不摂生な人の医療費負担「あほらしい」に麻生氏が同調(朝日新聞)
麻生太郎財務相は23日の閣議後会見で、不摂生で病気になった人の医療費を負担するのは「あほらしい」とした知人の発言を紹介し、「いいことを言う」と述べた。
麻生氏は「おれは78歳で病院の世話になったことはほとんどない」とした上で「『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」と話した。記者から麻生氏も同じ考えかと重ねて問われると「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と説明。予防医療の推進自体は「望ましい」とも語った。
こういう発言は問題のある代物として取り上げられる一方で、結構な賛同を集めたりもするわけです。まぁ日本の国是は自己責任と言いますか、社会や組織の問題を個人の責任へとすり替える論調は、政界関係に限らず素人の言論でも会社の研修でも、至る所で見られます。病気なんて尚更のこと、個人の責任として扱われやすいのでしょう。
さて「予防医療の推進自体は『望ましい』とも語った」と締められていますが、そう語る人が現職の閣僚でありかつては総理大臣も務めた我らが日本は――ワクチン後進国としても知られています。行政の怠慢もあれば一部のヒステリックな反ワクチン論に妥協してしまった結果として今に至るところで、予防医療への取り組みが大いに疑問視される中での元・総理大臣の発言はいかがなものかと。
飢餓が大きな問題となる絶望的な貧困国や紛争国は別として、現代は「貧しい人ほど太っている」時代です。この辺は直視したがらない人が一定数いますが、今や肥満は贅沢の結果ではありません。安価で手に入る食品と、貧乏人には手を出しにくい食品、カロリーが高いだけなのはどちらなのか、ヘルシーなのはどちらなのか、考えてみればすぐに分かることです。
金銭的にも時間的にも余裕のある人は、健康的な食材を買えるだけではなく、調理することもできれば、運動に時間を費やすこともできると言えます。しかし「貧乏暇無し」の場合はどうでしょう? 往々にして安い食べ物はカロリーばかりが高いですし、そうでなくとも調理に手間暇が掛けられないのなら、尚更カロリーが高いばかりのインスタント食品の利用も増えそうなもの、ましてやフィットネスなんて他人事です。
「不摂生」と呼ばれるものを個人の責任に帰したい人は、麻生太郎以外にもいくらでもいます。しかしこの「不摂生」は、その人自らが選んだ結果なのでしょうか。上述の経済的な要因もさることながら、仕事の都合上、規則正しい生活を送ることを望めない人もいます。長時間労働やシフト勤務は大いに健康リスクを伴うもので、不規則な睡眠サイクルもそうですし、食事面でも乱れは避けられないわけです。では「行政」は、規則正しい生活を破壊する長時間労働を減らすべく何をしてきたのか――とりあえず元・総理大臣に偉そうなことは言って欲しくないです。
日本は今でも飲酒文化が強いところもあります。会社の飲み会に出席しなければ、君が代を起立して歌わなかった教員みたいな扱いを受けるのが我々の社会です。そしてタバコの規制も遅々として進まず、街の至る所でタバコの煙がたなびいている世界です。不摂生を自己責任のように言われても、健康的に生きるのは簡単ではありません。
麻生の語る「生まれつき」すなわち遺伝的な要因も当然ありますし、生まれながらの特権階級である麻生太郎と違って、多くの日本人はヘルシーな食事とフィットネスに、そうそう金と時間を費やせるものではなかったりします。経済的な事情と職業上の事情から、健康的な生活を送ることが難しい人も多いことに、政治家は大いに反省が求められるところです。しかし、これを社会の問題ではなく個人の責任へと落とし込むことに、我々の社会は馴染んでいるのでしょうね。