情報セキュリティの三要素として「機密性、完全性、可用性」なんてものがあるわけですが、皆様の勤務先ではいかがでしょうか。私の勤務先では可用性は徹底無視、機密性のみにフォーカスしたルールが定められています。そして、このルールを守ると業務上で必要なデータにアクセスすることが不可能なため、誰も守っていません。管理簿上、守ったことにしているだけで実際は裏運用で動いています。合理性を欠いた厳しすぎるルールを作ると守る人がいなくなり、逆にリスクが増えるわけですね。もう少し可用性(使いやすさ)に配慮がなされていれば、ルールは守られたと思うのですけれど、会社のルールを決める人は裸の王様ですから仕方がありません。
規制委員長「事実誤認多い」=高浜差し止め、地裁に反論(時事通信)
原子力規制委員会の田中俊一委員長は15日の定例記者会見で、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を差し止めた福井地裁の仮処分決定について、「決定文には事実誤認がいっぱいある。私たちの取り組みが十分に理解されていない点があったと受け止めている」と述べた。
田中委員長は、地裁決定が新規制基準を「合理性に欠け、緩やかに過ぎる」と指摘したことに対し、「東京電力福島第1原発事故の教訓を踏まえ、かなり厳しい規制を要求している」と反論。「絶対安全を求めると、結局は安全神話に陥るという立場で(規制を)やってきているが、その意味が理解されなかったのは極めて遺憾だ」と不満を口にした。
また、安全に重要な設備の耐震性分類が低いとした決定の指摘には「給水設備がBとあるが、これはSクラス。非常用発電機なども要求しており、これもSクラスだ」と例を挙げ、「重要な所の事実誤認がざっと見ただけでもある」と批判した。
先日は日本の裁判史上に残りそうなトンデモ判決がありました。まぁ、色々と考えさせられます。裁判員制度――有罪か無罪を決めるアメリカの陪審制度とは大きく異なり裁判員が「量刑を決める」仕組み――の導入に当たっては「市民感覚を」みたいな触れ込みもあったわけですが、では裁判官が市民感覚に疎いのかというと、そこに疑問を感じないでもありません。裁判官自身は専門家として何でも分かっているつもりでも、実は専門知識を有しているのは司法のことのみ、科学やリスク管理に関する知見は偏見に凝り固まった素人同様の、そんな市民感覚溢れる人も山のようにいるのではないでしょうか。
「発言を曲解」-決定文に発言引用の京大名誉教授が反論(産経新聞)
関西電力高浜3、4号機の再稼働の差し止めを命じた14日の福井地裁の仮処分決定で、新聞記事の発言を引用された京都大の入倉孝次郎名誉教授(強震動地震学)が産経新聞の取材に応じ、「発言を曲解された」と話した。
入倉氏は、国内で起きた地震の平均像をもとにした地震動の計算方法を考案した専門家。今回の仮処分をめぐり、入倉氏が法廷で証言したことはなく、意見書も提出していなかったが、住民側が証拠提出した記事をもとに発言が決定文に引用された。
決定文では、入倉氏のインタビュー記事での「基準地震動は計算で出た一番大きな揺れの値のように思われるが、そうではない」「平均からずれた地震はいくらでもある」との発言を取り上げ、「基準地震動を平均像をもとに策定することに合理性は見いだせず、理論面で信頼性を失っている」と断じた。
これに対し、入倉氏は取材に「決定は発言の一部しか引用しておらず、内容が曲解されている」と反論。「基準地震動は地震の平均像だけで計算しているわけではなく、原発が立地する地盤特有の影響や断層の動きの不確実性も考慮して策定される。明らかな事実誤認だ」と強調した。
結局、高浜原発の再稼働を差し止めるべく理由を作るためには、こうした「切り貼り」が必要だったということなのでしょう。新聞でもテレビでも、報道側の思想信条に沿った結論を導くために普通に行われることではありますが、これを司法がやっては大いに問題があると言うほかありません。今回の地裁判決は司法への信頼を揺るがしかねないものであるように思われます。強制力のある判決を下す、その根拠がインタビューの切り貼りであり、入倉氏には証言すら求められなかったのですから、これは明らかな裁判所側の怠慢として糾弾されるべきものです。
高浜原発:「驚いている」…地元の高浜町で戸惑いの声も(毎日新聞)
福井地裁が、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜市)の再稼働を差し止める仮処分を決定した14日、地元の高浜町では住民らが戸惑いを口にした。福井県内の首長も複雑な反応を見せた。
高浜町商工会の田中康隆副会長は「原子力は国家事業で、共存共栄を図ってきた。原発が再稼働すれば町の経済が活性化すると思っていたので、決定に驚いている」と話した。
なおメディアによっては差し止めを求めた原告団を安直に「住民側」と呼ぶところもあるわけですが、本物の「住民」は特定の新聞社が描き出す虚像とは裏腹に、必ずしも原発反対一辺倒ではないことが分かります。実際のところA新聞などが「住民」と呼んでいる人の中には、むしろヨソから遠征してきている人も多い、一部の住民を担ぎ出し、煽り立てて、あることないこと吹き込んでは原発に反対させているだけのような印象が拭えないでもありません。そういう人こそ、私は最もタチが悪いと思うのですけれど。
高浜再稼働差し止め、原告「最高の内容」 自治体反発も(朝日新聞)
「喜んでくれていると思う」。申立人副代表を務める大阪府高槻市の水戸喜世子さん(79)は、記者会見で夫の遺影を掲げ、声を震わせた。芝浦工業大教授だった夫の巌さんは「脱原発」の草分けとして知られ、各地の訴訟で「原発事故は広い範囲に被害を与える」と証言してきた。
水戸さんは福井地裁が昨年5月に関電大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを命じた裁判の原告でもある。樋口英明裁判長が判決で「原発の危険性の本質、その被害の大きさは福島の原発事故で十分に明らかになった。危険性の判断を避けることは裁判所の責務の放棄だ」と述べたことに胸を打たれ、中国語や韓国語などに翻訳してネットで発信した。
しかし、関電は判決を不服としてすぐに控訴。再稼働に向けて手続きを進める姿勢が許せず、今回の仮処分の申立人になった。「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」。元京都大助手で物理学者でもある水戸さんは力を込める。
朝日新聞ワールドでは、「住民」が原告であり判決に反発しているのは「自治体」ということになっているようですが、判決に納得していない福井市民は住民ではないということになってしまうのでしょうか。「非国民」ならぬ「非市民」と言ったところですかね。そして住民側代表として大阪府高槻市の水戸喜世子さん(79)の声が紹介されています。たぶんまぁ、大阪府民からすれば福井なんて自分の庭のようなものなのでしょう。大阪府民が福井の「住民」副代表を務めることは、ある種の人々にとっては何の不思議もないのだと思います。
何でも京都大助手――京都大助教の小出某と同じで論文は書かなかったのでしょうか――で物理学者でもあるとのこと、曰く「科学者は100%安全だと保証できないものは動かしてはならない」だそうです。じゃぁ、この人は家にガスや電気は引いていないのでしょうか。車にも電車にも乗ったことはないのでしょうか。包丁など刃物には触ったこともないのでしょうか。まさか自動車は「100%安全だと保証」されていることにでも、この人の頭の中ではなっているのでしょうか。「100%安全だと保証」されていなければ動かしてはならないというのなら、正直なところ自分には動かせるものが見当たりません。
2013年、ロシアでは隕石によって300人以上の子供を含む1500人程度の負傷者が出たそうです。「100%の安全」を求めるのならば、それこそ「天が落ちてくる恐れ」までをも心配しなければなりません。それは杞憂だと言いたいところですが、そうならないことは誰にも保証はできないわけです。仮に天が崩れ落ちるのは杞憂だとしても、例えば私の住む地域では非常に車が多く、交通事故も耐えない、人が目の前で車にはねられるのを目撃したこともありますし、大事には至りませんでしたが車にぶつけられたことや因縁を付けられたことも一度ならずあります。それでも自動車の運行が差し止められる気配はありません。福井地裁の論理に従えば、危険な車が往来を埋め尽くすことで私の人格権は絶えず侵害されていることになるはずですが……
今回、司法は極めて「政治的な」判決を下しました。まぁ裁判官にも思想信条はあるものです。判決の根拠として持ち出したのがインタビューの切り貼りであって当人の証言を得ようともしなかったのは、まさしく「裁判所の責務の放棄だ」と言うほかありませんが、信念が何にも勝ることはあるのでしょう。しかし闇雲に危険を叫ぶだけでは「この人は何を言っても無駄だな」「実態を見ようともしていないな」と思われるだけです。そうなると、ルールが守られなくなる、規制が有名無実化してしまいます。絶対安全でなければならないと、程度の議論を無視して強弁されるのであれば、そこはもう「ハイハイ、絶対安全ですよ」と適当に調子を合わせるぐらいしか対応の仕方がありませんから。
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