の「就きたい職業」には「お店屋さん」が居並ぶわけですが、どうしたものでしょうね。女性はパートでほどほどに働いて、家系のメインは旦那の稼ぎというモデルを堅持したいのなら、それもアリなのかも知れませんが。

 

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バブルなんて夢のまた夢

2015-04-06 22:42:57 | 雇用・経済

遠い物価上昇2% 日銀、緩和2年 あふれるマネー、バブル警戒(朝日新聞)

 「デフレ脱却」を旗印に日本銀行が大規模緩和を始めて、4日で2年になる。大量のお金を市場に流し込み、物価上昇率2%を目指す政策は2年では達成できなかった。大規模緩和で金回りが良くなる人は増えたが、市場にはリスクがたまっている。

 

(中略)

 消費者物価の上昇率は14年春、1%台前半まで上がったが、夏場以降、原油価格が落ち込んだあおりで、直近2月には0%まで鈍っている。2%の達成時期は見通せない状況だ。

 

 よく朝日新聞では「給与水準が上がっていない、アベノミクスはダメだ」みたいなことが書いてあったかと思いきや、別のページには「人件費の上昇に苦しめられている企業が多い、アベノミクスはダメだ」という趣旨のことが書いてあったりするわけです。まぁ賃金が上がっているかどうかとは無関係に、安倍政権への評価という点では一貫しているのが朝日新聞と言えます。

 そして物価上昇に関してはどうでしょうか、アベノミクスで物価が上がって消費者が苦しんでいると、そう朝日新聞では伝えられることも多いです。しかるに同じ朝日新聞で、日銀ひいては安倍政権が掲げた物価上昇目標である2%に全く届いていないこともまた報道されています。現実の賃金相場や物価上昇率は統計によって知ることができますが、果たして朝日新聞にとっての真実とはどこにあるのでしょうね?

 図にあるように「生鮮食品、消費増税の影響除く」という条件下ですと物価上昇は0になることが伝えられているわけです。これはまぁ、そういうものなのでしょう。物価上昇を批判的に語ってきたメディアであるからには、黒田日銀が目標を狙い通りに達成「できなかった」ことを肯定的に評価してもよさそうなところですが、そうしない辺りに朝日新聞なりの一貫性が窺えないでもありません。

 それはさておき、結局のところ我々が体感できる物価上昇は専ら消費税増税によるものが大きいわけです。消費税増税分を差し引くとデフレ脱却にはほど遠い状況ですから。消費税増税が景気回復の腰を折り、生活者を苦しめることにも繋がっている――消費税増税をしきりに訴えてきた、消費税増税を決めた政党を贔屓にしてきた朝日新聞社はこの辺から目を背け続けているようですが、記者達に良心の呵責はないのでしょうか。

 

ジンバブエの100兆ドル紙幣 危機の産物は「他山の石」か(朝日新聞)

 先日、偶然通りがかった都内のコイン商で「100兆ドル」の紙幣を見つけ、記念に買い求めました。紙幣に印字されたゼロは14個。アフリカ南部にある人口1400万人の国、ジンバブエ共和国で流通した、ドルはドルでもジンバブエドルの紙幣です。

(中略)

 でも、一難去ってまた一難。ハイパーインフレが収束したと思ったら、今度はデフレのふちに立っているようです。米ドルを通貨とする以上、ジンバブエ経済は米国の金融政策に連動せざるをえません。米国では今年後半にも利上げが予想されていますが、ジンバブエにとって意図せざる金融引き締めはデフレ気味の経済に大きな打撃を与える恐れがあります。

 ちなみに冒頭の100兆ドル紙幣のお代は2千円なり。店頭にはハイパーインフレ紙幣「10点セット」も並び、売れ行きはなかなか好調のよう。自国では使えぬ紙幣に海外で思わぬ価値がついたわけです。これを遠いアフリカの話だと笑って済ませられると良いのですが……。杞憂(きゆう)でしょうか。(「週刊東洋経済」編集部)

 

 あまり興味のない人からはインフレの国と知られているジンバブエですが、ハイパーインフレの後に一転してデフレに陥っていることは、もう少し知られてしかるべきでしょう。デフレなんて滅多に起こるものではないのですけれど、日本とジンバブエは世界の希少な例外として継続的なデフレに見舞われてきたわけです。今時デフレという点でジンバブエと肩を並べた稀有な存在が近年の日本経済なのですが、どうにもインフレの危機を叫ぶばかりでデフレを放置しようとする人が少なくない辺りに、日本の政財界やメディアの貧困ぶりが窺われます。

 朝日新聞(に転載された東洋経済)のバカボンが匂わせた懸念とは裏腹に、現実の日本が僅か2%と言う微々たる物価上昇目標すら達成できないでいるのは、冒頭に引用した通りです。日本人が心配すべきはデフレの方、ジンバブエのようにインフレの押さえ込みばかりを優先してデフレに陥ってしまうことの方でしょうね。ちょっと景気が上向くと「バブルになるぞ~」と頭の悪い脅しを連呼する人は朝日新聞に限らず多いですが(今時の日本的な感覚を適用すれば、日本以外の国はどこでも恒常的なバブル景気みたいなものになってしまいます!)、実際に起こっているのは景気の停滞ですから。

 福島の原発事故の後、日本には人が住めなくなると煽って回った人もいたものですが、色々な苦労はあれど福島でも人は元気に暮らしています。そして安倍内閣が誕生して経済政策の方向性も変わって、そしてハイパーインフレになるぞと根拠のない脅し文句を並べ立てていた人が大手新聞や経済誌にも頻繁に登場したわけですが――現実はご覧の有様です。むしろ2%という物価上昇目標は「低すぎる」として批判されるべきだったのでしょう。日本が反省すべきはバブルではなく全く上昇することができなくなったバブル「後」の過ちであり、懸念すべきはインフレという全く訪れる気配のない代物ではなく、退治できていないデフレという(日本とジンバブエぐらいにしか生息しない)珍獣の方だと言えます。

 

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月給15万円という「破格の条件」

2015-04-03 22:44:29 | 雇用・経済

養育費に車…ひとり親家庭歓迎 過疎の町、求む介護職(朝日新聞)

 島根県浜田市が4月から破格の条件で県外のひとり親家庭を迎える。月給15万円以上、中古車無償提供、一時金130万円など。1年限りだが、1世帯あたりの経済支援は最大400万円超。ひとり親家庭の支援と介護の働き手不足解消の一挙両得をねらう。ひとり親に絞った自治体の移住促進策は全国初という。

 対象は高校生以下の子がいる母子・父子家庭。市内の介護事業所と1年間の雇用契約を結べば、転居費などの一時金30万円が支給される。月給は最低15万円で、加えて市から養育費が月3万円。契約通り1年間働けば、さらに一時金100万円が出る。

(中略)

 ただし、公的な経済支援は1年限り。その後は介護業界で働き、定住することを期待する。

 

 ……なんと言いますかまぁ、月給15万円の介護職で「破格の条件」と銘打たれてしまう辺りに報道側の感覚が窺われるところでしょうか。この記事を書いた朝日新聞記者が、中古車と一時金を出すから月給15万円で介護の仕事をしてきなさい、定住することを期待しているから~と言われたら、絶対に嫌がると思います。これを破格の条件と感じられるのは余程の困窮者か、あるいは職にあぶれている人への差別心が強い人かのどちらかですね。月に15万でもありがたいと思う人、こんな奴らには15万円でも十分だろうと考える人、そういう人にはアピールできているのかも知れません。

 日本では就労している女性の社会進出が進んでいないと言われますが、シングルマザーに限れば先進国中トップクラスの就労率を誇るわけです。働いている人が増えれば良いというものでもないなと、そんな気がしてきます。結局のところ日本社会とは、「低賃金労働の需要が高い」「人を安く働かせたい」ものなのでしょう。配偶者なり両親なりの収入があって仕事を選ぶ余裕のある女性の場合、当然ながら真っ当な待遇の職を求める、結果として就業する人が少なくなる、逆にシングルマザーで生活が逼迫して仕事を選んでいられない場合は低賃金の職にも飛びつかざるを得ない、その結果として高い就業率に繋がっているとも言えそうです。どこの会社も、薄給で働いてくれる人、安く買い叩ける人を切望していますから!

 貧困が自由を奪う、その紛れもない現実を意識できているかどうかでその人の立ち位置が分かるように思います。いかに言論や思想、信教の自由が保証されていようとも経済的に困窮している人の手に自由はありません。明日を生きるための金に事欠けば、人生の選択肢は限られたものにしかならないわけです。月給15万円という人を馬鹿にしたような待遇でも、嫌だとは言っていられなくなるのが貧困というものです。政治的な自由ばかりを意識して経済的な要因が自由を奪うことに無頓着な政党/政治家やメディアは、それこそブルジョア趣味と呼ばれるべきものではないでしょうか。本当に国民の自由を奪うのは強権的な政治家である以前に、不況を放置する政治家の方ではないかと私は思います。

 まぁ過疎化の進む貧しい自治体にとっては、この程度でも結構な勇気の要る決断ではあったのかも知れません。東京の求人と比べれば薄給でも、島根では悪くない部類なのでしょうか。首都圏在住で「職を選んでいる余裕のある人」がこの企てに興味を示すことはないと思われますが、地方在住で「職を選んでいる余裕のない人」ならば話は別だと、そう見込まれているところはありそうです。こんな待遇でも今よりは良くなると、そういう境遇の人もいることでしょう。政策としては一定の効果が見込めそうです――どうにも立場の弱い人につけ込んでいる印象も拭えないところではありますけれど。

 

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