平田信判決でも「オウム真理教」の深い闇
今年最も注目される裁判――。司法界で評判だったオウム裁判は、ソチ五輪やNHK新会長の失言などの影に隠れ、すっかり報道の扱いが小さくなってしまった感がある。
オウム真理教は、日本における最も凶悪な犯罪集団として、その名を事件史に刻んだ。三大事件と呼ばれる一九八九年十一月の坂本弁護士一家事件で三人を殺害し、九四年六月松本サリン事件で七人、九五年三月の地下鉄サリンで十二人の命を奪った。八九年一月の信者殺害を皮切りに殺人事件だけに限ってみても、オウムの犠牲者は二十六人に上る。教団幹部十三人の死刑囚を生んだ最悪の犯罪集団だ。(中略)
そんな最悪の犯罪には、もう一つ見逃せない特徴がある。それは巷間〝オウムの闇〟と表現される未解明の部分の多さである。なかでも私は、オウムが摘発される直前の九五年四月二十三日夜、報道陣が取り囲む衆人環視のオウム真理教東京総本部前で、唐突に起きた村井秀夫刺殺事件が印象に残っている。
実行犯の山口組系羽根組の構成員だった徐裕行は、すぐに逮捕された。しかし、徐には村井を殺害する明確な動機はなかった。実際、警察の事情聴取でも、組関係者の指示を匂わせていた。そうして犯行は捜査の手が迫る中、知り過ぎている教団ナンバーツーだった村井の口を封じる目的だったのではないか、という疑いが濃厚になる。
「オウムの連中はだらしないので、取調べはそれほど難しくなかった。マスコミの前では偉そうにしていても、取り調べでこっちが少し声を上げると、『勘弁して下さい』と机の下に潜り込んだ幹部もいた。オウムは覚醒剤を取り扱っていた疑いもあり、教団施設の建設などを巡って暴力団との接点もいくつか浮かんだ。しかし、村井刺殺事件の背後関係で立件できる確証は得られなかった」
麻原をはじめ教団の幹部たちを次々と摘発していった警視庁のベテラン刑事は、かつてそう唇をかんだ。