大阪市長出直し選挙では、“棄権”“白票投票”で大阪都構想に反対意思を表明する方法もある、共産党の反橋下候補擁立方針をめぐって、東京都知事選を考える(その8、番外編)

 橋下市長(日本維新の会共同代表)が市長辞職と出直し選への出馬を表明したことを受け、共産党(大阪府委員会)は2014年2月4日、出直し選に対立候補を擁立する方針を決めたといわれる。この日の会議では、出直し選について「選挙戦を通じて大阪都構想への反対を訴えるべきだ。橋下氏に審判を下すため共闘を呼びかけていく」との方針で意見が一致。今回の選挙には大義がないとして候補擁立を見送る方針を示している自民や民主など市議会野党と候補擁立について改めて協議したいとした。また野党間で調整が進まない場合、共産党は独自候補の擁立も検討しているという(読売新聞、2014年2月5日)。

 一方、橋下氏は、候補擁立を見送る方針の自民、民主、公明各党に対して、「大阪都構想を否定して市長選に候補を出さないのは卑怯というもの。これでは都構想を認めたことになる」と非難(挑発)しているが、これは形式論にすぎない。今回の出直し市長選は、そもそも選挙すること自体に大義があるのかないのかということが根本的な問題なのであって、候補者を立てるか立てないかは二の次の問題だからだ。

 周知のごとく、地方自治は首長と議会の二元代表制からなっている。大阪都構想はすでに2011年ダブル首長選挙で問うた政策であり、当時の有権者はそのことで橋下氏に市長の座を、大阪維新の会に市議会の3分の1強の議席を与えた。ここで銘記すべきは、大阪市民は維新に市議会の過半数の議席を与えなかったという事実である。つまり、橋下市長は議会多数派の承認を得ることなしには政策を実行できなくなったのであるから、取るべき道はただひとつ、議会の理解(承認)を得られるよう努力する以外に方法がないということだ。これが地方自治における二元代表制の意味であり、民主主義のシステムというものだろう。

 ところが、橋下氏はこともあろうに2月3日の辞職記者会見で、「(他党は)法定協で都構想に反対しておいて、選挙で対応しないのはおかしい。住民に問う究極の民主主義をやりたい。反対なら、対立候補を立ててつぶしてくれたらいい」という「大義?」を主張した。その理由は、「民主主義体制の中で、住民の理解が進めば議会の考えも変わるから」というものだ(産経新聞、2014年2月4日)。

 ここに、橋下氏一流の詭弁と論理のすり替えがある。言うまでもないことだが、議会を変えるのは議会選挙であって市長選挙ではない。市長選を何回やったとしても(橋下氏は2回やるとさえいっている!)、議会の構成が変わらなければ議会の考えを変えることができない。にもかかわらず、なぜ地方自治法に規定された正規の議会解散請求(リコール)をしないで、筋違いの市長選に打って出ようとするのか。そこには橋下氏にしか通用しない“究極の民主主義論”がある。

 橋下氏の言う“究極の民主主義”とは、議会を飛び越えて市民に直接大阪都構想の区割り案を訴え、その圧力で議会に自分の考えを呑ませようという“ポピュリズム政治”(大衆扇動政治)を意図するものだろう。ポピュリスト政治家・橋下氏が市長選を通して自分に都合のよい雰囲気をつくりだし、その余勢を駆って議会各派の妥協を引き出そうというわけだ。その狙いは、次の橋下氏の発言の中に凝縮されている。

 「議会が駄目と言ったものに反して自分の考えを進めるには、住民の後押しが必要だ。(争点は)夏までに都構想の設計図を市民に示すかどうかだ。もう一度市長になったら、1案に絞った設計図作りを大都市局に指示する。夏までに必ず作るので、もう一度市民の後押しを受けたい」(毎日新聞、2014年2月4日)。

 つまり、橋下氏は「議会が駄目と言ったものに反して、自分の考えを進める」と言っているのであり、「そのために住民の後押しが必要」だと言っているのである。このことは橋下氏がポピュリスト政治家であると同時に、彼の信条である“首長独裁主義者”であることを示すものだ。橋下氏は出直し選挙で市長に再選されれば、自分の思うように議会を操れるとでも思っているのであり、またそれに「一か八か」を賭けようとしているのである。

 だが、このことが憲法で保障された地方自治の本旨を踏みにじり、地方自治の根本原理である二元代表制を否定するものであることはいうまでもない。政治学、行政学、地方自治論など各分野の研究者が今回の出直し市長選を「正統性を欠く」「大義がない」と挙って批判し、各紙の社説が悉く「筋違い」「的外れ」とする論陣を張っているのはこのためだ。その意味で橋下氏のやろうとしていることは、「ゴール」の大阪都構想のみならず、それに至る「プロセス」においても地方自治の破壊、議会制民主主義の否定そのものだと言えるだろう。

 結論を述べたい。共産党が「大阪都構想に反対する意見の受け皿がない」として対立候補を立てようとする気持ちはわからないでもないが、出直し市長選そのものが地方自治の原理に反するものである以上、候補者擁立は得策でない(むしろ失策)と思う。そしてこのような相手の土俵に上がることは、共産党が橋下氏や維新と同レベルの政党だと見なされることを覚悟しなければならないだろう。しかしそれでは、ハシズムと真正面から対決してきた大阪の共産党のこれまでの業績が泣くというものではないか。大阪を府民・市民の手に取り戻す機会が目の前に訪れようとしている現在、これまでの功績を帳消しにするような(愚かな)方針は改める他はない。

 おそらく出直し市長選は無投票にはならないだろう。大阪市は大都市だから立候補する人が現れてくるだろうし(都知事選は16人が立候補)、たとえそうならなかったとしても、橋下陣営は「ダミー候補」を立ててでも必ず選挙戦を実行するだろう。そのときはいったいどう対処するのか。私の考えは、選挙と並行して各党がそれぞれ「大阪都構想勉強会」を開いてこれまでの法定協での議論の経過を市民に詳しく知らせ、橋下氏や維新の都構想に関する言い分とその矛盾を徹底的に解明するというものだ。

 橋下氏や維新は選挙活動を通して華々しい宣伝を繰り広げるだろう。目下、宣伝会社がそのためのパンフや動画などの作成に取りかかっていると聞く。しかし、こんな宣伝活動に惑わされる必要はさらさらない。キチンとした討議資料をつくり、真面目な勉強会を市内各区で(できれば小学校区単位で)開催して市民に参加を呼びかけるのだ。そして投票に行くか行かないかは有権者の判断に委ね、当選するはずの橋下氏が「泣きべそ」をかくような結果を出せばいいのである。大阪都構想対する市民の反対意思は、“棄権”という形でも“白票投票”という形でもあらわすことができるからだ。(つづく)