非国民通信

ノーモア・コイズミ

麻生太郎の賛同者は何を間違っているのか

2018-10-28 22:13:51 | 社会

不摂生な人の医療費負担「あほらしい」に麻生氏が同調(朝日新聞)

 麻生太郎財務相は23日の閣議後会見で、不摂生で病気になった人の医療費を負担するのは「あほらしい」とした知人の発言を紹介し、「いいことを言う」と述べた。

 麻生氏は「おれは78歳で病院の世話になったことはほとんどない」とした上で「『自分で飲み倒して、運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」と話した。記者から麻生氏も同じ考えかと重ねて問われると「生まれつきもあるので、一概に言うのは簡単な話ではない」と説明。予防医療の推進自体は「望ましい」とも語った。

 

 こういう発言は問題のある代物として取り上げられる一方で、結構な賛同を集めたりもするわけです。まぁ日本の国是は自己責任と言いますか、社会や組織の問題を個人の責任へとすり替える論調は、政界関係に限らず素人の言論でも会社の研修でも、至る所で見られます。病気なんて尚更のこと、個人の責任として扱われやすいのでしょう。

 さて「予防医療の推進自体は『望ましい』とも語った」と締められていますが、そう語る人が現職の閣僚でありかつては総理大臣も務めた我らが日本は――ワクチン後進国としても知られています。行政の怠慢もあれば一部のヒステリックな反ワクチン論に妥協してしまった結果として今に至るところで、予防医療への取り組みが大いに疑問視される中での元・総理大臣の発言はいかがなものかと。

 飢餓が大きな問題となる絶望的な貧困国や紛争国は別として、現代は「貧しい人ほど太っている」時代です。この辺は直視したがらない人が一定数いますが、今や肥満は贅沢の結果ではありません。安価で手に入る食品と、貧乏人には手を出しにくい食品、カロリーが高いだけなのはどちらなのか、ヘルシーなのはどちらなのか、考えてみればすぐに分かることです。

 金銭的にも時間的にも余裕のある人は、健康的な食材を買えるだけではなく、調理することもできれば、運動に時間を費やすこともできると言えます。しかし「貧乏暇無し」の場合はどうでしょう? 往々にして安い食べ物はカロリーばかりが高いですし、そうでなくとも調理に手間暇が掛けられないのなら、尚更カロリーが高いばかりのインスタント食品の利用も増えそうなもの、ましてやフィットネスなんて他人事です。

 「不摂生」と呼ばれるものを個人の責任に帰したい人は、麻生太郎以外にもいくらでもいます。しかしこの「不摂生」は、その人自らが選んだ結果なのでしょうか。上述の経済的な要因もさることながら、仕事の都合上、規則正しい生活を送ることを望めない人もいます。長時間労働やシフト勤務は大いに健康リスクを伴うもので、不規則な睡眠サイクルもそうですし、食事面でも乱れは避けられないわけです。では「行政」は、規則正しい生活を破壊する長時間労働を減らすべく何をしてきたのか――とりあえず元・総理大臣に偉そうなことは言って欲しくないです。

 日本は今でも飲酒文化が強いところもあります。会社の飲み会に出席しなければ、君が代を起立して歌わなかった教員みたいな扱いを受けるのが我々の社会です。そしてタバコの規制も遅々として進まず、街の至る所でタバコの煙がたなびいている世界です。不摂生を自己責任のように言われても、健康的に生きるのは簡単ではありません。

 麻生の語る「生まれつき」すなわち遺伝的な要因も当然ありますし、生まれながらの特権階級である麻生太郎と違って、多くの日本人はヘルシーな食事とフィットネスに、そうそう金と時間を費やせるものではなかったりします。経済的な事情と職業上の事情から、健康的な生活を送ることが難しい人も多いことに、政治家は大いに反省が求められるところです。しかし、これを社会の問題ではなく個人の責任へと落とし込むことに、我々の社会は馴染んでいるのでしょうね。

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穴を掘って、それを埋める

2018-10-21 23:54:17 | 雇用・経済

 あらぬ方向に信念を持っている人に比べれば、支離滅裂な人の方が害がない、と言うことができるのかも知れません。後者は的を外すこともあれば、「たまたま当たる」可能性があります。一方で前者は「確実に」間違った道を選ぶものです。マイナス方向で芯がある人よりも、場当たり的な対応の人の方がまだしもマシだったりします。

 安倍晋三の経済政策もその辺で、何かと矛盾した行動も多く、正しいこともやれば間違ったこともやる、その点では信用できないとは言えますが――与党内の対抗馬や有力野党の主要メンバーの主張に耳を傾けると、明らかにまずい方向に信念を持っているのが見えてきたりします。この辺に比べれば支離滅裂な政策の方がまだしも、と言わざるを得ないのが現状でしょうか。

 安倍政権誕生から順調に景気が上向いたかと思いきや、消費税を8%へと引き上げるやリーマンショック級の急落に見舞われたのは、そう昔のことではありません。ここから安倍総理が何かを学んだのかどうか、その後は消費税増税の延期を繰り返し、野党やメディア各社から批判を浴びることも多かったわけです。しかるに今度こそ10%に引き上げると宣言し出したのが先日のこと。さて……

 安倍政権の決めたことなら何でもかんでも非難してきた政党やメディアは、この引き上げ宣言をどう評価しているのでしょうか。過去の「引き上げ延期」を批判してきた人々が手のひらを返して「良くやった」と賞賛する声も聞かない一方で、逆に引き上げを批判する声もまた、あまり聞こえてこないようにも思います。

 そもそも消費税の引き上げを決めたのは民主党政権で、安倍政権は「約束を守った」格好ですから、旧民主党系諸勢力は批判が難しいところもあるのかも知れません。消費税増税を批判すれば、それを決めた自分たちを否定することになります。旧民主党系諸勢力に自身の過ちを認める度量など望めない以上、国会での争いを期待するのは難しそうです。

 一方でメディアも大手は逆進課税推進で足並みを揃えてきた経緯がありますから、影響力の大きいところほど増税容認の傾向は強いことでしょう。しかるに新聞業界は消費税を上げつつも新聞への軽減税率適用を訴えても来ました。その念願が叶ってか新聞には軽減税率が適用される見通しですが、いかがなものでしょうか?

 確かに新聞は、今でも一定の社会的役割があります。昔から続いてきた問題でも、新聞で報道されて初めて社会に認知され自体が動き始めることは多いですし、新聞不要論を声高に唱える人が口にしている話題もネタの大元は新聞報道だったりするものです。社説や論説の類いはなくなって問題ないにせよ、新聞自体の必要性は消えません。

 しかし現状の見通しでは、軽減税率が適用されたとしても、その税率は8%です。イギリスならば軽減税率適用の食料品などは課税「0%」、フランスならば「5.5%」、ドイツですら「7%」だそうです。しかし日本は軽減税率を適用されても8%の課税予定、これで「軽減」と言われても、私はなんだか誤魔化された気がしますね。

 そりゃ10%と8%の違いはありますが、「最高税率は20%でも生活必需品は0%」と、「最高率は10%で生活必需品は8%」とでは、その「軽減」の重みも随分と異なるのではないでしょうか。たかだか2%とは舐められた話ですけれど――まぁ新聞業界的には、自分たちを特別枠に搬入させた時点で満足なのかも知れません。

 日本には消費税導入と引き替えに廃止された物品税もあれば、酒やタバコ、ガソリンのように品目によって税率を変える仕組みが根付いています。やり方次第では、モノによって税率が違う制度の運用は決して難しくないでしょう。ただ「イートイン」と「テイクアウト」で税率が変わる辺りは、日本社会の実情を鑑みて運用を決めた方が良いようにも思います。

 確かに諸外国では、「外食」はちょっとした贅沢なのかという気がします。先進国における「外食」の値段を見ると、日本人にはおいそれと払えない代物も今時は目立ちます。新興国ですら都市部の飲食店の値付けを見るに、今や日本と比べても決して安くはありません。その一方で日本は飲食店従業員の圧倒的薄給を背景に格安飲食店が居並びます。良くも悪くも日本は世界にまれに見る外食が安い国である以上、「イートイン」の扱いは少し考えた方が良いはずです。

 かつて首相であった菅直人は、「これ以上借金を積み重ねたらギリシャのように財政が破綻し、予算や税率を決める権限もすべて外国任せになる」と説いて消費税増税を訴えていました。この発言当時のギリシャの付加価値税率は21%でしたが、この消費税によって事態が好転することはなく、直後に23%へ税率を引き上げるなどの混乱を繰り返していたわけです。結果はご覧のありさま。

 消費税は消費を抑制する効果はありますが、その分だけ景気を押し下げることになります。この辺は政府閣僚も心得ているようで、増税の悪影響が出ないよう景気対策に力を入れると連呼しています。しかし増税で消費を抑制しながら、税金で景気対策を打つというのもいかがなものでしょう。穴を掘って、それを埋める、労力は伴いますが、これが何か実を結ぶのかどうか、私は大いに疑問です。

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まるで毒物扱い

2018-10-14 21:43:49 | 社会

東京都、液体ミルク提供へ 道庁からの要請で(朝日新聞)

 北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震で、東京都の小池百合子知事は7日の記者会見で、北海道庁からの要請に基づき、液体ミルクを提供することを発表した。また、食料や物資などについても要請があれば対応していくという。

 

国内解禁の液体ミルク、なぜ被災地で配られなかった?(朝日新聞)

 粉ミルクと違ってお湯要らずで常温保存でき、赤ちゃんにすぐ飲ませることができる「液体ミルク」。災害で役立てばと、外国産のミルクが北海道地震の被災地に送られたが、実際はほとんど配られなかったようだ。なぜなのか。

 「キケン! 飲むな!」。地震で被災した安平町(あびらちょう)では、役場の倉庫に積まれた救援物資の液体ミルクに赤字で書かれた紙が貼られた。田中一省(かずみ)・総務課長は「道庁と道栄養士会の職員から『あまり出さないほうがいい』という趣旨のことを聞き、職員が誤って避難所に配布しないようにと貼った。『キケン』と書けば誰も触らないと思った」と話す。結果的には「ニーズがなかった」といい、1本も提供されなかったという。

 

 小池知事の会見は今月ではなく9月の話ですが、当人が嘘を吐いているのでなければ北海道庁からの要請で液体ミルクを提供したとのことです。要請とは即ち「ニーズ」があった結果と考えられますが、しかるに北海道でも9月の地震で震度6強を記録した安平町では「ニーズがなかった」とのことで、液体ミルクは1本も提供されなかったそうです。

 本当に、ニーズはなかったのでしょうか。液体ミルクが安平町に届いた時点で、容器の洗浄も含めて粉ミルクを用意するのに必要な水や熱源の供給が余すところなく回復していたのなら、まぁニーズはなくなっていたのかも知れません。しかし、そこまでの早期復旧ができていなかったのであれば、当然ながらニーズはあったと推測されます。

 安平町では救援物資の液体ミルクに「キケン! 飲むな!」と張り紙を付け、避難所に配布されないようにしていたことが伝えられています。毒物でもあるまいに「キケン! 飲むな!」とは酷い言いぐさですよね。救援物資を送ってくれた側の自治体に対する感謝なり配慮なりはなかったのでしょうか。

 まぁ日本では母乳信仰が強かったり強硬な布オムツ推しの人がいたり、無痛分娩はおろか帝王切開すら批判が根強かったりと、とかく母親の負担を軽減することへの否定的な見方が目立つわけです。そして手間のかかる選択の方が子供のためであると信じて疑わない人が液体ミルクのような便利な代物をどう思っているのか――そこを考えるとこの安平町の一件は、なんとなく理解できる気がします。

 利便性に堕落を見出す人は少なくありません。とりわけ他人が利便性を享受するのを見るほどに、でしょうか。子育ての局面において、これは最も端的に表れると言えます。母親が子育てにおいて「楽をする」ことを愛情の欠落と見なす第三者は至る所に潜んでいるものです。そして「楽」を「悪」と見なす人にとっては液体ミルクは「キケン!」な毒なのでしょう。

 先日ようやく移転となった豊洲市場でも、あるいは原子力発電を巡っても、安全性についての不毛な議論が延々と繰り返されて来ました。人を動かすのは事実ではなく信念であり、どんなに検証結果が積み重ねられようとも、それを危険と信じる人の頭の中では、豊洲も原発も永遠に危険なままであり続けます。液体ミルクも然り、長らく日本では認可が遅れてきたものですが、どれほど諸外国での実績があろうとも、危険と信じる人にとっては危険なままであり続けるのです。

 単にニーズがないだけ、役所が運用に責任を負いたくないだけであったなら「キケン! 飲むな!」とまでは書かないはずです。黙って倉庫の隅で腐らせておけば良いだけです。しかし、わざわざ目立つように「キケン!」とアピールしたのは、そこに何らかの思想的背景があってのことと推測されます。イデオロギー的に、液体ミルクを使わせたくなかった人が役所の中にいる、そうした人に一定の権限を持たせていたわけです。この点は、少なからず深刻な問題ではないかと思いますね。

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意図がないというより自覚がないわけで

2018-10-07 22:00:51 | 社会

正職員と非正規、名札色分け「差別の意図ない」(読売新聞)

 兵庫県たつの市は、職員が業務中に身に着ける名札ケースと記章(バッジ)を作り、10月から貸与を始めた。ただ、名札ケースは正職員と非正規職員で色分けし、記章は正職員のみに渡すなど、採用条件によって差をつけた格好に。市側は「正職員の自覚を促すことなどが目的で、差別する意図はない」と説明している。

 名札ケースは地場産業の天然皮革製でベースの色はベージュだが、正職員用だけ上部を茶色にしている。市は「市民からの声もあり、一目で正職員とわかるようにした」としている。

 市によると、正職員は再任用を含め575人、非正規は約230人。市幹部は「正規と非正規では公権力を行使できる範囲に違いがある。臨時職員は補助員として位置づけている」としたうえで、「市民は、正職員に厳しい意識を持つことがあり、色分けした」と話している。(中筋夏樹)

 

 もちろん自覚がない人間が意図することはできませんから、市側の説明は間違っていないのでしょう。事実として差別的取り扱いであるとしても、差別であることの自覚がない以上は、差別の意図があろうはずもありません。だからこそ取材側には、「意図」の有無ではなく「自覚」の有無まで突っ込んで欲しいところですかね。

 さて我が国では官民の給与を論じる際、「現業職を除いた正規雇用の公務員」と「パート・アルバイトを含めた民間企業全体の平均」を比較するのが慣例として定着しています。当然ながら正規雇用だけの方が平均値は高くなるもので、これを根拠に「公務員の給料は(民間より)高い」と言われているわけですが、よくよく考えれば非正規の公務員を計算から除外するのもまた、一種の差別なのかも知れません。

 ともあれ官民の給与格差を論じる際は無視されがちな一方、「官」の世界は民間企業に先んじて、正規雇用の非正規への置き換えを進めてきた歴史があります。今回の兵庫県たつの市は正職員が575人、非正規は約230人とのことですけれど、自治体や部門によっては非正規が実務の主役になっているところもあるのではないでしょうか。

 例えばハローワークなど、求職者に実際に対応する職員が専ら非正規であることが――知る人には知られています。もっとも求職者に限らず公共サービスの利用者にとっては、目の前で対応している職員の雇用形態が正規か非正規かなどは関係のないことですよね? まぁ、民間企業の場合も同様で、店員が正社員であるかバイトであるかは客にとって関係のないことでもあります。

 しかるに「(正)社員になりたければ~」と会社から過剰な対応を求められるのが非正規、「(正)社員になったのだから~」と会社から過剰な対応を求められるのが正規の違いです。このような似て非なるところがあるだけではなく、当然ながら待遇には天と地の差があります。利用者や客から見た場合と違って、「雇う側」にとって正規と非正規の違いは大きいわけです。

 たつの市では「市民からの声もあり、一目で正職員とわかるようにした」と述べているようですが、本当に市民の声なのでしょうか? 相手が正職員かどうかを分かるようにしろと、そういう「市民の要望」は私には新鮮に見えます。「市民は、正職員に厳しい意識を持つことがあり~」とのことですけれど、職員サイドの雇用形態を問う市民というのがどういう存在なのか、なかなか想像できません。

 もし仮に「市民」が正職員に厳しく、相対的に非正規職員に対して寛容である、相手が非正規職員であることが分かれば対応が変わるというのなら、むしろ非正規職員側から積極的に「非正規」をアピールしていくのが良いかもしれないですね。「私は非正規なので、公権力を行使できる範囲に限りがあります」「私は補助員です」「私は正職員ではないので、厳しい意識を持たないでください」――非正規職員がそういう態度を取るようになれば、ちょっとしたストライキみたいな効果があるでしょうから。

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