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非国民通信

ノーモア・コイズミ

Q.

2025-04-13 21:31:13 | 雇用・経済

Q.
Tさんが自動車をAさんに2万ドルで売却したとき、どちらが得をしてどちらが損をしたか答えよ

 この場合、Tさんは自動車を失い2万ドルを手にします。反対にAさんは自動車を取得し2万ドルを失います。実は取引された自動車が1万ドルの価値しかなかった、あるいは本当は3万ドルの価値があったならば、この時点で結論を出す人もいることでしょう。しかし2万ドルという取引価格が市場バランスの中で妥当なものであった場合はどうでしょうか。取り敢えずトランプ大統領の頭の中には答えがあるようです。

Q.
3万円の商品を購入したとき、使ったお金はなくなるか答えよ

 この場合、購入者は商品を得る対価として3万円を支払います。購入者の手元から3万円は「消えてなくなってしまう」わけですが、一方で販売者の帳簿には3万円が追加されます。日本の法律では使用済だからと貨幣を鋳つぶしたり紙幣を裁断したりすることは禁じられており、「使われた」金銭は必ず誰かが受け取ることになります。ただ、無駄削減を訴える人、歳出削減に取り組む人々、財政の持続可能性を問う人々の頭の中には少し違う答えがあるようです。

Q.
国債が発行されると何が起こるか答えよ

 仮に発行された国債が1,000万円購入されたとすると、購入者の口座からは1,000万円が差し引かれ、代わりに1,000万円分の金融資産を取得することになります。そして国の予算は1,000万円ほど増えることになります。これは銀行への預け入れと似たところがあり、1,000万円を銀行に預けると現金はその分だけ失われますが、自身の口座の残高は同じだけ増えます。国債も銀行への預金も時には現金化を求められることもありますが、そこで「借金」は発生しているのでしょうか。取り敢えず財務省には揺るぎない教義があるようです。

Q.
次の3つの中から最も裕福な家庭を答えよ

1.月収20万円、支出19万円/月
2.月収30万円、支出30万円/月
3.月収40万円、支出41万円/月

 この辺は国によって回答にばらつきが出そうな気がしますね。とりわけ近年の経済成長率とも相関関係が得られるのではないかと思います。内戦国を除くと世界で最も成長していない我が国であれば「1」を回答する人の割合が高い、逆に成長率の高い国ほど「3」を選択する人の割合が高くなるであろう、というのが私の仮説です。

Q.
次の3つの中から最も優良な企業を答えよ

1.年間収益1億円 年間費用9,900万円
2.年間収益10億円 年間費用10億円
3.年間収益100億円 年間費用101億円

 これもまた国によって回答にばらつきがありそう、かつ経済成長率と回答比に相関関係が出そうな気がします。実際のところ世界一の低成長の中でも内部留保だけはうなぎ登りというような国では、当の経営者すらも「1」を理想とみているのではないでしょうか。一方で世界で注目を集めるような急成企業も実は創業以来赤字続きというのは珍しくなく、ビジネスの規模が拡大していれば良し、みたいな判断の方が強いと考えられます。

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会社の偉い人がAIに理解がなくて困る

2025-04-06 21:22:42 | 雇用・経済

 昨今のAIブームも昨今では一段落という意見が一部で聞かれ始めているところですが、皆様の勤務先ではいかがでしょうか。確かにAI関連の半導体企業の株価はトランプ関税ショックよりも先行して失速の気配を見せており、これまでの過熱ぶりから少しばかり世間が冷静になったようにも思うところです。

 ちなみに私の勤務先ではDeepSeekなど中国企業開発のAIこそ厳格な禁止令が出されているものの、欧米企業による開発であればAI利用促進が全社的な目標とされており、各組織・各支社がそれぞれAI活用の度合いを競っています。私も上長から、AI人材として全社のAIの積極活用をリードしていって欲しいと、そんな組織目標を課されていたりするわけですが、さて……

・・・・・

 マヨネーズは、皆様お好きでしょうか。食の好みは人それぞれですが、マヨネーズが人口に膾炙した調味料であることに疑問の余地はなく、幅広く愛されていること自体は間違いないように思います。では仮にマヨネーズが好きだとして、ありとあらゆる料理にマヨネーズをかけるとしたらどうでしょう。マヨネーズは好きでも、どんな食品でもマヨネーズが合うわけではない、というのが正常な感覚のはずです。しかし世の中にはマヨラーなどとも呼ばれる、本当に何でもマヨネーズを使いたがる人がいます。

 昨今の進化した生成AIは過去に現れては消えていったAIブームの産物よりも格段に強力ですが、それは多分マヨネーズのようなものだ、と私は思います。マヨネーズは使い勝手が良く、幅広い層に好まれる調味料として定着していることは確かですが、それでも全ての食品に合うわけではありません。全ての料理人がマヨネーズの使い方をマスターする必要もないでしょう。AIもまた同じで役に立つ場面はあるにせよ、それが全ての場面において最適解であるかと言えば、当然ながら違うわけです。

 ところが会社の偉い人の頭というものは、なんにでもマヨネーズをかける人の舌と同じレベルだったりします。AIブームに乗り遅れてはならない、もっとAIを使うべきだ、AIを使えば会社の抱えている課題が解決できるのに、そうならないのはAI活用が足りないからだ──こんなノリでAI利用の促進が全社的な目標となっていたりするのですが、いかがなものでしょう。

・・・・・

 手品には、タネと仕掛けがあります。しかし「理解がない」人は手品も魔法に見えてしまうのかも知れません。AIも然り、それには当然ながら動作する仕組みがあるのですが、AIに理解がなければないほどAIが魔法のように何もかもを解決してくれると思い込みがちです。AIを勉強すれば何に使えて何に使えないかを理解することが出来ますが、不勉強な人はAIさえ使えば物事が何でも上手くいくようになるのだと、そう勘違いしているわけです。

 かくして我が社では「どれだけAIを使ったか」が評価の尺度となりつつあります。業務を適切に処理したかどうかという「結果」ではなく、そこに至るまでにいかにAIを活用したかという「手段」こそが大事であり、どれほど結果が良くともAIを使っていないのは進歩に欠ける怠惰な姿勢と見なされ、逆に結果が疑わしくともAIを使えば将来に向けた積極的な取り組みと賞賛される、とにもかくにもAIを使っているかどうかが問われるようになりました。

 ただ、この辺は会社上層部がAIだけではなく自社の業務を理解していない、自社の業務にAIを持ち込むことが適切かどうかを判断する材料を持っていない、というのもあるように思います。自分たち幹部の役割こそがAIでは代替不可能な仕事であり、一般社員の業務などはAIによって代替できるものなのだと、そんな信念があるだけとも言えるでしょうか。こんな幹部層に向けて「AIを使って○○をやりました!」と見た目だけは華々しいプレゼンを展開して評価を勝ち得た人が次世代の幹部となる、そうした輪廻が今の日本経済を導いているようです。

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誰でも出来る仕事

2025-03-24 21:10:47 | 雇用・経済

 「良い大学」みたいに言われたとき、それは何を指しているでしょうか。要素としては色々とあるわけですが、最大公約数的な評価は「偏差値が高い(入試難易度が高い)」ところに落ち着くかと思います。偏差値が高く、入学するのが難しい大学ほど世間での評価も上になる、この辺は滅多なことで揺らぐものではありません。

 昨今ではそんな入試難易度の高さを誇る大学も推薦枠が増える一方で、真っ当に入学試験を受けて合格する人が少数派になりつつあるなんて話も聞きます。大学の世評は一般入試の難易度の高さによって担保されているにも関わらず、そこに推薦枠で潜り込む人には「ただ乗りだ」とのやっかみの声も聞こえるところ、これは分からないでもないでしょうか。

 ともあれ「入るのが難しい大学」の卒業生ともなれば就職活動における肩書きとしては圧倒的、そんな大学に推薦枠で入り込むような要領の良い生徒ともなれば名高い大企業からも引く手あまたかも知れません。一般入試枠が引き上げる偏差値によって大学の威光を高め、これを上手く利用した推薦枠の生徒が就活のジャンプ台として飛び出して今度は大学の就職実績を稼ぐ──みたいなスパイラルもありそうです。

 そして次なる「良い就職先」もまた然りで、これは大学以上に様々な要素が入り交じりますが結局は「入るのが難しい会社」、「就くのが難しい職業」に落ち着く部分もあるのではないでしょうか。入るのが難しい大学ほど世評が高くなるのと同じように、就職先もまたそこに至る難易度が高ければ高いほど世間で重んじられる、そんな傾向は見て取れるように思います。

 逆に言えば「入るのが簡単」だと世間的には価値の低いものと見なされるわけです。大学なら入学後の教育をどう頑張っていようと誰でも入れるような偏差値の低いところは軽んじられる、就職活動でもプラスにならなかったりしますし、就職先であれば尚更のこと、それは給与水準に強く反映されるものでもあります。しかし当たり前のように続いていた現状が持続可能なものであるかは別の話、というのが私の意見です。

 賃金水準は何によって決まるのかと考えたとき、それは「就職難易度」が最も当て嵌まりやすいのではないでしょうか。例えばビジネスの収益性はどうかと言えば、行政や軍事、警察や消防など全く稼いでいないはずの職業は別に低賃金ではありません。医者だって収益性は一部の悪徳を除けば国の定める医療費次第なのですから、この辺は「稼げるかどうかよりも」政治的に必要と見なされているかどうかの違いでしかないわけです。

 では社会的に必要と見なされているかどうかは賃金に影響するのかというと、福祉や清掃、運送や建設といった分野の賃金は他業種に比べて低い水準にあります。この辺は世の中に必要不可欠であり、もし従事者がいなくなってしまえば我々の社会は破綻してしまうわけですが、だからといって軍や警察のように採算無視で維持されるようなことはなく、各事業者と従事者の踏ん張り次第となっているのが実態です。

 一方で世の中に不必要どころか害しかもたらさないような職業、例えばコンサルタントなどは高給を得ているケースが多かったりします。社会に不必要でも誰かが高値を付けることはあるのですが、それがどこから来ているのかと考えたときに根源として「就職難易度」が大きく関わっている、就くのが難しい仕事は高い対価が支払われるのにふさわしいと信じられている……というのが私の説です。

 この対極として「就職難易度が低い」仕事は軽んじられる、世の中に必要不可欠であっても「誰でも就ける仕事」は給与水準を低く据え置かれる傾向にあります。ところが「誰でも就ける仕事」は就職が簡単なだけで業務内容自体はむしろ負担が重い、必ずしも「誰でも続けられる仕事」ではなかったりする、この違いを有識者として扱われている人ほど理解できていないのではないでしょうか。

 「就職するだけなら」介護の仕事は簡単かも知れません。ただ就職した先の業務は、決して誰にでも続けられるものではないわけです。にもかかわらず「就職難易度」が賃金の決定要因となっているが故に仕事はきつくても給料は低い、こうなると人が集まらなくなる、人が集まらない業界は採用のハードルを下げざるを得なくなる、しかし採用のハードルを下げることで輪をかけて就職難易度が下がって世間的に軽んじられる──そんな悪循環が出来上がっているように思います。

 就職難易度ではなく社会的な必要性に基づいて賃金が定められ、そうした仕事には軍や警察と同様に採算性を考慮せず行政がお金を出せば、介護士や保育士、ドライバーや建設作業員の不足も今ほどではなかったことでしょう。しかし現実には、仕事の負担の割に賃金が低いので人が集まらない、人が集まらないので採用のハードルが下がる、それで就職難易度が下がって「誰でも(就職)できる仕事」として低賃金も当然と扱われる、負のスパイラルから抜け出すことが出来ていません。

 市場原理に任せてしまえば、低賃金⇒就職難易度低下⇒世評の低下⇒低賃金という連鎖を断ち切るのは難しいです。それが滅んでも構わない職種であるならば問題ないのですが、往々にして悪循環に陥っているのは社会に必要不可欠な仕事であることが多いのではないでしょうか。こうした社会に必要な=公益性の高い仕事は政治的に予算を割り当てる以外にあり得ないのですが──そのためには我が国の主要政党と財務省に蔓延る家計簿的な財政観を破壊していくことが前提になるのかも知れません。

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労組の役割

2025-03-03 21:25:23 | 雇用・経済

 さて巷では「春闘」が始まっていると伝えられています。一部の人にとっては重大事のようですが、大多数の人にとってはどうなのでしょうか。昔はいざ知らず現代は労組加入者も多数派ではなくなり、組合の存在しない大企業も珍しくなくなりました。そこで組合のある企業だけが賃上げを勝ち取り、組合のない企業は賃金据え置きのまま──という状況であれば労組や春闘の意味も疑う余地はありません。しかし実態は、せいぜいアクティブファンドとインデックスファンドの違いくらい、といった印象です。短期的にはアクティブファンドが成功を収めることもあるのですが、しかし長期的に見ると???

 実際のところ、昨今で目立って賃金が上がったのは「新卒」です。仮に労組の働きによって組合員の賃金が上がった会社はあるとしても、それ凌駕する上昇幅で新卒者の賃金を引き上げる企業が相次いでいます。結局は市場原理の力が大きい、企業が希少な若年層を奪い合えば新卒者の給料は劇的に上がる、雇用側が社員を囲い込もうとすれば賃金は上がる、逆に誰も採用したがらない年代の社員であれば賃金を下げても大丈夫、それが現実ではないでしょうか。組合潰しで悪名高いヘンリー・フォードが従業員の給与を倍増させることで熟練労働者を確保していたことは、まさに象徴的です。

 私が今の勤務先に入社した頃、「組合の強い会社だよ」と言われました。確かに、御用組合の強い会社なんだなと今では実感しています。事実上のユニオンショップ制で採用時は人事の手ほどきにより組合へ全員加入、会社が決めた労働条件の変更にも組合が全従業員を代表して同意することで社員の不満を封じ込める、それが労組の役割となっています。もちろん春闘などでも猛々しい言葉を並べて会社に要求を突きつけるフリをしてはいますが、結局は同業他社に及ばない賃上げ率で「苦渋の決断」を下すのが恒例と、もっぱら「プロレス」と呼ばれているのが現状です。

 組合の役員なんてのもPTAの役員と同じで、誰かが志を持って引き受けるのではなく罰ゲームのように持ち回りで扱われていたりします。誰もが組合に不満を抱きつつも、それを変えようとするのも難しい、と言ったところでしょうか。これを思えば日本の議会選挙なんてのはマシな方なんだな、とも思います。投票という負担ゼロの行動によって支配層の力関係が変わる、こんな手軽な仕組みは労組の世界にはありませんから。政治の世界には投票という意思表明の手段がある、しかし労組の世界では自分が矢面に立って本業そっちのけで行動しないと何も変えられない、日本の政治も大概ですが、労組はもっとまずい気がしますね。

 前々から、労組の世界の政権交代も必要だと私は主張してきました。共産党の影響を排除すべく作られた御用組合の「連合」が多数派として労働者を代表する権利を与えられているのが現状ですけれど、その結果として賃金の上がらない時代が長らく続いてきたわけです。そして組合員でも何でもない実績ゼロの新卒者の給与ばかりが大幅に引き上げられたり等々、労組が期待されている役割を果たしてこなかったことに議論の余地はありません。これが政治の世界であれば与党「連合」は支持を失って下野しても良さそうなところ、しかし労組の世界に政権交代の仕組みは……

 やるとすれば、まず連合傘下の御用組合から脱退する、その上で会社と戦える組合に加盟するか、自分で組合を作るかですね。この過程では必然的に、御用組合とも戦わねばなりませんし、その同盟者である会社の人事とも戦うことになります。選挙で野党に票を投じるような、そんな生半可な気持ちで出来ることではないでしょう。ことによると真に「民主化」が必要なのは労組の世界、野党に投票するぐらいの軽い気持ちで執行部の人事を入れ替えられるような、そんな仕組みが時代に求められているのかも知れません。

 何はともあれ、春闘を前に勤務先の組合からは「時間外拒否闘争」の指令が下されています。読んで字のごとく「時間外労働を拒否する」ということなのですが、これに意味があると思っている組合員は誰もいないことでしょう。ストライキのように本当に会社に打撃となるような取り組みであれば、会社からの譲渡を引き出すだけのカードになりますけれど、では時間外の拒否で会社が苦しむかと言えば、そこは職場次第、少なくとも私の勤務先では会社が困るようなことは全くなかったりするわけです。

 社員に時間外労働させて増産に取り組んでいる最中の工場などであれば、確かに時間外労働の拒否は会社の痛手となります。しかし経営側が残業代の削減に取り組んでおり、残務があれば社員が自分で対処しなければならないような職場では、時間外の拒否など会社から見て痛くも痒くもありません。工場労働者が中心の時代であれば、組合が指示するような方法でも会社への圧力となったことでしょう。しかし現在の産業は工場労働からは大きく様変わりしたものが多数派を構成しており、むしろ時間外の拒否は社員の首を絞める要素の方が強いとすら言えます。

 春闘期間において本当に会社へ圧力をかけたいのであれば、やるべきことは逆のはずです。雇用側も歓迎する時間外の削減など、「闘争」からは全く相反する試みでしかありません。だから反対のことをやる、積極的に残業する「生活残業闘争」の方が戦術としては正しいわけです。会社が賃上げに応じないのであれば、組合員はダラダラと会社に居座って残業代を請求する、早く帰れと言われても仕事が残っていると主張して応じない、こうなれば会社側も何らかの譲歩を考えざるを得ないことでしょう。もし労組が本当に会社と戦う気があるのなら、組合員には積極的に残業させるべきですね。それをやらない組合は、労働者ではなく雇用主の方を向いています。

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政治の役割

2025-02-17 21:30:21 | 雇用・経済

 ……こんな書き込みが少しだけ注目を浴びていたりしたのですが、いかがなものでしょう。これを書いたのは都民ファーストの会に所属する現役の都議会議員とのことで、上記のような認識は社会に一定の影響を及ぼしていると思われます。取り敢えず低所得でかつ女性が多い仕事としては介護や保育などが挙げられますけれど、こうした人々にリスキリングや仕事斡旋などを通じて転職を促せば、もう少し給与水準の高い業種に移ること自体は可能なのかも知れません。

 先般は埼玉県八潮市で大規模な陥没事故がありましたが巻き込まれた運転手は救出できず、復旧には急いでも3年かかかるとの見解すらあります。他県でも類似した陥没事故は相次いでいるところですけれど、そもそも復旧に必要な土木工事の人員が足りないのだとか。そして建設業の中でも土木従事者の給与水準は目立って低いようです。土木作業員にリスキリングや仕事斡旋などを通じて転職を促せば、取り敢えず低所得者支援にはなると言えますが、その結果はどうなるのでしょうね。参考、建設業の平均年収は567万!年齢別・業種別・地域別など詳細データも紹介(建設魂)

 なお家計の消費支出に占める食費の割合を示す「エンゲル係数」は上昇傾向が続き単月では30%を上回るなど、過去40数年来の高水準にあるそうです。賃金水準の長期低迷や税金と保険料の上昇に加えて、食品価格の大幅なインフレが原因として挙げられますが、それでもなお生産者側が儲かる状態にはないのだとも言われています。確かに第一次産業の平均所得は二次産業、三次産業に比べて顕著に低いわけです。ならば農業や畜産業の従事者にリスキリングや仕事斡旋などを通じて転職を促せば、低所得者支援としては有効──なのかも知れません。

・・・・・

 出産には特別のスキルや資格を求められたりはしませんが、少子化は加速する一方です。献血は健康な人間であれば誰でも出来ますが、血液は慢性的に不足しているわけです。誰でも出来ることは、誰かがやってくれることではありません。誰でも出来るはずなのに、誰もやってくれない、そんな未来は十分にあり得ます。世の中が必要としていることは、必ずしも人々が率先してやりたがることではありません。だからそこには何らかの正の動機付けが必要になってくると言えますが、政財界の理解はどれほどのものでしょうか。

 維新村こと大阪ではバス運転手の給与水準が異常に高いと憤慨する政治家が支持を集め、その給与水準を大きく引き下げた結果、今では路線バスの維持が困難になり開幕の迫る万博の送迎バス運行にも暗雲が立ちこめています。では解決策は何か──これは至って単純なことで、今の惨状を招いた方法と真逆のことをやれば良いとしか言えません。世の中のために必要な仕事には政府や自治体が金を出す、ただそれだけのことで自体は改善に向かうことが見込まれます。

 社会にとって必要な職種ほど賃金が低く抑え込まれる傾向は他国でも見られるところですが、そうした市場原理のゆがみを是正する役割を政治が自覚しているかどうかで、社会の持続可能性は変わります。社会に必要だけれど低賃金の仕事に就いている人々が、リスキリングや就職支援を通じて社会には必要ないが高給の仕事(例えばコンサルタントなど)に移動すれば、我々の世の中がどうなるかは容易に想像できることでしょう。

 総じて給与水準は「社会に必要とされているかどうか」とは無関係で、「就業難易度」に左右されるところが大きいです。社会に必要でなくとも就くのが難しい仕事は給料も高い、そして給料が高いから就きたがる人が増えて競争率は高まり、さも権威ある仕事のように錯覚されてしまう、反対に社会に欠かせなくとも就くのが簡単な仕事は給料が低い、給料が低いから就きたがる人が増えず人手不足となり、ますます採用のハードルが低くなることで価値のない仕事であるかのように誤解される、それが市場原理のもたらす負の循環です。これを是正するのもまた政治の役割ですが、為政者達の認識はどれほどのものやら。

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NISEの日

2025-02-13 21:17:57 | 雇用・経済

 いわゆるバブル景気と呼ばれた日本経済の絶頂期、私の父は株を買い始めました。もちろん、その後は株価が急落し私は速やかに手放すよう伝えましたが、父は損切りの概念を理解できず「今、手放したら損をするんだよ?」としか言いませんでした。時は流れて2024年2月22日、日経平均株価は1989年12月29日以来の史上最高値を更新しました。実に34年ぶりのことです。この頃になると父が保有を続けていた株も購入時の価格を上回るようになり、父は「儲かった」つもりでいます。

 幸いにしてバブル崩壊前までに結構な昇進を果たしていた父には十分な給与所得があり、保有した株式を塩漬けにしていた30年あまりの間にも日々の生活費や子供の進学費用に困ることはありませんでした。むしろ余剰資産が株式の形で凍結されていたことで父の浪費癖が抑制されたことを鑑みると、私の一家にとってはプラスであったかも知れません。しかし個人消費の低迷が景気回復を長年にわたって妨げていると政府も認めている中で、この株式の長期保有はどういう役割を果たしていたのでしょうか。

 2月13日は「NISAの日」なのだそうです。「勤労から投資へ」――働いて稼ぐよりも投資で稼げという岸田内閣のスローガンの元、昨今では不法行為によって得た金銭を投資に回す人々もまた見られるようになりました。そうでなくとも「投資しなければ損をする」という雰囲気の中で日々の消費を切り詰めて投資に回している人も多いことでしょう。そうして投資された金融商品も時には下がったりするわけですが、恐らく30年もすれば大半は価格の上昇が見込まれます。もっとも、「それまで」消費に回されることなく塩漬けにされた金銭がどこに消えてしまうのかは考慮されねばなりません。

 

昨年経常黒字、過去最高 29.2兆円、配当金など増加―財務省(時事通信)

 財務省が10日発表した2024年の国際収支速報によると、海外とのモノやサービスの取引、投資収益の状況を示す経常収支の黒字額は前年比29.5%増の29兆2615億円と過去最高となった。配当金や利子の収支を示す第1次所得収支の黒字拡大が主因。同収支の黒字幅も過去最大だった。

(中略)

 輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は3兆8990億円の赤字(前年は6兆5009億円の赤字)。

 

 とかく「国の借金」が強調される我が国ですが、現実には一貫した経常収支の黒字国家でもあります。この辺はイメージとは真逆で、貿易収支については輸入超過で赤字続きでありながら投資による収益がそれを大きく上回っている、日本は輸出国家との誤解を抱いている人も多そうですが、実のところ日本は投資立国となっているのが現実です。トランプ大統領などもアメリカの貿易赤字を減らすと息巻いており、そこに媚びを売る形で石破総理は米国への投資額を1兆ドルに引き上げるなどと語っていますけれど、こうした動きは投資所得に大きく偏った日本の現状を一層のことエスカレートさせると予想されます。

 ここで問題ですが、Tさんが2万ドルでAさんに自動車を売ったとき利益を得るのはどちらでしょうか? 回答はさておき、トランプは金銭を支払うAさんの方が損失を被っている、だから是正すべきだと考えているようです。では次の問題として、JさんがCさんに3兆円を投資したとき、利益を得るのはどちらでしょうか? この辺は、相手がCさんの場合とAさんの場合とで回答が分かれそうな気もします。まぁ回答自体はどちらでも良いのですけれど、一つの問題として日本は他国への投資額が多く、それで黒字を稼いでいる一方、海外から日本への投資が極端に少ない極めてアンバランスな状態にあることは意識しなければなりません。

 

北朝鮮をも下回る日本の「対内直接投資」の惨状。実は、円安時代の“希望の星”になれるかも…(BUSINESS INSIDER)


【図表1】主要国の対内直接投資残高(%、対名目GDP比、2021年)。経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国で見ると、日本は最下位。

 

 ただでさえ国外からの投資が少ないにも拘わらず今以上にアメリカへの投資に力を入れるとなれば、尚更のこと日本の国内産業は競争力を失うことでしょう。もし投資が投資を受ける側の国や企業の力になると考えるのであれば、それは国内企業に多く振り向けてこそ自国のためになるというものです。しかし日本は「投資で儲ける」という発想しかない、自国の産業に投資して育てるのではなく投資で利益を出すことばかりを考えている、「(自国の)産業振興から(海外)投資へ」──それもまた岸田内閣のスローガンであったのかも知れません。

 そして流行のNISAも然り、買われている金融商品は専ら「S&P500」や「オール・カントリー」など主としてアメリカ企業の株式に投資するものです。手数料を得る日本国内の証券会社には利益があるのかも知れませんが、結果的に投資を受けるのは国外の企業です。新NISA制度によって俄に投資に手を出す人が増えた、それでアメリカ株を中心とした金融商品を日本人が買い漁った、こうすることでアメリカの株高を支えてきたという点では、岸田文雄という誰よりもアメリカの利益を優先してきた政治家の本懐は遂げられたと考えられますけれど、日本の国益としてはどうなのでしょうね?

 もっとも日本の企業が資金調達を必要としているかと言えば、記録的な低金利でも銀行からの借り入れは振るわず、非金融法人の預金残高は潤沢、従業員の給与にも設備投資にも回らなかった利益剰余金すなわち内部留保はうなぎ登りなのが実態です。むしろ事業拡大ではなく企業自らが資産運用で利益を出そうとする始末、仮に国外から日本への投資が増えたところで日本の企業が育っていく未来はなかったのかも知れません。個人は勤労よりも投資で、法人すらも事業よりも投資で利益を確保しようとする、それが日本の姿になっているわけです。

・・・・・

 ついでに補足しておきますと、基本的に金融商品とは転売商材に過ぎない、と言う点は理解されるべきと思います。株も債券も企業が新規発行した時点で購入されれば企業の資金となり得ますが、その後は投資家の間で売り買いされるだけであり、後者の取引の方が圧倒的多数を占める代物です。誰かから株を買って、それを別の誰かに高値で売りつける、こうした転売の繰り返しが投資であって、そこから利益を得る人はいても企業が資金を調達できるものではありません。他国から自国を守るために強い金融市場は必要だとしても、そこに国民を誘導する現在の政策には嘘偽りが多すぎると言えます。

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ビジネスマンの本質

2025-01-26 21:44:09 | 雇用・経済

 「トランプの本質はビジネスマン」──そんな風に国内メディアでは語られることも多いです。これは妥当な評価なのでしょうか? どうも私には、事実関係や合理性よりも自分の好き嫌いが優先の単なる我儘な人としか思えません。だからこそ前任者よりは相対的に良い、世界をアメリカの敵と味方に分断してきたバイデンは人類にとっての害悪と言えますが、それに比べればトランプが巻き起こすであろう揉め事の範囲は広くない、アメリカ国内が混乱に陥るのは大いに結構……というのが私の評価です。

 ただ、うちの会社の偉い人も同じようなものだな、とも思いました。合理的判断が出来ない、地位を得るのが上手いだけ、しかるべく検証なしに自分の思いつきと好き嫌いで会社を振り回す──これがライバル会社のトップであれば大歓迎ですけれど、自社の幹部としては甚だ迷惑な話と言えます。そして自分がこれまでに働いてきた会社の役職者が軒並み無能で、反対に他社の経営層が有能であるかと考えると、そうでもなさそうな印象です。財界の偉い人々の言葉を聞くに、漏れなく無能だな、と。

 この辺を踏まえると、実は「トランプの本質はビジネスマン」という世評は意外に当たっているのかも知れません。我が国の経済界において上り詰めていく人は馬鹿ばかり、すなわち「馬鹿」こそが「ビジネスマン」の本質であり、それこそまさにトランプの本質なのではないでしょうか。この30年間、日本経済は世界に類を見ない低成長を維持してきました。普通の国では内戦でも勃発しない限りは起こり得ない低い成長率を、日本は平和と両立してきたわけです。内戦国を除けば実質世界一の低成長を実現した日本の「ビジネスマン」をトランプの本質に当てはめるのは、よくよく考えると理に叶っています。

・・・・・

 先週はアメリカ企業でトランプに倣って多様性目標などを廃止する企業が多い云々という話を取り上げました。今だって十分に中身が空疎なんだから大した違いはないだろう、と私は思ったところです。そういえば私の会社にも、男女平等の目標達成のために抜擢されたであろう絶望的に頭の悪い女性役員が居並んでいます。男女平等の理念がなければ、あんな馬鹿女が高い地位を得ることはなかったことでしょう。男女平等の理念がなければ、同程度に頭の悪い男性が役員の座を占有していたはずです。トランプ的な理念が日本国内にも浸透すれば、馬鹿女と馬鹿男の公平な役員人事から、馬鹿男による地位の独占へと逆戻りするのかも知れません。でも、それは良い話でも悪い話でもない、心底どうでもいい話ではないでしょうかね。

 頭は良くないけれど出世だけは得意な女性にとって、旧弊な男性社会は望ましくない世界でした。ただ頭の悪い男性に代わって頭の悪い女性が要職を占めるようになったところで、真面目に働く社員達の暮らし向きが向上したり労働環境が改善されたりすることはありません。性別が異なったところで、馬鹿は馬鹿です。例えば小池百合子や高市早苗、上川陽子や芳野友子みたいなのがトップに立てば世の中は良くなるでしょうか? それは単に性別が変わるだけ、世の中が変わるわけではありません。今の世の中は男女不平等ですが、だからといって頭の悪い男性を頭の悪い女性に置き換えたところで何の意味もないよ、というのが私の見解です。

・・・・・

 世界一の低成長を成し遂げた、それも偶発的要因に頼らず30年という長いスパンで低成長を継続させてきた日本のビジネス界には、無能な人間を頂点へと押し上げる仕組みが根付いています。経済を成長させる能力ではなく経済を停滞させる能力が評価される、そうした世界で活躍するのが我が国の「ビジネスマン」です。これがライバル会社の人事であればほくそ笑むところですが、無能に権力を持たせても国内企業同士の力関係に急激な影響を及ぼすことが少ないのは、どこの会社も似たようなものだからと考えられます。たぶん日本の発展のために必要なのは、今までの人事評価基準を180°改めることでしょうね。

 再び海の向こうに目を向けると、トランプの続投を可能にすべくアメリカ大統領の任期は2期8年までという規定を変えようなんて主張もあるそうです。4年も経てば揺り戻しが起きそうな気もしますが、私は法を曲げてでもトランプ続投が良いと思います。どうせなら3期、4期と言わず終身でも良いでしょう。とかくアメリカを宗主国と見なして行動する人々が政財界においては圧倒的多数を占めるわけですが、本来は宗主国ではなくライバル国なのですから。不当な介入があったときには断固として立ち向かわねばならない相手でもあります。衛星国を糾合してアメリカの敵に立ち向かわせようとするバイデンみたいな輩こそが真の害悪、むしろアメリカにはトランプ的なものが蔓延して自縄自縛に陥ってもらう方が日本の国益に叶うというものです。

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解雇規制を巡る幻想と現実

2024-09-15 21:46:10 | 雇用・経済

 先日は民主党に続いて自民党も正式に総裁選立候補者が固まりました。誰が勝っても良い結果には繋がらない気はしますが、事前に結果が読めるような出来レースではなくなったのはポジティブに評価できるでしょうか。先の東京都知事選も悪ふざけのような候補が乱立しましたけれど、なんだかんだ言って政治への関心が高まったのか投票率も上昇しました。これ自体は間違いなく良いことで、後は真っ当な候補が出馬するようになれば……というところですね。

 先週の記事では一つだけ肯定できる(ただし、即座に撤回された)政策案を取り上げました。残念ながら良いものほど政府与党内だけではなく、国民の間でも反発が強かったりする、逆に悪いものもまた政府与党の間だけではなく国民からも待望論が根強かったりするわけですが、まぁ「民主的な」選挙を繰り返しても向上できない国というものは政治家以外の部分にも問題を抱えているのだと思います。

 そこで今回は小泉進次郎らが主張する解雇規制緩和論をピックアップして考えてみましょう。解雇規制を緩和することで経済成長に繋がる、雇用機会の創出に繋がると推進派は主張して来ました。しかし解雇規制とは何なのか、あたかもそれが存在するかのごとき集団幻想が形成されている一方で、「正社員は解雇できない」とする根拠として法律の条文を提示しているケースを私は見たことがないです。

 これは当たり前の話で、日本の法律に正社員の解雇を禁じる規定はありません。ただ「合理的な理由がなければ無効」とされているだけで、裏を返せば理由付けさえ出来れば解雇は可能であり、解雇の正当性を問う判例はあっても解雇そのものを禁止した事例はないわけです。実際のところ社員の整理解雇は日本でも普通に行われており、それを歴史修正主義者よろしく「なかったこと」にしている人がいるに過ぎません。経済誌に「正社員は解雇できない」と書かれているのは聖書に「キリストが復活した」と書かれているの同じで、それは事実ではなく信仰告白を意味します。

 まず「理由があって手続きを踏めば解雇できる」という現実がありますし、そもそも「不当に」解雇することだって可能です。例えば私人による殺人を合法化している国は存在しないと思いますが、殺人が発生したことのない国は皆無でしょう。解雇も然りで仮に解雇が合法でなかったとしても、権力さえあれば不当に解雇することは可能です。そして殺人罪とは異なり不当解雇は刑法で裁かれるものではありません。不当に解雇された側が裁判に訴えない限り経営側はノーダメージ、良心さえ捨てれば基本的には自由に解雇できるのが実態です。

 他にも正社員の給与の引き下げは経済誌では「出来ない」と書いてありますが実際は可能ですし、中高年層の雇用を守るために若者の雇用機会が奪われたとこれも経済誌に書いてありますが、90年代の景気後退期に真っ先に会社から追い出されたのは中高年層です。結局のところ解雇規制緩和論とは経済誌に描かれたフィクションを前提にしたものであり、現実に向き合うものではない、解雇規制緩和論を掲げる政治家というものは、世の中で実際に起こっていることではなく聖書=経済誌の記述に基づいて政策を決めるいわば神権政治を唱えているのだと言うことが出来ます。

 また雇用・人材の流動化が必要であると叫ばれてもいますが、それとは裏腹に若年層の早期離職が嘆かれてもいるわけです。若者がすぐに会社を辞め、他の職場へと流れていくのはまさに流動化の果実と言えますが、これを否定的に見る向きはむしろ政財界にこそ多かったりします。ならば、流動化を否定して社員が自社に定着する世の中を目指せば良さそうなところ、しかるに世代が変わると経営側の目線も変わる、若者の離職を防ぎたい一方で中高年相手になると途端に追い出したがるのが実態です。結局のところ雇用の流動化云々は建前であって、実際に望んでいるのは「年寄りは追い出して若い子に入れ替えたい」というだけのことでしょう。

 また「成長産業への人材の移動」云々とも言われますが、そもそも成長産業とは何か、これも具体的なところは言われていないように思います。そしてもし「成長産業」が大きな利益を上げて事業を拡大させている業界を指すのであれば、既に十分な人員を確保できているはずです。人手不足が原因で成長産業が頭打ちになっているのであれば、そこに人材の移動を促すのは政策として合理的かも知れません。しかし本当に「成長産業」で人手不足かと言えば、そんなことはないわけです。本当に人手不足なのは「仕事がきつく、その割に低賃金の業界」ではないでしょうか。

 人手不足で名高いのはなんと言っても介護業界であり、他に運送業、建設業、保育士などが挙げられます。いずれも世の中の需要は大きいところですが、しかしこれが「成長産業」なのでしょうか。どれほど社会のニーズは高まっても、安く買いたたかれて利益は伸びない、当然ながら経済の牽引役からは遠いのが実態のはずです。そこで働く人の給与も右肩上がりであってこそ、本物の成長産業と言えます。逆に人手不足なだけ、従業員の給与は低く据え置かれたまま、そんなものは決して成長産業とは呼べません。

 もちろん世界で争うレベルの先端技術を担えるような人材は成長産業においても不足しているのかも知れませんが、それはどこの国でも同じ話で、大谷翔平みたいな突出した逸材は奪い合うしかない、雇用の流動化ごときで誰もが手にできるものではないわけです。雇用の流動化で得られるのは「平凡な人材」であり、いくら「リスキリング」などを施したところで世界のトップを争うレベルに達することはできない、この程度のことは誰にでも理解できるはずです。

 そして「自分磨きに精を出した40歳」と「特に何もしていない20歳」、結婚相手がすぐに見つかるのはどちらでしょうか? 就活も恋愛も同じで、若さこそが絶対的な価値を持ちます。ただ学校を卒業しただけの若者と、「リスキリング」とやらを受けた中高年、企業が機会を与えたがるのはどちらでしょうか? 解雇規制緩和論とセットで取り上げられることの多い「リスキリング」ですけれど、何をどう足掻いたところで中高年を採用したがる職場は限られているのが実態です。

 ただ中高年でも、本当に人手不足の業界なら採用の見込みがあります。それ即ち介護であったり、運輸や建設等々ですね。結局のところ実態としては水商売と同じで薹が立った人間は切り捨てて若い子に入れ替えたい、追い出されて行き場の失った中高年が人手不足産業(介護など)に流れてくれれば万々歳、これが雇用流動化論の本当の思惑であり、解雇規制緩和論の本質ではないかと考えられます。経済成長のためではなく、経営層の満足を満たすため、低賃金や重労働の産業を維持するため、そのための方便なのではないか、と。

 

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 なお解雇が自由に行えるとされている国でも差別的な理由による疑われる場合など不当解雇と認定される範囲は少なからずあり、とりわけアメリカなどでは莫大な懲罰的損害賠償を課されるリスクが大きく、決して経営側の恣意的な解雇が可能というものではありません。むしろ訴訟リスクが皆無に近い日本の方が、解雇は容易であるとも考えられます。

 

カリフォルニア州における雇用・解雇について(弁護士 戸木 亮輔)

人種や出自を理由にした差別的処遇が認められた事案で、FedExに計61ミリオンドル(1ドル130円で計算すると約79億円)の支払が命じられた例(2006年、アラメダ州裁判所)

ホテル運営会社Wyndhamでタイムシェアホテルのセールスマンとして働いていた原告が、他のセールスマンが高齢の顧客に対して詐欺的なセールスをしていると報告した後に解雇され、計20ミリオンドル(26億円)の損害が認容された例(2016年、サンフランシスコ州裁判所)

解雇に至った主たる動機が労働者としての権利を主張したり妊娠していたりしたことであることが認められ、Chipotle(アメリカでは有名なメキシコ料理ファーストフード店です)に計8ミリオンドル(約10億円)の支払が命じられた例(2018年、フレズノ州裁判所)

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良い政策ほど撤回される

2024-09-08 21:16:45 | 雇用・経済

 さて自民党と立憲民主党のトップ争いが本格的に始まりました。率直に言って誰が勝っても日本社会にとってプラスにはならないと判断するほかないですが、それでも新総裁誕生で総理大臣が代替わりすれば、内閣支持率は一時的に上昇するのでしょう。政策の根本的な方向性は変わらずとも顔ぶれさえ変われば国民の期待は高まる、それが日本の失われた30年間で続いてきたことだと言えます。

 ただ一つだけ肯定的に評価したかったのは石破が持ち出し、そして速やかに撤回された「金融所得への課税強化」です。悪い政策ほど断固として決行されるのとは裏腹に、たまに良い政策が出れば政財界とそれに迎合する人々のからの非難が巻き起こり、容易く撤回されてしまいますね。消費税など逆進性の強い税は撤廃し、富裕層優遇の根源になっている金融所得にメスを入れるのは格差是正のためだけではなく日本経済の発展のためにも欠かせないのですが。


“1億円のカベ”の崩し方 (富裕層と金融所得課税)

 こちらは所得層別にどれだけの所得税が課されているかを表したグラフで、1億円を超えるところから課税率が低下してくことが示されています。何故こうなるかというと日本は分離課税が徹底されており、給与所得などには累進課税が行われているものの金融所得は定率かつ低率であることから、給与所得が中心を占める1億円未満の階層は年収に応じて課税率が上がっていく一方、金融所得が中心になる年収1億円超の層は課税率が低下していくためです。

 つまりは金融所得が多い、投資に回せる資金を多く持っている階層ほど税制面で優遇される仕組みであり、これが格差の拡大や固定化にも一役買っています。公平性の観点からも、そして格差が経済の停滞を招いていることを是正する意味でも分離課税から総合課税への移行は避けられない、金融所得への税制優遇を停止していくことは日本社会が前に進むためには絶対にやらねばならないことです。

 富裕層優遇の税制によって恩恵を受けている層からは、当然ながら反発を受けることになります。石破のごとき政治家が思いつきで金融所得への課税強化を口にしたところで、それを現実にするだけの実行力は期待できません。そしてさらなる問題は、富裕層優遇税制の恩恵とは縁遠いはずの「庶民」の間からも反対の声が大きかったことでしょうか。ボロは着てても心は錦と言いますが、とかく我が国の有権者は経営者目線、為政者目線、富裕層目線でしか物事を考えられない人が多い、その弊害が強く出たわけです。

 月収20万で消費も20万なら、消費税は約2万円が課されます。月収2000万で消費が200万なら、消費税は約20万円が課されます。これで富裕層の方が消費税を多く負担しているのだと主張すれば、立派なエコノミストのできあがりでしょうか。そして金融所得への課税も同様で庶民も富裕層も課される税率はNISA枠などを超えたところは同じ、だから金融所得への課税が抑えられていることは庶民にもメリットが大きいのだと、そう主張すればもう立派な経済の専門家です。

 「勤労から投資へ」、それが岸田政権の大方針でした。給与所得の大幅な引き上げが望めない中、金融所得だけにフォーカスした倍増計画が大きく掲げられ、優遇枠が拡張されるなど庶民が投資に走ることを国策として奨励してきたわけです。要するに「真面目に働いても豊かになれないけれど、何とか種銭を作って投資で儲けてください」というのが政府のメッセージであり、労働よりも金融商品の転売の方に価値を置くものだと評価することが出来ます。

 そもそも日本企業にしてから人件費増や設備投資を惜しみ内部留保を積み上げるばかり、異例のマイナス金利が延々と続く中で資金調達需要は乏しく、むしろ余剰資金を海外資産の購入や自社株買いに回している傾向が鮮明です。庶民がなけなしの懐から金融商品を買うようになったところで、その結果として日本企業が栄えることはありえません。個別の破綻企業はともかく全体の合計として日本企業は資金調達に困っているどころか、むしろダブつかせているのが現状なのですから。

 ただ、岸田政権下の投資奨励策は日本国内株に対象を限定するものではなく、外国株を買っても適用されるものでした。結果として、アメリカの株高を日本の庶民の投資が支える一助になったとは言えるのかも知れません。宗主国への貢献、という意味では岸田は目的を果たしているとも考えられます。アメリカの世界戦略のために軍拡路線へと大きく舵を切った、日本国民がアメリカ株に投資するよう誘導した、「主人」から見れば岸田内閣は実によくやっている扱いになるのでしょう。

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弊社でも起こり得ること

2024-06-09 21:43:44 | 雇用・経済

 じゃんけんのグーで勝ったら「グリコ」と叫んで3歩進む、チョキで勝ったら「チヨコレイト」と叫んで6歩進む、パーで勝ったら「パイナツプル」と叫んで6歩進む、ずっと昔から伝わる子供達の遊びです。勝った手によって進める歩数が違うことで単純なじゃんけんとは異なる駆け引きの要素が生まれる──等と言えば格好が付きますけれど、どうにも私の住む地域では独自の発展を遂げているようで、じゃんけんや歩数の要素を切り捨て、その場に立ち止まってひたすらに「パイナツプル」と絶叫し続ける遊びへと進化していたりします。子供達にとっては駆け引きなんて興味ない、ただ単純に大声を張り上げることが楽しいのでしょう。

 そんな知名度抜群のグリコですが、看板商品であるプッチンプリンなどチルド商品が4月より軒並み出荷停止となっており、2ヶ月を経た今もなお復旧時期は明らかにされていません。発端は4月3日からのグリコ社基幹システムの切り替えにあると伝えられています。このシステム更改は2022年に交代した新社長の肝いりのプロジェクトだったそうで、グリコ社内でどんなことが起こっていたか、ありありと想像できるところです。

 結果として2ヶ月を超えてグリコの一部商品は欠品継続中、既に売り場の棚には他社の商品が陳列されています。このプロジェクトはコンサルティングファームのデロイトトーマツが指揮し、「SAP S4 HANA」へと移行するものであったそうですが、この責任はどこに問われるのでしょうか。SAP社の製品は私の勤務先でも幾つか導入されていますけれど、例外なく品質が悪くどの部署からも歓迎されていません。それでもSAP製品を根付かせるために利用サポートの専任チームが作られたりもしていますが、もうちょっとマトモな他社のサービスを選ぶ良識があれば、こんな無駄は省けたはずです。

 一方デロイトトーマツに関しては職務上で直接の関わりはないものの、同業他社は私の勤務先にも入り込んでおり、業務の攪乱に勤しんでいます。いかにコンサルの影響を最小限にとどめ、職場を守るかに苦心させられるところですが、しかし問題のコンサルは幹部社員の強い推薦でねじ込まれたもののため、社員の声よりもコンサルの提言の方が優先順位が高かったりします。コンサルが阿呆な改革案を提示する、社員がコンサルの案を何とか実現させ、そこで生じた歪みの尻拭いをする、最後にコンサル主導の改革の成功を上長が役員に報告する──これが我が社のサイクルです。

 グリコも、実際に業務を回している社員であれば誰一人としてデロイトトーマツに指揮を任せるようなことは望んでいなかったことでしょう。しかし同様に社長もまた、現場の社員に主導権を与えるようなことは望まなかったのだと思います。新社長としては、むしろ社員の抵抗を振り切って改革を成功させる、そんな実績が欲しかったはずです。だから社外のコンサルに権限を持たせて必要のない変革に大枚を叩いた、グリコに限らずどこの会社でも普通に見られる光景ではないでしょうか。

 結果としてグリコの場合は大惨事を招いています。株主の批判は社長に向かうかも知れませんが、しかし社内ではどうでしょう。往々にして、社長や役員の信頼は社員ではなくコンサルの方に寄せられるものです。コンサルを招いて事態が悪化したのであれば、その責任はコンサルではなく現場の社員にある、よりコンサル主導で物事を変革していく必要がある、世の中そう考えられがちです。だからグリコの場合も、社内では「コンサル以外の誰か」が責任を問われていることと推測されます。デロイトトーマツは正しいことをしているのに、上手くいかなかったのは何故なのか──デロイトではなくグリコ社内のシステム担当者の方がより厳しい立場に置かれている可能性が高いです。

 プロスポーツでもフロントが大金を投じて獲得した選手の起用が優先で、勝手に伸びてきたユース上がりの選手は蔑ろにされる、なんてことがよくあります。「上」の人間が己の実績を作るためには、そうするしかないのでしょう。社員が現場の創意工夫で事態を改善させたとしても、そんなものは会社役員の業績にはならないわけです。「上」の人間がやりたいのは「自ら」ねじ込んだコンサルによる改革であり、まさに「自分の」業績を作ることです。その結果として現場に即した声ほど蔑ろにされ、太鼓持ちコンサルの浸食を許すことになる、グリコの失敗は決して他山の石ではなくどこの会社でも起こりうることと思います。

 

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6/11追記

 間が悪いのかどうか分かりませんが、グリコの「一部商品」は6/25から出荷再開予定と発表されました。ただしプッチンプリンなどは相変わらず未定だそうです。

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